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ナカリママ

Author:ナカリママ
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

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なかなか立ち直れない
ご訪問ありがとうございます。

眠れない夜です。外は雨です。
母の告別式を終えて、ナカリと二人で霊柩車に乗る際、急に降り出した雨。
運転手さんが「いわゆる、涙雨ですね」と言ってくださり、雨の中を斎場に向かったのでした。


母の死亡診断書での死因は「肝腎症候群」
その原因が「うっ血性肝硬変」で、更にその原因が「心臓弁膜症」でした。
幼い頃にリウマチ熱にかかったのがもとで、心臓弁膜症を患い、
就職試験も健康診断で全部引っかかり、その時は「死にたいと思った」と言っていた、
なんとか勤めた会計事務所も、見合い結婚のため数年で退職、
すぐに妊娠して命がけで私を産んだ後、二人目を妊娠したけど医者に止められて堕胎、
同時に卵管結索したので、私は一人っ子です。

母子密着で、墓守娘になった私。
母は守るべき存在、かつ頼る存在として、時に重くもあり、この数年は特に複雑・・・でした。
過去記事を見直していて、去年の2月に「生きてる意味が分からない」と言われていたことを思い出しました。
やっぱり、書き残しておくこと、って大事だな。すっかり忘れてたや。

その頃から1年間。時間はたっぷりあったのに、何をしてたの?私。
今になって後悔ばかり押し寄せて、やっぱり自分を責めてしまう。


回復の見通しはないというドクターの言葉に、
叔父、叔母ともに「点滴を中止してください、延命治療はやめてください」
そうお願いして、少しずつ点滴の量を減らして、ちょうどのバランスで小康状態を保ち続けていたのを、
息子(初孫)にも会ってもらえたから、これでもう打ち切ってください、
と、すべて取り外してから一晩・・・明けて翌日の夕方に逝きました。

あの判断でよかったんだろうか。
頑張って頑張って病と闘ってきた母に、叔母は「もう頑張らんでいい」と言ってあげていた。
そして、自然のままに任せよう、と、医療行為を中止して、看取りを選んだ・・・

すべてに「時」がある、という、聖書の言葉に支えられ、これが天命だったと思うけれど。
意識はあっても言葉が交わせないままだった1週間あまり・・・
母が伝えたかった思いを受けとめきれてただろうか。

気持ちは行きつ戻りつ。

ナカリのことを考えたり、息子との時間を大事にしたり、何とかやりくりしてきた数週間。
まだまだ涙が湧いてくる、胸が苦しくなる。
今日、眠れないのは、ちょうど1か月前に、母に会いに帰って病院に初めて泊まった日だから。
その晩、ナカリが泣いて泣いて翌日頭が痛くなったのは、前の記事にも書いた通り。

時間は止まらないで、どんどん過ぎていくから、父の時のように、少しずつ、思い出は遠ざかっていくだろう。
振り返ることもあるけど、前を向いて進まなくちゃいけない。

変化の「春」、を前に不安でいっぱいのナカリを支えなくちゃいけない。
でも、私も支えてほしい。(実際、支えられているけど)
こうして、書くことで、自分で自分を支えている。

哀しくて、「ウィズアウトユー」を聴いている。





思い出 | 03:55:04 | コメント(6)

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