■プロフィール

ナカリ母

Author:ナカリ母
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

■最新記事
■最新コメント
■月別アーカイブ
■カテゴリ
■FC2カウンター

■リンク

このブログをリンクに追加する

■フリーエリア
■フリーエリア
■フリーエリア
■フリーエリア
■検索フォーム

■ブロとも申請フォーム
■QRコード

QR

変化の「春」は苦手なのです
ご訪問ありがとうございます。

ナカリが昨日から「不穏」です。
頓服を飲み、自分で自分を落ち着かせようとしながらも、
衝動的に怒って怒鳴ったり、わけもなくイライラしたり、
「死にたい」「この先いいことは何もなさそう」「生まれて失敗やった」云々・・・。

今週金曜に、就労について相談に行く、という話を出したあたりから、特にそうです。

「春」は変化の大きな季節なので、昔からナカリは苦手です。
リビングの壁にドでかい穴をあけたのも、風呂場のドアを蹴破ったのも、4月でした。

今日仕事に出ていた私宛に届いたメール
「働くのが嫌ってわけではない、本当は働きたいんだ。今までの自分が嫌だっただけ。
今まで何をしてきたのかと嫌悪してたの。
普通に働いたりしてたら、他の人に何してるとか言われても、白い目で見られないかな。
もう死ぬこと考えるの嫌だよ」
「実は自分でもよく分からない状態なの。働きたい、とか、もうわからない。
しんどい、不調だよ。」

昔、私の誕生日に、息子は短い曲を作って、カードに楽譜を書いて贈ってくれた。
彼は、ナカリの誕生日に、水彩画を描いて贈ってくれたこともある。

安楽死したいよ、というナカリに、生きるも死ぬもお母さんは一緒だから、
と言い、私たち二人が死んだら、夫も息子も困るし悲しむけど、それでいいの?
と言うと、ナカリは思いとどまる。

ナカリのために、私も何か贈って、
音楽ででも慰めることが出来たらいいのに。
元気が出る、ピアノガイズの曲なんか、どうかなあ。
(私には弾けないけど)







子どもの日常 | 20:17:36 | コメント(10)
知的な遅れの有無が、人間関係の困難の問題を上回ると思う
ご訪問ありがとうございます。

いろいろありながら、昨夜のバトルは収束し、ごめんなさいモードのナカリです。
ナカリの今後は、彼女の夢である「イラストレーター」ではなく、
作業所で働ける障害年金受給者、という方向を目指す、ということも、
私自身、やっと吹っ切れた思いです。

それにしても

知的な遅れがあるかどうか、ということは、本人の自己肯定感に大きく影響する。
上の息子が、紆余曲折を経ながらも、4月から一定収入を得る研究者予備軍になれたのも、
卓越した語学力のおかげです。

知的な遅れが全くなかったので、学校時代には診断もつかず、支援もなく、
結果不登校(不適応)で、マイペースを貫き通したわけですが、
それはそれで彼の人生において、プラスの経験だったと思います。


中学時代からドイツ語を独習し、高校途中で独検3級まで達し、
大学でも特例的に(彼は高卒認定試験合格資格で入学したので、高校の単位はありません)既修者コースに入れてもらい、
そこで、先生から「君は授業に出なくても(単位をあげるから)いい」とまで言われ、
第2外国語として選択したフランス語も、あれよあれよという間に習得して、仏検3級を取得、
ラテン語ギリシャ語も、いつのまにか上級者レベルに達し、
大学院は国立(旧帝国)大に2つ受かって、最後までどちらに進むか迷うという「ぜいたくな悩み」の末、
結論、今、京都で、イタリア語も学んでいます。
手を出した外国語は、
エストニア語、フィンランド語、中国語、ロシア語、サンスクリット語、オランダ語、と多岐にわたり、
いったいどこまでこの人の語学能力は高まっていくのだろう、と、親ながら驚かされるばかりです。

加えて、趣味として楽器(ピアノ、バイオリン、トランペット)に親しんだのも、ほぼ独学。
何の教室にも通わないで、ピアノでバッハを弾きこなすようになれたのも、
天賦の音楽的センスと技術に恵まれたていたから、としか言えません。

数学やコンピューターへの興味関心も中学時期から強くあり、
情報処理技術者の資格をめざしたことも。

そうした、兄の「活躍」を横目で見て、
ナカリはいつも「兄ばっかり・・・」と自分と比較して怒っていました。


ナカリは3歳の時から療育手帳を取得して、ずっと更新し続けて、今も「軽度知的障がい者」です。
数の概念は、特に苦手で、「足して10」の組み合わせが未だあやふやで、おつりの計算ができません。
英語が好きで、国語も好きで、文章も書けるし、メールも打てるけれど、
「理解力」「読解力」には課題が多く残ります。
字を読むのが得意ではなく、気に入った軽いエッセイなら、ササッと目は通すけれど、
自宅に山ほどある書籍には目を向けません。図書館は緊張で息詰まるからか、好きではありません。

そんなナカリのことを、私は、愛しているけれども、心のどこかで、いつも残念に思ってきました。
その、「親の失望」を、彼女は、小さい時から、ずっと身に受けて実感し続けてきたのだと思うと、
申し訳ない、としか言えなくて・・・。

二次障がい、として、精神疾患が疑われ、保護入院に至った時にも、本当に辛かった。
自分に自信がなく、自己否定の塗り重ねの上に、被害妄想が重なって、社会適応が出来なくなった・・・
なぜ、そこまで自分に自信が無いのか?ありのままでいい、と思えないのか?
それは、何をしても、どうしても、「人並み」な知的能力を持てない、
という自己否定、自己嫌悪、が根っこにある
ように思うのです。
それが、「人間関係の困難さ」にもつながってくる


中途半端に自己認識出来る力があるだけに、
自分のことを「知的障害者」だと分かるがゆえに、余計に苦しい。


似たような経過で、幼い時期を共に過ごした友達の今現在の様子を見ても、
知的遅れのない子は社会適応もいいし、進路選択の幅も広い、
一方、
もっと重い知的障害を抱えていても、メタ(自己)認知の弱い子は、その子なりのペースで社会適応している。


ナカリは実に中途半端に、自己認識も出来る知的障がい者だから、生きにくい。

昨夜の久々のパニックも、孤独感=自信の無さ~他者からの評価を過剰に意識する、の表れだったと思います。


この数年、
知的な遅れの無い発達障がい者の生きにくさ、が社会的にも認められ、話題にされるようになったけれど、
境界線レベルの知的障がい者の生きにくさ、にも、
もっと焦点が当たってもいいように思う。

近い内容の記事を、リンク先の「なきむしでいいじゃん」で、むーにさんが記事にされています。
「障害者枠か、健常者枠か、どちらも見込める場合」

知的能力といっても、いろいろな分野があり、一律に数字では測れない、
という、多重知能理論が一般化しつつあるようですが、
どんなに芸術分野で能力があろうとも、それが「突出したレベル」に達していなければ、
無いのに等しい・・・
ナカリには「突出したレベル」といえる能力が、はっきり言って、無い。
「普通の知的障がい者」だ、という事実。

それを、私が認めなければいけない、受け入れなければいけない。
ハンディを背負いながら生きるナカリと、この社会で一緒に生きていかなければならない。
そのナカリに、昨夜私はキレてしまった・・・。

ごめんなさい、お母さん。ナカリと喧嘩しない、と、約束したのに守れなかった。


複雑な思いに胸が押しつぶされそうになりながら、でも前を向いていくしかないよね。
息子が良く弾いていたバッハ。
息子の好きなグールドの演奏で。




息子よ、妹を頼む・・・









子どもの日常 | 23:20:35 | コメント(6)
アートの先生が出品された展覧会に行ってきました
ご訪問ありがとうございます。

春休み中の京都へ、ナカリと二人、がんばって往復してきました。
先生が出品された作品(50号、2つ)が入選されたとのことで、
無料招待券をいただいて、半日かけて行ってきました。

平安神宮 鳥居 CIMG0727

通信制高校のスクーリングで行ったことのある、みやこメッセ近くの京都市美術館。
改装途中で、以前行った時とは雰囲気が違いましたが、本館の趣はやはり重厚。

京都市美術館 CIMG0728

先生からいただいた招待状。

昭和美術展 入場券 CIMG0729

中に入ると、両方に分かれる階段で、昔ながらの造り。

昭和美術展 玄関 CIMG0732

ここから先は撮影禁止だったので、先生の作品も目に焼き付けて帰りました。
今日行く予定とはお伝えしていなかったのに、見終わって出てきたところで先生と遭遇!
何というタイミング!4月に自宅に来ていただくので、その予定の確認をして別れました。
今回の展覧会は、結構大掛かりで、
前に京都市美術館別館で開催されていた、先生の大学卒業生の展覧会とは趣が違って、
絵の世界にも、いろんな人間関係や「会」があるんだと、何だか、ちょっと引いてしまいましたが・・・。
ナカリにとっては、素直に先生の絵を見ることが出来て良かった、という感じの小旅行になりました。

帰り道、外食に慣れたとはいえ、初めてのお店は敷居が高く、
マクドナルドで、てりたまバーガーセットを食べて帰りました。
でも、さすが京都のマクド、
中国語表記のメニューがあって、お隣では英語圏のご家族が休憩してらして、
雰囲気違うなーと思いながらの食事でした。



でもなんだか。

ナカリが目指す絵の世界とはちょっと違う。
イラストレーター、ではなくて、画家、の世界。
・・・その雰囲気の違いも含めて、イラストは趣味で、生活(お仕事)は作業所で、
という認識が、ナカリの中にも改めて根付いた感じの一日でした。
(それはそれで少し寂しいところもあるけれど。)
芸術で食べていこうとするなら、こういう世界で生き抜いていかないといけないんだ、と、
私自身も改めて距離感を感じながら帰宅した次第です。


で、夜には、母が逝ってから初めてナカリと大バトル。
やっぱり彼女にとっては、ちょっとストレスフルな一日だったかも。
親子二人とも頓服を飲んで、
こういう時、おばあちゃんに電話したけどもう今は無理だしね、
と、改めて母を偲びました。

ナカリと喧嘩しないって約束したのにゴメンね、お母さん。
やっぱり、私、まだまだだなあ。
愚痴を言える相手がいなくなってしまって、寂しいよ。
京都までの往復は頑張ったんだけどね。
パラレル世界と、リアルとの兼ね合いは、永遠のテーマだなあ。
お話しできない、触れない、それは、パラレルの人も亡くなった人も同じ。
そのあたりから話がややこしくなっちゃったんだよ。

お母さんも、今はナカリのパラレルワールドの中の人になっちゃったかな。
話したいねえ。お母さん、なんて言うかな、また怒られるかな。
怒られたら反発していた私だけど、今はちょっと叱ってほしい・・・
言葉を交わせないっていうこと、やっぱり寂しいねえ。
時間薬だね。
少しずつ、少しずつ、この状況を受け入れていくしかないよね。
がんばろう・・・









子どもの日常 | 23:07:22 | コメント(6)
おまじないの言葉「安心しましょう」
ご訪問ありがとうございます。
ありがとう、な気持ちがいっぱいです。
拍手もコメントも訪問だけでも励まされます、改めて感謝です。


今日は仕事で、ナカリは留守番でした。
私が家を出る前に不安になったナカリは、
自分と自分の作り出したキャラ達(イラスト)が一緒かどうか、
繰り返し質問してきます。

答えにくい部分だし、
その時の彼女の気分と反する答えを出すと地雷を踏むことになるので慎重に、
「キャラたちは、ナカリの部分集合」という説明で終始しました。
自分の中から生み出されたものだから、自分に属している、
ただし自分との一致度はキャラによって違う、
でも、全部、生みの親はナカリだから、どのキャラもナカリに逆らうことはできない、
だって、パラレルワールドではナカリは神様(創造主)だから。
・・・この説明で、なんとなく納得のナカリ。
とにかく、何度も繰り返される同じ質問にも、
優しく丁寧に「安心しましょう」「大丈夫」を、おまじないのように返していく。
それで落ち着ける、今の状態は、決して悪くない。
「安心しましょう」で、安心できるなら、何度でも言ってあげる。


歩いて移動中、電車の待ち時間、いろんな場面で、ふっと母に電話していた自分を思い出し、
電話の代わりに、「お母さんへ」という送信先のないメールを書いて下書きボックスに入れている。
以前のガラケーには、
ナカリに対する苛立ちや持って行き場のない爆発しそうな感情をぶつける(自宅宛)未送信メールばかり溜まっていってたけれど、
今はとてもそんな愚痴を書く気持ちにはなれない。
ナカリに対して、あたたかい気持ちや根気強く関わる気持ちが先行して、キレにくくなっている、
そしてその相乗効果で、ナカリもがんばってくれている。
いい循環が生まれている。
これが、続きますように。


離れていても、「そばにいるね」。






子どもの日常 | 00:27:59 | コメント(2)
外食に慣れてきたことが嬉しい!
ご訪問ありがとうございます。


先の記事に、いろいろなコメントをありがとうございました。
頭が沸騰状態だった昨日から少し時間を経て冷静さを取り戻してきました
2日がかりで入念に検討した文章に添付資料を加え、書留速達として郵便局本局まで出しに行き、
よっしゃ! 相手が次、どう出てくるか様子を見てやろう、と思っているところです。


日曜で、夫も休みだったので、ナカリと3人で散歩がてら郵便局からスーパーに回り、
そのまま、期間限定割引券をもらっていたケーキ屋さんに入ってお茶の時間。
こうやって、普通に、お店に入って外食できるようになったこと、
しみじみと、ありがたいなー、良かったなーと思います。


小さい頃から、ナカリは外食が苦手で、お店の入口でギャン泣きされて諦めたこともあるし、
入店できても食事はそこそこで、すぐに外に出たがり、夫婦交代で店の外で相手をしたことも。
何が原因か? お店の中のインテリア(置物など)が嫌みたい、と分かった際には、
そうしたものが見えない位置に席をとるよう工夫してみたり、
マクドナルドでも、他の人が視界に入らないよう壁際の席で壁に向かって座るようにしたり、
あの手この手で対処してきました。

精神的に不安定になっていた頃には、家で家族と一緒に食事することさえ難しくなり、
一人だけ別室で食べた時期もあります(食べているところを見られることを極端に嫌がった時期)。

本人の立場になってみたら、きっと理由はいろいろあるんだろうなと思いながら、
ついついこちらの希望を押し付けてしまい、それが叶わないと残念な気持ちになったものです。


今、ストレスを感じながらも外食に慣れてきてくれたことが、改めて嬉しくて。

帰り道、降り出した雨の中、傘をさして3人で歩きながら、中学の時、ナカリと二人で観に行った、
映画「星の国から孫ふたり」を思い出していました。



この映画では、言葉にできない自閉症児の気持ちが吹き出しで示されたり、
お店に入るのを嫌がる子どもの目からは、入口が真っ暗なトンネルのように見えている、と視覚化されていたり、
(これは、「レナードの朝」という映画で、床の模様が変わる部分から先が崖っぷちのように見えているシーンと重なりました)
自閉っ子独特の世界をうまく映像化してくれていて、ナカリ自身も「見てよかった」と言ってくれました。

「星の国」からきた子どもたち、大人たち・・・

自閉っ子のことを、地球人じゃない、と表現した題名のブログも見たことがあります。

たしかに異文化。
共存していくためには、お互いの存在や感覚を理解しあい、尊重しなくては・・・
まだまだこれから先も、その道は続くね。
でも、とにかく今に感謝。


荒れていた心の中が、ナカリとのお茶の時間で癒されました。

帰宅して記事を書きながら、大相撲中継の盛り上がりに何度か手が止まり・・・。
あー、大阪場所、終わっちゃった! 熱戦でした。
息子も見てたかな?
(・・・と書いてたら、息子の方から電話。
今日は、十両の優勝決定も三つ巴戦になって、全体として時間が後ろにずれこんでたそうです。
「琴奨菊が優勝した時だったか、優勝を逃した時だったかに、おばあさんから電話があったなー」
と、思いだしてくれていて、胸いっぱい。お母さん、良かったね。孫の心にしっかり残ってるよ)

よし、子どもたちのために、私も前向きにいこう~
ありがとう、な気持ちで毎日を過ごせますように。






子どもの日常 | 18:52:30 | コメント(4)
前のページ 次のページ

FC2Ad