見に来てくださってありがとうございます。
連休前半、ナカリと二人で家にこもって、編み物や工作を楽しみました。
両親が存命だった頃から、少しずつ編んでいたモチーフをつなげて完成!
手を付けてから、足掛け4年近くになるでしょうか。

アイロンもかけていないし、大きさもそろってなくて、恥ずかしい限りですが、
ナカリが肩から羽織ってマントのようにして喜んでくれたので満足です。
母にも見てもらいたかったな。
一本の糸から、編針ひとつで布が出来る、この不思議!
母はたくさんの手編みのセーター類を遺してくれました。
布からさらに立体へ!
この「編み物」という技術は人類の大発明だと思います。
まして、それを人の手でなく機械で行う織機の発明も、さらにすごい。
今回、最後に縁編み用の白糸が足らなくなり、モチーフを1枚ほどいて使いました。
ほどいた糸はラーメンのようにチリチリ・・・これに蒸気を当てて伸ばして、
かせくり、で、また毛糸球に戻して、新しく編み直す。
昔は当たり前の風景でしたが、
今はそんな手間、ちょっと考えられないですね。
私が子どもの頃の肌着も外出着も、多くは母の手作りでした。
毛糸の赤いブルマが恥ずかしくて反発したこともあったのが懐かしいです。
子どもの頃、若い頃には見向きもしなかった編み物という世界に、
母の残りの時間がわずかと認識した頃から、なぜだか一生懸命取り組みはじめ、
始めて出来上がったひざ掛けを両親に贈ったら、大事に使ってくれました。
ひざ掛け2枚は、今もまだ実家のソファにかけたままです。

「編み物って楽しいね」と母に話した時に、
「編み物してると他のこと考えないからね」と笑った母が懐かしいです。
母の話によると、祖母も、辛いことがあると黙って黙々と編み物していたとか。
編み図を読んで、数を数えて、間違ったらほどいてやり直して、
根気のいる作業だけど、出来上がったものに対する思い入れはきっと大きかっただろうな。
日常生活の中での辛いこと、苦しいことを忘れる手段が、
祖父は映画、祖母は編み物、縫い物、だったのかもしれません。
祖母が残してくれた、お人形用の布団セットは、今、ナカリが使っています。
今日は、息子も夫もそろって4人の夜です。
家族、だけど、ナカリは少し緊張気味。
穏やかに平穏に過ごせますように。
こういう時に、笑いは必須。
新大阪駅で夫が買ってきた大阪土産(東京土産のなかにひとつだけ)。

ずいぶん前に話題になってましたが、食べたのは初めて。
ホワイトチョコとラングドシャの本家「白い恋人」(北海道土産)に対して、
ゴーフルとみたらしクリームという、中身のかぶらなさが、商標問題もクリアできた秘訣かな?
大阪城を背景に、何だか大正モダンな恋人のぎこちないイラストも笑えます。
ごちそうさま、ありがとう。
最近、昼間に、山鳩が庭に遊びに来てくれていて、
鳴き声を聞くたびに、ナカリと「おじいちゃんかな?」と話しています。
父が亡くなる前後に少しだけ庭の木に山鳩が巣をかけてくれていたので。
もうすぐ父が逝って3年になろうとしているけれど、
なにかにつけて、まだまだ寂しく懐かしく両親を偲んでいます。
編み物作品、って、編んだ人の想いと時間が詰まっているから、
なかなか処分できないですね。
今日完成した「布」は、ナカリが好きなように使っていいよ、と渡したら、
さっそく肩掛けになりましたが、ぬいぐるみたちのお布団に使ってもいいし、
長く遊んでくれたらいいなあ。
明日は仕事なので、ニンテンドーラボはそのあとに・・・期待ばかり高まります。
また報告しますね。
今日もありがとうございました。

見に来てくださってありがとうございます。
いちおう「連休」の一日目が終わりました。
私は、編み物が結構進んだので、残りのお休みに、
モチーフをつなぎ合わせる作業をしたいなあ。
ナカリは、絵を描いたり音楽を聴いたりして、まったり過ごしました。
晩御飯は、おひたしの残りの、こかぶ菜っ葉とベーコンと卵でチャーハン!
ナカリと一緒にクッキング。ごま油とお出汁と醤油でシンプルな味付け、
あとは野菜をパパッと切ったサラダ。

二人だけだと、こんな感じのご飯が続いているので、
連休後半、夫や息子が加わったら、もう少し品数を増やして頑張ろう。
で、
息子が帰ってきたら一緒に教えてもらおうと用意して待っている、
ゲームソフト「ニンテンドーラボ」
ナカリが「在宅」という言葉を嫌がるので、「ステイホーム」と言い換えて、
今の状態で、家で出来ることとして、デジ絵にもっと親しみたい、という感じがあるので、
この際、私も一緒にイチから情報処理?を(遊びながら)学べたらなあ、という気持ちから、
上記のソフトを購入しました。
きっかけは、息子がリツイートしていたこの呟き
これがニンテンドーラボの正体ですよ。これを幼稚園児や小学生が手にして遊び始めてるんだから、末恐ろしい…じゃなくて、将来がめっちゃ楽しみになりません? pic.twitter.com/FGnc94N7T6
— jun (@jun758) 2018年4月22日
正直言って、ナニコレ??状態でしたが、興味津々で、
そのあとの呟きを追いかけてみたら・・・
出力ノードの解説文。これ以上は余分なことを書かない押し付けない自制心と、それでもきっと誰かには届くはずだ…という開発者の期待、子供たちへの信頼が伝わってきて、俺は少し泣きました。 pic.twitter.com/nXqjuJOM16
— jun (@jun758) 2018年4月22日
メシ食ってラボ。ANDとNOTしか無い自制心と未来への配慮がほんと素敵。操作もスイスイ。(半加算器作るのにかかった時間は僅か2分位) pic.twitter.com/z3chhPosqO
— jun (@jun758) 2018年4月23日
音が空気の振動であること、音色とは波形であることを、サラッとしれっと説明。それ見た後に自分で手を動かしてあれこれ試せば、素直に「あぁなるほど」と腑に落ちる。これがただのゲームで、教育ソフトや学校の教材「ではない」ところが、ほんと最高。お父さん達、買ってあげて。
— jun (@jun758) 2018年4月23日
ニンテンドーラボのあらゆる説明文、一切子供を舐めてないもん。もちろん気は使いすぎるほど使ってるし、敷居も下げまくってるけど、舐めてない。恐れつつ、信頼し信じてる感じ。
— jun (@jun758) 2018年4月23日
今日のニンテンドーラボ。昨日ANDとNOTで作った7セグデコーダに、全加算器を追加。ボタンを3個押して3と表示されたとき、懐かしい感動にちょっとウルっときた。同じような一歩を踏み出してる子がいるといいな。 pic.twitter.com/Zz9zetb4Xa
— jun (@jun758) 2018年4月25日
・・・どれもこれも???な情報ばっかりだけれど、
とにかく「子どもを舐めてない」「信頼してる」という言葉に、私までウルッときました。
ナカリは、極端に「数の操作」が苦手ですが、
それでも、もしかしたら、一緒に遊べるかもしれない。
段ボールで作ったキーボードで、音を出して楽しめるかもしれない。
そんな期待が、連休後半に、どーん、と申し送られています。
どうなるかしらん・・・
いいお休みになるといいなあ~
今日は任天堂ソフトの宣伝みたいな記事になってしまって、すみませんでした。

見に来てくださってありがとうございます。
今日は、久しぶりにナカリの後輩のお母さんと、家でゆっくりお話をしました。
昔は、親同士集まって話すことと言ったら、子どもの療育や学校の話ばかりだったのに、
いつの間にか、子どもも親も年をとって、今は、親の親の世代の介護や看取りの話、
子どもについては、就労と自立、親亡き後の話、になってきました。
そして、話しながら思ったのは、
子どもたちの成長と共に、
自分たち自身も、もう一度自分の子ども時代を振り返らされてきたな、ということ。
「思春期」只中の我が子たちを見ながら、自分がくぐってきた思春期を振り返り、
スル―してきたことや、重なること、を、追体験しているような気持ちです。
実は昨夜、編み物をしていたら、
突然、猛烈に母の事が懐かしくなって(母は編み物の達人でした)、
「寂しいよ~」とナカリに甘えてしまった私です。
母娘二人で「おばあちゃ~ん」と、ウルウルしてしまいました。
今日友人と話していても、今の自分を形作ってきたのは、
幼い頃からの「家庭」の空気や故郷の自然、だったんじゃないかな、と。
生い立ちを語りだすと、それこそ、どの人にも「ものがたり」があるのだなあ、
と、友人の話を聞きながら、しみじみしてしまいました。
いろんな気持ちが交錯して、文章にしようとするとまとまらないので、
洋画が大好きだった母のことを思いながら、
映画「ニューシネマパラダイス」の音楽を貼ります。
息子にも観てもらった映画です。
確か以前にも一度、記事を書いたと思いますが、
息子が西洋古典を研究するようになってから、イタリアの風景がとても身近に感じられ、
長い映画ですが、繰り返し観たくなるし、音楽も聴きたくなります。
母とはたくさんの映画の話をしましたが、その母の映画好きは、
私が生まれる前に亡くなった祖父ゆずりだったそうです。
まさに、祖父たちの世代の異国の風景が、なぜだかとても懐かしい感じです。
子どもたちとはほとんど関係ない記事ですが、これも思い出、ということで。
今日もありがとうございました。

来てくださってありがとうございます。
今日、ナカリは、ホルター心電図を装着したままカウンセリングに行ってきました。
お話の途中でしんどくなって、
帰り道は、とても公共交通機関を使えそうになかったので、
タクシーをひろって帰宅しました。
そのあと、ひとしきり泣いて、親子でお話して、
少し落ち着いたので、自分のブログを書きました。
文章や絵で心のうちを表現することって、大きな経験だなあと思いながら見ています。
私自身は、朝から半日で、今年の本屋大賞「かがみの孤城」を一気読み。
ネットの書評で後半からラストにかけての展開が絶賛されていますが、
個人的には、前半はじまってすぐ数ページの、不登校の場面が深く深く心に突き刺さりました。
我が家の子どもたち二人とも小5から不登校で、
上の息子は市の「適応指導教室」に通い、地元中学とはかなり揉めた末、
「高卒認定試験」資格で大学・大学院に進んで、現在職業研究者を目指す途上、
ナカリは他市の「適応指導教室」と校区の小中学校を並行利用しながら、
通信制高校を経て、現在在宅&年金生活。
二人とも、集団生活には全く馴染まない個性の子どもたちです。
成人して、もう「同調圧力」を感じることはほとんどなくなりましたが、
「学校時代」は、ほんとに何度も修羅場がありました。
「かがみの孤城」から
>「おかあさん、おなか痛い」
この言葉に、お母さんが「露骨に表情をなくし」「うんざりしたような声」で
>「痛いってどういう風に?」
と尋ねる場面。
>「…どうするの、行かないの」
矢継ぎ早に責めるように言ってしまうお母さんの気持ち、分かるよ、おんなじだったよ。
ギスギス、ピリピリ、ドキドキ
>「…今日だけ行かないの?それともずっと行かないの?」
答えられない主人公。そうだよね、答えられないよね。
>本当に、痛いからただ行けないだけなのに、こんな理不尽なことを聞かれるなんてと悲しくなってくる。
そうだよね、理不尽だろうし悲しいだろう、
でもお母さんだって悲しいだろう、苦しいだろう、イライラするだろう。
ナカリも私も似た場面をいっぱい経験したよ。
制服に着替えたけど布団から動けなかった、
学校に電話するのが嫌で仕方なかった、
通学路の途中で足が止まって、どうするのと怒鳴りあって、
前かごに入れたカバンごと自転車を放り投げたこともあった。
なんでよ、なんでよ、って、本人を責める前に、
「学校」での、過酷な子ども同士の具体的やりとりがある、ということに、
気づいている、客観的に目を向ける大人が、いったいどれくらいいるだろう?
「集団」のもつ威圧感、こわさ、無神経さ
>「無視してんじゃねぇ、ブース!」
>「ばっかじゃないの、マジ死ね」
文字で見たらひどいよね、
でも、こういう言葉、ナカリの学校でも現実に飛び交ってた。
障がいをもつ子に対する、からかいや嘲笑、意地悪、を目撃して、
ナカリがどんなにショックだったか。
でも先生たちは、加害者の子の側に立つことの方が多いだろうし、実際そうだった。
だって、その子たちは「かしこい」から。
大人の前では決してぼろを出さない、本音を見せない、
勉強だって部活だってがんばる、期待される生徒像まんまだ、
そりゃあ大人も「良い子」たちだと信じるし、親の私だってそう思ってしまっていた、
我が子の「被害妄想」だ、と。
でも、ほんとにそうだったの?
じゃあ、なんで、被害者側の子どもは心を開かないの?
孤立無援に追い込まれたら、子どもは暴れるか引きこもるしかないよね。
ナカリ、今更だけど、ごめんねえ・・・。
今日は、母娘で過去を思い出し、
一緒になって、「あの子たちキライ!」と怒鳴っちゃいました。
今、ニュースになっているセクハラや文書改ざんの当事者たち、
この人たちみんな、きっと学校では「良い子」だったんだろうな。
悔しいけど、今は、加害者に目を向けるより、目の前のナカリを大事にしなくちゃ。
今日はちょっと後ろ向きな記事で、心が荒れていてごめんなさい。
あまざらし、の「フィロソフィー」
言葉が胸に突き刺さります。
せめてホッとするために…
今日、地区福祉会の独居のおじいさんが「こかぶの間引きをしたから、おひたしにでも」
と、ピンポンして持ってきてくれた菜っ葉。
「無農薬だからね~。家族がいるところはたくさん食べてくれるでしょ?」という笑顔に、
ご近所づきあいもありがたいことがあるな、と思いました。

感情的になった文章を読んでいただく形になり、申し訳ありません。
最後までありがとうございました。

見つけて、心にとめて、来てくださってありがとうございます。
昨夜、ナカリは自分のブログを更新しかけて、
また少しフラーとした、と言って中断。
測ると60ジャストの脈で、
う~ん、またゆっくり目だねえ~、と、早めに休ませました。
このところ、悪夢もよく見るみたいで、今朝も怖い夢、と早くに起きてから二度寝。
ちょっと心配ながらも、脈は落ち着いてくれていたので、
私の仕事のため、一人留守番をお願いしました。
でも少し心細くて、夕方から帰りを待ちかねて電話が何回か。
そうだよねえ、不安な時には誰か側にいて欲しいものね。
留守番がんばってくれてありがとう。
明日は、近所の内科でホルター心電図をつけてもらって、
そのままカウンセリングに出かける予定です。
ホルター検査は5年ぶりですが、この間の不安定さを思うと、
今のタイミングで再検査はありがたいです。
24時間ホルター心電図

中断したブログは今日更新しています。
ナカリのブログ 「イヤーマフ」
先日の当事者会で行った図書館で、
ナマケモノのイラスト絵本を見ながら描いたのがこちら。

見ると、ひさびさのポーちゃん登場!
(ポーちゃんは三角帽子の妖精、
今のプロフィール画像はponchさんにアレンジしてもらった、オカメインコ・ポーちゃんです)
さりげなく、サンちゃんもいるね。
シロクマのあきえちゃんがたくさん!
ウサギチームの代表は、お花の飾りがついた、いちえちゃんです。
カウンセリングに向けては、ブログと別に今の気持ちを書く、と言っているので、
それをもって、寂しい気持ちとの付き合い方を相談してこようね。
昨夜は私も一緒にドキドキの夜でした。
子どもが健康でいてくれることって、決して当たり前じゃなくて、感謝な事なんですよね。
今日は、息子さんを失った後のエリック・クラプトンの曲「Tears In Heaven」を貼ります。
天国には涙はないのかもね。
そんな歌詞を見て、天国の両親にも思いを馳せます。
優しい気持ちで、これからも可能な限り、側にいられますように。
ごめんね、ありがとう、大好きよ♡
なんだか不安定な天候が続きますが、
皆さんも、どうかご無事で。
今日もありがとうございました。

暑かった週末、日が傾き始めて少し風が心地よくなってきました。
見に来てくださってありがとうございます、皆さんお変わりないでしょうか・・・
土曜日は、
ナカリがイヤーマフに聴覚過敏保護シールを貼っての初めての外出、
になりました。
(選んだシールは左右違って、黄色と黒の定番、と、オレンジのカラー版。
「にがてなおとからまもるためのものです」と「苦手な音を防いでいます」の表示)
イヤホンの上から装着しました。
「地下鉄の中で、子どもがじーっと見てたのが気になった」くらいで、
落ち着いて移動できたので良かったです。
で、
一番助かったのは、バス停でバスを待っている間に、
近くで自動車と自転車の接触事故があったのですが、
ナカリはほとんど何も聞かず見ず状態でいられたことです。
事故はバス停を過ぎてすぐの場所で起こりました。
道幅が広くなっているバス停車エリアで追い越そうとしたのか、
車道を走るフル装備のサイクリング車の後ろから、車がクラクションを鳴らし、
その音に気づいてふっと顔を上げてみると、
すごい近距離で車が自転車を追い越していく・・・危ないな、と思った途端、
ガシャン!と大きな音。
バス停で一緒に待っていた女性も、「危ない!」という声。
事故の瞬間は音だけで、街路樹に隠れて見えなかったので、
心配になって首を伸ばしてみると、
自転車の男性が道路の真ん中で倒れて動けない様子でした。
歩道を歩いていた人が数人駆け寄って声をかけ、
すぐ後ろから来た車もとまって、運転者が降りて一緒に救助している一方、
ぶつかった車は少しスピードを緩めたので路肩に停めるのかな?と思ったら、
なんと、そのまままたスピードを上げて、ス~ッと走り去っていってしまいました!
え!なに?!逃げたー?!
自転車の人はヘルメットをかぶっていたし、大きな出血も見られませんでしたが、
どこかケガをして立ち上がれないようで、足をおさえてうずくまったまま。
他の後続車や対向車が、徐行しながら通り過ぎていく中、
歩道には、けが人を取り囲む人の輪ができて、
車を停めて救助した、後ろの運転者さんが携帯電話で通報しているようでした。
バス停で座って音楽を聴いているナカリの手を握りながら、
ドキドキしながら見守っていたら、バスが到着。
気になりながらも、そのままバスに乗って現場を離れました。
真っ直ぐな道をバスで進んでいると、
少しして救急車がサイレンを鳴らしながら現場に向かって行ったので、
早いなあ、良かった・・・、と、ホッとしました。
それにしても・・・
やっぱり、事故って怖い!
一瞬の出来事で、それぞれの人の「その後」が大きく動くんだと思うと、
ただ音を聞いて、直後の様子を見ただけの自分でさえ、かなり動揺してしまいました。
一日経った今でも、思い出すと、やっぱりドキドキしてしまいます。
事故の場所と、ひき逃げ、と、入力して検索してみましたが、
特にニュースになっている様子はなかったので、軽傷ですんだのかなあ。
そのまま警察のHPから、
市内での交通事故発生現場の地図や、ひき逃げの検挙率グラフなども見て、
身近なところで結構事故があること、
ひき逃げ検挙率は死亡事故では9割以上だけど軽傷の場合は半分くらいだと知りました。
併せて、未解決事件への情報提供を呼び掛けるページを見て、
世の中には、たくさんの被害者加害者が居る、ということに、
ふう~っとタメ息が出てしまっています。
ナカリが、外の世界は怖い、という気持ちが少し分かりました。
そして、私が家を出る時の口癖、「無事に(帰ってきて)ね」が、
改めて重く、ありがたく感じられました。
書いたら少し、気持ちが楽になったかな。
身近なところでの、事件や事故・・・防げるものは可能な限り防がなくちゃ。
青色防犯パトロールの講習会で見たビデオも思い出しながら、
安全で安心な世の中でありますように、と、祈っています。
どうか、皆さんも、ご無事でありますように。
日常、気をつけてお過ごしくださいね。
昨日、ナマケモノさんの映像に癒されたので、検索してみました。
ナマケモノの赤ちゃん
ぬいぐるみのなもちゃん

ナカリがパステルで描いたナマケモノ

見てくださってありがとうございました。
なもちゃんのように、ゆっくりいきましょう。
ねこバンバンも引き続きよろしくお願いします。

見に来てくださってありがとうございます。
今日は、私が青色防犯パトロールの研修のため、
ナカリは1時間少し、夜の一人留守番を頑張りました。
夕方くらいから緊張して、
「お母さん、また帰って来る?」を繰り返し、
帰ってくるよ~~あったりまえじゃん、近くだし、すぐだよ、大丈夫だよー
と、こちらも繰り返し、「無事にね」と送り出してもらいました。
なんだか、もう、一回一回が、今生の別れみたいに思ってしまうみたいです。
保護入院の時には、ドクターの判断で、私との面会は2週間我慢してもらったんですが、
その間にも「お母さんに、また会える?絶対?もう二度と会えないの?」と
真剣な表情で涙ぐみながら、何度も何度も、病院で繰り返し聞いていたそうです。
先のことに対する「不安」の程度が尋常ではないくらいに大きいんだ、と、
こちらからしたら、当たり前に「また会える」という気持ちが、全然当たり前じゃないこと、
…に、彼女の心のストレスの大きさを思い知らされたのでした。
今日も無事に帰ってきたら、ニコニコと満面の笑顔で迎えてくれるナカリ。
ほんとにありがたいことです。
昨日、ナカリは自分のブログに、今の気持ちを書いたのですが、
ちょっとすぐに公開する気持ちになれなくて、一晩寝かせておいたのを、
今日確認し直して、アップしました。
ナカリのブログ 「今日思ったこと」
「外の世界」と、自分の心の中の世界、との共存?に、四苦八苦しながら、
それでも、少しずつ、折り合い、をつけてきている様子に、じ~んときました。
心の中の、相反する自分、と向き合いながら、「葛藤」を乗り越えようとしている。
これ、来週、カウンセラーさんに見てもらおうか?
わ~恥ずかしいよ。
大丈夫だよ、ナカリの今の気持ちがよく分かるから、きっといいアドバイスをくれると思うよ。
そうかな~
自分で、心の中の自分と会話できる、って、すごいよ。
そして、こうやって、ネットというツールを使って、
自分の気持ちや表現したものを「誰か」に聴いたり観たりしてもらえる、という体験が、
すごく大きな経験として積みあがってきているのを実感します。
読んで、見てくださる方々に、心から感謝です。
今日は、ナカリの好きだった曲(ゲームミュージック)
「ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス」から「ハイラル高原」を貼ります。
(今、連弾でピアノ演奏を練習中です♪がんばってます)
ナカリの模写(パラレルキャラクターへの変換)は、過去記事
模写から自分の世界へ
外の世界の絵やセリフが刺激になることについては、本人のイラスト

今までほんとに、自分について、いろいろ考えてきたねえ。
「境界線」が引きにくい、という状態を自覚しながら、何とか線を引いて、
自分とは関係ないこと、に、心動かされないようにする、練習中。
引き続き、頑張ろうね。
ナカリとのやりとりにお付き合いくださって、ありがとうございました。

今日も見に来てくださってありがとうございます。
ひとつ前の記事を書いた後、しばらくしまい込んでいた「イヤーマフ」を探し出したら、
ナカリが「なつかしい~」と装着。

適度な圧迫感が安心できるみたいで、しばらくつけていましたが、
「これ、何で笑うん?」と、過去の記憶が蘇ってしまいました。
そうねえ、カッコつけてるみたいに思われるのかも…、今度、マークつけて使ってみようか。
折りたたむとコンパクトになって持ち運びも楽なイヤーマフです。

出先で嫌な音がした時に、イヤホンから切り替えることもできるので、
注文したヘッドホンと併せて、これから復活使用してみようかと話しています。
また、様子を報告させてくださいね。
さて…。
この数日、記事を書きたいけれども、
ナカリの幼なじみの友達の家庭に起こった出来事なので、
書くことが躊躇われ、
かといってモヤモヤした気持ちが整理できず、
過去のあれこれがたくさん思い浮かんで「書けない」状態が続いていました。
私自身も、遠距離介護とナカリの子育てとのダブルケア期間が、そこそこ続いたので、
同じ立場で、より過酷な条件の下で闘っている友人のことを思うと、
夜を迎えるたびに涙が出てしまって、応援の気持ちしかない、という現状です。
自分の重荷は自分が背負うしかない、誰も肩代わりはできない、
でも、一緒に泣いたり一緒に苦悩したり、一緒に喜ぶことはできる。
離れていても、過去の宝物を胸に、誰かと繋がっているぬくもりを支えに
一日一日を切り開いて、一緒に生きていけたら、と思います。
新聞記事で、誰にも祝福されずに小さないのちが絶たれたニュースに胸が痛む一方で、
必死にいのちを守ろうと我が身を削りながら暮らしている友人のことを思うと、
どうか元気で無事で、と祈らないではいられません。
もどかしい書き方になってごめんなさい。
今日は、ナカリの当事者会の日でした。
場所は、市立図書館。
現地集合、で、少し汗ばむ陽気の中をナカリと散歩がてら図書館に向かいました。
久しぶりに通った雑木林。

「木漏れ日」って、日本語にしかない言葉なんですよね。
新緑と、太陽の光に、慰められました。
少し行ったところで橋を渡ると、野生の藤の花が満開。

成形されていない、ダイナミックな花々です(写真では少し分かりにくいですよね、すみません)。
見て、何だかエネルギーをもらった気がしました。
図書館には、久しぶりにメンバー5人、スタッフさん2人+私、という大人数?が集まりました。
ナカリは、「ナマケモノ」の写真や絵を捜して書棚をうろうろ。
平日の図書館は静かで落ち着けて、
解散後、帰宅途中にも「今日、良かった」と、笑顔で嬉しかったです。
昨日の散歩で出会ったツバメさん

燕尾服、という言葉通り、可愛らしい姿に、思わずズームしてパチリ。
近所の畑には、無造作に群生しているアヤメ?(カキツバタ?)が、綺麗な紫色。

自然に癒されて、記事を書くことが出来ました。
友人へのエールの気持ちを込めて
中島みゆき「ファイト」の歌詞付き映像を…
見てくださってありがとうございました。

見に来てくださってありがとうございます。
今日は、久しぶりにナカリの中学時代支援学級の親の集まりに参加して、
お互いの近況を伝えあいました。
ほとんどが成人後の子どもたち。
仕事のこと、恋愛のこと、健康のこと、みんなのいろんな話を聞きながら、
今のナカリの状況に、改めて感謝のきもちいっぱいになりました。
でも本人は、「在宅」という言葉、が嫌なので、相談の結果、
これからは近況を聞かれたら「ホームステイしている」と説明することに(^-^)
帰宅後、マスコットとぬいぐるみを連れて、二人でまったりとお散歩。
途中、あちこちの掲示板で、
以前記事にした「子育てサロン」の手描きポスターが新しいものに貼り替えられていて、
今回も、微妙に?どこか違うアンパンマン・・・
でも、いつも通り、ぬくもりを感じられるポスターに、
ナカリは思わずスマホでパチリと撮って帰りました(その反応が、嬉しい母です)。
散歩から戻って、
貯まったポイントの交換商品としてナカリが選んだ「ヘッドホン」を注文し、
少し前にネットニュースで知った「聴覚過敏保護シンボルマーク」をダウンロードしました。
NHKニュース「優しさの連鎖」
聴覚過敏保護シンボルマーク

ナカリは、中学時代に、イヤーマフやノイズキャンセリングイヤホンを学校で試しましたが、
他の子の目が気になる、と言って、結局うまく使いこなせずじまいでした。
「なんで、笑うの?」と、今でも、笑われた記憶の方が強く残ってしまっています。
このシンボルマーク、大阪の小さな会社が創作し、昨年秋から無償で公開しているようです。
遅まきながらですが、
注文したヘッドホンが届いたら、好きな色や形のマークを選んで貼ってみよう、と、
今からちょっと楽しみなナカリです。
苦しかった経験を、こういうプラスの提案によって救い上げることが出来たら、
「現実」への期待値も上がるんじゃないかなあ。
世の中、捨てたもんじゃないじゃん!
今夜のNHKFMで流れていた
ヘンデルの歌劇「リナルド」から アリア「私を泣かせてください」
悲嘆で枷を打ち砕け!
今日もありがとうございました。

見つけて、心に止めて、見に来てくださってありがとうございます。
昨日、不整脈の心配がある程度解決して、今日は穏やかな日曜日になりました。
ただ、昨夜はやっぱり少し不安定で泣いてしまったナカリです。
きっかけは夕刊の「シリア攻撃」の記事。
わあ、戦争だ・・・
「国連決議も出てないのに」という話から、
ナカリ「国連、ってなに??」
私「・・・あれ?一緒に勉強したじゃん?」
ナカリ「覚えてない」
(一瞬、詰まって)えっ?、そうかあ・・・
じゃあ説明するから、また一緒に勉強しよう~
学校時代に「テスト勉強」として、
オリジナルキャラクターの「マメ博士、ゴマ博士」の絵を描きながら
あれこれ一緒にお話したことを思い出して、しばし歴史や社会について説明。
うんうんと頷きながら聞いてくれたナカリだったけれど、
一瞬見せた、私の「驚き、落胆」の反応を見逃さなかった…感受性の鋭さ
…話しているうちに、ナカリの目からぽろぽろと涙。
「私やっぱりダメな子だ。知的障がいだから覚えられない」
「お母さん、あきれてた。お母さんの思うような子じゃなくてごめんなさい」
いやいやいや!ダメな子なんかじゃないよ、いい子だよ!
お母さんこそ、ごめんなさいだね。
多分、「記憶の引き出し」が、ナカリは「名前」に関してとっても大きなスペースをとってるから、
他のことがなかなか入らないんじゃないかなあー?
ナカリは記憶力悪くなんかないよ、お母さんよりずっとずっとたくさんの名前を覚えてるじゃん!
「そうかなあ」と、少し笑顔。
タクシーの運転手さんの名前から、出会った先生たちの名前、読んだマンガの登場人物の名前、
そりゃもうすごい記憶容量だ、と、感心しきりなんだから!!
(大学院生の兄のことを気にしている様子もあったので)
兄だって、自分の興味のないことは「覚えられない(覚える気がない)」って言ってるよ。
だから「試験勉強、は自分には無理、って(笑)」
「そうなんだ」と、また少し顔が上がる。
そうそう、兄は「覚えてなくても調べて分かること、困らないことは無理して覚えない」とも言ってた。
ナカリも「理解する、考える」力がしっかりあるんだから大丈夫よー
涙をふいて、けなげに笑ってくれました。
その表情を見て、
小学校の時に、泣きながら怒りながら、悔しがりながら暴れながら、九九を覚えたこと、
中学でも定期テストの前に、ノートにいっぱい絵を描きながら試験勉強をしたこと、
それでもテストの点数は全然取れなくて「覚えられない自分」が悲しかったこと、
いろんな思い出が蘇りました。


名前(1対1対応)が大好きなナカリは、登場人物(動物)には全部名前を付けて描きます。

まるメガネがマメ博士、四角いメガネがゴマ博士。
がんばってもがんばっても、覚えられなくて、悲しかったね、辛かったね。
でも、ダメな子なんかじゃないよ!
お母さんこそ、「自分の当たり前」を見直すためにも、ナカリに教えてもらうことばっかりだよ。
反省の夜でした。
そして、今朝。
内科の先生に、近況を聞かれた際に「在宅」という説明をしたのが引っかかったままで、
それが悲しかったのか、ナカリの方から、ぽつりと一言
「やっぱり、現実、って、好きじゃない」
ん~~。
でも、現実って、良いことも嫌なこともいろいろあるよね。
美味しいもの食べたり、プールで浮かんだり、も、現実だからこそ味わえるんじゃない?
そこでナカリから出てきた言葉!
「ご飯、緊張してたから、あんまりおいしくなかった。
でもそんなこと言ったら、がんばって作った人がかわいそう。ごめんなさい」
そうか!
金曜のランチの場所は、混んでたわけではないけど、ボックス席じゃなくて、
ナカリの横は、空席1組分の机の隣に他のお客さんが居た・・・
久しぶりの外食は、やっぱりかなりストレスだったんだね。
「おいしくなかった」は、
「周りが気になって味がよく分からなかった」ということなんだろうな。
「なるほどー、その疲れもあって、夜フラーとしたのかもよ。
お母さん、全然気づいてなくって、お母さんこそゴメンね」
ナカリも、そう聞いて、なんだか納得の表情。
そしてここで、
「そんなん言ったらかわいそう→言わない」が出来たことを
目いっぱいほめました。
自閉っ子は、正直だから、悪気なく思ったことが素直に口から出てしまう、
脳内ダダ漏れ状態で、嘘がつけない、気持ちを隠そうとか黙っておこうとかが難しい、
それなのに、
ナカリは少しずつ少しずつ学習して、相手の気持ちを想像できるようになっているよ!
これって、すごいことだ~
思うだけ、だったら、何でも思って構わないからね。
口に出して言ったわけじゃやないから、ゴメンナサイってあやまらなくてもいいんだよ。
人ってさ、
心の中で思うことと、外に出して表現することが全部同じ、って訳じゃなくて、
思ってても口に出して言わないこと、思ってることと違うことを言うこと、
・・・って、いっぱいあるんだよなあ。
だから、自閉っ子にしたら、他の人の言葉や態度の意味が良く分からなくて、
とまどったり、怖くなったり、不安になったりするんだよね。
「うん、他の人の目が怖い、顔が見られない」
そうそう、だから、生き物相手より、「感情のないモノ」相手の方が安心できるんだ!
ちょうど昨日、ナカリと一緒に見て「わかりやすいね~」と感心した、
森田ゆりさんの「気持ちの本」についての記事のイラストを思い出しました。

ナカリが、すぐに怒ってしまうのも、
怒りの感情の裏側に、表に出せなかった傷つき体験があるからかも、
と話した時、本人も納得してたので、
同じように、怒ってる人の裏側にも傷ついて泣いているその人が居るかもよ、
という話をして、
人は、見えているところだけで判断できない、と再確認したところでした。
思っていることと、外に出すことが違う、という部分では、
定型発達の人は、そのスイッチ切り替えの判断を、オートでできる場合が多いけれど、
自閉症の人は、ひとつひとつマニュアル操作が必要で、
その分、疲れやすいんだろうね。
ひとしきりお話しした後で、またまたナカリから出た一言。
「説明ありがとう」
おおお~~~、母はもう感激だよ。
ナカリが「ありがとう」を言えるようになって、嬉しかったときの気持ちを再度実感(涙)。
今までも、今も、私の方が、ナカリからいっぱい教えてもらっているよー。
「ごめんね、ありがとう、大好きよ」
この三つの気持ちが、家族を結んでいるなあ、としみじみしたのでした。
以上、昨日今日、心に残ったできごとでした。
長くなってしまってすみません。
読んでくださってありがとうございました。
