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ナカリママ

Author:ナカリママ
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

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ヒマでいるのは悪いことじゃないけれど・・・
ご訪問ありがとうございます。
少し、間が空いてしまいました。


昨日、雨のため親子3人で部屋に閉じこもっている間、
ナカリは手持無沙汰な様子で、ウロウロと歩き回り、
あんまり、ヒマそうにしているので、
思わず夫に
「(ナカリは)ひとりで楽しむ術がないのかなぁ」と話しかけてしまった私です。

それを聞きつけたナカリが
「お母さん何でそんなこと言うの?」
「私の悪口言った?」と、詰め寄ってきました。
慌てて
「お母さんが悪口言うわけないじゃん!」
と、少し心が痛みながらもキッパリ否定。

でも、ナカリの過敏な反応に、私の方も一言いいたくなって
「することないの? 何か、したいことないの?」
と、返してしまった・・・ら、
「ヒマって良くないことなの? 私がいけないの?」

ちょっと空気がピリピリ!

いやいや、良い悪いじゃなくてね・・・。
なんでヒマなのかなー、って思ってね、つい、・・・う~ん。

不安そうに、不満そうに、こちらを見つめるナカリ。
やっぱり、相手をしてほしいんだ、遊んでほしいんだ。
で、
ぬいぐるみを手にもって、ごっこ遊びをすると、笑顔が戻り、
写真をコラボして作った作品を見ながら、
私がぬいぐるみになり切って、いろいろコメントしたら、
「お母さんと遊ぶの面白かった」と、素直に喜んでくれました。

まだまだ、親と遊びたいんだなあ。
ありがたいことなんだけど。

一緒に散歩出来る楽しみも幸せも感じるんだけど。
留守番だってちゃんとできるんだから、これ以上望むことなんてないはずなんだけど。
こちらは遊んでばかりもいられない、家事や片付けにはキリがない、
・・・でもそれも声をかけたら、一緒にしてくれるんだけど。


なんだろうか。
昨日今日の空模様のように、何となくすっきりしない、

子どもから手が離れるときが、ずっと訪れることがない、という予感を、
どこかで悲しんでいる自分に気づいて、落ち込んでいる。

いつまでもいつまでも親子の遊びが続くことを、幸せと思う反面、タメ息が出そうになってしまう。
以前記事にしたパール・バックの、決して成長しない子ども(=永遠の子ども)、を思い出して苦しくなる。


とくに、やりたいことや、やらないといけないことがあるわけでなく、
なんにもなく、ほわんとして、空想の世界にただよいながら一日を過ごすの、って、
別に、いいんだけど。
やりたいことや、やらないといけないことに追っかけられながら忙しくしていることが
良いわけではないんだけど。


だけどだけど、で、ぐるぐるまわり。


あんなに、優しい気持ちになれたのが、夢のよう。

・・・まあ、時にはこういう気分になることもあるかな。
わざわざ記事にしてアップするには躊躇される内容で、申し訳ないです。
明日は、アートの先生のアトリエに行くので、
一緒に外出したら、気分も持ち上がるんじゃないかな、と期待しながら、
とりあえずの更新となり、すみません。


申し訳ないので、1曲・・・クリスタルケイさんの「エターナルメモリーズ」
朝焼けの映像とともに


>きっと 誰でも こころのどこか
 過ごしたすべて 憶えてる

>思い出すは ママとちいさなケンカした
 顔も見たくなくて 抱きしめてほしくて

>生きてく哀しみは 優しさを奪って
 言葉さえ とがって ほんと言えなくて





子どもの日常 | 10:56:08 | トラックバック(0) | コメント(8)
額に入れてみました &プリシラ・アーンの歌声
ご訪問ありがとうございます。

ほのぼのした気持ちは、分かち合う人が居ると、もっとあったかくなるんだ、
と、とても感謝な一日でした。
何度も絵をながめて、いいな~と見とれていたら、ナカリも一日中嬉しそうでした。
せっかくなので、額に入れてみました。

ほのぼのパステル画

この絵を見ていたら、
久しぶりに、プリシラ・アーンが聴きたくなって、
過去記事を検索。

「プリシラ・アーンとエリナー・ファージョン」

このときも、いろんな方からコメントをいただいて、
一緒に嬉しくなって聴き惚れたなあ・・・。

さらに検索してみたら、I`ll be here という曲がとても優しくて良かったので、
久しぶりに訳にもチャレンジしてみます。




If you fall, if you fly

あなたが落っこちてても、飛んでても

It's so hard when you're trying to get back your heart

ありのままのこころをとりもどそうとするのは、とってもむずかしい

Never lasts, it's broken but it's wise And one day you will rise

かしこくなれずにこわれたままってことは絶対ない、いつかあなたは持ち上がる

And you'll learn to dry those eyes

そしていつか涙をかわかすことも身につける

Cause you see what it's like

だって、

To struggle in this life (to struggle in this life)

それって、人生、生き抜こうと、もがいているみたい、って分かるから



I'll be here for you (to struggle in this life)

私はあなたのそばにいる

Any day you want me to, I'll be here for you

あなたがそうのぞむならいつだって、私はあなたのそばにいる



It's okay, it's alright if you cry

泣いたってかまわない、だいじょうぶ

Cause I'll be here by your side

だって、私があなたのそばにいる

I know what it's like to struggle in this life (To struggle in this life)

人生、生き抜こう、と、もがいてること、知ってるよ

I'll be here for you (to struggle in this life)

私はあなたのそばにいる

Any day you want me to, I'll be here for you

あなたがそうのぞむならいつだって、私はあなたのそばにいる

Love will see us through

私たちの間には愛がある

Wherever you are, whatever you do, I'll be here

あなたがどこにいても、あなたが何をしても、私はそばにいる




検索したら、翻訳された歌詞も出てきましたが、意訳?でした。
逐語訳で、こんな感じになったけど、冷や汗ものです。
違ってたらすみません。
プリシラさんの優しい歌声から
あたたかくて安心できる雰囲気を感じながら、
ナカリの絵を見ていただけたら嬉しいです(^-^)







読んだ本・文章、見た映画・ドラマ、聴いた音楽 | 23:25:25 | トラックバック(0) | コメント(16)
今日のパステル画
ご訪問ありがとうございます。

今日は、アートの先生が訪問してくださり、
バラの花の写真を見ながら、パステルで描いてみました。
バラ、と言っても、ゴージャス系ではなく、
ほんのり可愛い感じに仕上がりました。

バラの花 IMG_0448

先生が、花と花の間に立体感があって、いいね~~、と誉めてくださり、
ナカリも嬉しそうです。

そして、この絵を描くときにパレット代わりにした小さい画用紙・・・
先生が「もったいないから、これを使って、消しゴムアートをやってみよう」
と提案してくださり、いろんな色をパフで広げて、画用紙全部に色を塗ったあと、
練り消しゴムで、白く、色を抜いていきました。
そこから先は、ナカリ自身の判断で、ペンパステルをもってさらに描き足し、
何だか可愛いくて不思議な雰囲気の1枚が出来上がりました。

消しゴムアート IMG_0449

見ていると、ほわ~~んとした気持ちになります。
こちらも、先生に「黄色がいい感じ」とほめていただき、
ますます笑顔のナカリでした。

来週は、先生のアトリエに行って、もう少し大きなパステル画を描いてみよう、
と話しています。
今から楽しみです(^-^)



ナカリの作品 | 17:36:06 | トラックバック(0) | コメント(16)
外国語としての日本語学習 とくに助詞!
ご訪問ありがとうございます。

過去の書類の片づけをしていたら、
小中学校時代のナカリの文章がいろいろ出てきました。
やっぱり、かなり、幼い文章です。
今でも、時々、あれ?というような言い間違いがあるナカリですが、
昔と比べると、ほんとに上手に表現できるようになったなあ、と感心しきり。
数学分野(数の操作、認識)は今も一番苦手な一方、
国語は好き、と言えるのも、
気持ちを上手く伝える力を身につけたおかげと言えます。
これって、自動的にそうなったわけじゃないんだよなあぁ・・・


言語聴覚士の先生の所へは、保育所時代から小学校高学年まで通いました。
その間、ほんとによく見てもらった、本人も頑張った、と、なつかしく思い出し、
改めて感謝の気持ちが湧いたので、記事にしてみます。

あしかけ10年くらい、同じ先生に見ていただきましたが、
その間一度も声や態度を荒げることのなかった優しい先生でした。
(小さい頃はとにかく集中できなくて、
離席はもちろん、窓に張り付いて外を眺めたり、床に寝転んだり、
机の下にもぐって別の遊びに興じたり、突然話を変えたり…
横で見ている私がイライラして思わず注意しようとしたら、
それを止めてでも、本人につきあってくださいました。
こんな風に書くと、
窓際のトットちゃん、の、トモエ学園の園長先生みたいですね。)

思い出すのは、
先生と一緒に、絵カードで助詞の使い方の練習をしているのを見て、
家でも同じようなカードを作り、
○○が××を追いかける、○○が××に追いかけられる、
などの文章を、繰り返し練習したことです。
多分、当時の私は、必死の雰囲気まるだしで迫ってただろうな、と思います。

「LD児サポートプログラム」という本のコピーも出てきました。

>助詞は人や物事との関係を表すことばです。
 この”関係”がしっかり分からないと助詞を正しく使うことができません。
 また、Aという状況を表すときにはBという助詞を使う、
 Bという助詞を使っているときにはAという意味だ、
 という約束も覚えていかなくてはなりません。
 しかも助詞の多くは音としては短く、
 文中にあって聞き落としやすい部分でもあります。

>他の子どもと同じように、先生の説明を聞いただけでは理解しにくい子どもたちには、
 家庭でも学校でもていねいに、意識的にかかわっていく必要があります。
 こんなことまで教えないといけないの?と思うことも、
 一つひとつ、理解しているかどうか確かめていくことが大切です。
 助詞を間違える子どもには、
 説明自体にも気配りが必要で、
 具体的に、実際の動作を見せてさせる等、
 見て、使って分かるような工夫をしながら教えなければ伝わりません。

>私たち大人が日常的に、無意識に使っていることばを思い出してみましょう。
 「おしょうゆ取って」「お弁当忘れないで」など、
 意外と助詞を抜かしてい言ってしまうことが多くありませんか?
 私たちは必ずしもいつも正確に助詞を使っているわけではありません。
 日常の話しことばには、誤りや省略がたくさん含まれています。
 それでも無意識のうちに、また、先生の話されるフォーマルなことばを聞きながら、
 子どもたちは日本語の正しい使い方を自然と学んでいきます。
 LD児の中には、話しことばを聞き取って学ぶことが上手にできないために、
 自然に学ぶことが困難な子どもがいます。
 ことばを聞き取る力が弱いので、
 母国語を自動的にパターンとして覚えるところにたどりつけないのです。
 

この認識のもとに、
ゆっくり、穏やかに、はっきり、ひとつづつ、根気よく、具体的に、繰り返して、
「外国語学習のように日本語を学習する機会を持ち続けることができた」ことによって、
ナカリの国語力は大きく伸びた、と実感します。
(言語の先生との療育+公文式の教材&指導、も貢献してくれました)


<助詞教材の例>

 犬( )遊ぶ
 犬( )ほえる
 犬( )かまれた
 犬( )散歩につれていく

 鉛筆( )折れた
 鉛筆( )書く
 鉛筆( )買う
 それはぼく( )鉛筆だ

 雨がふった(  )、遠足は中止になった。
 雨がふった(  )、遠足に行った。



こういう内容は、
「早期教育」の教材にもあったし、
外国人向けの日本語教材にもあったので、
いろいろさがしながら、年齢に合わせて取り入れてみました。
でも、
教材の中身だけではだめで、学ぶ場の雰囲気が重要…。
言語の先生のように、辛抱強く、笑顔を維持して、子どもペースを大事に…、
というと、家庭での学習には限界があります(^-^;)
なので、「定期的な療育」が本当に大事でした。

とくに意識しなくても家庭や学校で、最低限の母国語を自然と身につける、
ということができず、
外国語学習のように、系統だてて文法を学び、使う練習をすることが必要な子どもたちがいる、
ということを、「ちょっと」書いておきたくなって、
結局、長々書いてしまいました。
とにかく、
後輩たち(家族)にエールを送りたい気持ちでいっぱいです。
「日本語学習」がんばって!!



読んでくださってありがとうございました。



思い出 | 23:20:22 | トラックバック(0) | コメント(6)
優しい気持ちになるために 再度
ご訪問ありがとうございます。

なにかしら、こころがざわついた時には、音楽が慰めになります。
2年前に「優しい気持ちになるために」という記事で、
岡崎律子さん追悼のユーチューブをアップしましたが、
著作権の関係で閲覧できなくなっていました。

息子と一緒に見ていたアニメ「フルーツバスケット」のオープニング曲を、
歌っていたのが岡崎さんです。優しい歌声です。

検索しなおしたら、画像は荒いですが、オープニングそのままの映像がありました。
(ネタバレで、すみません)
母親を事故で亡くして天涯孤独になってしまった主人公が、
小学生の頃、フルーツバスケットというゲームで、「おにぎり」役にされ、
ひとりだけ意味も分からず笑顔で座りっぱなしだったシーンが出てきます。
最後の笑顔の写真は、亡くなったお母さんです。
映像を見るだけで胸がキュンとなります。



オープニングで流れるのは1番の歌詞だけですが、
これにも泣かされました。


>とてもうれしかったよ 君が笑いかけてた
 すべてを溶かす微笑みで
 
 春はまだ遠くて つめたい土の中で
 芽吹く瞬間(とき)を待ってたんだ

 たとえば苦しい今日だとしても
 昨日の傷を残していても
 信じたい 心ほどいてゆけると

 生まれ変わることはできないよ
 だけど変わってはいけるから
 Let's stay together いつも



いろいろな人の「苦しい今日」に思いを馳せながら、
変わっていけることを信じたい、そんな気持ちで何度もCDを聴いています。
宮城まり子さんの「優しくね。優しいことは強いのよ」の言葉とともに・・・










読んだ本・文章、見た映画・ドラマ、聴いた音楽 | 22:57:57 | トラックバック(0) | コメント(8)
先生は学校に住んでいないし、店員さんは仕事が終わったらうちに帰る
ご訪問ありがとうございます。

このところ、平穏が続いていますが、
一日の中にも、やはり、波があります。
多少波立っても、時間を置けばおさまってくる、ところが、
大きな大きな前進なんだなと感じるのですが。

波の起こり方は、「繰り返し」です。
周囲の情報の受け止め方自体に、特性があるので、
いろいろと説明して納得してくれたかな?と思っても、
時間を置いたら繰り返され、また同じやり取りになります。

ここで、忍耐が切れたらこちらの失敗、なので、
声のトーンにも気をつけながら、繰り返し、繰り返し、です。

これを、がんばらないといけない、と思わされたのが、
時々コメントをいただくponchさんの記事(当事者からの発信)です。

経験を積んでも身につかない

朝から反省しました。


昨日、親子ウォーキング&ランニングで、2時間くらい山に登ったのですが、
日曜日の観光地、ということもあり、そこそこの人出があり、
途中、「人がいっぱいで邪魔、人いっぱい居すぎ」と、
帽子とサングラスのガードだけでは刺激が過多で辛そうにするナカリを、
なんとかなだめながら、なるべく人の少ない道を選んで、やり過ごしました。

「他の人、みんな一緒に見える。どこが違うん?」
「他の人の苦労は分からない。みんな苦労なんかないと思う」
「やっぱり舌打ちが聞こえる。なんでよ、私何も悪いことしてないのに」
「なんで他の人、居るん?なんで嫌な人、居るん?」
「気分悪い、腹立つ」


人は人、自分は自分、自分とは関係ない、どうでもいい人のことは考えなくていい、
こちらも、同じ内容の繰り返しながら、
どうか波が大波になりませんようにと、自分の心の波も抑えながら、
穏やかを心がけて過ごしました。


「他の人の苦労が分からない」
というところは、
「目に見えないものを想像するのが苦手」
に通じます。
パラレルワールドを生み出すくらいの想像力、創造力があるのに、
「他の人」の言動は「見えるもの」に引っ張られて、裏が読めません。

「ドラマや映画の役者さんばかり、良い思いしてる」
と、繰り返し腹を立てて言うのは、
それが、つくりもの(フィクション)だと認識できず、
見たままを信じてしまう特性によるのだ、と分かっています。
ドラマで夫婦を演じている役者さんも、実生活では別々のパートナーがいる、
と、何度説明しても、なかなか「理解」に至りません。
「演じてるの?ほんとみたいに見えるけど」
と、真顔で言うので、
「ほんとみたいに見えるように演じないと、役者さんとしてやっていけないんだよ」
と説明。
サンタさんを信じていたのと同じ思考パターン(言われたことをそのまま信じる)です。

「プロの人みんな、良い思いしてるの?」
と真顔で聞くので、
「みんな、ってひとくくりしないで」と、これも0か100かの話から繰り返しです。


本人はあまり覚えていないと言いますが、
幼い頃、
学校の先生は教卓で寝ている、と思っていたナカリ。
同じように、
コンビニの人は24時間ずっとコンビニに居る、と思っていたナカリ。

先生は、学校で生徒を教える時は先生だけど、うちに帰るとお母さんになる、
コンビニの店員さんも、仕事を終えたら家に帰って、ご飯を食べたりお風呂に入ったり布団で寝たりする、
という説明を聞いて、目をまるくして、本気でびっくり!!していました。

自分の目に見える世界がすべてだと思い、自分視点で世界を理解しようとしていたナカリ。
「先生」は、自分の見えないところでもずっと「先生」をしていると思っていたし、
お店の人は、いつ行ってもずーーっとお店にいるものと思い込んでいました。

また、
信号を見て「赤は進め、緑は止まれ」と言うのをどうしても曲げようとしないので、
なぜかなあ~と悩んでいて、あるときふっと、
「ああそうか!この子は自分が見ている信号ですべてを判断してるんだ」
と気づいて納得したのを忘れられません。
自分が見ている信号が赤の時に車は動いていて、青の時に車が止まる、という世界観

他の人は他の人の世界がある、とか、自分と違うものを見ている、とかいうことが、
なかなかピンと来ないのだ、と思います。


成長に伴って、少しずつ、修正されてはきたけれど、
基本のところは「特性」なので、変わりません(無理に変えようとすると自己否定につながりかねません)。


自分視点、を持ちながら、社会の中で、どうやって折り合いをつけながら生きていくか。
難しい課題です。
敢えて言えば、
それは、障がいのあるなしかかわらず、誰もが向き合わないといけない課題かもしれません。

「折り合いをつける、ってどういう意味?」
とたずねられて、
折り紙の端と端が合わない時に、なんとかして工夫して、そこを合わせて形にする、
というような、よく分からない説明しかできなかった私ですが、
「折り合いをつける」
というイメージを、どう作っていくか・・・

長い人生のウォーキング。
周りの人が視界に入りながらも、景色を見ながら、自分のペースを崩さずに、
たとえ一人になっても、こけないように気をつけながら、しっかり歩いていってほしいなあ。



昨日見た景色です。
滝

滝道1

滝道2


人生を道に例えたのは、徳川家康だったかな・・・
山あり谷あり、道を歩き続けていく、時々休みながら、時々振り返りながら。

今日は母娘で留守番です、またいろいろお話しできたらいいな。
がんばろう。
皆さんにもよい一日になりますように。
長々読んでくださってありがとうございました。





子どもの日常 | 10:42:27 | トラックバック(0) | コメント(8)
夜景に思い出す、プチ家出の日
ご訪問ありがとうございます。

昨夜は大阪市内に泊まりでした。
毎年、クリスマス前から1月にかけて御堂筋がライトアップされますが、
もう部分的にライトがついています。

御堂筋夜景1

御堂筋夜景2

なんだか年末が視野に入って、せわしないような・・・
きれいだけど、少し寂しいような悲しいような・・・

今は落ち着いていて、
親子で手をつないで一緒に夜景を見ながら歩くことが出来るけれど、
もう、ずいぶん昔の年末に、私一人、家出して、
えんえん2時間以上夜道を歩いて4駅向こうまで行ったところで、
ナカリの「帰ってきてコール」に諦めて電車に乗って帰ったことがありました。



あの当時、こんな「今」がくるとは、思ってもみなかったのだから、
先のことなんて分かりませんね。
これからの人生、今、が一番若い、のですから。


今年もあと3ヶ月を切りました。
そろそろ、喪中はがきの注文もしなければいけません。

どうか笑顔で年を越せますように。
ちょっと気が早いけれど、夜空に願いました。

ビリー・ジョエル「星に願いを」









未分類 | 18:53:38 | トラックバック(0) | コメント(16)
カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」
ご訪問ありがとうございます。

今年も、松井しのぶさんのカレンダーが届きました。
「やさしいちきゅうものがたり」

労働センターの職員さん手書きのメモが入っています。
サイン入りです(^-^)

カレンダー

犬の形に切り取られたメモは、鼻のところがボタンになっていて、可愛い!
猫のメモは開くとポップアップになっていて、「ゆっくりとね」のことばにホッコリ。

全国の作業所が力を合わせて販売しているカレンダー。
昔は、吉田たろうさんの「季節のモムたち」でした。
吉田さんが亡くなられた後を引き継がれたのが、松井さんです。

長い歴史のあるカレンダーなので、
もしかしたら、
どこかで見かけられたことがあるかもしれません。

来年のカレンダーの表紙の文章は、
「ほんとうに携帯が必要だったのは、目と口に障害ある仲間たちです」(牧口いちじさん)

その中に、「手話言語条例」が市町村単位で広がっている、旨のお知らせがありました。
全然知りませんでした。
ナカリと一緒に、一時期、手話も勉強してみましたが、
途中挫折して、そのままです:(´◦ω◦`):

全日本ろうあ同盟 手話言語条例マップ

少し検索してみると、
「手話を一つの言語として認め、尊重する」
ということが、手話の歴史を踏まえると、とても大きなことなんだ、と分かりました。

ずっと昔に、山本おさむさんの「どんぐりの家」を読んで、少しかじった程度ですが、
聾学校で手話が禁止され、口話が強制されたことがあるのは知っていました。
でも、日本手話、と、日本対応手話、が違っていて、論争があるとかは、知りませんでした。

話題になった少年マンガ「聲の形」も、1巻だけ電子版を無料で読みましたが、
中学校時代、ナカリの友達にも難聴の女の子がいたので、いじめのシーンが苦しくて、
続きが読めていません。

世の中で、知らないことって、まだまだいっぱい・・・と、しみじみしながら、
もう、カレンダーの季節かあ・・・と、その意味でも胸いっぱいになってしまいました。


これから、年末に向けて、一日一日、大事に過ごしていこう。

明日は雨模様で、寒くなるみたいです。
みなさん、ご無事にお過ごしくださいね。



未分類 | 19:34:00 | トラックバック(0) | コメント(16)
「いろんな自分がいる」そのバランスをとることが大人になるってこと
ご訪問ありがとうございます。

今日は、ナカリのカウンセリングの日でした。
前回から3週間。
波はあったけれど、頓服なしに乗り越えた報告をして、
「ほわん、と、良い気持ちになろうとすると、それを止める自分がいる」
という、今のお悩みを聞いていただきました。

先生と二人の時間を大事に、私は途中失礼し、
お迎えに行ったら、ちょうどまとめの最中。
「お母さんもご一緒に」とのことで、今日の話のまとめを伺いました。

「自分を好きになれる自分」
「自分を否定する自分」
その両方が心にいるのは、みんな、そう。
何かしようとするときに、ダメダメと止める自分もいて、
自分でもびっくりしたり、葛藤したりする。
それって、大人になると出てきやすくなるんだよ。
子どもの時はシンプルな気持ちなのが、
大人になるにつれて、どんどん複雑になってくる。
そしてさらに、そのいろんな自分のバランスをとる、ということが、
大人として落ち着いてくる、ということなんだ。
自分にはいいところも苦手なところもある、
100点満点じゃないけど0点でもない、
そのあたりを認めるのは難しいから苦しいことでもある。
でも、昔よりも楽になってきた、
極端に走らなくなってきた、と思えたら、
それは大人になってきた、ってこと。
否定的にブレーキをかける自分は、しんどい時に出やすいから、
自分のいいところを書き出したメモを見て、思い出そうね。


いろいろお話しする中で、いい笑顔が出ていたナカリ。
帰り道、カウンセリングルームと駅の間の公園で見上げると、秋の空。
カウンセリング 青空
こんな気持ちいい青空のように、スッキリした気持ちで過ごせますように!


夕方には、また近所の散歩に出かけました。
今日は十五夜。
少し前に見ていた三日月とは、見えてる場所が全然違う!
うっすらぼんやり雲間から出てきた月らしき丸くて白っぽい影が、
だんだん明るくなって、はっきり月だと分かる形に見えてきました。
肉眼ではかなり大きく見えるのに、スマホで写真に撮ると小さくて不思議~
十五夜

帰宅するころには、夜空に明るいお月さま。
2階のベランダから撮ったら、光がピカ―!??
スマホよ何故・・・(@-@;)
中秋の名月

亡くなった母が、よく、「空を見て、お月様を見て」と電話してきたことを、
ナカリと一緒に懐かしみながら歩きました。

母が好きだった、フジ子・ヘミングさんの「月の光」。


実家近くの古本屋さんで買って読んだ、フジ子さんの著作。
フジ子・ヘミング 本

「死ぬ人は、その人が死ななければ贈れない最善の贈り物を後の人に残していく。
それを受け取った人は不思議な力を受け、新しい生涯が始まる。
母の死は、そんなことを教えてくれたわ。(19ページ)」


カウンセリングに行く度に、
空を見る度に、
母のことを思い出します。

ありがとう、お母さん、ナカリは元気だよ。
お母さんからの遺言どおり、いっぱい、ほめているよ。
これからも見守っていてね。


過去記事です。2年前のお月様の写真です(^-^)
ムーン・パワー





子どもの日常 | 19:51:45 | トラックバック(0) | コメント(6)
療育手帳の更新が危うかったときのこと
ご訪問ありがとうございます。

今日は朝から雨で、
午前中、社協の役員会に出た後は、家に籠って片づけに専念。
未整理の書類の山を仕分けしながら、
過去の出来事をあれこれ振り返る一日、となりました。
そのなかのひとつ・・・療育手帳(知的障害者手帳)をめぐる思い出

※ 障害者手帳は、他に「身体」と「精神」があります。


ナカリは、知的ボーダーで、3歳から療育手帳を所持していますが、
小学校4年生ごろ、ぐっと数字が伸びて、
手帳更新の際に、検査結果から、いったん「不可」の判定が下りたことがあります。

当時は確かに、本人自身、周囲に追いつきたい、という必死なアプローチを重ねていて、
小3の1年間、他市まで療育に通った成果も出たのか?
親の間の情報で軽度のラインと言われていた、IQ「75」を超えてしまったようでした。
でも、実生活上の困難は続いており、
がんばって理解力が上がったからといって手帳を取り上げられるのは納得できない、
と、食い下がりました。

自閉症協会のHP内検索で探し出した国会での質問(小宮山洋子衆議院議員)
「現行の手帳制度を変えるつもりはないのか?」と、それへの答弁、や、
LD親の会が自治体宛に出した要望書、を
プリントしたり。

自治体のHPから「療育手帳に関する規則」を探し当てて、
「手帳の交付を受けようとするものについて、別に定める基準に従い・・・判定を行い・・・」の文面の中の、
「基準」について判定員さんに確認したところ、
「非公開(内規)」だと言われたので、
弾力的運用が行われている事例(IQ90以上でも手帳交付)をいくつか具体的に調べて提示し、
そうした事実も勘案して何とかならないか、繰り返しお願いした上で、
どうしてもだめなら「不服申し立てを行う」ので、その手順を教えてほしい、と確認したりしました。

そんなこんなで、
「そこまで言うなら・・・」と、別の様式で再検査してもらうことになり、
結果いくらの数字が出たのか不明ながら、なんとか更新が認められた、のでした。

その後もしばらくは、引き続きボーダーという感じでしたが、
学校不適応から不登校になって、社会生活上の困難が大きく認められたため、
今に至るまで、更新は問題なく、できています。

当時、
ナカリの他にも、似た状況で手帳の更新が危ういという後輩が何人かいたので、
可能な限り継続所持できるように、お互いの経験談を情報交換し合ったものです。
重度の子どもさんの保護者からは、
手帳の更新ができないことを「喜ぶべき」という意見も聞きましたが、
手帳がなくなる=障がいがなくなる、ということではなく、
=福祉サービスの対象から外れる、ということなので、コトは切実でした。

今は、多重知能の考え方が浸透しつつあって、
一律IQで判断することには異議が出されているようですが、
単純な「能力」というところで、IQ70~90くらいの子ども(成人)、というのは、
とても微妙な状態にある、と思います。
軽度知的障がいを併せ持つ当事者の困難性、について、
この先もずっと考え続けないといけない課題だと、
過去を振り返りながら、改めて思ったのでした。

すなわち、
ナカリは
「分かっているように見えて、実は分かっていないことがたくさんある」
ということを、しっかりこちらが意識しておかないといけない!
と、同時に、
「分からないだろうとこちらが思うようなことでも、意外によく分かっていることもある」
ということも意識しておかないといけない・・・、と。

それでも、
小学生のナカリの姿が目の前に浮かびながら、
大きくなったなあ~、と、感慨深いのは、嬉しいことでもありました(^-^)
明日は留守番、がんばってもらおう!


※ 療育手帳のイロハ → リタリコ発達ナビの記事「療育手帳とは?」






思い出 | 23:09:01 | トラックバック(0) | コメント(8)
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