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ナカリママ

Author:ナカリママ
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

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学生さんの感想 つづき
ご訪問ありがとうございます。

昨夜、長くなったのでいったん終了した感想文の続きです。

・ 私の友達に障害のある子がいます。
  高校で離れてしまったので家は近いのですが、連絡がそれっきりになってしまっています。
  (中略)親は自分が亡くなった後、子どもはどうなるのか、ということが心配で、
  私の友人の母親も同じだと思います。だから、同じ地域に住んでいるのだから、
  何か私がその子の力になって、少しでもお母さんの心配を取り除けたら、と、今日の話で、より思いました。

・ 僕には障がいのあるいとこがいます。その母親を見ると、いつも大変そうで(中略) 
  普通の親より大変なんだと思っていました。
  でも、今日の話をきいて、それは違うんだ、
  確かに大変かもしれないけど、自分が思っているような大変さとは違う、
  一人の親として、子育てが大変であるような大変さ、ということが分かりました。
  いとこの両親と、そのような話をしたことはありませんが、これを機に色々聞いてみたいと思います。

・ 「おもしろい子だと思って関わりをもってくれるとうれしい」という言葉がとても印象に残っています。
  僕が小学校の頃、同級生に知的障害者がいて、
  その人がなぜ急に叫んだり暴れたりするのかが、よくわかっていませんでした。
  でも、何だかほっておけなくて関わっていたことを覚えています。(中略)
  障害者に対して自然に接すること、もしかしたらそれは、
  この小学校の時の経験によるものかもしれない、と思ったりしました。

・ 中でも印象的だったのは
  「お母さんに私の気持ちなんか分からない」と泣きながらぶつかる、という話です。
  私にも少し精神障がいをもった弟がいて、よく同じようなことを母や私に言います。
  だからこの話が身近に感じ、「一度、その子の”わからない”という視点まで降りていき
  一緒に上がっていく」という言葉が心に響きました。

・ 「人生は運と縁」という言葉が一番印象に残りました。
  僕も「なんでこの家に生まれたんやろ」と言ってしまったことがあります。
  その時に母が「子どもはその子を育てることのできる親のところでしか生まれない」
  と言われたことがあります。その時ハッとしたの覚えています。

・ 「私なんか生まれなかったらいいのに」と思うこともあります。
  実は私の母も障害者です。小脳の萎縮です。(中略)
  非常に悲しいこと、何でこんなことはうちだけなのと思いました。
  しかし、話を聞いて、全世界で障害者は15%あり、身近で障害者がいるというのは6割もあります。
  「うちだけじゃないなぁ」と分かりました。すごく元気を出しました。

・ 私は中学2年の時に少しグレてしまいました。
  両親の不仲や、父親への怒りをどこにぶつけていいか分からなかった結果です。
  母と口論になった末に「じゃあ何でうちのこと生んでん!?いらんやろ こんな娘!」と言うと、
  母親は私を殴り「二度とそんなこと言うな!」と言われました。(中略)
  話を聞いて、あの言葉には母の愛情が詰まっていたんだなあと少し涙が出ました。

・ 自分自身は障がいがあるわけでもないのに、
  恥ずかしいことながら大学に入ってから人間関係や将来のことで悩み、
  学校になかなか行けず、今年の夏には家から外へ出れなくなってしまっていました。
  そうなってしまった自分にもショックで、どうすればいいか分かりませんでした。(中略)
  僕は周囲の友人の助けやカウンセラーの先生の助けもあって、大学に再び通えるようになったので、
  周りの人の大切さや、自分のことを考えてくれる人のありがたさを身にしみて感じました。(中略)
  話を聞いて、今後の勇気をいただきました。

・ 私も、母親と同じようなケンカというか言い合いを何回もしたことがあるので、
  自分の伝えたいことがなかなか伝わらない悔しさ、悲しさがとても共感できました。
  ものすごく親のことが嫌いになる時があります。
  でも「生まれてこなければよかった」というのは言わないようにしようと思っています。
  話を聞いて、そのことを言うと親は本当に悲しんでしまうと知って、言わないでよかったと心から思いました。

・ 想像するだけで私も何だか哀しくなって、初めて障がいをもつ親の辛さが少しわかったというか、
  親身になって感じることができた気がしました。
  一方で、 「めんどくさい」「しんどい」など言葉のあやから言い合いになるのは、
  私と私の親の間でもよく起きるので、
  案外思っていた以上に、私たちとそんなに変わらないのだなあと思いました。

・ 誰かのちょっとした視線が気になったり、話し声が全部悪口に聞こえたり、といったことは私にもありました。
  (中略)中学に入ってすぐは、ずっと周りの話し声や視線が気になって、急に泣きたくなったり、
  毎日のようにほとんど全員から「死ね」とコールされたことと、
  それを見ても形だけの対応で何も助けてくれなかった教師の顔が浮かんで
  人が怖くなったりすることがありました。
  でも家族が自分の存在を認めてくれ、この世に必要としてくれていたから
  クラスの誰に存在を否定されても、私は私を否定しませんでした。
  不安をいつも抱えていることがどんなに辛いことか、私は人よりは分かるつもりです。

・ 障がいに関係なく誰にだって出来ないことの一つや二つはあると思います。
  世間は「やればできる!」「がんばれ!」という言葉であふれかえっています。
  でも「できなくてもいいんだよ」その言葉一つでこんなにも心が楽になることはないと思いました。
  自分は一生懸命なのに、なんで?なんでできないの?そう思っている人に
  「がんばればできるよ」と言葉で励ますのは間違いだと気づきました。
  気持ちを楽にしてあげるということを忘れてはいけないと思います。

・ 高校に入ったあたりから数学が本当にできなくなって、
  進学校であったため、周りと比べてのコンプレックスで落ち込んだところに
  親から「どうしてできないの!」と言われたりして、思わずカッとなって
  「やってもやってもわからないんだ!」と口論になったことが何回もありました。
  そのことと同じ、とは言えませんし、気持ちが完全に理解できるとは思えませんが、
  「できない」ということや「しんどい」という気持ちの存在を認めてもらえるだけで
  楽になるんじゃないか、と思います。(中略)
  誰かが自分の気持ちのほんの一部でも認めて受け入れてくれれば、
  みんなが生きやすい世の中になるんじゃないかな、と思いました。
 
・ まず自分自身が幸せでないといけないよ、という話は一番心に留まりました。
  確かに、誰かに寄りそうためには、
  一緒に引きずられていてはもっとつらくさせてしまうだけだなと思いました。
  私の母は支援する立場なので、
  逆に私が母を幸せだ、と思えるような生活を送ってもらえるようにしたいな、と思います。
  
・ 障害の線引きがとても難しいというのはとても分かります。
  私の祖父も腰が悪くて歩けないので障害者手帳をもらう時に何級とか決められました。
  悪用されないためにはある程度線引きするのは仕方のないことかなと思いました。

・ 私は今、児童デイでアルバイトをしていますが、何が出来ているのか、
  私は何のために児童デイでアルバイトをしているのか悩むことがあります。
  「この子おもしろいな」「ここがいい所だな」と思っても、今していることがどう役立っているか、
  怒った方がいいのか、安心させる方がいいのか、よく分かっていません。
  しかし、話を聞いて「いつか役に立ったと思えればいい」と思えました。
  また、今からある不安というストレスから少しでも楽にさせてあげられたらいい、と思えました。

・ 僕は今年の6月からある人の介護ボランティアをしています。
  そのことがきっかけで、他の障害者の方とも会ってきました。
  この半年ほどで考え方も変わり、今までの自分が恥ずかしくも思います。
  一度、障害者の人と関わってみるだけでも価値のある機会だと思いました。

・ 今日初めて授業で、恥ずかしいことですが初めて一番前の席に座りました。
  今日がゲストスピーカーさんの日ということも覚えていなかったのですが、
  なんとなく「今日はまじめに受けよう」というように思っていました。
  先生、すみません。これも、お話にあった「縁」のひとつかなと思います。
  話がそれるかもしれませんが、小学生の時に二人の友達がいました。
  はじめ不登校で、私たちが仲良くなって学校に来てくれた子は、中学で不登校、
  いじめられていた学校から転校してきて徐々に回復した子は、高校中退、
  という状態でした。
  私は何かできたかもしれない、できたことがあったのではないかというように思い、大学に入りました。
  (中略)彼らも「生きていくのが辛い」というような心情に何度か陥ったと思います。
  そんな時、自分はどうすべきなのか、そのヒントが得られたような気がします。

・ 最後のコメントで、私たちのことを、
  「なんで?」ということを考えられる力があるのが素晴らしい、と言っていた。
  人生の上で、常に疑問を持つのは確かに大切なのだとは思う。
  「なんで?」を「なんでだろう」と吟味していくことで新たな発見や知識を得る機会になるだろうし、
  そこが印象に残った。これから「なんで?」を大切にしていきたい。


長々と、抜粋の抜粋ですが、転載させていただきました。
当時話を聴いてくれた学生さんの多くが、今は社会人になっていると思います。

一期一会

ご縁をいただいて、出会った人たちの今を想いながら、今回の記事はここまでで…。
たくさん読んでいただいて、重ねてありがとうございました。



最後に、当日の資料として配った、内閣府の「身につけよう心の身だしなみ」のPDFページ と、
ナカリの作文「心の傷」 イラスト冊子「Watashi」 の記事を貼りつけておきます。
(冊子は全体へは部分紹介して、欲しい人にだけ、授業の後で全部を渡しました)

共に生きる社会をつくるために~身につけよう心の身だしなみ~

本人が他の人に伝えたいと思ったこと(中3時代) 「心の傷」

「Watashi」 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)


一気に、一方的発信になってしまいましたが、
これからも、ともに考えて行けたらと思っていますので、よろしくお願いします。




思い出 | 14:02:59 | トラックバック(0) | コメント(4)
コメント
この感想を書いてくれた大学生の皆さんは福祉学科の方でしょうか。皆さん、すごく障害に関心を持ってくれていますね。感心させられました。

ナカリさんの作文はこれからゆっくりと読ませて頂きますね。たくさんの資料、どうもありがとうございました。
2017-05-10 水 15:38:15 | URL | 鶏ささみ [編集]
鶏ささみさんへ
学生さん達の専攻は、福祉ではなく教育系でした。
なので、教員志望の人も多かったです。
授業は、確か「障害者と人権」みたいな内容で、
教職を目指す人だけでなく、1,2回生を中心に、
ある程度「必須」として設定されているような科目でした。
受講生200人と聞いて、かなりびびりました(^-^;)

内心、きちんと話を聞いてくれるか心配していましたが、
露骨に寝るとか、私語をするとかいう人もほとんど居なくて、
熱心に聞いてくれたので、若い人に対して希望が持てました。
それこそ、若者を見た目で判断しちゃいけませんね。

ナカリの作文、その他は過去記事から引っ張ってきて、
自分でも読み直したら、懐かしかったです。
リンク先のponchさんがたくさんコメントして下さっていて、
改めて時の流れを感じて感慨深いです。

こちらこそ、いつもありがとうございます。

2017-05-10 水 16:02:31 | URL | ナカリママ [編集]
考えるっていいですね
素晴らしい学生さんたちです・・・感動。
それぞれがいろんな思いをもち、それを言葉にしようと考え表現して・・・なかなかできることではありませんよね。こんな素晴らしい若者たちがいるって、心強いです!
人を理解するためには、まずは考えることが大事なんじゃないかと想ってます。もっともっと「無事にね!」で考えていきたいと想いました。私には発達障がいの子どもはいませんが、もっと大きな意味でとらえて考えることに参加させてくださいませ。
2017-05-11 木 06:33:31 | URL | 馬場亜紀 [編集]
馬場亜紀さんへ
コメントありがとうございました!

私も、送られてきた感想を読んで、こちらの方が励まされて、
心強い気持ちにさせてもらいました。
ひとつの問題だけに限らず、身の回りで、あれ?何故かな?と思ったことについて、、
しっかり考えて行こうとする若い人たちを見ると、希望だなあー、と嬉しくなります。

「考える」ことは、一人でもできるけれど、
他の人の考えを聞いたり、体験から学んだりして、より深まることもあると思います。
亜紀さんが発信してくださる「吉報」も、私にとっては、そういう刺激のひとつです。
考えることに参加したいと言っていただいて、とてもとても嬉しいし心強いです。
こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。
2017-05-11 木 16:07:53 | URL | ナカリママ [編集]
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