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ナカリママ

Author:ナカリママ
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

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私自身の想像力の源のひとつ~萩尾望都の世界
夜中に更新したのですが、朝方に猛烈に後悔して、
というか、恥ずかしくなって、
慌てて引っ込めた記事です。
迷いましたが、自分なりに一生懸命書いたので、
やっぱり、えいやっ!と公開することにしました。
いろいろと迷いながらなので、
また引っ込めたらすみません。
_____________


こんばんは、または、こんにちは。
たくさんたくさんあるブログの中から、見つけて、心にとめて、
今日も来てくださってありがとうございます。

ナカリとの日々を記録しておこう、という気持ちと同時に、
自分自身の遺言にしよう、と思って始めたこのブログも、
5年目になります。

ナカリの「モンダイ」な想像力に関する連続記事のあとで、
今日は、自分自身を振り返りたいと思いました。

最初に、リンク先のmikotoさんのお母様が天に帰られたことを悼んで、
息子が好きな エストニアの現代作曲家アルヴォ・ペルトのDa Pacemを貼っておきます。
私自身も自分の両親を悼む気持ちでBGMにしながら、です(1時間以上あります、すみません)

今日はこの曲を聴きながら、mikoto さんのお気持ちに思いを馳せていました。


ナカリの想像力(共感力)についての記事に、
当事者の方から、拍手コメントをいただき、感謝です。

記事を書いた後、ナカリに説明する、という約束を果たして、
ナカリも、なるほどと納得してくれました。

で、今日は、
相談支援機関のグループワーク(今のところ、相談員さんとナカリだけ)に参加するため、
公共交通機関=バス、に乗っていきました。
「いい感じだなあ」と思って、次の出勤にナカリを連れてバス電車の利用ができるかな?
と、提案したところ、
「バスの中で後ろの人が席を何度も蹴ってきた、少し前の外食の際にも舌打ちが聞こえた」
という言葉が返ってきて、
一気に気持ちがしぼんでしまった私です(まだまだ修行不足)。

自分の思うような展開でなかったから、と、しぼむなんて、大人気ない・・・けれど、
ナカリが抱える「対人不安」「不信」の根深さに、思わず膝が折れた状態です。


ふりかえって、自分自身の子ども時代、救いはマンガでした。
過去記事で何度か書いた「萩尾望都」先生。
コメディーも含めて、ほぼ著作を読み尽くして、
大きな影響を受けた、わたしにとったら「かみさま」みたいな人です。
(近い感じで手塚治虫先生も、ですが、こちらはまた別格)

少し前に特集記事が載っている雑誌を購入しました。
芸術新潮 

思春期の自分のバイブルだった「トーマの心臓」のラフスケッチ
芸術新潮2 

私は、天真爛漫なエーリクより、ユーリとオスカーに惹かれるタイプでした。
(「ポーの一族」:でいうなら、アランではなくエドガーに惹かれます)
あまり思い出したくない自分の過去の中で、
現実の人間や社会に対して悲観的な受け止め方、不信感、が根っこにあって、
希望はフィクション(マンガ)の世界だったので、
14歳の頃、このまま時が止まればいいのに、と真剣に願ったのを忘れられません。

その10代の頃に描いた鉛筆画が出てきました。
10代の下絵 
何かを見て描いたのか、自分で想像して描いたのか、
今となっては不明ですが、これを見て、思わず色を塗りたくなり、
40年近くを経て、色塗りをしてみました。
10代下絵の着色 

ナカリが絵を描いている間、自分の世界に没頭するみたいに、
久しぶりに、いろんなことを忘れて絵を楽しむことが出来ました。

自分にとっての、もう一人の「かみさま」である、「竹宮恵子」先生の影響がかなり出ています。
こんな風に、絵を描いていると時間を忘れて過ごしていたなあ、
それは「現実逃避」という感じでもあったし、
まさに作品世界の中に「没入」して、想像の翼を限りなく広げて、
「現実」ではない「別世界」を夢見続けていた気がします。

もうすぐ還暦、という年になって、今さらではありますが、
夢を追い続けることが、どんなに日常を救うか、を再認識中です。


私自身は「定型発達脳」だと自覚していますが、
ファンタジー系への親和度は高い方だと思うので、
それを足掛かりに、この先もナカリとの距離を縮めていきたいと思います。

続きのような続きでないような記事に、お付き合いありがとうございました。


アウレリウスの「自省録」を翻訳された
神谷恵美子氏の新装版;「ケアへのまなざし」を、今日読み始めたのですが、
第一部からいきなりガツン、でした。

>サン・テグジュペリは・・・(中略)人間は何かのしごとに打ち込んで、
>自分のすべてをそれに捧げることによって、自分の生命をそれと交換するのだという。
>(中略)ともかく我を忘れて努力をつみかさねるうちに、
>そこにその人間よりも永続的な価値のあるものが生まれ、
>その人間はやがて年老いて死ぬが、死ぬとき、
>「その両手は星で一杯なのだ」という詩的な言葉が記されている。

人は死ぬ。
必ず、いつかは土に還る。
でも、ひたすらに生きることで、あとに何がしかは遺すことが出来る。
それって、大きな希望だ、と感じました。

リンク先の「かたすみで」で、「人が死ぬ恐怖」、ということを記事にしておられたので、
ともに涙しそうになる自分を抑えながら、希望に向かって生きたい、と願います。

ナカリとの話の続きはまた別の機会に・・・

今日も最後までありがとうございました。

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