2015-03-30 Mon
やっちゃいました。穏やかに過ごせるかと思った、母子二人の週末。
日曜の夜の8時前・・・油断がありました。
ここのところ、ブログをあれこれ見るのが楽しくなってきたので、パソコンを見ながら
「○○になりたい」というブログがあるよ~!

「私はイラストになりたいのに!」と、「私=イラスト」問題について、
今までも多々繰り返してきた、やりとりの失敗を重ねてしまいました。
母の実感としては、どうしても「生きているナカリ=2次元のイラスト」とは表現しがたい・・・
でも、そこを理性で押さえて適当に話を合わせるべきところを、
いや、気持ちはわかるけど実際はね、と、こちらが説明モードに入ると
「何でよ(なんで私が喜ぶような答えを聞かせてくれないのよ)!」という詰問モードに急変、
あとは一緒に混沌の渦に落ちていく・・・
その過程で、とにかく「早めの頓服」と、親子でお薬に手を出すわけですが。
お薬の効果は娘の方に先に現れて(それだけキツイ薬だということと思うけれど)
冷静になり、あれこれまとわりついてきて、さいごは「ごめんね」モードに戻ります。
そこで、脳裏によみがえったのが映画「アイアムサム」です。
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今回は「爆音で好きな音楽を聴く」でも落ち着かず、
私に向かって、本人が聞くのが辛いと言っていたような暴言をまき散らしました。
「何をそんなに怒ってるのよ!」「またケンカや!もう、うんざりや!」
「なんで神様は、描いたものになれる、ってことにしてくれないのよ!」
「(こうなったのは)母が私を怒らせるようなこと言うからや!」
「なによ、このクソドラマ(テレビで『花燃ゆ』をつけてたので・・・)!」
そして理不尽さに傷ついた私は、我が子に対して優しい気持ちにも穏やかな気持ちにもなれず、
テレビを消して、こちらからも怒鳴り返してしまっていました。
それはまさに、上記映画の1シーン。
主人公のサム(知的障害、自閉症?)が、
娘の養育権をめぐる裁判での自分の弁護士であるリタに対してトランプカードの壁を作って引きこもり、
「きみは、がんばってがんばってがんばってがんばって、
それでもだめだったときにどんな気持ちになるか分かってない!」
「だって・・・だってきみは生まれつき完ぺきで、ぼくは生まれつき、こんなだ!」
「きみみたいなひとには、傷つくってことがどんなことか分からないんだ!」
と、まくしたてたのに対して、完璧なキャリアウーマンに見えたリタが
「自分一人で世間の苦しみを全部背負った気になってるの?!
私がどんな人間か教えてあげましょうか!」
と、興奮し、自分自身の苦しみや悩みを泣きながら吐露。
それを見て驚いたサムが、落ち着いて逆にリタを慰める・・・という場面を思い出しながら、
私も「なんで他の人だって悩んだり傷ついたりするってことが貴女には分からへんのよ!」
という叫びに近い内容を口走っていた気がします。
お母さんだって人間なんだよ、たとえ大切な娘からの言葉でも「傷つく」

そうしたら、やっぱりきちんとその思いを受け止めて「ごめん」が言える、気遣ってくれる、
その娘と比べて、かたくなで切り替えがきかない私の心・・・
ほぼ無言で夕食を終えて先に入浴を済ませて寝床に入った娘と対照的に
目が冴えて眠れない母。
ああ、改めて自己嫌悪。
ひなたぼっことさくらで、穏やかに過ごせるはずだったのに。
深呼吸して、やり取りの何が失敗だったか、よく振り返って、次に生かさないと。
当事者ももちろん辛いけど、寄り添う側も辛いんだよ・・・

今朝の雨

明日(もう今日だ)には、ぎこちなくても笑顔を見せられるように・・・ふんばれ私。