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ナカリママ

Author:ナカリママ
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

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母が逝って5カ月・・・しあわせ、を考える
ご訪問ありがとうございます。

昨日は母の月命日でした。
早いもので、もう5カ月経ちました。

救急入院したという連絡で、ナカリを連れて片道切符で帰省し、
一度戻って息子を連れて再度帰省、
その月の親の集まりには出られそうになかったので他のママさんに頼んでいたら、
ちょうど、集まりの日の夕方に亡くなりました。
夜、病院の待合室で、かけつけた牧師さんと告別式その他の打ち合わせをしていたところに、
お願いしていたママさんから、その日の集まりの様子の報告メールが入り、
一息ついたところで、母を看取ったことと、お礼とを返信しました。

そのあと
いろんな人に気遣ってもらえました。
人のつながりに、癒されました。


私はまだ洗礼は受けていませんが、
クリスチャンの母と叔母からいろいろな影響を受けてきたと思います。
(母も洗礼を受けるまで紆余曲折、長い時間がかかりました。)


私が中学生くらいの時、
卒園した幼稚園のバザーに行って買ってきた小さな本
「しあわせ」(女子パウロ会) 
その中に挟んであった「しおり」
しあわせ 本

いわゆる、名言集、なのですが、
ずっと、気に入って手元に置いていました。
最初のページには

「自分がしあわせかどうか
 問わなくともよい
 しかし
 あなたとともにいる人が
 しあわせかどうかは
 問うがよい
    作者不詳 」


とあって、少し、胸がチクリ。
認知症が進んでいく過程で、母との電話のやりとりが刺々しくなり、
あるとき
「あんたも、自分が老人ホームに入れられるようにならんと、この気持ちは分からん!」
と、強く言い放たれた言葉が突き刺さったままです。

亡くなる直前の電話では、穏やかに「ナカリをほめてやるんよ」と言ってくれたし、
その後、最後に交わせた会話では、私の「ごめんね」にちゃんと応えてくれたので、
あのときの、あの言葉は、私への恨み言、という風には受けとめていないのですが、
やはり
認知症の症状に対する苛立ちから、
私自身の中で、「母のしあわせ」への思いやりが欠けていたかな、と。
ナカリとの日々に精一杯で、
母にたくさん助けてもらった過去にも十分感謝の気持ちはあったけど、
もう、母から解放されたい、
という気持ちがどこかで頭をもたげていたのも事実です。

遠距離介護の頃、高速バスの中で何度も聴いていた、宇多田ヒカルの曲を思い出し、
聴きかえしてみたら、ここでも「しあわせ」がキーワード。
そして、心に突き刺さる歌詞。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「誰かの願いが叶うころ」

・・・
私の涙が乾くころ あの子が泣いてるよ
このまま僕らの地面は乾かない

あなたの幸せ願うほど わがままが増えてくよ
あなたは私を引き止めない いつだってそう
誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ
みんなの願いは同時には叶わない

小さな地球が回るほど 優しさが身に付くよ
もうー度あなたを抱き締めたい できるだけそっと


ーーーーーーーーーーーーーーーーー

「みんなの願いは同時には叶わない」けれど、
しおりに有った言葉、
「人類の歴史に及ぼす自分の人生の意味」を考え続けていきたい、
と思いました。
(宇多田さんの、しっとりした歌声を聴きながら)





読んだ本・文章、見た映画・ドラマ、聴いた音楽 | 11:27:19 | トラックバック(0) | コメント(8)
コメント
ナカリママさんへ
こんにちは。

昨日の28日は
お母さまの月命日だったのですね。
今日の29日は
私の姉の月命日です^^;

ふとした言葉に
気付かされるってありますね。

しあわせ..という本のしおり

辛いことを知っているからこそ
その言葉は言えたのだろうし
辛いことを経験した人だからこそ
そのしおりの言葉に
何かを感じることが出来たのだと思います。

人は何度も立ち止まり
自分に問う..

そこで『嫌だ!』と思ってしまうと
前に進むのは困難で
その場に縛られ時間ばかり過ぎ
勿体ないことになるかな?って思います。

昨日『君の膵臓をたべたい』とい映画を観てきました。
ナカリママさんやココヘいらっしゃる方が
これから観ようと思っていては
ネタバレは迷惑なので言いませんが

立ち止まらないことって
ときに必要なんだって思いました。

お母さまの
「あんたも
自分が老人ホームに入れられるようにならんと・・・」

自分が経験したことは想像がつくけれど
これから行く道の
もしかしたら経験するかもしれない状態を
考えることをちょっと忘れがちですもんね。

こういう時は
ちょっと立ち止まり
未来の自分を想像してみると
見えてくるものがあるのかもしれません。

勉強になります。
ありがとうございました。

2017-07-29 土 13:43:48 | URL | iomama [編集]
「自分がしあわせかどうか 問わなくともよい・・・」
感動的ないい言葉です。

小5年ごろに自閉症って伝えられたとか。
個性があって一概に言えないでしょうが、いい時期だった
のではないでしょうか。若い母親が迷い、戸惑いながら本人に
告げた決意に、娘さんはいつかきっと誇りと感謝の念を持たれることでしょう。
グランディンが5、6歳時の暴力的、攻撃的な暗い深淵から自分を
救い出してくれたのがスピーチ・テラピーだったと述べています。
この、喋らないにせよ自分を語る試み、うまくいくといいですね。
2017-07-29 土 15:41:06 | URL | エリアンダー [編集]
iomamaさんへ
こんにちは。
今日がお姉さまの月命日なんですね。
過去記事を読ませていただいて、
お姉さまの思いがすごく伝わってきたのを思い出しました。
亡くなった人のことを思い出しながら「偲ぶ」ことって、
遺された者にとっても癒しにもなるな、と感じます。

ちょうど今日、久しぶりに集まった友人たちの中に、
今まさに、認知症のお母様を介護しているという人がいて、
記事の中の母の言葉を聞いてもらうと、
その人も全く同じようなことを言われた、とのこと。
ホームは嫌だ、自宅に帰りたい、とも訴えておられるそうで、
(でもそれは、本気で帰りたいというより、
気持ちを聞いてほしいという感じみたいです)
我が家はもう看取った後だけれど、
その方はまだこれから、なので、
出来るだけお母様のお気持ちに寄り添ってあげて・・・、
という話をしました。

私自身振り返ると、、
その時には、
(そんなこと言われたって、今まだわからないのは仕方ないじゃん)
と、思わずイラついたりしたのですが、
母は、辛い気持ちを分かってほしかっただけなんだ、と、
今になって気がついて、申し訳なかったなあと思っています。

未来の自分を想像して、
今から少しずつでも出来ること(終活)をしておかなくちゃ、
と、改めて思います。

認知症が進んで、自分の子どもの事も分からなくなったら、
親も子も、お互い辛いだろうなあ。
(義父は、夫のことを、息子だと分からなくなった状態で逝ってしまいました)

あまり、先取り不安を抱えてしまってはいけないけれど、
年長者の言葉には、きちんと耳を傾けないと・・・。
これ、確か、iomamaさんの過去記事から学んだことのように思います。

私もいっぱい勉強になりました。
こちらこそ、ありがとうございます。
2017-07-29 土 19:03:05 | URL | ナカリママ [編集]
エリアンダーさんへ
こんばんは。

短い言葉でも、考えさせられたリ感動すること、ありますよね。

「自分がしあわせかどうか 問わなくていい」 というのは、
ナチスの強制収容所を生き延びたフランクル氏の
「生きる意味があるか、と問うのは、はじめから誤っている、
私たちは生きる意味を問うてはならない、
人生こそが問いを出して、私たちは問われている存在なのだ、
生きること自体、問われていることにほかならない」
という文章を思い出させます。

作者不詳、ですが、深い言葉だなあと、私も感動しました。

幼い娘に、自閉症だということを敢えて伝えて、
一緒にそれと向き合っていこうとしたことを、
肯定的にとらえ、
また、
それを振り返る作業を通じて、さらに一歩踏み出そう・・・
そう思えるようなコメントをいただいて、感謝です。

グランディンさんのスピーチ・テラピーみたいになれるよう、
「絵と文で自分を語る」チャレンジ、親子でがんばりますね。
前向きに考えたら、希望が見えてきた気がします。
ありがとうございました。
2017-07-29 土 19:17:59 | URL | ナカリママ [編集]
またまた何回も読ませていただきました。読んでよかった。知り合えてよかった。お話を聞くだけで 豊かな気持ちにさせてくれる。来てもらっても困ると言われても だってさ…読みたくなるし(笑)今日も来てよかったぁ。ほんとよかったぁ
2017-07-29 土 19:54:14 | URL | クリボー [編集]
こんばんは
月日が経つのは本当に早いですね。

お母さまがおっしゃった
「あんたも、自分が老人ホームに入れられるようにならんと、この気持ちは分からん!」
この一言はやはり同じ立場になってみてわかることなんだと思います。
想像して察してあげることはできるけれど 実際その立場になってみないとわからないこともありますよね。
きっとお母さまもだんだんとわからなくなってくる自分を認めるのが辛いというか苦しいというかもどかしいというか・・・そんな思いもありママさんにきつく当たってしまわれたのではないのかなぁって思うのです。
ただママさんはできる限りのことをなさっていたとも思います。
お母さまも 「あんなこと言ってごめんね」 って思っていらっしゃるんじゃないのかな・・・これは私の想像ですが^^

2017-07-29 土 22:54:19 | URL | 花梨 [編集]
クリボーさんへ
お返事おそくなってごめんなさい。
そんな風に書いていただけて、しあわせです。
読んでいただける人がいること、
何か心に通じるものがあって、一緒に考えられるということ、
ほんとにありがたいです。
私も、クリボーさんのところで、分かる分かる、嬉しいな~と思うこと度々です。
来てもらっても困る、なんて言うわけありませんよ~~
来ていただいて、ほんと、よかったぁ~(^-^)
2017-07-30 日 14:01:04 | URL | ナカリママ [編集]
花梨さんへ
こんにちは。

ほんとに、もう5カ月?という感じです。
カレンダーも、あと一日で7月が終わって、次のページ。
今年も半部以上過ぎ去ってしまいました・・・早すぎ!

母の言葉は、私も、いつか自分が体験してみて初めてわかるんだろうなあ、
と思い返しています。
自分自身が分からない、と言って泣きながら電話してきたときの母も声が、
今でも忘れられません。
認知症が進んでいく過程で、自分というものが分からなくなっていく不安、
ホームの中で、より重度の認知症の方たちを目にして、自分の先が不安になる気持ち。
それを想うと、苛立ったり、きつく言ったり、泣いたり、それも当然だろうなあ、
と、今になってしみじみ思ったりします。
親子喧嘩は、私とナカリの間でもそうですが、
時間薬で、後からお互いに「ごめんね」と言い合う形でおさまります。
花梨さんが書いてくださったように、母もきっとそう思ってくれていると思います。
ナカリと二人で「許しあおうね」と言っているのと同じ気持ちで、
これからも母に心で話しかけたいです。

コメントありがとうございました。
2017-07-30 日 14:08:07 | URL | ナカリママ [編集]
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