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ナカリママ

Author:ナカリママ
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

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知的な遅れの有無が、人間関係の困難の問題を上回ると思う
ご訪問ありがとうございます。

いろいろありながら、昨夜のバトルは収束し、ごめんなさいモードのナカリです。
ナカリの今後は、彼女の夢である「イラストレーター」ではなく、
作業所で働ける障害年金受給者、という方向を目指す、ということも、
私自身、やっと吹っ切れた思いです。

それにしても

知的な遅れがあるかどうか、ということは、本人の自己肯定感に大きく影響する。
上の息子が、紆余曲折を経ながらも、4月から一定収入を得る研究者予備軍になれたのも、
卓越した語学力のおかげです。

知的な遅れが全くなかったので、学校時代には診断もつかず、支援もなく、
結果不登校(不適応)で、マイペースを貫き通したわけですが、
それはそれで彼の人生において、プラスの経験だったと思います。


中学時代からドイツ語を独習し、高校途中で独検3級まで達し、
大学でも特例的に(彼は高卒認定試験合格資格で入学したので、高校の単位はありません)既修者コースに入れてもらい、
そこで、先生から「君は授業に出なくても(単位をあげるから)いい」とまで言われ、
第2外国語として選択したフランス語も、あれよあれよという間に習得して、仏検3級を取得、
ラテン語ギリシャ語も、いつのまにか上級者レベルに達し、
大学院は国立(旧帝国)大に2つ受かって、最後までどちらに進むか迷うという「ぜいたくな悩み」の末、
結論、今、京都で、イタリア語も学んでいます。
手を出した外国語は、
エストニア語、フィンランド語、中国語、ロシア語、サンスクリット語、オランダ語、と多岐にわたり、
いったいどこまでこの人の語学能力は高まっていくのだろう、と、親ながら驚かされるばかりです。

加えて、趣味として楽器(ピアノ、バイオリン、トランペット)に親しんだのも、ほぼ独学。
何の教室にも通わないで、ピアノでバッハを弾きこなすようになれたのも、
天賦の音楽的センスと技術に恵まれたていたから、としか言えません。

数学やコンピューターへの興味関心も中学時期から強くあり、
情報処理技術者の資格をめざしたことも。

そうした、兄の「活躍」を横目で見て、
ナカリはいつも「兄ばっかり・・・」と自分と比較して怒っていました。


ナカリは3歳の時から療育手帳を取得して、ずっと更新し続けて、今も「軽度知的障がい者」です。
数の概念は、特に苦手で、「足して10」の組み合わせが未だあやふやで、おつりの計算ができません。
英語が好きで、国語も好きで、文章も書けるし、メールも打てるけれど、
「理解力」「読解力」には課題が多く残ります。
字を読むのが得意ではなく、気に入った軽いエッセイなら、ササッと目は通すけれど、
自宅に山ほどある書籍には目を向けません。図書館は緊張で息詰まるからか、好きではありません。

そんなナカリのことを、私は、愛しているけれども、心のどこかで、いつも残念に思ってきました。
その、「親の失望」を、彼女は、小さい時から、ずっと身に受けて実感し続けてきたのだと思うと、
申し訳ない、としか言えなくて・・・。

二次障がい、として、精神疾患が疑われ、保護入院に至った時にも、本当に辛かった。
自分に自信がなく、自己否定の塗り重ねの上に、被害妄想が重なって、社会適応が出来なくなった・・・
なぜ、そこまで自分に自信が無いのか?ありのままでいい、と思えないのか?
それは、何をしても、どうしても、「人並み」な知的能力を持てない、
という自己否定、自己嫌悪、が根っこにある
ように思うのです。
それが、「人間関係の困難さ」にもつながってくる


中途半端に自己認識出来る力があるだけに、
自分のことを「知的障害者」だと分かるがゆえに、余計に苦しい。


似たような経過で、幼い時期を共に過ごした友達の今現在の様子を見ても、
知的遅れのない子は社会適応もいいし、進路選択の幅も広い、
一方、
もっと重い知的障害を抱えていても、メタ(自己)認知の弱い子は、その子なりのペースで社会適応している。


ナカリは実に中途半端に、自己認識も出来る知的障がい者だから、生きにくい。

昨夜の久々のパニックも、孤独感=自信の無さ~他者からの評価を過剰に意識する、の表れだったと思います。


この数年、
知的な遅れの無い発達障がい者の生きにくさ、が社会的にも認められ、話題にされるようになったけれど、
境界線レベルの知的障がい者の生きにくさ、にも、
もっと焦点が当たってもいいように思う。

近い内容の記事を、リンク先の「なきむしでいいじゃん」で、むーにさんが記事にされています。
「障害者枠か、健常者枠か、どちらも見込める場合」

知的能力といっても、いろいろな分野があり、一律に数字では測れない、
という、多重知能理論が一般化しつつあるようですが、
どんなに芸術分野で能力があろうとも、それが「突出したレベル」に達していなければ、
無いのに等しい・・・
ナカリには「突出したレベル」といえる能力が、はっきり言って、無い。
「普通の知的障がい者」だ、という事実。

それを、私が認めなければいけない、受け入れなければいけない。
ハンディを背負いながら生きるナカリと、この社会で一緒に生きていかなければならない。
そのナカリに、昨夜私はキレてしまった・・・。

ごめんなさい、お母さん。ナカリと喧嘩しない、と、約束したのに守れなかった。


複雑な思いに胸が押しつぶされそうになりながら、でも前を向いていくしかないよね。
息子が良く弾いていたバッハ。
息子の好きなグールドの演奏で。




息子よ、妹を頼む・・・









子どもの日常 | 23:20:35 | コメント(6)

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