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Author:ナカリ母
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

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NHK BS1スペシャル「憎みとゆるし~マニラ市街戦 その後~」
昨夜偶然目にして、途中からでしたが最後まで目が離せませんでした。
調べてみたら、何度も再放送されている番組のようです。

昨夜の放送告知のHPには、番組詳細、としてこんな文章が掲載されていました。


1945年、廃虚と化したマニラの街で娘の遺体を抱きしめ立ち尽くす男がいた。
のちにフィリピン大統領となるキリノ。
日米両軍が戦ったマニラ市街戦で妻と3人の子を失い、日本軍を激しく憎む。
しかし8年後、キリノは大きな決断をする。憎しみからゆるしへ。
反対を押し切って、日本人BC級戦犯全員に恩赦を与える。なぜ大統領は決断したのか?
遺族やマニラ市街戦の生存者の貴重な証言を積み重ねて、その真相を描く。



恥ずかしながら、全く知らない歴史でした。
終戦後も、「捕虜」「戦犯」として、なかなか帰国できなかった日本兵がいたことは
ぼんやりとした知識ながら知っていましたが、「東京裁判」以外に、
各国で「戦犯」がどんな対応を受けていたのか、ほとんど考えたこともなく、
キリノ大統領、の名前も、昨夜初めて知りました。

検索してみると、番組そのものを見ることができるサイトがあると分かり、
再度、視聴しました ↓

日米マニラ市街戦 憎しみと赦し

そこで、キリノ大統領だけでなく、登場するフィリピンの人々の言葉に、改めて、
この歴史を知らなかったことが恥ずかしく、記事に書きとめておきたいと思いました。

「日本人もまた戦争の被害者なのだと  苦しんだのはマニラの我々だけではなかった
その時から私の中の憎しみが少しずつ変わっていきました」と語る男性。

家族を再び失うことが怖くて60歳まで結婚できなかった女性。
「苦しみの果てに、今ようやくゆるしに辿り着いた」というナレーション。

「私たちは憎むのではなく、ゆるすことを選んだのです。
しかし忘れない。“現実に起きたこと”は忘れてはならないのです。」という市民。

「もしゆるすことができなければ、穏やかな人生が訪れることはないんだ。
我々はゆるすことを学ばなければならない
と、娘に語ったキリノ大統領が、
今から半世紀以上前、1953年にフィリピンと日本の国民にあてて発表した声明です。 ↓

「私は日本人戦犯に対し特赦を与えた。
妻と3人のこども、さらに5人の親族を殺された者として。
自分の子孫や国民たちに、
我々の友となりわが国に長く恩恵をもたらすであろう日本人に対し、
憎悪の念を残さないために。
結局のところ、日本とフィリピンは隣国となる運命なのだ。」



「フィリピン」はキリスト教の国で、アメリカとの結びつきが強い国、
エコノミックアニマルとして日本人男性が恥ずかしい行動をしている国、
一方、日本にも、出稼ぎや日本人妻として多くの女性が来ている国、
そんなパターン化されたイメージしかなかったのが、
一気に身近に感じられ、
海を隔てた遠い国、ではなく「隣国」と意識されるようになりました。

戦争が引き起こす《憎悪》の念を、どう断ち切っていくのか、考えさせられる番組でした。





読んだ本・文章、見た映画・ドラマ、聴いた音楽 | 18:34:22 | コメント(2)
コメント
憎しみというもんは果てしなく連鎖を続け
自らも苦しみ続けるんだよね
赦すということは簡単ではないけれど
それが出来たとき ほんとの笑顔が生まれるのだと思います
でも 肉親をもし殺されでもしたのなら俺赦せるかなぁ。。。
2015-12-20 日 04:40:13 | URL | K's [編集]
K'sさんへ
私も自身の肉親を殺されたとしたら赦せるかどうか自信ないです。
それだけに、語られるフィリピンの人々の言葉の重みに
深く考えさせられました。
ただ、自分に出来るかどうかは別として
許さなければ前に進めない、というのは真実だと思います。

2015-12-20 日 16:30:58 | URL | ナカリ母 [編集]
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