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Author:ナカリママ
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

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先生は旅人、教師は黒子、教育は種を蒔く仕事、「ともに希望を語ること」
ご訪問ありがとうございます(^-^)


月曜日に、社協の地区福祉会役員会に出席してきました。
毎月はじめの月曜に小学校のすぐ前のコミセンで行われる定例会議。
断り切れずに役員を引き受けたので昨年から出ていますが、
一応任期2年で改選があるので、次年度は誰かに交代してもらおうと画策?中です。

・・・それはさておき、
この会議の資料として、毎回、校区の小中学校の学校便り、が配布されます。
今回は4月号、だったので、新年度の教職員体制(新任、転任)のお知らせが載っていました。
こういう会議にでも出なければ、目にする機会もなかったでしょう。


下の娘が小学校を卒業してもうすぐ10年。
当時の先生はほとんど残っていません。
中学も然り。
知らない先生の名前ばかりが、ずらりと並んだ学校便り、を見ながら、
なんだか気の抜けたサイダーを飲んだ後みたいな、ちょっと空しいような、不思議な気持ちがしました。


「学校の先生には異動がある」、というのは、当たり前のことだけれど、
ナカリの不登校のきっかけの一つが、一番頼りにしていた先生二人が同時に居なくなったこと、
だったのが思い出され、改めて 「先生は旅人」という言葉が浮かびました。
これは、私たち支援の必要な子どもの保護者の集まりで、よく言われていた言葉です。

「親はその子の一生を見続ける、先生はある時期だけの関わりで、旅人のようなもの」

そのくらいの距離感で、先生という存在に過度に期待しない、依存しない、と親たち自身を戒める言葉でした。
同時に

「親は自分の子どもしか見えない、先生は集団の中の子どもを見ることができる」

という意味で、親には親、先生には先生、にしかできない関わり方があるので、
子どもを真ん中に、それぞれの立場から協力し合うことが必要、という話もしていました。


私自身、公立中学校で10年以上教師をつとめた経験から、
「親の言い分」と「学校の立場」が必ずしも一致しないことはよく分かります。

教える側の立場について、先輩教師から学んだことは、

教師は黒子。表立ったことをしなくていい、子どもが前に出ていることが大事」
教育は種を蒔くような仕事。いつ芽が出るかは分からない、すぐに答えを求めるやり方では教育はできない」

こんな言葉でした。

「旅人」である先生方と別れた後、
たとえ二度と会うことはなくても、学んだことが何かにつながっていく、
10年20年の長い期間を経ても、何かの拍子に思い出されて力を得られる、
そんな、心に残る存在、としての「先生」と出会えたら、人生の大きな宝になる、
そう実感します。

それで、思い出されたのは、ルイ・アラゴンの

「学ぶとは心に誠実を刻むこと。教えるとはともに希望を語ること

という言葉。

「学校」という場所には、子ども達二人とも、馴染めなかったけれど、
何人かの「先生」(スクールカウンセラーさんや、学校以外の大人も含む)に出会えたことが、
生きる希望につながった、という気持ちはあります。

いのちの危機を、(現在までのところ)無事に乗り越えて、
子ども達二人とも、今を誠実に生きていてくれて、ほんとにありがとう。

それは、私一人の力では為し得なかったこと。
反面教師もふくめて、いろいろな人との関わりの中で、子ども達(って、もう二人とも成人してるけど)が、
それぞれに「学んできた」結果だと思い、しみじみとしてしまいました。

いくつになっても、親子で、ともに希望を語り合える関係でありたいな。
学びに終わりはないのだから。

希望、って大事だなあ。
人生の、春から夏を生きる子ども達と共に、
秋から冬に近づきつつある自分も、心だけは若くありたい、と、
社協の役員をやってるのも、まあ、ちょっとは自分の為になったかなあ、と、自分で自分を納得させる私でした(^-^;)












思い出 | 22:18:01 | コメント(8)

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