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ナカリママ

Author:ナカリママ
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

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「母よ嘆くなかれ」 The Child Who Never Grew
ご訪問ありがとうございます。

荒波をこえて、またひとつ大きくなったナカリと、
慎重に、でも恐れずに、過去とも向き合っていこうと思った昨日。
後輩ママたちにお話する前に、再度読み直してみようと、手に取ってみました。

パール・バック「母よ嘆くなかれ」新訳版・伊藤隆二(法政大学出版局)

残念ながら、私は原書を読むことができていませんが、
訳者の伊藤先生は、「学生たちと幾度となく読み合い討論し合った」そうで、
「パール・バックさんの文章は音読するといっそうわかることであるが、
韻律性に富み、時折みせる古雅な表現には聖書の響きが感じられる」
と感想を述べた人もいるくらいだそうです。

「大地」の著者で、ノーベル文学賞受賞者でもあるパールさんが、
知的な障がいをもつ娘の母親として、他の母に向けて綴った、この手記を、
私も、自分が同じ立場になるまで知りませんでした。
そして、原題がタイトルのとおり「けっして成長しない子ども」であるのを、
邦題では、他の母への呼びかけの形に訳して出版されたということも、
呼びかけられる側の母になってみて、よけいに感じ入ったところです。


>わたしがこの話を書く決心をするまでには、
 ずいぶん長い間かかりました。
 これから書こうと思っていることは本当にあった話なのです。
 それだけに書くことがためらわれたのです。


という文章から始まるこの本。

>あなたは今は分からないかもしれませんが、
 あなたのお子さんの存在の目的を果たし、
 お子さんと共に生きる間に、
 必ず本当の喜びを見出すことになるのです。
 さあ、頭を上げて、示された道を歩んで行きましょう。
>わたしは同じ経験をしてきた一人として、
 お話しているのです。


そして、結びの文章は

>希望は慰めをもたらします。
 かつてそうであったからといって、
 永遠にそうである、ということはありません。
 子どもたちの中にはすでに遅すぎる子どもたちもいるでしょう。
 しかし、もしその子どもたちの苦しい境遇も、
 人びとが悲劇の多くはどうすれば避けられるかを知るうえで助けになるのであれば、
 その子どもたちの生命は、たとえ挫折していても、決して無意味ではなかったということになりましょう。
>もう一度申しましょう。
 わたしは経験した一人として、お話しているのです。



確かに、私は、喜びも見出すことができたし、
挫折と思われる体験も、後輩に活かされるならば、伝えていきたいと思う・・・

だから、前向きに、過去を振り返って整理しよう。
ナカリ本人の想いを伝えよう。
まだ準備の時間はあるから、この本も、ゆっくり読み返しながら、
頭の中をまとめていこう、と思っています。


過去記事です。(この作文を資料として配布予定)
「本人が他の人に伝えたいと思ったこと(中3時代)」
このときにも、ponchさんがコメントをくださっています。
ponchさん、いつも、ナカリの側の気持ちに寄り添ってくださってありがとうございます。





読んだ本・文章、見た映画・ドラマ、聴いた音楽 | 22:50:29 | トラックバック(0) | コメント(6)
時間と距離をおくことで回復=親も子も経験値を上げる
ご訪問ありがとうございます。

眠れなくて真夜中に記事を書いた今日。

お金についての学習会を企画している親の集まりで、チラシの印刷とレクレーションの予定があり、
午前中から、ナカリと離れて過ごしました。
(少し遅刻となりましたが、留守を任せて出られたこと自体、彼女の大きな成長!)

チラシの文面より・・・
「お金の基本を身につけよう」
「お金ってなんだろう?」
「お金を貯めて使おう!」
「自分のお財布持ってる?」
「1ヶ月どれ位使っているだろう?」


朝一で動いてくれたメンバーが、
市内のいろいろな施設に配布できるようにチラシを仕分けしてくれていたので、
母たち5人そろった時点で、いざ、秋のレクレーションへ!
行き先は・・・ダリア園

彼岸花って不思議よねー、どうして必ずお彼岸の頃に一斉に咲くのかな?、という話から、
農家の方たちは、この花が咲いたらこの農作業、という風に、
自然の動きをよく感じ取りながらお仕事されていてすごいなあ、などと感心しながら、
車の中で、それぞれの子どもの近況などもあれこれと・・・。

トンネルを抜け、山を越えて、車を降りたら、色とりどりの花々が迎えてくれました。

ダリア園1

これがダリア!?という形の花から、可愛らしいポンポンダリア、コスモスに似た花、などなど、
すごい数の品種が咲き乱れていて、それぞれのネーミングセンスに感心しながら、
自分が一番気に入った花を見つけてお互いに教え合い、写真を撮って楽しみました。

写真の技術が全然ですが、少しご紹介。
ダリア園2

ダリア園3

ダリア園4

ダリア園5

自然に接しているうちに、こころも穏やかに落ち着いて、
昨夜の出来事が夢のように思えてきました。

その後、みんなで一緒に食事しながら、子どものことを中心に、よもやま話をして、
帰宅した時には、固かった私の心もすっかりほぐれ、ナカリに素直にゴメンねが言えました。

嵐のあとは、やっぱり、階段を一つ上がった実感があり、
経験値が上がったなあ、と思えたことが、何より・・・

そして夕方、いつものコースで親子散歩に出かけました。

歩きながら、話しながら、昨夜を振り返って、
お互いに「ごめんね」「でも成長したね」と確認。

「刺激」は苦しいけれど、
気持ちが落ち着いてさえいれば、少しずつ受け入れることが可能になってきている!
一切の情報を遮断してしまうのではなく、
しっかり態勢を整えて迎え入れさえすれば、必ず経験値は上がっていくから、
慎重に、でも恐れずに、他の人の世界(現実社会)との接点も持ち続けていこう。

そんな話をしながら、夕焼け空を見上げると、あんなに細かった三日月が、今日はもう半月!

9月28日夕焼け


自然に接して、月や星の動きを見つめて、
美しいものや神秘的なものを感じ取ることで、心が静かになっていけるんだなあ・・・

これからも、きっと山あり谷ありだろうけど、苦しくなったら、
外に出て空を見上げてみよう、近くでもいいから何か草花を観に行こう、頭を休めて体を動かそう。

平和な「今」に感謝しながら、今日2本目の記事を書けて、ほんとに良かったです。
引き続き、読んでくださってありがとうございました。



未分類 | 20:21:51 | トラックバック(0) | コメント(10)
認知の仕方が異なることへの配慮が不可欠(寄り添う難しさ)
ご訪問ありがとうございます。

眠れないので記事を書きます。
こういうパターンはあまり良くないと思いながらですが、
とりあえずの記録として・・・


ナカリの感覚過敏について、以前、
リンク先のponchさんが、同じ当事者として、コメントで的確に表現してくださったのですが、
昨夜、久しぶり(でもないか・・・)のパニックに直面して、改めて、
今の彼女にとって、外からの刺激は「痛覚」でしかないのだ、と、深く反省させられました。


自他境界が曖昧な彼女にとって、
情報がフィルターなしに押し寄せてくる中で、
直近の関心事に関わる内容があると、それだけが突出して「刺激」として突き刺さり、
全体をバランスよく見渡して、スル―する情報と取り入れる情報を取捨選択する、
という理解の仕方が極めて困難です。

なので、
この間、特に意識的に、外からの情報を遮断。
そのうえで、基本、私の方が先回りして情報の内容を把握した上で、
ナカリに伝えるべきこととそうでないことを取捨選択して(=フィルター機能となって)から、
極力「刺激」を避け、やわらかく、良いことだけを提供する、
という方針で寄り添ってきたつもりでした。

が、
昨夜はつい油断して、「良かれと思って」
自閉症についてのテレビ番組を「一緒に」見せてしまったのです。

最初のうち、興味深く見ていたナカリで、
一緒にあれこれ話しながら、笑顔も出ていましたが、
登場する当事者の人たちに、恋人がいたり配偶者がいたり子どもがいたり
という点にフォーカスしはじめたところから、その他の情報を一切シャットダウン。
「他の人みんな相手がいる、私だけずっと一人だ、外の人みんな私を傷つけるから大嫌い!
話せない私の苦労なんて誰も分からない!私が一番苦労してる、他の人みんな死んでしまえ!」

と、パニック状態に。
以前と同じく、
「みんな愛し合ってるなら、なんで戦争するんよ!戦争起こりそうやんか!」
(→時事ニュースも、こういう形で突然フラッシュバック)
「愛」「家族」をキーワードに、次々と連鎖爆発を起こして大炎上


こういう時には、嵐に巻き込まれないで冷静に穏やかに対応することが必須なのに、
自分の読みの甘さが招いた事態という失敗感に加えて、
受けとめる側の許容量をいきなりオーバーした爆発度合いとエスカレートする言葉に、
こちらも思わずキレて、投げやりな自己否定に陥り、
一気に地面に叩きつけられた状態での怒鳴り合い・・・となりました。
(それでも、やはり、暴力に訴えない、モノを壊さない、程度になったのは大進歩なのですが)


暴風吹き荒れたあと、
いつものように、泣きながらでも擦り寄って来るナカリの言葉、
「お母さんを悲しませてばかりで、ごめんなさい。
スル―出来ない私がいけない。お母さんは悪くない。
大好きよ。お母さんがいないと生きていけない」

・・・を、
すぐに受け入れることができず否定してしまう自分自身がつくづく嫌になり、
過去何度となく反省を繰り返しながら、それを生かせていない事実を前に、
果てしなく落ち込んでしまいました。


回復に、少し時間が必要そうです。

壁ではなく階段と思って。
ジェットコースターじゃなく登山電車と思って。
自分を責めないで。
投げ出さない、諦めない、逃げ出さないで。
幸せになる、んじゃなく、幸せに過ごす、を心がけて。

いろいろな形で励ましたり助言したりしてもらったことを必死で思い出しながら、
なんとか踏みとどまっています。


泣いても笑っても、時間は過ぎていくから。
眠れなくても、生きている限り、朝は来るから。



夜にメールを書いたら一晩寝かせて翌日推敲を重ねてから送る、という息子に学ばない母は、
夜中の記事をアップしてしまいます。
気の重い内容になって、すみません。
(誰より、ナカリに。素直になれなくてごめんなさい。)

書いて、少し吐き出せたので、休みます。
明日は(今日より)明るい日、のはずですから。


読んでくださって、ありがとうございました。




子どもの日常 | 04:21:37 | トラックバック(0) | コメント(8)
「告知とカミングアウト」について、再び
ご訪問ありがとうございます。

今日は親の集まりで、久しぶりに若いお母さんたちに会ってきました。

支援学級在籍児童の人数が急増する中、保護者会の取り組みも多様化し、
市内全体で400人を超える会員を抱える連合PTAでの議論は、なかなか大変そう。
学校ごとに、また、子ども一人一人、事情が違うので、
一律に大きな団体として動こうとするのは無理がある様子もうかがわれ・・・。
でも、市のすべての小学校の支援学級を網羅する横組織があること自体、貴重だし、
長い歴史を重ねてきた連合PTAなので、
今後も、無理のない範囲で、がんばって活動を維持してほしいなあ、と、
応援したい気持ちを新たにしました。


で、
その連合PTA主催の冬の学習会(ナカリの体験談も伝える予定)について、
担当小学校の後輩ママとお話できました。

こちらから一方的に体験談をお話しするのでなく、
出来るだけ、現役小学生保護者の方々が知りたいことに応えたいと思い、
再度、当事者からどんな事を聞きたいかを、確認したところ・・・

「本人自身の障がい(他の子との違い)の自覚は、いつ頃どのように?」
「親は本人にどう打ち明けたのか?」
「本人が自分の障がいを知った当時の気持ちは?」
「どこでつまづいて、その経験をどう共有したのか?」


身が引き締まりました。

今回の学習会で体験談をお話しする、ということを決めたいきさつは、
もともと、
今の段階で改めて過去を整理し直し、当時の気持ちを文章にできたら、
ナカリが次に進む一助になるかなあ、という気持ちと、
少しでも、後輩の役に立てたら、という気持ちから、
まず私が引き受けて本人に説明して了解をもらった、という形で、
過去記事でも、イラスト入りで過去の自分を振り返る文をかけたらな、とか、
ごく最近まで前向きに考えていることを書いた記憶があります。

が、
いざ、実際に文章にまとめていこうと、昨日、本人にアプローチしたところ
ナカリにとって、学校時代は小中高全部が、基本、「黒歴史」なので、
振り返りの作業自体が、なかなかハードなものになりそうな気配が感じられました。
少し話題に出すと、
「(昔の)自分キライ」→「自分のこと好きになれない」→「自分で自分を傷つけてしまう」
という流れになりそうで、危なかったです。
そこで、
新たな文章を書いてもらうことを諦め、
過去に本人が書いた文章を後輩保護者の皆さんに見てもらうことを含めて、私に「丸投げ」してもらう形にして、
今日、後輩ママにも相談しながら内容を固めていこうと思ったのでしたが。

今からドキドキです・・・


帰宅してから、当日の資料を検討する過程で、
本人への告知、と、併せて、周囲へのカミングアウト、について、
ブログを始めて間もない頃に、記事を書いていたのを思い出して、読み返しました。

「告知」と「カミングアウト」


両親ともに、まだ健在だった頃の記事です。
もうずいぶん昔のことのように思ってしまって、
ナカリと、こうしたやりとりができていたことにも、今になって感慨深い気がします。

その頃のナカリと、今のナカリ。
ちょうど2年半くらい前のやりとりですが、
この間、いろいろな出来事があって、ナカリの心の状態にも変化が見られます。

今現在の状態を維持する、できるだけ前を向いて行く、ということを意識しながら、
過去を振り返るのは私(親)だけの作業に限定し、これから仕切り直して準備しようと思います。

とてもデリケートで、個別の問題で、難しい課題ですが、
この機会を大事にして考えたい・・・です。

自分自身の頭の整理のための記事になって、すみません。


今日の午後は、ナカリと一緒に体を動かすゲームをして、
夕方には近所の散歩に行きました。
穏やかな時間。一緒に歩ける、話せる、幸せ。

夕焼けが綺麗で、歩いているうちに、夜空になり、三日月が2日前より太ってるね、と話しました。
2017年9月の夕焼け


考えることも大事だけど、何にも考えないで、ぼーっと過ごしたり、体を動かしたりも大事。
適度にバランスをとりながら、ゆっくりいきます。


読んでくださって、ありがとうございました。



思い出 | 19:56:41 | トラックバック(0) | コメント(8)
1999年のダイアリーから
ご訪問ありがとうございます。

今日は、ナカリとコラボ作品作り。
(ナカリの昼寝中は庭仕事)
夕方、久しぶりに二人で散歩。
・・・と、ゆっくり過ごしました。

テレビ無しの、静かな夜です。
で、
リンク先の「吉報配達ブログ」でスケジュール帳の話を読んだので、
今の形で日々の記録を兼ねたスケジュール帳を買い始めた最初の年、
1冊目の、1999年のノートを、めくってみました。
(ノートの山は、年金申請の時に、役に立ちました)

記録ノート CIMG0196

秋からナカリと母子通園施設に通い始めた1998年。
その年の12月16日に購入、とのメモ。
「何度も書こうと思いつつ先延ばしにしてあったナカリの育児記録を今度こそ書こうと思い日記を購入」

日々のナカリや息子の様子が書き綴られていて、なつかしいです。

----------------------------

1月
「・・・寂しいというか、腹立ちも含めて、さむーい風が吹き抜ける感じ。
なんでかなあ。
しつけ、とか、ことばづかい、とかで・・・ほんとにモヤモヤする思いで。
子どもは可愛いけど、大変、と、つくづく思う。
こんな感じじゃ、やっぱりしんどいなあ。
あまやかし、なんやろか、やっぱり。」

2月
「夜中に、たすけてー、を何回も言ったり暴れたり私の髪を引っ張ったりで、寝かせてくれず」
「ごちまてで(ごちそうさま)、と両手を合わす」
「冷蔵庫を開けて、みどりみどり、と言う。
ワサビはダメと言うと、冷凍庫からミックスベジタブルを出して食べると言うので、ご飯に混ぜて食べさせる」

3月
「あぶくいてー(意味不明)」
「みっちゅ、さんさい、が言えるようになる」
「ぽぽちゃん(人形)をだっこして抱きしめる」

4月
「言語指導(療法)を申し込んでみる」
「おんぶ、と言うので、ねむいの?と聞くと、ナカリちゃんねむくった、と言う」
「かたつむり、が、どうしても言えない。かたまつり」
「あーあーあーあー、と何か伝えたそうに怒って言うことが増えた」

5月
「だっこした(だっこして)」
「だーぶーて?(だいじょうぶ)」
「ショートステイを申し込んでみる」

6月
「あびくよおー、おもいだっと(意味不明)」
「公園の水たまりに小石や砂を投げ入れ続ける。
マンホールと側溝の上に乗って遊び続ける。
踏み切りに走っていこうと騒ぐ、止めると大泣きして暴れる。
室内に入らない、靴を脱がない、泣き続ける」

7月
「(通園施設で)泣きながら体重計に自分から一人で乗る。
 葛藤が見える!ナカリのターニングポイント!」
「夜、何か分からないけれど、楽しそうに歌を歌う。
〇〇ちゃん〇〇ちゃん、どこいちぼ?(どこいます)」
「いたまたて(いただきます)」

8月
「ことばがハッキリしてきた。こんには、おかいな」
「すごーいビール、がんばれビール????」
「私がメガネをかけたら、めがねただいま。お茶がこぼれたら、お茶おちた」
「はやく、じぶんで、とよく言う→私が言ってるのかな」

9月(母子通園施設を退所して、地域の保育所に移る。息子も学童に入る)
「どちぶんばん、いききっき、いききっき(意味不明)」
「夜中、つづけて3時前後に起きて泣く」
「おんぶすると、おもたいねー。ゲームを見て、どっちもがんばれー」

10月
「いこう、こっち、と、指さし、手を引く」
「息子・・・ナカリちゃんの知らないところで、おれはいっぱいがまんしてるんやで」
「おとーさん、あれ、いないなー、どこいなかー、あった」
「お母さん大好き―」
「息子・・・ナカリちゃんは障がいがあるの?ぜったい?かおとかゆがんでないのに?」
「怒ると、お母さんこわいー、と言う」
「まってね、に、はーい、が言える」

11月
「(人に対して名前を聞くときも)これなあに?あれなあに?」
「はさみ、か~わい~ね~。ピンクかわい~ね~(何でもかわいい)」
「自転車が倒れたら、あーたおれた、いたかったね、だいじょうぶ」
「やたら走り回らないで、ちゃんと散歩ができるようになった」

12月
「ちりめんじゃこを指して、ちっちゃいおさかな」
「自分からこけて泣いたのに、ごめんなさい」
「〇〇がなくて探してほしい時、〇〇あった、と言う。
ないねー、やで、と言っても、繰り返し、〇〇あった、と言う」
「キャラメルを、ピンクと赤とかわいーね、と言うので、食べるの?と何回も聞くと、食べるの。
なら、あけて、って言うの→あけて。
2個目を持ってきて、ピンクかわいーね。何て言うの?と繰り返すと、あーけーて」

------------------------------

・・・はしょりながら振り返ってみて、小さいナカリや息子の姿が目に浮かびます。
ダイアリーのおしまいの方は、読んだ本や聞いたお話の記録。

「福祉というのは、お金でも施設でもありません。それは、ふれあい、出会いです」
という1文があって、改めてそうだなあー、と思ったのでした。

ふ~。
ここからスタートして、長い道のり、ここまで辿り着いたんだもの。
大きな成長だなあ、としみじみ。
だから、未来も、明るく考えて行こう。
明日からの1週間も、がんばろう!

長々読んでくださって、ありがとうございました。




思い出 | 22:21:46 | トラックバック(0) | コメント(10)
2000年以上前の戦争の記録から
ご訪問ありがとうございます。

この間、少しエネルギー切れですが、
息子と話をする中で、西洋古典を読みたいと思い、
中央公論社の「世界の名著 5 ヘロドトス トゥキュディデス」を手に取って、
少しずつ、読み進んでいます。

カタカナ文字(地名、人名)に、なかなか頭がついていかない状態ながら、
いろいろと、きな臭い昨今、2000年以上前の戦争の記録に、
時を経ても、戦いがもたらす悲しみは変わらない、と、考えさせられます。

できるだけ
美しいもの、楽しいこと、に、意識的に、目を向けようと思ってはいるのですが、
「戦史」を読んだ後、心に残った場面が強烈で、
歴史に学ぶためにも、古典を引き継ぐことは大事だと思うし、
書き留めることで、さらに心に刻みたい、という気持ちで、記事にさせていただきます。

ふりかえると、
世界史は苦手で、暗記を強いられて反発したのもあって、
若い頃は、原典などほとんど見向きもせず、
この年になって、もったいないことをしたなあ、と・・・。
残された時間に、少しでも読んでみたいです。


トゥキュディデス「戦史」久保正彰・訳 巻7の後半
シュラクサイの戦いで大敗北を喫したアテナイ軍の撤退の様子

-------------------------------

退陣せんとするものたちは多数の船をことごとく失い、
大いなる抱負は失せて自分らはもとより祖国をも危機におとしいれただけではなく、
後にする宿営地には各人の目を刺し心を貫く痛ましい光景が横たわっていた。
戦死者の遺体は土をかけられることもなく横たわり、
人はおのれの縁者友人が倒れ伏しているのを見るたびに、
恐れと痛恨の交錯した気持ちに突きおとされた。
さらに負傷や病弱のため、
生きながらに遺棄されていく戦友たちの姿は、
生きているものらにとって、
累々たる屍体よりもはるかに耐えがたい苦痛を与え、
五感を失った死者よりもさらにみじめな訴えを去るものらにむかって放った。
かれらは嘆願し、涙ながらの訴えをつくして人々を絶望に追いやった。
仲間や縁者の姿を見つけるたびに、
どうか自分たちも連れていってくれと一人一人にむかって声を放って助けを求めるもの、
同じ宿舎にいた戦友がやがて立ち去ろうとすると、
その肩にすがりついて力のつづくかぎりはそのあとに従うもの、
だがその気力もたちまちにつきはてて、
最後の息で神を呼び悲嘆の声を放って落伍していくもの、
そのためついに全軍の将士は涙にみたされ、
いかんともすべき力を失って、
今は敵地から脱出すべきことも、
涙ではつぐないきれぬほどの大損害をすでにこうむっており、
まだこの先定かならぬ道中でこうむるやもしれぬと恐れていることも、
みな忘れて出発はただ遅々としてはかどらなかったのである。
そしてついに果てしない幻滅感と自責の念がかれらを押しつつんだ。

--------------------------------

2000年の時を超えた鎮魂の気持ちを、映画プラトーンで使われた音楽に重ねて。
サミュエル・バーバー 「弦楽のためのアダージョ」


暗い方向に考えるのではなく、先人の経験の上に今があることに感謝しつつ、
少しでも明るい方向に向かって進めますように。

明日はナカリと2人きりの休日なので、ゆっくりたっぷり遊ぼうと思います。







読んだ本・文章、見た映画・ドラマ、聴いた音楽 | 22:11:43 | トラックバック(0) | コメント(10)
お彼岸に「親の不在」を考える
昨日は、お休みデーとなりました。
更新できず、訪問もわずかしかできなかった中、
ご訪問いただいたみなさま、今日もありがとうございます。

一昨日、ラジオニュースで「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉が流れたので、
ナカリに、お彼岸って分かる?と聞いたところから(知りませんでした)、
彼岸花って知ってる?とも聞いてみて、
知らないというので、絵を描いたり写真を見せたりして、
おばあちゃんは花の名前に詳しかったよねー、と思い出話になりました。

そして、昨日、ナカリが当事者会をお休みして空いた時間に、
私一人で耳鼻科に通院、帰り道に、田んぼのわきで彼岸花が咲いていたので、
ナカリに見せよう!と写真を撮って帰りました。

彼岸花

一気に秋・・・の感じです。

昨日の朝日新聞「折々のことば」の文章にしみじみしたのもあって、
両親のことを懐かしく思いだしました。

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折々のことば 鷲田清一 880回 2017.9.21

美味しいもの、美しいもの、面白いものに出会った時、
これを知ったら絶対喜ぶなという人が近くにいることを、
ボクは幸せと呼びたい
               燃え殻

会社員作家の小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』から
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母が体が弱く、私が一人っ子だったこともあって、
我が家は親子の距離がかなり近かったです。
そして今、娘や息子との距離も結構近いと思っています。
「近い」内容は、この文章の感じなんだ、と、改めて感慨深い気持ちになりました。

いつか親は先に逝くから、その時、
子どもたちにとって親以外に「近い」存在ができていたらいいのにな、
と、先取り不安も感じながら、
でもやっぱり、今ある幸せをかみしめないとなあ・・・


両親が植えた庭の姫リンゴが色づいて、ひとつは台風で?落ちてしまい、
ひとつは一昨日剪定中にポロリと落ちてしまい、思いがけず収穫?、となりました。
2個とも鳥につつかれることなく、虫にも喰われないで、つやつやと綺麗に輝いています。
最初に木の枝に実を発見した時、ちょうど2個あって、
父と母とが様子を見に来てくれたような気になったのも思い出しながら、
医者の予想を超える年齢まで生きた母と、
外科手術の失敗がもとで思いがけず母より先に逝ってしまった父の姿が、
手元にあるリンゴに重なって見えた気がしました。

姫リンゴ収穫

形はそれなりに立派ですが、親指程度の小さな姫リンゴです。
切って食べてみようかと思いながら、あんまり可愛いので、置いたまま眺めています。


両親とも、教会で告別式を行い、「国籍在天」の墓碑のもと眠っていますが、
生前は、長男の家として祖父母の仏壇を守って、折々に供養をしていました。
宗教は違っても、亡くなった人を想う気持ちは通じていると思います。

気になるとネットで調べてすぐに答えが得られる時代・・・
両親が送ってきた百科事典は、先日断捨離でリサイクル(全部で200円!)したばかり。
お彼岸、で検索して出てきた記事によると、


>「彼岸」は仏教用語です。

>仏教では、今私たちがいる煩悩や迷いに満ちた世界を「此岸(しがん)」といいます。
>この此岸にある者が六波羅蜜(ろくはらみつ・菩薩になるための方法)の修行をすることで
>煩悩や悩みの海を渡って辿り着く悟りの世界を「彼岸」といいます。

>お彼岸は、極楽浄土に想いを馳せ、より彼岸に近づけるよう修行をする期間といわれています。

>また、彼岸は西、此岸は東にあるので、
>秋分と春分は太陽が真東から昇って真西へ沈むことから、彼岸と此岸が通じやすくなると考えられ、
>先祖供養をするようになったそうです。

今年の秋のお彼岸は、9月20日が彼岸の入り、秋分をはさんで26日が彼岸明け、だそうです。
週末には、夫が単身帰省して、亡くなった義父の一年祭について、相談してくる予定です。
夫の実家も、神道なので、仏教行事にはご縁が無いようですが、想いは同じ、ですね。

いのちを考えることは、やはり、厳粛な気持ちにさせられます。
息子が学んでいるラテン語の「メメント・モリ(死を忘れるな)」です・・・。
この数日は、修行、のつもりで過ごしたいと思います。

以前にもアップしたことがあるかと思いますが、
帰省中、息子が練習していたリスト編曲のバッハ。
「オルガンのための前奏曲とフーガ イ短調」
拙いながら、憧れて、ちょっとだけ私も練習中…回を重ねれば少しは弾けるようになるかしら。






読んでくださってありがとうございました。





思い出 | 10:32:57 | トラックバック(0) | コメント(6)
お休みすることは悪くない
ご訪問ありがとうございます。

今日は、小学校の支援学級で一緒だったお友達と親子2組で外食しました。
子ども同士が会うのは久しぶり。
一緒に車に乗っていても、おしゃべりするのは、専ら、母同士。
ナカリはほぼ無言です。
でも、それを、そのお友達はいい感じに受け止めてくれたみたいで、
別れてうちに帰った後、お母さんに
「ナカリちゃんが穏やかで感じよくて嬉しかった。また行こうね」
と話してくれたみたいで、
それを聞いたお母さんから、「私も嬉しくて」と、メールをもらいました。

じーん。

夜には、アートの先生からも、
写真を撮り忘れたので写メールをお願いします、とのメールをいただいたので、
昨日から何度も親子で、実物や写真を見直しては、すてきね~と、嬉しい気持ちに浸っています♪
と、写真添付してお返事したら、
「私も嬉しい気持ちいっぱいです」とお返事いただき、
じーん。

・・・で、
明日は当事者会ですが、
内容が、今年後半の予定を決める話し合い、の予定なので、
ちょっとプレッシャーなナカリが
「みんなでトランプする、とかできない」
「何がしたいですか?と聞かれても答えられない」
と、気が進まない様子に、
じゃあ休もうか、と、こちらから提案し、
今日のうちに、欠席の連絡を入れました。

「ごめんなさい」を連発するナカリに、
疲れたときは休んで構わないんだよ、と、何度も繰り返して、
「誰も悪く言わない?」という不安を打ち消しています。

そう、そう、
休んだってかまわないんだよ(^-^)

大切なのは、自分の心と体の安定。
なんにでも動揺してしまって、すぐに疲れてしまう、・・・だからこそ、休憩は必要!

私も、無理せずに行こう。

今日は、
リンク先のsrpさんに教えていただいた、銀色夏生さんの詩集「夏の森:角川書店」を読んで、
じーん。
さらに、益田ミリさんと武田砂鉄さんの「せいのめざめ:河出書房新社」を読んで、
この年で改めての発見&思春期の揺れる心のあれこれに想いを致して、
そこでも、じーん。
加えて、NHKFMで、チャイコフスキーのセレナード、ハ長調、作品48が流れてきて、
じーん。

こころがいっぱい震えました。

とにかく、マイペース、マイペース・・・。
嬉しいことをしっかり味わって過ごそう、と、しみじみしている夜です。


小澤征爾さん指揮のセレナード






子どもの日常 | 21:59:39 | トラックバック(0) | コメント(16)
想像の世界とのつきあい方・・・肖像画が完成
ご訪問ありがとうございます。

まだまだ思春期真っ只中という感じ?のナカリです。
心と性の問題は複雑かつデリケートなので、
親子では難しいところをカウンセラーさんにも手助けいただきながら、
それでも、今のところ、やっぱり一番話せるのは母娘の間のようなので、
二人それぞれお互いに試行錯誤しながら、
危ない崖のへりを恐る恐る歩いている状態です。

目に見えない心の世界を生きているナカリにとって、
自分が生み出したキャラクターを恋人にして満足・・・なのも確かなことなのですが、
一方、健康的に発達している体の欲求が想像だけでは満たされない、というのも事実で、
それを「お話」しながら解決していくのは本当に大変です。
なんとかモヤモヤをスッキリさせたいけれども、
もうひとつしっくりこない、寂しさがこみあげる、
動植物にも雄雌があるという話を聞いただけで涙ぐんでしまう、
アメーバ―のように分裂して増えていく生物の話をしたら、
どうして人間もそうじゃないのかと、思ってしまう、
進化の話なんて聞くと、さらに苦しくなってしまう・・・

うーん、うーん、と、唸りながら、荒波を乗り越えている感じです。
ちょうど、今日の朝日新聞大阪版夕刊「女子組」で、
「AVの影響 読者からの声」という記事が載っていて、
読んだ私はさらに複雑に思いを巡らせ、
ナカリに伝えるべき情報と、伝え方とに細心の注意が必要、とプレッシャー。


とりあえず、今日は、アートの先生に引き続き家庭訪問いただいて、
カゲウラさんの肖像画を完成させたので、
ナカリと一緒に、それを眺めながら、想像の世界に浸ろうと思います。

カゲウラさん肖像画完成

アートの先生とは、帰りがけに、大人二人で
絵を描くことの楽しさと同時に苦しさについてお話しすることができ、
先生ご自身、自分の描いた絵を破ってしまうことが有る、とお聞きしました。
(ナカリも、何度も、自分のイラストを破っています)
人物画は特に難しい、とも。
描いたものを自分が見ることができる=他の人も見ると意識する
→他の人の評価が気になると、描けなくなる・・・
そういう部分もあって、この最近は、ナカリが黙々と描いている横で、
できるだけ口をはさまずに見守ってきてくださったそうで、
ひとつ完成できた喜びを一緒に感じてくださり、感謝でした。

この「カゲウラさん」、大事にしたいです。

あと、
時間があったので、次回からの画材をパステルにしよう、という話から、
指で広げるのが少し苦手というナカリに、化粧用パフを使うことを提案してくださり、
今日、少しだけ試してみました。
虹のような背景ができた後、しばらく考えて、ペンパステルで描き足して完成した絵です。

2017年9月19日パステル画

なんだかふしぎな感じの絵になりました。
ひとつひとつの作品に、ナカリの今の心が現れているのかな。

表現活動、って、心を開放する力もあるみたい。
ナカリと一緒に絵を見ながら、すてきねえ~(^-^)と見入っていると、
ふしぎと心が落ち着いてきました。
すてきねえ~~と繰り返すと、
「ほめてくれてうれしい」と、とても穏やかな笑顔のナカリです。

脳だけが過活動にならないように気をつけながら、
ゆっくりほわんとした気持ちを持てるように心がけたいです。

一緒にナカリの作品を観てくださってありがとうございました。



ナカリの作品 | 18:13:02 | トラックバック(0) | コメント(10)
小学2年生のナカリへの手紙
ご訪問ありがとうございます。

台風の接近とともに風が強まり、だんだん空が暗くなってきました。
九州、四国方面では、雨も大変なようです。
農業、漁業関係の方たちのご心配はどんなだろうと思いながら・・・
久しぶりに家族4人そろって自宅にこもっています。


ナカリはちょこちょこお腹が痛くなりますが、
昨日今日、何とか無事です。

今朝、
保育所時代からのナカリの幼馴染のお母さんと、
ほんとに何年かぶりにラインでやりとりできました。
少し前に、作業所で働く娘さんに会えたことを伝えたら、
娘さんの方も、「ナカリちゃんのお母さんに会った」と話してくれてたみたいで、
それがとても嬉しくて、
「〇〇ちゃん、ナカリのこと、ちゃんと覚えてくれてるよ」と伝えたら、
ナカリもとても「いい顔(^-^)」をしてくれて、
それがさらに嬉しくて、
昔の事をいろいろ思いだしてしまいました。


今は息子がピアノを弾いているので、
ナカリもリビングに戻ってきて、絵を描いています。
夫は本を読んでいます。

・・・ということで、私にも少し時間があるので、
小学2年生のナカリに書いた手紙を転記してみますね。
(ナカリの机のテーブルマットに、ずっと挟んだままになっていたものです)

ちょうど小2から小3に進級する少し前。
私が盲腸をこじらせて腹膜炎で救急入院&手術したあと、1カ月自宅に戻れず、
待機中だった他市の療育施設に小3の4月から通うことになったのに、
その準備を夫や父に任せるしかなくて、
病院でハラハラしながら、ナカリに宛てて書いた手紙です。

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ナカリちゃんへ

ナカリちゃんは支援学級の子だけど、はずかしいことじゃ
ありません。
ナカリちゃんは、とてもがんばりやのいい子です。
だれでも、にがてなこと(うまくできないこと)や、とくいなこと
(じょうずにできること)があります。
支援学級の子が、なんでもぜんぶ、できないわけではありません。
教室の子より、じょうずなこともあるし、教室の子におしえて
あげることもできます。
でも、にがてなこと、できないことは、支援学級の先生に、てつだってもらいます。
ナカリちゃんは、友だちの言いたいことや、話したいことがわからなくて、
急にかなしくなったり、はらがたったりして、自分のきもちをうまく
言えないときがあります。そんなときは、先生やお母さんにたすけて
もらってください。
3年生になったら、すこし遠いところに、でんしゃにのって、ときどき勉強に
いきます。がんばろうね。

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小さかったナカリが目に浮かびます。
入院期間が2月から3月にかけてだったので、
息子の中学入学準備も夫に頼んで制服の採寸に行ってもらったのも思いだしました。
ナカリの学童保育の迎えは、友達のお母さんたちに助けてもらい、
療育施設の事前訪問は、実家から駆け付けた父に行ってもらいました。
家事の一切は、母が引き受けてくれました。

ほんとに、一人ではナカリを育ててこられなかった。
小さい頃から今の今まで、いろんなことがあった。
たくさん泣いて、たくさん怒って、たくさん笑って・・・。

それは、きっとどんな子育てでも、そうなのだろうけど、
先々の心配の度合いは、子ども自身にハンディがあるだけに、とてつもなく大きくて、
自分とは異なる人生を歩むだろう我が子のことが心配で不安で、
時に押しつぶされそうになりながら、それでも何とかやって来れたことに、
今また改めて感謝の気持ちでいっぱいです。

ひとつ前の記事にコメントをいただいた馬場さんの「吉報配達ブログ」より。

>・・・主人公にまだ乳歯が残っていることに気づき、抜歯しました。
 それからあとの歯が早く生えてくるよう、こんなおまじないを唱えます。

 「自分が大きくなるときに、誰に遠慮がいるものか。
 ねたみひがみは蹴散らしてゆけ」


 新しい歯の萌芽を励ますのです。


 「心はいたるところにありますよ」
 もじもじ行動できないとき、自分の身体のひとつひとつを励ましていくのも、
 ひとつの方法だな。



・・・
乳歯が大人の歯に生え変わるように、
1枚1枚、殻を脱いで、脱皮して大きくなっていくように、
この世の中に出ていく力を、少しずつ、身につけてきたナカリ。
この先も、
(情報過多にならない程度に)いろんな人から得た貴重な情報を伝えていきたい・・・
たくさんの出会いに感謝しながら、嵐が近づく予感の中、しみじみ思っています。


風がますます強くなってきました。
自然の力の前には、人間ができることって、わずかなのだと思わされます。
知恵を絞って備えをして、みんなが、無事にやり過ごせますように。


ちょっと感傷的に書いてしまった昔話を読んでくださり、ありがとうございました。







思い出 | 16:15:06 | トラックバック(0) | コメント(10)
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