■プロフィール

ナカリママ

Author:ナカリママ
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

■最新記事
■最新コメント
■月別アーカイブ
■カテゴリ
■FC2カウンター

■リンク

このブログをリンクに追加する

■フリーエリア
■フリーエリア
■フリーエリア
■フリーエリア
■検索フォーム

■ブロとも申請フォーム
■QRコード

QR

小学生の娘に、自分の障がいと向き合うよう求めて、良かったのか…
ご訪問ありがとうございます。

ご縁があって、
娘に、自分の小学校(中学校)時代のことを書いてもらう話が進んでいます。

<自分の障がいについてどう向き合ってきたか、どんな体験をしたか、どう思った(乗り越えた)か>

後輩小学生の保護者の方々が、
「当事者の話を聞きたい、思いを知りたい」と、
自分の体験や思いを話せる先輩を探しておられる、と知ったからです。

事情を伺うと、
ある療育施設の勉強会で、子どもの当事者さんから、
自分自身がパニックになる時の様子を、
「お湯が沸騰してお鍋の蓋が飛ぶ感じ」といった表現で聞く機会があったそうで、
そんな風に、子ども本人の気持ちを具体的に知りたい、学びたい、
・・・と、出てきた話だそうです。

その話を聞いた私は、
先輩保護者として、協力できるなら力になりたい、と、
自分から進んで娘に働きかけてみました。
私が引っ張ったら、娘は嫌と言えない、と、分かりながら・・・です。

くれぐれも無理はしないでくださいね、と後輩ママも言ってくださったし、
「無理強い」したつもりはないし、
昔「Watashi」という冊子を作った際にも、
似た立場の人の力になりたい、理解を広げるために発信したい、
という思いが、本人にもあったので、
これもいい機会かな、と思ってのことでした…

が、
結局、
過去と向き合う作業は、簡単ではないと分かりつつ、
私自身も娘の気持ちを再度確認したい、その作業を一緒にしたい、という気持ちで、
まず先に引き受けてから、娘を「説得」した形、になりました。

ただ、
ナカリの場合、直接話すのは難しいので、
文章だけ届ける形にして、
自分の言葉で話せるよ、という友達にナカリの分も代読してもらうよう、お願いしています。

まだまだ先の話なんですが・・・

そのとき、に向けて、
少しずつ、私からナカリに昔の思い出を尋ねながら、
準備を始めました。




振り返ると、
ナカリに、
「あなたは自閉症なんだよ」
ということを伝えたのは小学4年生ごろなのですが、
彼女の中で、それがどんな風に「消化」されていったのか、
今になって、
「本人告知」を焦った自分の失敗だったんじゃないか、とか、
いや、
過去を変えることは出来ないんだから、あれはあれで良かったんだ、とか、
ナカリに尋ねながら、
自分自身の心が揺れ動いています。


当時、私は、親として、
我が子に対して、
いわゆる「障がい受容」というものを、
かなり意識的、積極的に求めようとしていました。

大人の発達障がいが注目され、
当事者からの発信も増えはじめ、
「本人告知」がプラスになる、という事例も聞こえ始めた頃でした。
告知関連の書籍も出版され、
子どもの本人向け書籍、も見かけるようになっていました。

ナカリが通う小学校でも、自閉症児のお母さんから、
「じへいしょう」って、どんな障がいか、を学校全体で(低学年、高学年に分けて)聞いて、
家で親子で話し合う、という企画があり、
NHKの番組でも、
佐賀や東京での取り組み(クラスの子へのカミングアウト)が紹介されたりしていたので、
それを親子で一緒に見ながら、本人に「あなたもそうだよ」と説明したのです。

※ こう書いたら、
  ADHDだと告白したモデルの栗原類さんが、
  子どもの頃、アニメを見た時に、お母さんから
  「あなたはあのキャラクター(忘れん坊)と一緒なんだよ」と説明された、
  という話と重なる気もしてきました。


そうやって、障がいについて話をした時点では、
ナカリは「自閉症」を、悪いこと、とはとらえていませんでした。
教室を抜けて、支援学級で勉強することも、
「がんばるから応援してね」と、イラストを描いて、
クラスの保護者向けに配ろうとしたこともありました。
(この時のことは過去記事に書きました)

でも、結果的に、
「私は自閉症だから、云々(マイナスのことが起こる、等)」
といった発想パターンを作り上げてしまったのではないか、
…という後悔もあります。


「たら、れば、話」は建設的でないですが、
もしも、
こうしたことを一切しないで、
「障がい」という話題を極力避けて、
本人から何か聞かれても、すっとぼけて、
知らん顔して「普通に」過ごすように誘導していたら…。


うーん。

それでも、
「自分だけ周りと何か違う」という気づきの時は、きっと訪れたろうから、
やっぱり、何らかの説明は、どこかの時点で必須だっただろうなあ。

なんにしても、「正解」はない。

そのときそのとき、
できるだけ、子どもにとって良いと思えることをやってきた。
それだけ、なんだけど。

正しかったのか?良かったのか?
と、自分に問いかけてしまう自分がいて、
しばらくは、気持ちの揺れが続きそうです。


保護者が「我が子の障がいを受容する」のと、
子ども自身が「自分のこととして受容する」のとは違うんだ、
ということについて、
まだ若かった自分は、あまり深く考えられていなかった気がします。
不必要なくらいに、深く踏み込み過ぎていたかも…。

障がいと向き合う・・・なんて、
とても一言では語りきれないよね。
おっきな問題を、小さな頃から突きつけてしまって、ごめん、ナカリ。



ちょっと、まとまらないままダラダラと書き綴ってしまいました。
すみません。
これ、しばらく継続課題です。

後輩のためにも、自分たち親子のこれからもためにも、
ゆっくり、じっくり、考えてみたいと思っています。

今日のところは、とりあえずの途中経過報告、です。
長々と読んでくださって、ありがとうございました。




思い出 | 00:18:30 | トラックバック(0) | コメント(3)
自閉っ子がハマるおもちゃ、ハンドスピナー
ご訪問ありがとうございます。

先日の親の集まりは、夏休み中の子どもたちも一緒に参加してにぎやかでした。
学生ボランティアさんたちに保育をお任せして、母達はおしゃべりしていましたが、
小学生の男の子たちに、お気に入りのおもちゃ、ハンドスピナーを見せてもらいました。

回るものが好き、という自閉っ子が多いので、確かに、このおもちゃ、ハマりそう・・・



他のママたちも「どこで売ってんの?」「いくら?」と興味津々。
買ったお母さんが「500円やで~」と言うと、
すかさず横からお子さんが「498円!」と訂正(さすが数字に細かい!)
手のひらサイズなので、どこにでも持って行けるし、一人遊びできるし・・・
ということで、重宝しているそうです。

検索してみると、もともとは筋力が弱い病気の子どもさんのために開発されたとか。
自閉症の子にも人気というのは、先に流行しているアメリカでもそうみたいです。

ちょっとしたことだけど、
子どもが小さい頃、外出先での「待ち時間」をどう持たせるか、
昔も、みんなそれぞれ、いろんな工夫をしていたのを思い出しました。
常に迷路と鉛筆を持ち歩く、と言ってた人や、折り紙や、携帯ゲーム機や・・・
当時、こんなおもちゃがあったら、きっと大活躍したんじゃないかと。
ああ、小さい頃の子どもたちと一緒の夏休みって、ほんとに毎日が大変だったなあ。


私たちが通った施設の同窓会として始めた、この、親の集まり。
1回目が1999(平成11)年の11月11日だったので、
この秋で18年になります・・・
18歳というと、障がい「児」が障がい「者」、に変わる年。
ほぼ毎月1回のペースで、我ながらよく続けてこられたと思います。
会費も会則も役員もなにもない、出欠連絡も必要ない、ただ集まるだけの場、
なので、参加者も入れ代わり立ち代わり・・・とにかくホッと出来る時間、を心がけ、
行きたい、行ける、人だけで、毎回、なんとなく、それなりに、しゃべって過ごしています。
言い出しっぺの私が都合つかない時には、誰かに頼んでやってくることができました。
感謝です。
略称「あいあいママの会」と呼んでいる、この会に、情報提供に来られた
放課後デイサービスを運営されておられる方が、「習字が趣味なので・・・」と、
プレゼントしてくださった額です。

額


ものすごく幅広い年代の子どもたちの親が一つの場に集まって話せる、って、
お互いに刺激になってありがたいです。
今回も、昔を思いだして懐かしい時間を過ごすことができました。
小学校低学年男子のエネルギーって、すごい! ママたち負けずに頑張って~!


追記

ナカリにもハンドスピナーの映像を見せたけど、
彼女はあんまり興味なさそうでした(^-^;)

でも、後輩ママの参考になれば、と記事にしてみました。
結構、大人がハマったりして(笑)






未分類 | 16:40:07 | トラックバック(0) | コメント(10)
友達からの久しぶりの手紙&当事者会スタッフさんからのメール
ご訪問ありがとうございます。

今日は月に一度の親の集まりで、
久しぶりに会えたお母さんから、ナカリ宛の手紙を言付かりました。

ナカリと同級生の、その娘さんとは、校区が違うけれど、
小学生ごろ文通していて、その後しばらく途絶えたのち、
メンタルの状態が似てきた高校生時代から文通を再開。
お互いに、上がったり下がったりの調子があるので、
親が間に入って、様子を見ながら手渡したり、郵便ポストを使ったりしながら、
近況報告や、イラスト交換(二人とも絵が好き)をしてきました。
ナカリにとっては、数少ない、継続した関わりをもてているお友達、です。

久しぶりのお手紙は、
ナカリが以前彼女に送った手紙に添えていたイラストを見て描いたよ、
という模写と、彼女自身の近況報告で、
お土産として、猫の小銭入れ(フェアトレードの品だそうです)も一緒に届きました。
小銭入れ
インド製です。可愛い~~~


親同士でお互いの様子を情報交換すると、
娘たち二人とも、「在宅」という罪悪感に苦しんで自分を責めてしまったり、
人間関係が苦手で、被害的に受け止めてしまったりするところが似ていて、
メンタルのお薬も、副作用が出ないよう気をつけながら慎重に管理して、
今は何とか小康状態、という感じ・・・など、共通点が多々ありました。

二人とも、同じアートの先生に習っているので、
作品展に絵を出品しよう、という話もそれぞれに進んでいて、
今年は一緒に出せそうだね(昨年はナカリが見送り、彼女一人で出品)、と、
楽しみができました(^-^)
親同士も、久しぶりに会って話せてホッとしました。


彼女宛のお返事に、ナカリが水彩色鉛筆で描いた夏のイラストです。
ハワイ生まれのベン君と、癒しのおばけ?ポリー君が、アイスを食べています。
ベン君とポリー君 アイス
ベン君、ちょっと大人っぽくなったなあ~


で、親の会から帰宅すると、
先日の当事者会のスタッフさんに、
作品展の要綱を送っていただいたお礼と、当事者会後の様子報告のメールを出していたのに対して、
丁寧なお返事が届いていました。

当日、一人で頑張った反動が、親子二人になった時に出たのだろうということ、
それを受け止めた私を労うとともに、次回も参加するという結論を出したナカリを、
とてもとても喜んで、ほめてくださいました。
そして、当事者会では、誰もが、最初は馴染むのに時間がかかること、
話せるようになるまで何年もかかった人もいること、
ナカリに声をかけたいと思っても、シャイで出来ないけれど、
ナカリが来てくれるだけで、スタッフも参加者も嬉しく思っていることを知っていて欲しい・・・
といった内容で、
ナカリにも読み聞かせてやりました。

ナカリは、素直に、そうだねえ、と、
一方的に思い込んでいたところを修正して、
緊張するけど、次回のかき氷づくりに参加する、
という気持ちを改めて確認したのでした。

成長したなー。落ち着いたなー。
有り難いなー。

アナログなお手紙、と、素早いメールと。
ふたつの「お便り」に、慰められ、力づけられた一日でした。




子どもの日常 | 19:41:13 | トラックバック(0) | コメント(6)
暑中お見舞い申し上げます
ご訪問ありがとうございます。

例の当事者会で、ナカリが描いた暑中見舞いはがきです。
暑い毎日が続いていますので、皆さん、ご自愛くださいね。
暑中見舞い


追伸
過去記事を読んでくださっている方たちに、感謝です。
自分も辿って見直しています。
私も、他の方々の記事を遡って読んでみて、
一つ一つの記事に改めて心動かされることあり・・・。
「書き残す」意義をしみじみ感じています。
ナカリにも、書くこと、を、勧めています。




ナカリの作品 | 10:31:59 | トラックバック(0) | コメント(14)
人と関わりたいのに上手く話せない辛さやストレス
ご訪問ありがとうございます。

ナカリはすっかり落ち着き、今は私に甘えてベタベタです。
彼女は基本的に、寂しがりやで、人と関わりたいんだ、と、改めて思います。
なかなか人を信じられないけれど、
心の底では、信じたい、甘えたい、仲良くしたい、と強く強く願っている・・・
その、切ないくらいの思いを感じ取れた時に、
一緒に切なくなり、また、心から愛おしく思えるのです。

人が嫌いじゃないはずなのに、「嫌いだ!」と叫んでいる時
言葉だけを受け止めて、イラッとしたり、
何で人の気持ちが分からないんだ、と腹を立てたりするのじゃなく、
それは、彼女の「悲鳴」なんだ・・・と、即時に受け止めなければ。


思い返せば、
小学校高学年まで積極奇異型の自閉っ子で、
同学年の女友達や、憧れのボーイフレンド、を求めて、果敢にアタック!
・・・結果、
「変わった子」と受け止められても仕方ないようなオーラを出していることに、
本人は気づいていない、
それでも、
なんとなく避けられている感じ、は、徐々にでも察知していったはず・・・。

自分なりに努力しているのに(たいていは、周囲の「模倣」)、
どうしてうまくいかないのか、どうして自分には「友達」ができないのか、
本人なりに悩み苦しむ日々だったに違いありません。

だから、教室に入れなくなり、支援学級でも居場所を見つけられず、
だんだん、人を避けるようになっていくのと並行して、
想像の世界に、次々とイマジナリ―フレンズやラバーズを生み出していったんだ、
と、パラレルワールドの「歴史」を振り返って、実感します。


リアルの人間関係は、彼女にとって、「分からないことだらけ」


今回も「何て言ったらよかったの?」と、素直に聞いてきました。
その場の空気を読みながら、自分の気持ちを上手く伝える、って、
やっぱり、
ナカリにとっては、ものすごくハードルが高い。

まわりの状況が分からなければ不安が高まり、
緊張すればするほど、まわりが見えなくなる。

「どこへ行っても私は外される、うまくいかない、一人ぼっち」
という言い方が出たら、黄色信号ですが、
今回の当事者会でも、
周囲の人たちが、気を遣って話しかけないでいる、そっとしてくれている、
という理解、受け止め方、ができず、
他の人は「みんな」馴染んでいる、「自分だけ」外されている、
ように感じてしまう・・・

疎外感、孤独感。
しかも、自分のコミュニケーション能力の低さが原因、と思うから、
よけいに辛くてイライラしてしまう。

「お母さんには自閉症の辛さなんてわからないんだ!」
「ナカリだって、自閉症じゃない人の辛さなんてわからないやろ!」
という、大人げない言い合いをしてしまったけれど、
彼女の、この辛さやストレスは、
やっぱり、私にはなかなか分かり切れていない部分だった、
と反省せざるを得ません。


息子の方は、小学生の頃から、
「自分は一人でも平気、むしろ一人がいい」タイプだと自覚していて、
「ナカリはそこが違う(友達欲しいタイプだ)から辛いだろうなー」、
と、妹のことを思いやっていました。


NHKの福祉ポータル ハートネット・カキコミ板(発達障がい) に、
「誤解しないで」という書き込みをしたのですが、
それ、自分自身にも当てはまってたなあ、と、
ナカリに改めて、ごめんなさい。




ところで・・・
少し前の記事で、息子が見つけてきたゲームミュージック
「いりす症候群 着信ゼロ」をアップしましたが、
同じゲームの他の曲名が
「今日も誰とも喋らなかった」とか「10時間くらい天井を見ている」とか、
ひきこもりターゲットのゲーム??という印象満載です。
彼は彼で・・・大丈夫か?(^-^;)

「いりす症候群 10時間くらい天井を見ている」





子どもの日常 | 20:54:55 | トラックバック(0) | コメント(6)
ジェットコースターのような気分変調は特性の表れ
ご訪問ありがとうございます。
昨日初めてコメント欄閉めてしまって、ご心配おかけして、すみません。


昨日の
「母は(周りの味方だから)私の敵だ!大嫌い!」
から
「ごめんよ、大好きだよ、いつもありがとう」
へ。

ナカリの心の振幅は、大好きか大嫌いか、端から端まで極端な動きをします。

夜叉のような癇癪。すり寄ってくる猫のような赤ちゃん返り。

この豹変する姿に、いちいち反応しないで、
一歩離れて、巻き込まれないように、あくまで冷静に。

昨日の失敗は、
当事者会の迎えの場で、まず最初に「共感」を示さなかったことだけど、
まあ、自分でも、あの場面で 「それは無理」 だったと思います。
その後の展開も、予想の範囲内(何も壊さなかったのは大きな進歩)だったし、
結果オーライ、とします。

問題は自分自身の心のケア。

「もう死んでしまう!」と、道路に飛び出そうとした娘の手を離さなかった。
「兄にはそんな言い方しないのに!!」と、毎回のように引き合いに出される話題を極力スルーした。
自分では、頑張った方だ、と思う(私も、モノを壊さなかった)。


だから、落ち込んでる場合じゃない。
でも、事務所から帰りたくない。
それでも、お腹すいたと言って、帰りを待っている娘が居る。
どこかに行ってしまいたくても、今日は、帰る以外の選択肢はない。

(夫に娘を任せて、一晩事務所で過ごした時のことを思い出す)


さあ、
もう、
パソコンを切って、
帰り支度をして、途中で夕飯を買って、
混んだ電車に乗って、自転車こいで、
家の玄関を開けて、
「無事に」彼女の元へ帰らないといけない。


今まで、何度も何度も何度も何度も何度も
こんなこと繰り返して、
そのたびに乗り越えてきたじゃないか。
(この繰り返しを責められたことが、まだダメージだけど、
忘れよう、わたしとは関係のない人の勝手な意見だ)


気持ちを切り替えて、がんばれ。


よし! 帰ります。




子どもの日常 | 19:00:12 | トラックバック(0) | コメント(21)
ぶつかったので、10年前に作ったサポートブックを書き写してみる
通例にしている、ご訪問お礼の言葉ですが、
毎回最初に、同じ言葉を載せるのも、少し心苦しくなってきました。
それでも、やっぱり、適切な言葉が見つからなくて、「ご訪問ありがとうございます」。

例のコメントの一件があってから、弱音を吐くことに気持ちが引けてしまっていますが、
今日は、ナカリとぶつかってしまったので、気持ちを落ち着けるために、
彼女の特性のおさらい…をしたいと思います。

同じことを何度となく、というのは、人から指摘されずとも苦しいのです。
幼い頃の大変さや、入院当時の大変さと比べたら、どうってことない今日の出来事ですが、
今は、心が弱ってダメージが大きいので、
初めてですが、コメント欄閉鎖、を試してみます、すみません。



今日は当事者会3回目。
暑中見舞いづくり(ナカリの得意な絵)だったので、
最初から本人だけ参加のつもりで、私は挨拶もそこそこに失礼しました。
待っている間に、またフランス語を少しかじって、銀行を回り、迎えに行くと、
「絵が上手いですねー」という笑顔のスタッフの方と対照的に、
ナカリは硬い表情で、「次は行かない。しんどかった、嫌だった」の一点張り。

帰り道にたずねても
「私の気持なんか、分からない!なんでそんな言い方するんよ!」
と、私の返答がいちいち気に入らない、
「生まれなければ良かった、死んでしまいたい」
が、繰り返され、
「私だけなじめない、みんな仲良くしているのに仲間はずしされた」
「おしゃべりな人が嫌だ、うっとうしい。みんな嫌いだ」
「兄ばっかりいい思いしてズルい、家族は嫌いだ」
「お母さん、またブログに私の悪口書くんでしょ!」
と、エスカレート。
聞いてられないので、帰りのバスも離れて座り、
帰宅後、頓服を飲ませて、自分も飲んでから、
留守番させて私は外に用事に出ました。

サポートブックを読み返して、再び自宅に戻って、書き写しています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ナカリの「サポートブック 2007」より
本人の特徴と対応の具体例

<言語面、認知面>
意味理解が弱いので、音に引きずられた言い間違いがよくある。
表現(助詞・受身・人称)の間違いも時々出る。
友達がしゃべっている内容を聞き取るのが苦手で、会話に自信がない。
指示されたことが分からなくても聞き返すことができない。
抽象的思考が難しく、学年相当の課題に取り組むのは困難、一斉授業にはついていけない。
→ なるべくゆっくり話す。できれば絵や文字を使用して説明。
  間違った表現や発音はそのつど、優しく修正する。
  指示が本当に分かっているかどうか、本人に確認する。
  特別な予定や行動は個別に押さえをする。
  授業は取り出しで別課題を用意し、目標に沿って本人なりの達成観を持たせる。

<対人関係、社会性>
不安を持ちやすく、傷つきやすい。人との信頼関係を作りにくい。
周囲の状況や相手の気持ちを読み取って合わせるのが苦手な反面、
声のトーンや表情に敏感で、解釈のずれや勘違いによる一方的な怒りを持ちやすい。
相手にどう思われるかを極端に気にする。
感情のコントロールが苦手で、しばしば癇癪やパニックを起こす。
少し時間を置くと、悪かったと反省してやたら謝る、自分を責める。
→ 言いたいことを言えずに大人に仲介を頼む時「何て言ったらいいかな?」と一緒に考え、
  言い方のモデルを示し、必要に応じて書いて示す。仲介の様子を見せる。
  言葉かけはなるべく肯定的に、明るくゆっくりやさしく。
  パニック時は、周囲は出来るだけ冷静に対応し、一緒に巻き込まれない。
  本人が落ち着いてから、状況を聞いたり話をする。
  危険なこと以外では責めない。
  一方的に感情を溜め込んで、思いがけない時にふっと気持ちを言うので、
  家庭と学校とで連携しながら具体的状況を把握する。
  相手との関係の通訳をする、その過程を通じて、適切な伝え方のモデルを示す。

<同一性の保持、興味の限局>
新しいこと、変化に対する柔軟性が乏しく場面の切り替えが難しい。
欲しいものや特定の場所へのこだわりがある。
→ カレンダーで予定を伝える、分かりにくい活動や新しいことは、前もって説明し、
  事前に心の準備をさせる。
  こだわりへは、代替手段として可能なものをいろいろ提案し、何らかの満足を経験させて、
  気持ちの切り替えを援助する。

<感覚の過敏性、その他>
集中が苦手、周囲の状況に影響されやすい、知覚過敏(特に音、味覚)
協調運動、細かい作業が苦手。
独り言、ファンタジーへの没頭。
→ 何をするかを絵や図で示す、周囲からの余分な刺激を減らす(座席位置の配慮)
  嫌な音や味は出来る限り避け、なるべく本人の意に添う。
  「逃げ場所」「キーパーソン(頼れる大人)」を決めておき、
  しんどくなったら、自分から申し出てそこに行けるようにする。
  こぼしたり汚したり踏んだり、の場合、慌ててさらに失敗しないよう、
  焦らず落ち着いてと声をかける。
  独り言は、外ではほとんど出ないので、自宅での息抜きとして認める。
  みんなと違っていてもいい、という形で、自己評価を下げないように気をつける。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これ、抜粋ですが、10年前とあまり変わってないですね。
そして、対応の方も、自分で書いておきながら、守れてない。
今日もしっかり巻き込まれました(がっくり)。

今はすっかり萎れて、私が悪かった、と繰り返しているナカリです。
「言い過ぎたよ、嫌いじゃないよ、何がいけなかったの?
言い方が悪いの、私。 なんて言えばよかったの?」

・・・ここからどう立て直していくか。
気持ちをすり合わせて、ぐっとこらえて、根気強く優しく丁寧に。
(母に対してキレた自分を昨日反省したばかりなのに、ここを踏ん張らずにどうする)

これから親子で向き合います。




子どもの日常 | 18:42:29
昨日は亡き母の誕生日、1年前のブログに胸が痛む
ご訪問ありがとうございます。

母が生きていたら、昨日で81歳になるはずでした。
母が尊敬していた日野原先生が、母の誕生日に逝かれた、ということ、
なんだか感慨深いです。

亡くなったところで、年齢は止まるんですね。
これもまた、不思議な気持ちです。
私は、いつか母の年齢に追いつけるだろうか。
それは、誰にもわからないこと。
だから、誕生日は、いつが最後になるか、分かりません…ね。


で、いくら思いだそうとしても、1年前に、母の誕生日を祝った記憶が無くて…
念のためにブログを確認したら、
前日の夜に、難しい電話がかかってきて、うっとおしがっていた自分が居ました。

親の老いは悲しい

ああ、この頃すでに、認知症が進み始めていて、
電話でのやりとりにも問題が生じていたんだな。
誕生日だという自覚のもとに、きちんと「おめでとう」を伝えた記憶が無いので、
もしかしたら、去年はそのことをスル―してしまっていたかもしれない…

その後、11月3日、義父が亡くなった日に、母も救急入院したので、
万一を覚悟して娘を連れて帰省したけれど、
その後持ち直して、病院からホームへ。
結局、年が明けて2月に再度救急で入院してからは、
もう言葉も交わせないまま亡くなりました。

だから去年が、最期の誕生日だったのに。

ごめんね、お母さん。

母の認知症、という現実と向き合ったのは、期間としては短かったけれど、
私の記憶の中では、最後の方の母は、母であって母でなくなっていっていたので、
きちんとゆっくりあたたかい気持ちで向き合うことができないままだった、と、
後悔ばかりが胸を締め付けます。

子どもの頃から、いつ、母にその日が訪れるか分からない、と、
覚悟し続けていたはずなのに、
過ぎてみたら、油断がいっぱいでした。

日野原先生のように、死期を悟って、悔いのないよう、まわりの人に言葉をかけて…
そんな最期を迎えるのは、なかなか難しいことだ、と、しみじみ思った昨日です。


昨日は、母の誕生日について、叔父とメールをやりとり。
母が病院から少しの間だけ「家」に戻ったのは、自宅ではなく、叔父の住む「母の実家」でした。
母が寝泊まりしていた部屋に、ピンクのユリを飾ってくれている写真が送られてきて、感謝でした。
私よりも、弟のおじの方が、ずっと近くに居て、母の支えになっていてくれたんだと、
申し訳ない気持ちも半分・・・。

何度か書いているように、母との最後の会話は、ナカリのカウンセリングに向かう途中、
バス停と、電車の駅ホームでのわずかなやりとり。
「ナカリをほめてやるんよ」が、母からのラストメッセージでした。

その言葉のとおり、昨日は、孫ふたりとも、楽しく過ごせて、私は、ほめることばかり。
良い報告ができた一日でした。

今日、息子は下宿に戻っていき、
ナカリと私はお友達のお母さんにプールとランチに連れて行ってもらいました。

こんなに穏やかに過ごせていていいんだろうか、と思いながら、
両親の居ない毎日を、私は無事に生かされています。

さて…
来月には、家族4人全員で、無人の実家を見に行きます。
親二人の暮らした家を、どう後片付けするのか。
夫にも相談に乗ってもらいながら、少しでも先に進まないと。


母は、クラシックが大好きでしたが、私が好きな洋楽も聴いてくれていました。
今回、息子が弾いていた曲の中に、ゲーム?アニメ?の曲があり、
私はそれを理解しようと、楽譜のタイトルからネット検索して、
息子の別の側面を見つけてしまった気持ちです。
なんか良い曲だねーと言ったものの、ゲームそのものは全然知らないので、
それ以上には、話を合わせられないです(^-^;)
「東方」のゲームも然り。(こちらの音楽は、むしろナカリの方が食いつきが良かった?)

まあ、いいや、詳しいことは知らないけど、曲はいいなと思えたのだから。
「おばあちゃん、孫はこんなのも弾いてるよ、聴いてやってね」

元気だった頃の母なら、きっと、曲名をメモして覚えようとしただろうなあ(笑)


いりす症候群 着信ゼロ





思い出 | 21:21:43 | トラックバック(0) | コメント(9)
先生のアトリエ&「バベルの塔」展
ご訪問ありがとうございます。

今日は、ナカリも息子もアートの一日でした。

ナカリと私は、バスに乗って、初めて先生のアトリエ(ご自宅)へ。
スムーズに到着して、先生にあとを任せて私は近所のミスドへ。
そこで「まいにちフランス語」を勉強して、スマホでブログ訪問。
約束の時間が来てからお迎えに行くと、
ナカリは、もくもくと絵を描いている途中。
20号の段ボール台紙にアクリルガッシュという絵具で描いていました。
筆を使うのが楽しそうで、にこにこ。

先生から、「これはお母さんへ」と、紙のコースターをいただきました。
今日、最初に、ナカリがクラフトテープで作ったものだそうです。
「お母さんのイメージは青なんだそうですよ」と、先生。
コースター
右が私に、左が自分用に、作ったものです。

描いていた絵はこちら。
アトリエ アクリル画
これはまだ途中だそうです。
次回、アトリエ訪問した際に、また続きを描く、とのこと。
ここに何が描き足されるのかなあ?楽しみです。
アクリル画 アップ

絵を描く=自己表現する、って、気持ちいいことなんだなあ。
笑顔のナカリを見ていると、こちらまで嬉しくなりました。
来月から、
先生のアトリエと、我が家と、交互に予定を入れて、
月に2回のペースで製作していきます。
ナカリの心の安定につながりそうで、いいセラピーだなと改めて感謝です。


一方、息子の方は、「バベルの塔」展の初日に出かけました。
分厚い図録を買ってきて、見せてくれました。
バベルの塔 図録
結構宣伝されていたし、初日ということで、混雑を覚悟して行ったら、
拍子抜けするほど人が少なくて、大丈夫かな?と心配したくらいだったそうです。
今日は天気も不安定だったからかな?
混雑を予想して初日を避けた人が多かったのかな?

図録の中の「大きな魚は小さな魚を食う」
魚を食べる魚
この中に描かれている一部をフィギュアにしたものも買って来ました。
ブリューゲル フィギュア
この、きもかわ…な、感じがいいそうです(^-^;)
「バベルの塔」の絵は、もっと大きいのかと思っていたら、意外に小さくて、
その中に細かい人物が描かれていて驚いたそうです。

宗教画から、徐々に風景画へ、そして、何だかちょっと不気味な雰囲気の版画も…。
図録を見て、私も行った気分になりれました。

アートな一日。
天気とは逆に、穏やかな気持ちで過ごせてよかったです。
(今、雷が鳴っているので、急いでパソコンを切ります)

明日も、良い一日になりますように。



子どもの日常 | 18:11:35 | トラックバック(0) | コメント(10)
発達障がいを抱えながら(そうでなくても)、それぞれの道を行く
ご訪問ありがとうございます。

連休で、息子が帰宅しました。
昨夜、初めて、名刺をもらいました。
感動~
亡くなった両親にも見せてやりたかったな。

今朝は久しぶりに息子のピアノを聴けて幸せ。
楽譜が無いので、スマホを見ながら弾いていたヴィターリのシャコンヌ。
ユーチューブで検索していたら、「グリュミオーのが良いんだよ」と、
さささっと英語入力。おー、もう母にはできんことばかりだ。
同じ譜でも、弾く人によってバイオリンの音色が違う、くらいは、聴き比べて分かりました。

アルテュール・グリュミオー

すでに亡くなられているバイオリニスト、ピアニストです。

この間、リンク先の馬場亜紀さんのブログで、仏像修復師のコミックを知って読んだよ、と報告。

吉報配達ブログ「過去の思いを継ぎ、未来へ思いを託す」

話をしたら、うんうんと頷きながら聞いてくれて、それ、本も音楽も同じやな、と。
短いスパンでものを考えるのでなく、3ケタ以上の年代=100年、1000年単位で考える、というのは、奥深いです。

今、彼が弾いているピアノも、私が子どもの頃に買ってもらったものだから、彼よりも長生き。
本も楽器も、たいてい、自分より長生きだよね、と。
外国から古書を取り寄せたら、つい最近亡くなった学者さんの所有物だったりして、
欄外に書き込みがあったり、線が引いてあったり、それがすごく勉強になる、とも言ってました。

私はほとんど詳しくないのですが、彼は数学も好きなので、
「フェルマーの最終定理」みたいに、本の余白に書き込まれた中に大発見があったりする、そうで・・・。
余白が足りなくて、書かれてない部分に謎が残ったらしい。
うーん。

あれやこれや話す中で、
「ものすごい長い時間の一瞬を、自分が借りている」と思う、と言う息子に、
親ながら、ほほう、と、感心させられました。

大学院での最近の様子を聞くと、
やはり、指導教官の影響は大きいなと感じる、と言っていました。
文献を読む時の視点や方法が、先生のやり方に沿ってきたなと思う、とのこと。

大学時代は、研究に関しては割と放任、自由にさせてもらって、
発達障がい学生支援は事務方が行ってくださり、
本人もそれでとても助かってましたが、
大学院になると、メインの研究面で、指導者の役割が大きいみたいです。
本人の困り具合が減ったので、院からは、大学に本人の特性を伝えないまま、
成り行きに任せて、何とかやりくりできています。
直接の指導教官ではないけれど、「僕は発達障がいだから」と公言されてる先生もいらしたりして、
環境的には過ごしやすい中で、
自分の興味関心に沿った研究ができていることは、何よりありがたいことです。

よもやま話の中で出てきたのが、
学内では、中高生が学生にインタビューして回る場面も時々見かける、ということ。
先日、自分も質問された、と言うので、興味津々!
どんなこと聞かれたの?
「なぜ、この大学で勉強しているんですか?」
ここで、ハッと自分の過去を振り返ったそうで、
気がつくと暗い森の中にいるような・・・云々、思いは駆け巡ったけれど、
そんなことを中高生に話しても仕方ないので、
「ここへは大学院から入学したけれど、それは、やりたい研究ができるところだったから」
と答えたそうです。
さらに「おすすめの勉強法はありますか?」という問いに、
「図書館をたくさん使ったらいいと思います」


図書館!
魅惑的な響きです。
彼の原点は、不登校時代に通い詰めた図書館だものね。

でも、彼曰く、
「馴染みのある場所へは行きやすい。
自分にとっては図書館はそうだったけど、
あまり行ったことのない学生にとったら、行きにくいかもしれない。
それは、自分が、マクドナルドやスターバックスに入りにくいのと一緒と思う。
選挙も、投票場に行ったことが無ければ、なかなか行きにくいだろう」 と。

環境や経験、って大きいな。

それに、やっぱり、個性もあるよね。

ナカリは、
図書館、空いてれば、そこそこ楽しんで本をめくっていられるけれど、
自分から出かけていきたい場所、ではないかな。
美術館も、興味があれば一緒に出かけられるけれど、ハードルが低いわけではない。
「外出」全般が苦手なので、ネットサーフィン・・・
それも、刺激になる時は、外の世界をシャットダウンして、
自分だけの空想の世界に入り込む。
イマジナリ―フレンズ、ラバーズに囲まれた世界。

来週、アートの先生のアトリエに初めて行くから、
そこが、居心地のいい場所になればいいな。

マイペース、マイペース。

息子、がんばれ。
ナカリも、がんばれ。
母も、がんばる。
みんな、我が道を行こう。
そして、(家族とか我が子とかいうだけの意味ではなく) 未来へ、つないでいこう。



子どもの日常 | 13:23:13 | トラックバック(0) | コメント(10)
次のページ

FC2Ad