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Author:ナカリ母
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

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もしもの時に連絡してほしい人
ご訪問ありがとうございます。

母が逝ってから、1カ月以上たって、まだそれでも夢の中にいるようで、
(夢には一度も出てきてくれませんが)
日常離れていただけに、最後の数日間の記憶だけがクッキリして、
その前の電話のやり取りに疲れていた自分を思い出すのも辛くて、
申し訳ない・・・まだそんな状態です。

ところで・・・
事務的な相続の手続きがほぼ終わりかけたところで、
父に託した「エンディングノート」が出てきました。

父は何も書き込んでない、と思っていたら、鉛筆で、端っこにメモ書きが。
「皆んな平等と云ふけれど皆んな違ふのだ?」
・・・父は何を言いたかったのかなあ。

その、余白だらけのエンディングノートを使って、
「もしもの時に連絡してほしい親戚及び友人・知人」というページに、
私が母から直接聞き取りして書いたんだったのを、今になって思い出しました。
ページをめくると、そこには、
最期を一緒に看取ってくれた叔父と叔母、それに教会関係の方、税理士さん、
そのほかに4人、名前が記載されていました。

一人は高校時代の母の友人で、お世話になったお医者さん・・・
その方とは年賀状もやり取りしていたので、、直後に病院に電話で連絡したら、
「残念やなあ。僕ら同級生やから。僕は、まだ現役で患者さん診てるよ」とのお言葉をいただき、
母に心で伝えたのでした。
一人は、母がホームに入所した時からずっと、会いたい、と言っていた方でしたが、
「病院に入院中」とだけ書いてあり、結局連絡できずじまい。
生前に、会わせてあげられなくてごめんね。

他の二人への連絡は、すっかり抜けていたので、
ずいぶん時間が経ってしまいましたが、母の遺志でもあるので、連絡してみました。

中学の同級生という方は、「この電話番号は現在使われていません」というアナウンスで、
直接つながらなくて残念でしたが、
他の同級生の方に、直後に連絡してあるので、もしかしたら伝わっているかも・・・
と、願いつつ、お母さんゴメンね、心で呼びかけました。

もう一人の方は、国立療養所時代に一緒に入院していた方で、電話に出てくださいました。
「ええ、ええ、覚えてますよ」とお優しい声。
「実は2月に亡くなりまして」とお伝えして、
「母自身が、もしものときに連絡してほしいと言い残していたので」と説明して、
「ご自愛ください」と電話を切りました。
お母さん、つながったよ、伝えたよ、これで全部、終わったかな。


年を取ると年賀状も随分少なくなり、母の場合は連絡すべき人もほんとに少数で、
葬儀も内輪で、教会員の方々と親族のみのささやかなものでしたが、
「母自身の友達」という存在は、
私にとっては名前は聞いたことがあるけれど、ほとんど未知の方々で、
子どもの立場からしたら、なんだか不思議な気持ちがしました。


私にもしものことがあった時、誰に連絡してほしいかなあ。
子どもたちを介して繋がっている親たち、は、
子どもたち自身も知っている人たちだから、すぐに連絡できるだろうけど、
私自身の学校時代の友人たちや昔の職場のつながりは、
年賀状で知りうる以上の情報はないだろうなあ。

「エンディングノート」に記すべきことはいろいろあるから、
自分用のも、きちんと書いておかなくちゃ。

今日は息子からも電話をもらい、あれやこれや話をして、気がまぎれました。
何でもない日常のあれこれを話せる、ということのありがたみを感じながら、
母は逝ってしまったけれど、私には子どもたちがいる、と、慰められました。

わたしたちは、父母から見たら「次の世代」。
バトンタッチして、さらにこれからを生きていくんだ、とも。
世代交代は寂しいけれど、時間が止まらない以上、避けられない。
これも、前へ、の一歩だな。
しみじみとして、なかなか眠れない夜でした。
長くなってすみません。

元気だしていこう。



思い出 | 03:40:59 | コメント(6)
コメント
最近「エンディングノート」という言葉をCMで見たりしますが、連絡して欲しい人も先に亡くなっていたりして年齢とともに少なくなってしまいますね。
我が家は父は7年前に亡くなり、母は寝たきりの介護状態ですが、ナカリ母さんのブログを遡って見ていたら、脳天気にその日その日を過ごしたいと思っている私が、気軽にコメント出来ないでいました。(・・;)
まだ1ヶ月では忙しい日々なのでしょうね。人間は忘れる事で善かれ悪しかれ気持ちが整理出来ていくと思ってます。今を生きるために、元気だしていきましょう。m(_ _)m
2017-04-09 日 12:56:02 | URL | プリティ・カフェ・チューリップ [編集]
私の母は私と正反対で超社交的で交際している人がメチャクチャ多かったので、具合が悪くなってきた時の私から母の知人への連絡がもう大変でした。
私は隠居のようにひっそりと暮らしているのに、母の具合の悪さを知らせるために多くの人と連絡を取らねばならない苦痛。内心、年相応に付き合う人を減らしてくれてればよかったのに。なんて思っていました。
また友人・知人たちが熱いのなんのって。すごい集団がいるものだと驚きました。
亡くなり方も人それぞれですよね。
今残っている父は私と似ていて年齢に応じてどんどん知人を減らしてきたので、ひっそりと逝く事ができそうです。
2017-04-09 日 13:35:40 | URL | 鶏ささみ [編集]
プリティ・カフェ・チューリップさんへ
コメントありがとうございます!
プリティ・カフェ・チューリップさん、と打ち込むだけで、何だか気持ちが明るくなります^^
ブログ名の「何気ない日々の出来事」というのも、ホッとして好きです^^
「いろはにこんぺいとう」の花梨さんのところから伺い始めたのですが、
カフェの昔の写真など、なんだかレトロで懐かしくて、知らない場所なのに身近に感じています。いろんな写真にも癒されます。
これからも楽しみに伺いますね。

>忘れることで気持ちが整理できていく、
そんな感じです、時間薬?かなあ。思い出がセピア色になっていくにつれて、
気持ちも軽くなる気がします。
(自閉っ子のナカリは、この「忘れる」作業に困難があって、なかなかセピア色にならない、その時その場の出来事がすぐにフラッシュバックする、という辛さを抱えてますが)
親子で、これからも支えあって、前向きに元気にいきたいです。
応援の声かけに感謝です~

2017-04-09 日 18:29:51 | URL | ナカリママ [編集]
鶏ささみさんへ
お母さまのような社交的な方や、そのお友達の方々の熱さ・・・
なんとなく、想像できる気がします。
少し前の記事で書いた「社協福祉会」で出会う高齢の方々は皆さん「社交的」なので、自分にとっては、それが負担な部分もあるかも、と思い当たりました。
鶏ささみさんのお気持ちも、分かるように思います。
私の友人にも「熱い」人たちがいて、フェイスブックで積極的に交流したりしていますが、
私自身は、年をとるにつれて、出来るだけシンプルなお付き合いに・・・、
と、年賀状も減らしていきつつあります。
同窓会にも出たことが無いし、ほんとに時々、相手方から連絡をもらって会う友人がいるくらい。
コメントを読ませていただいて、子どもたちに負担をかけないためにも、改めて人間関係面で無理しないようにしよう、と思いました。
(でも、ブログはリンクが広がって、それが楽しみのひとつにもなっていますが^^;)

改めて、コメントありがとうございました。


2017-04-09 日 18:47:54 | URL | ナカリママ [編集]
彼女もリスト作ってあったなぁ
彼女の親友だったひとと泣きながらメールしたっけ・・・
ここ(FC2)にもものすごい数のコメント頂いた

俺はどうなんだろな
子供もいない家庭もないから静かにいなくなるんだろうな^^

2017-04-10 月 01:21:26 | URL | K's [編集]
K'sさんへ
闘病しながらブログで発信していらっしゃる方ってすごいと思います。
その人の存在を感じながら一緒に涙することが出来る人がいることは救いだとも思います。
同時に、ひっそりと、静かに人生全うすることも良いなあと思います。
私も、母のように、ひっそり静かな葬儀がいいな。
(父の時もそうしたかったけど、仕事をしていた頃の知人や勤め先にも連絡しないといけなくて、来てほしくない親族たちがみんなが寄り集まって、喪主挨拶に気合が入ってしまいました=対親族への決意表明になった^^;)

(高齢の方で、)更新が止まったブログ、というのも、気がかりです・・・
お元気でいらっしゃるかなあ。

2017-04-10 月 10:24:39 | URL | ナカリママ [編集]
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