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ナカリママ

Author:ナカリママ
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

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知的な遅れの有無が、人間関係の困難の問題を上回ると思う
ご訪問ありがとうございます。

いろいろありながら、昨夜のバトルは収束し、ごめんなさいモードのナカリです。
ナカリの今後は、彼女の夢である「イラストレーター」ではなく、
作業所で働ける障害年金受給者、という方向を目指す、ということも、
私自身、やっと吹っ切れた思いです。

それにしても

知的な遅れがあるかどうか、ということは、本人の自己肯定感に大きく影響する。
上の息子が、紆余曲折を経ながらも、4月から一定収入を得る研究者予備軍になれたのも、
卓越した語学力のおかげです。

知的な遅れが全くなかったので、学校時代には診断もつかず、支援もなく、
結果不登校(不適応)で、マイペースを貫き通したわけですが、
それはそれで彼の人生において、プラスの経験だったと思います。


中学時代からドイツ語を独習し、高校途中で独検3級まで達し、
大学でも特例的に(彼は高卒認定試験合格資格で入学したので、高校の単位はありません)既修者コースに入れてもらい、
そこで、先生から「君は授業に出なくても(単位をあげるから)いい」とまで言われ、
第2外国語として選択したフランス語も、あれよあれよという間に習得して、仏検3級を取得、
ラテン語ギリシャ語も、いつのまにか上級者レベルに達し、
大学院は国立(旧帝国)大に2つ受かって、最後までどちらに進むか迷うという「ぜいたくな悩み」の末、
結論、今、京都で、イタリア語も学んでいます。
手を出した外国語は、
エストニア語、フィンランド語、中国語、ロシア語、サンスクリット語、オランダ語、と多岐にわたり、
いったいどこまでこの人の語学能力は高まっていくのだろう、と、親ながら驚かされるばかりです。

加えて、趣味として楽器(ピアノ、バイオリン、トランペット)に親しんだのも、ほぼ独学。
何の教室にも通わないで、ピアノでバッハを弾きこなすようになれたのも、
天賦の音楽的センスと技術に恵まれたていたから、としか言えません。

数学やコンピューターへの興味関心も中学時期から強くあり、
情報処理技術者の資格をめざしたことも。

そうした、兄の「活躍」を横目で見て、
ナカリはいつも「兄ばっかり・・・」と自分と比較して怒っていました。


ナカリは3歳の時から療育手帳を取得して、ずっと更新し続けて、今も「軽度知的障がい者」です。
数の概念は、特に苦手で、「足して10」の組み合わせが未だあやふやで、おつりの計算ができません。
英語が好きで、国語も好きで、文章も書けるし、メールも打てるけれど、
「理解力」「読解力」には課題が多く残ります。
字を読むのが得意ではなく、気に入った軽いエッセイなら、ササッと目は通すけれど、
自宅に山ほどある書籍には目を向けません。図書館は緊張で息詰まるからか、好きではありません。

そんなナカリのことを、私は、愛しているけれども、心のどこかで、いつも残念に思ってきました。
その、「親の失望」を、彼女は、小さい時から、ずっと身に受けて実感し続けてきたのだと思うと、
申し訳ない、としか言えなくて・・・。

二次障がい、として、精神疾患が疑われ、保護入院に至った時にも、本当に辛かった。
自分に自信がなく、自己否定の塗り重ねの上に、被害妄想が重なって、社会適応が出来なくなった・・・
なぜ、そこまで自分に自信が無いのか?ありのままでいい、と思えないのか?
それは、何をしても、どうしても、「人並み」な知的能力を持てない、
という自己否定、自己嫌悪、が根っこにある
ように思うのです。
それが、「人間関係の困難さ」にもつながってくる


中途半端に自己認識出来る力があるだけに、
自分のことを「知的障害者」だと分かるがゆえに、余計に苦しい。


似たような経過で、幼い時期を共に過ごした友達の今現在の様子を見ても、
知的遅れのない子は社会適応もいいし、進路選択の幅も広い、
一方、
もっと重い知的障害を抱えていても、メタ(自己)認知の弱い子は、その子なりのペースで社会適応している。


ナカリは実に中途半端に、自己認識も出来る知的障がい者だから、生きにくい。

昨夜の久々のパニックも、孤独感=自信の無さ~他者からの評価を過剰に意識する、の表れだったと思います。


この数年、
知的な遅れの無い発達障がい者の生きにくさ、が社会的にも認められ、話題にされるようになったけれど、
境界線レベルの知的障がい者の生きにくさ、にも、
もっと焦点が当たってもいいように思う。

近い内容の記事を、リンク先の「なきむしでいいじゃん」で、むーにさんが記事にされています。
「障害者枠か、健常者枠か、どちらも見込める場合」

知的能力といっても、いろいろな分野があり、一律に数字では測れない、
という、多重知能理論が一般化しつつあるようですが、
どんなに芸術分野で能力があろうとも、それが「突出したレベル」に達していなければ、
無いのに等しい・・・
ナカリには「突出したレベル」といえる能力が、はっきり言って、無い。
「普通の知的障がい者」だ、という事実。

それを、私が認めなければいけない、受け入れなければいけない。
ハンディを背負いながら生きるナカリと、この社会で一緒に生きていかなければならない。
そのナカリに、昨夜私はキレてしまった・・・。

ごめんなさい、お母さん。ナカリと喧嘩しない、と、約束したのに守れなかった。


複雑な思いに胸が押しつぶされそうになりながら、でも前を向いていくしかないよね。
息子が良く弾いていたバッハ。
息子の好きなグールドの演奏で。




息子よ、妹を頼む・・・









子どもの日常 | 23:20:35 | コメント(6)
アートの先生が出品された展覧会に行ってきました
ご訪問ありがとうございます。

春休み中の京都へ、ナカリと二人、がんばって往復してきました。
先生が出品された作品(50号、2つ)が入選されたとのことで、
無料招待券をいただいて、半日かけて行ってきました。

平安神宮 鳥居 CIMG0727

通信制高校のスクーリングで行ったことのある、みやこメッセ近くの京都市美術館。
改装途中で、以前行った時とは雰囲気が違いましたが、本館の趣はやはり重厚。

京都市美術館 CIMG0728

先生からいただいた招待状。

昭和美術展 入場券 CIMG0729

中に入ると、両方に分かれる階段で、昔ながらの造り。

昭和美術展 玄関 CIMG0732

ここから先は撮影禁止だったので、先生の作品も目に焼き付けて帰りました。
今日行く予定とはお伝えしていなかったのに、見終わって出てきたところで先生と遭遇!
何というタイミング!4月に自宅に来ていただくので、その予定の確認をして別れました。
今回の展覧会は、結構大掛かりで、
前に京都市美術館別館で開催されていた、先生の大学卒業生の展覧会とは趣が違って、
絵の世界にも、いろんな人間関係や「会」があるんだと、何だか、ちょっと引いてしまいましたが・・・。
ナカリにとっては、素直に先生の絵を見ることが出来て良かった、という感じの小旅行になりました。

帰り道、外食に慣れたとはいえ、初めてのお店は敷居が高く、
マクドナルドで、てりたまバーガーセットを食べて帰りました。
でも、さすが京都のマクド、
中国語表記のメニューがあって、お隣では英語圏のご家族が休憩してらして、
雰囲気違うなーと思いながらの食事でした。



でもなんだか。

ナカリが目指す絵の世界とはちょっと違う。
イラストレーター、ではなくて、画家、の世界。
・・・その雰囲気の違いも含めて、イラストは趣味で、生活(お仕事)は作業所で、
という認識が、ナカリの中にも改めて根付いた感じの一日でした。
(それはそれで少し寂しいところもあるけれど。)
芸術で食べていこうとするなら、こういう世界で生き抜いていかないといけないんだ、と、
私自身も改めて距離感を感じながら帰宅した次第です。


で、夜には、母が逝ってから初めてナカリと大バトル。
やっぱり彼女にとっては、ちょっとストレスフルな一日だったかも。
親子二人とも頓服を飲んで、
こういう時、おばあちゃんに電話したけどもう今は無理だしね、
と、改めて母を偲びました。

ナカリと喧嘩しないって約束したのにゴメンね、お母さん。
やっぱり、私、まだまだだなあ。
愚痴を言える相手がいなくなってしまって、寂しいよ。
京都までの往復は頑張ったんだけどね。
パラレル世界と、リアルとの兼ね合いは、永遠のテーマだなあ。
お話しできない、触れない、それは、パラレルの人も亡くなった人も同じ。
そのあたりから話がややこしくなっちゃったんだよ。

お母さんも、今はナカリのパラレルワールドの中の人になっちゃったかな。
話したいねえ。お母さん、なんて言うかな、また怒られるかな。
怒られたら反発していた私だけど、今はちょっと叱ってほしい・・・
言葉を交わせないっていうこと、やっぱり寂しいねえ。
時間薬だね。
少しずつ、少しずつ、この状況を受け入れていくしかないよね。
がんばろう・・・









子どもの日常 | 23:07:22 | コメント(6)
おばあさんの味
ご訪問ありがとうございます。

早いもので、昨日が母の初めての月命日でした。
夜には、叔父からも電話。
「早いねえ~まだ寂しいねえ~」と、二人して思い出話。
「お相撲千秋楽、あんな展開になるとは、息子が喜んだんじゃない?」と叔父。
「そうそう、息子から電話がかかってきて聞いたんだけど、昔、母がまだ元気だったころ、
千秋楽の放送直後に母が息子に電話して、相撲の話で盛り上がったことがあったんだって」と私。
新聞もよく読んでいた母。
気になる記事は切り抜いたり線を引いたりして送ってくれたこともあり、
新聞記事をネタに、息子に電話したこともよくあったみたいです。
「電話が出来なくなってからが、急速に弱ったねー」と、今となっては愚痴電話も懐かしい。

一緒に思い出話ができる相手がいて癒されました。

さらにそのあと、息子からも電話。
月曜日は「肉体労働」の日だったそうで、
先生の指示待ちで、学生がウロウロ、資料を袋詰めしたり箱詰めしたり、
あっちからこっちへ運んだり、半日以上、体を使う仕事ばかりで疲れた様子でした。
最後のダメ押しは、夕方引き上げる前に段ボール捨ててきてと頼まれて、えっちらおっちら運んだら、
ゴミ収集倉庫がもう閉まってたので、同じ道をまたえっちらおっちら戻って研究室に置いて帰った・・・
という、お疲れ様な一日だったようです。

母の月命日だね~と言うと、
「そうか、火曜だったのは覚えてたけど、2月は28日しかないから3月と同じカレンダーだもんなー」と息子。
続けて、「おばあさん、と言えば、私は食べ物の味が思い出される」と。
「ほうれん草の胡麻和えとか、かきたま汁とか・・・」
小さい頃に食べたものの記憶は、しっかり残っているようでした。
息子が生まれてから娘が生まれるまで、私は仕事中心の生活で、ほぼ毎日残業、休日出勤、だったので、
なかなか食事作りまで手が回らず、母にずいぶん助けてもらいました。
恥ずかしながら、息子は保育所と両親に育ててもらったという感じです・・・
(育休の間は、離乳食がんばって作ったけどなあ~)

私自身も、母の記憶の中に、食べさせてもらった料理の味が強く残っています。
春雨を油で揚げて、白菜と一緒に煮込んだ料理。もう一回食べたかったなあ~。
母が亡くなったというメールを送った従妹からも、「おばちゃんが作ってくれたお菓子、
パンの耳を揚げて砂糖でまぶしたやつ、あれ、美味しかったなー」と返事がありました。
母と言えば、エプロン。
料理だけでなく、ミシンで縫ったり、編み物したり、典型的な「おかあさん」でした。
お母さん イラスト



ちなみに、私はほとんどエプロンをしなかったから、
保育所の行事でエプロンをして参加した際に、「いつもと違うことが極端に苦手」なナカリが
「おかあさんじゃないー!」とパニックになり、
仕方なくエプロンを外した苦い記憶があります~家での様子がモロバレで恥ずかしかったです・・・。

それと、
ナカリが、少し外食に慣れた、というのは、
いろんな新しい味にもチャレンジできるようになった、ということで、これが嬉しい。
小さい頃から、味覚に敏感で、大丈夫と安心したら一つのメニューにこだわり続け、
他の物を作っても口にしない、食べたことのないものには箸をつけない、という状況に、
いろんな料理を試してみる気力も萎えて、
ひたすらハンバーグ、ひたすらウインナーという、ファーストフード系の食事で、
家族とは一人だけ別メニュー、という場合が多かったのです。
そんな彼女と、今、やっと、一緒に買い物に出て、一緒にご飯を作る、ということも可能になり、
昨日はピーマンとパプリカと鶏ミンチで「カラフルオムライス」を作って美味しく食べました。
ありがたいし、嬉しいです。

以前にも記事にしましたが、食べることって、ほんと大事だなあ。
衣食住の、まず基本ですね。

何かしら、食べることに関わる仕事ができたらいいなー、と、
改めて、娘が今身近に感じている作業所(ケーキ屋さん)に、行けるようになる日を夢見ています。

ちなみに、昔、息子が大きな影響を受けた(お世話になった)大学の先生は、
「みんな、資格を持つって大事だぞ、先生はそのことに気づいて調理師免許を取った!」
と、専門分野と全く関係ない資格を持っていることを話してくれた、と聞きました。

調理師免許、いいなー。

お料理ブログ(に限らず、食べ物が載っているブログ)を回るのも楽しいです。
スローフード、で、薄味で、体に優しいご飯・・・
体重を気にしているナカリに、
ドクターが、薬ではなく食事療法で対処を、とおっしゃってたのを思い出します。
料理、がんばらなくちゃ(楽しまなくちゃ)!

あ、それと、運動、も。
とにかく、健康を心がけること、自然を大事にすること、穏やかな気持ちでいること。

「おふくろの味:」ならぬ「おばあさんの味」に教えられたことがいっぱい、な一日でした。




思い出 | 11:12:03 | コメント(2)
おまじないの言葉「安心しましょう」
ご訪問ありがとうございます。
ありがとう、な気持ちがいっぱいです。
拍手もコメントも訪問だけでも励まされます、改めて感謝です。


今日は仕事で、ナカリは留守番でした。
私が家を出る前に不安になったナカリは、
自分と自分の作り出したキャラ達(イラスト)が一緒かどうか、
繰り返し質問してきます。

答えにくい部分だし、
その時の彼女の気分と反する答えを出すと地雷を踏むことになるので慎重に、
「キャラたちは、ナカリの部分集合」という説明で終始しました。
自分の中から生み出されたものだから、自分に属している、
ただし自分との一致度はキャラによって違う、
でも、全部、生みの親はナカリだから、どのキャラもナカリに逆らうことはできない、
だって、パラレルワールドではナカリは神様(創造主)だから。
・・・この説明で、なんとなく納得のナカリ。
とにかく、何度も繰り返される同じ質問にも、
優しく丁寧に「安心しましょう」「大丈夫」を、おまじないのように返していく。
それで落ち着ける、今の状態は、決して悪くない。
「安心しましょう」で、安心できるなら、何度でも言ってあげる。


歩いて移動中、電車の待ち時間、いろんな場面で、ふっと母に電話していた自分を思い出し、
電話の代わりに、「お母さんへ」という送信先のないメールを書いて下書きボックスに入れている。
以前のガラケーには、
ナカリに対する苛立ちや持って行き場のない爆発しそうな感情をぶつける(自宅宛)未送信メールばかり溜まっていってたけれど、
今はとてもそんな愚痴を書く気持ちにはなれない。
ナカリに対して、あたたかい気持ちや根気強く関わる気持ちが先行して、キレにくくなっている、
そしてその相乗効果で、ナカリもがんばってくれている。
いい循環が生まれている。
これが、続きますように。


離れていても、「そばにいるね」。






子どもの日常 | 00:27:59 | コメント(2)
外食に慣れてきたことが嬉しい!
ご訪問ありがとうございます。


先の記事に、いろいろなコメントをありがとうございました。
頭が沸騰状態だった昨日から少し時間を経て冷静さを取り戻してきました
2日がかりで入念に検討した文章に添付資料を加え、書留速達として郵便局本局まで出しに行き、
よっしゃ! 相手が次、どう出てくるか様子を見てやろう、と思っているところです。


日曜で、夫も休みだったので、ナカリと3人で散歩がてら郵便局からスーパーに回り、
そのまま、期間限定割引券をもらっていたケーキ屋さんに入ってお茶の時間。
こうやって、普通に、お店に入って外食できるようになったこと、
しみじみと、ありがたいなー、良かったなーと思います。


小さい頃から、ナカリは外食が苦手で、お店の入口でギャン泣きされて諦めたこともあるし、
入店できても食事はそこそこで、すぐに外に出たがり、夫婦交代で店の外で相手をしたことも。
何が原因か? お店の中のインテリア(置物など)が嫌みたい、と分かった際には、
そうしたものが見えない位置に席をとるよう工夫してみたり、
マクドナルドでも、他の人が視界に入らないよう壁際の席で壁に向かって座るようにしたり、
あの手この手で対処してきました。

精神的に不安定になっていた頃には、家で家族と一緒に食事することさえ難しくなり、
一人だけ別室で食べた時期もあります(食べているところを見られることを極端に嫌がった時期)。

本人の立場になってみたら、きっと理由はいろいろあるんだろうなと思いながら、
ついついこちらの希望を押し付けてしまい、それが叶わないと残念な気持ちになったものです。


今、ストレスを感じながらも外食に慣れてきてくれたことが、改めて嬉しくて。

帰り道、降り出した雨の中、傘をさして3人で歩きながら、中学の時、ナカリと二人で観に行った、
映画「星の国から孫ふたり」を思い出していました。



この映画では、言葉にできない自閉症児の気持ちが吹き出しで示されたり、
お店に入るのを嫌がる子どもの目からは、入口が真っ暗なトンネルのように見えている、と視覚化されていたり、
(これは、「レナードの朝」という映画で、床の模様が変わる部分から先が崖っぷちのように見えているシーンと重なりました)
自閉っ子独特の世界をうまく映像化してくれていて、ナカリ自身も「見てよかった」と言ってくれました。

「星の国」からきた子どもたち、大人たち・・・

自閉っ子のことを、地球人じゃない、と表現した題名のブログも見たことがあります。

たしかに異文化。
共存していくためには、お互いの存在や感覚を理解しあい、尊重しなくては・・・
まだまだこれから先も、その道は続くね。
でも、とにかく今に感謝。


荒れていた心の中が、ナカリとのお茶の時間で癒されました。

帰宅して記事を書きながら、大相撲中継の盛り上がりに何度か手が止まり・・・。
あー、大阪場所、終わっちゃった! 熱戦でした。
息子も見てたかな?
(・・・と書いてたら、息子の方から電話。
今日は、十両の優勝決定も三つ巴戦になって、全体として時間が後ろにずれこんでたそうです。
「琴奨菊が優勝した時だったか、優勝を逃した時だったかに、おばあさんから電話があったなー」
と、思いだしてくれていて、胸いっぱい。お母さん、良かったね。孫の心にしっかり残ってるよ)

よし、子どもたちのために、私も前向きにいこう~
ありがとう、な気持ちで毎日を過ごせますように。






子どもの日常 | 18:52:30 | コメント(4)
発達障がいの人を、どう『悪意』から守るか
ご訪問ありがとうございます。


残念なことですが、相続をめぐってトラブルが発生しました。
それも、母方ではなく、先に亡くなっている父方の親族との間で、です。
私が大嫌い!だった父方の親族。
思いだしても父方の親族に対しては腹立たしい事しか出てきません。
父が母よりも先に亡くなったので、これで縁が切れた、と思ってせいせいしていましたが、
母が父から相続した債権をめぐって、それを更に相続した私との間でバトルになりそうです。

今後の詳しい展開はまだわかりませんが。

世の中には、はっきりした『悪意』を持つ人がいる、ということを、私は父方の親族から学びました。
こまごました出来事を挙げればキリがなく、
昔ベストセラーになった「平気で嘘をつく人たち」という本を思い出すくらい、
平気で嘘をついて、平気で人を傷つけて、平気で知らん顔する人たちです。
自分さえよければいい、ということを絵にかいたような人たちです。

まあ、その人がそうなった背景もあるのでしょうが、とてもそこまで思いやることはできません。
私の立場からは、憎しみと憤りと嫌悪しか出てきません。
両親とも亡くなって、闘う主体は自分しかいないので、負けるものか!と思っています。

長男の嫁、として苦労した母。
お姑さんとの同居を余儀なくされ、介護を重ねてやっと自由になったと思ったら、
今度は小姑さんが戻ってきて半同居の生活。
夫婦二人だけの生活は数か月にしか満たないものでした。

振り返れば、私が子どもの頃から、
私の家は、親族が四六時中集まる場で、「家族が憩う場」では全くありませんでした。
両親が大阪に来ている間は、親族が留守宅に勝手に入って、勝手に何でも持ち出したりもしていました。
家族3人の暮らしを夢見続けた母が、
私の大阪の自宅に強くこだわった(もう1度だけでいいから行きたいと言い続けた)のも、
自分自身の世代で実現できなかった夢を私の世代に重ねていたからなんだろうなと思います。


母が亡くなる時、枕もとで流れていた息子のピアノは、私が両親に買ってもらったものですが、
昔自宅に置いてあった頃、父の親族たちは「うちの(ピアノ)は財産だから、ここで弾け」と、
飴でべちゃべちゃの手の我が子たちに、私のピアノを弾かせていました。
父方の祖母は、鉢植えをピアノの鍵盤の蓋の上に土が付いたままドンと置いてヘイチャラでした。
悔しくて泣いた母。
認知症が進んだ際に、繰り返し、悔しかったこととして口にし続けていました。
今、その親族のピアノがどのくらい愛されているのか(弾ける人がいるのか、も)知りませんが、
「苦難」を経てきた私のピアノは、息子の指を通じて美しい調べを奏でてくれています。


こんな風な、明確な『悪意』を持った人が世の中にいる以上、その人たちから子どもを守らねばなりません。
今は、リアルの誰もが信頼できなくて引きこもりがちなナカリですが、
一方で、騙されやすい、のめり込みやすい、という危険性もあります。

良い生涯の伴侶と出会えればいいけれど、逆に騙されて傷つく可能性だってあります。
そのあたり、親としてどこまで手を出したらいいのか。


・・・いや、まずは自分のトラブルの解決が先決。
日本の裁判制度に正義はあるのか?
亡くなった両親のためにも、私は自分が信じる方法で、父方の親族と正面対決するつもりです。
死んだもん損、にさせないためにも。
(悔しいけど、その親族は、両親の死を待っていたとしか思えません)


愚痴と文句の記事になってしまいました。

この親族から、ナカリを遠く離しておくこと。
身近な『悪意』から遠ざけること。少なくともそれはできる。
そして、本人に教える。
世の中には「悪い人」がいる、ということを。
よく「騙される方も悪い」と言われるけれど、
それは、「いじめられる方にも原因がある」のと一緒。
騙す奴、いじめる奴が悪いに決まってる!

くそー、怒ってるぞ、私!!
ナカリは「まあまあ・・・」と言いそうだけど、お母さんは許さないからなっ!
徹底抗戦だ。

荒れた記事ですみません。
平常心、平常心。




未分類 | 22:00:29 | コメント(14)
一人遺される不安、をどう軽減するか
ご訪問ありがとうございます。

お相撲の記事を書いて気持ちが軽くなった後ですが、
心配事について、書いて整理してみようと思います。


今日、4月のナカリのショートステイを電話で予約しました。
「一人で寝て、一人でご飯を食べて、親と離れて過ごす」練習、のため、です。
今後も2カ月に一回のペースで利用を続けていくことにしています。
前回初めて利用した際は、初日、施設まで送って帰宅後、少ししたら、
「もう寂しくなったよ」のメールが来て、こちらも早速寂しくなったのでしたが。
母の病院で、病室と家族控室の間で「近距離ショートステイ」を何日も体験したし、今回は楽勝かな?
・・・いや、やっぱり、こっちが寂しくなりそう^^;
ここは慣れていかなければ。


私も夫も55歳を超え、健康診断でも、ところどころひっかり、
普通に逆算しても、あと何十年か後には先立たねばならないな、と思ったとき、
子どもたちが未婚であれば、先に兄が逝って、最後にナカリが一人遺されることになります。
まー、そんな先のこと、今考えたってどうにもならない、といえばそうなんですが、
今回、一人っ子の私が両親を失って、血のつながりというものを強く意識したので、
ナカリが先の先を考えて不安になるのも仕方なかろうか、と・・・。

可能ならば、いつか運命の出会いで生涯の伴侶と巡り会って欲しい、と願う、親心。

私は一生独身や-、と嘆くナカリに対して、
今は「おひとりさま」って多いよー、と安心させていますが、
現実問題として、
「親亡き後」をどうイメージしておいたらいいのか、
要は「自立」というのもそれが目標、で、
私が手出ししないで、この子がどうやって一人で生き抜いていくことが出来るようになるか、
を考えることが、ますます必要な気がしてきています。

自立は依存先を増やすこと、という言葉を思い出しつつ、
本人が心から信頼して頼れる「人」「場所」を、少しでも増やしていくこと、だな、と。
お金の管理も、買い物や家事能力も、目標を立てて、とにかく一歩ずつ。
精神的な依存関係も、こちらが意識的に距離を取りながら考えないと、
私がそうだったみたいな「母子密着型」になってしまうから注意注意。


少し感傷的になりつつ、「オールバイマイセルフ」の歌詞を味わっています・・・



※ When I was young
  I never needed anyone
  And makin' love was just for fun
  Those days are gone

Livin' alone
I think of all the friends I've known
But when I dial the telephone
Nobody's home

☆ All by myself
  Don't wanna be, all by myself anymore
  All by myself
  Don't wanna live, all by myself anymore

Hard to be sure
Sometimes I feel so insecure
And love so distant and obscure
Remains the cure

☆ 繰り返し


※ 繰り返し
☆ 2回繰り返し







子どもの日常 | 21:05:18 | コメント(6)
大相撲春場所観戦記 息子とともに
ご訪問ありがとうございます。

先週の今日、初めてナマお相撲を見に行ってきました。
もともとは、相撲好きの息子のために、夫がチケットを取ってくれたのですが、
夫自身は行ったことがあるから、お母さんと行っておいでよ、ということで、
母息子の二人で観戦。
チケットは早くに入手していたので、この間の帰省が通常であれば、
母にも、「息子とお相撲見に行くんだよ~」と、明るく報告できたのですが、
実際にはそれどころではなく、相撲のすの字も口にできないまま、看取りました。
でも、告別式を終えて事務手続き等を済ませて大阪に戻ってからちょうど1週間後、
気分転換にもなりましたし、母も空から見てくれてるものと思って楽しみました。

テレビのBSでは、1時から放送されてますが、
実際には朝8時半ごろから、う~んと下の番付のお相撲さんたちが取組開始しているのです。
どのあたりから見に行こうか相談の結果、京都から帰ってくる息子と1時に待ち合わせして、
お昼も会場でお弁当、という予定で動きました。

地下鉄なんば駅を降りたら、会場までの道案内地図があり、
近くまでくると、色とりどりの、のぼりが見えて、あそこだー!と、ワクワク。
まわりの人の波も、会場を目指して動いていきます。

大相撲 のぼり CIMG0691

入口では、記念写真を撮る人や、入り待ち?の人たちが並んでいる中、
アーチ?をくぐって、お茶屋さんの間を通って、チケット確認の場所へ。

大相撲 入口 CIMG0692

中には売店もいろいろあって、ぬいぐるみがいっぱいのお店も。

大相撲 ぬいぐるみ売店 CIMG0693

ナカリにぬいぐるみを一つ買って帰り、「リボン丸」と、しこ名をつけて可愛がって?います。

お昼時だったので、お弁当はどんどん売り切れていて、あとわずかというところでゲットできた2段弁当。
奮発した甲斐あって、とても美味しくいただきました。

大相撲 お弁当 CIMG0699

食べ終わって、やっと、観戦モード。
会場はまだ空席が多くて、取組も幕下の後半。
一応双眼鏡も持って行きましたが、それで見ると、テレビ中継画面のようになってしまい、
「せっかく来たのに、生で見ないと」という息子の意見を受けて、ナマ観戦しました。

大相撲 会場 CIMG0694

十両と十枚目の違いもよく知らない私ですが、プログラムによると「十枚目土俵入り」

大相撲 十両土俵入り CIMG0705

化粧まわしが色とりどりで綺麗~

大相撲 中入り後 幕内土俵入り

中入り後の、幕内土俵入りになると、更に綺麗~~
そして横綱の土俵入り。

大相撲 横綱土俵入りアップ

これは、白鵬です。
翌日から休場してしまったので、この日4横綱を全部見ることが出来たのはラッキー。

大相撲 横綱土俵入り CIMG0714

横綱土俵入りの際には、「満員御礼」の札も降りて、会場は人でいっぱい。
外国からのお客さんも、たくさんいました。
テレビでは聞けない、懸賞金の場内アナウンスや、会場からの応援の声かけ!
行司さんを応援する声もあって、ファンがいるんやねー、と、息子と感心しながら話しました。

後半は、もう、あれよあれよという展開で、目が離せない、
「座布団は投げないでください」というアナウンスがあったにもかかわらず、投げてる人、いました・・・
呼出しや行司さんが頻繁に交代しているのも、プログラムを見て初めて知りました。
テレビでよく見る取り組み表にランプがついて、場内の歓声も大きくなり、はらはらどきどき、
いい取組には拍手喝さい、すごいなー。
ナカリからも「お相撲さんいますか?」のメールが来たので「いっぱいいるよ!」と返事。
思ったよりも、土俵って小さい、あの中から出ないで取組むのって、大変だろうなー。
土で作る土俵、観客席も全部一から組み上げて作るんだなー、すごいなー。
いちいち感心しながら見ていると、結びの一番、そして、弓取式。
終って会場を後にする人たちの混雑も、熱気の余韻で心地よく、
出口で鳴っている太鼓の音に送られながら、来た道をもとに戻って駅に向かいました。


あー、面白かった。
大阪場所は会場が小さいから、私たちが座っていた3階イス席からも土俵がすごく近く見えて、
テレビの解説によると、国技館のマス席で見ている感じに近いそうです。
夫にリクエストされていた「番付表」を買い忘れて残念がられてしまいましたが、
ハンカチと手ぬぐい(と、ぬいぐるみ!)をお土産に買って、楽しかった~と、帰宅。

思いだしながら記事を書いて、再度楽しかったな~と顔が緩んでいます。
息子は、先週、イタリア会館で、観戦報告をしたそうで、彼の方も大満足。
大相撲春場所自体はまだ現在進行形で、日曜の千秋楽まで目が離せない展開ですね。
今も、テレビ中継を見ながら記事をアップしています。
写真の大きさがバラバラで、見にくくてすみません。
デジカメで撮ったのを切ったり縮小したり、割合を適当にしてしまったせいです。
でっかいのはスマホで撮ったものです(汗)
息子は、一応記念に、と場内の様子をスマホで2枚撮っただけ。
(イタリアでは写真は撮ったけど、お土産はナカリにぬいぐるみをひとつ、というリクエストに応えただけで、
自分用にも何も買って来ませんでした。彼らしい。)
でも、楽しかったねー、面白かったねー、と、親子で話すことが出来て、それだけで満足です。

辛いことがあった時、気分転換する、とか、何かで癒される、とか、大事ですね。

何だか、今日は少し心が軽いです。
晩御飯もがんばって作ろう~~







子どもの日常 | 17:54:38 | コメント(4)
なかなか立ち直れない
ご訪問ありがとうございます。

眠れない夜です。外は雨です。
母の告別式を終えて、ナカリと二人で霊柩車に乗る際、急に降り出した雨。
運転手さんが「いわゆる、涙雨ですね」と言ってくださり、雨の中を斎場に向かったのでした。


母の死亡診断書での死因は「肝腎症候群」
その原因が「うっ血性肝硬変」で、更にその原因が「心臓弁膜症」でした。
幼い頃にリウマチ熱にかかったのがもとで、心臓弁膜症を患い、
就職試験も健康診断で全部引っかかり、その時は「死にたいと思った」と言っていた、
なんとか勤めた会計事務所も、見合い結婚のため数年で退職、
すぐに妊娠して命がけで私を産んだ後、二人目を妊娠したけど医者に止められて堕胎、
同時に卵管結索したので、私は一人っ子です。

母子密着で、墓守娘になった私。
母は守るべき存在、かつ頼る存在として、時に重くもあり、この数年は特に複雑・・・でした。
過去記事を見直していて、去年の2月に「生きてる意味が分からない」と言われていたことを思い出しました。
やっぱり、書き残しておくこと、って大事だな。すっかり忘れてたや。

その頃から1年間。時間はたっぷりあったのに、何をしてたの?私。
今になって後悔ばかり押し寄せて、やっぱり自分を責めてしまう。


回復の見通しはないというドクターの言葉に、
叔父、叔母ともに「点滴を中止してください、延命治療はやめてください」
そうお願いして、少しずつ点滴の量を減らして、ちょうどのバランスで小康状態を保ち続けていたのを、
息子(初孫)にも会ってもらえたから、これでもう打ち切ってください、
と、すべて取り外してから一晩・・・明けて翌日の夕方に逝きました。

あの判断でよかったんだろうか。
頑張って頑張って病と闘ってきた母に、叔母は「もう頑張らんでいい」と言ってあげていた。
そして、自然のままに任せよう、と、医療行為を中止して、看取りを選んだ・・・

すべてに「時」がある、という、聖書の言葉に支えられ、これが天命だったと思うけれど。
意識はあっても言葉が交わせないままだった1週間あまり・・・
母が伝えたかった思いを受けとめきれてただろうか。

気持ちは行きつ戻りつ。

ナカリのことを考えたり、息子との時間を大事にしたり、何とかやりくりしてきた数週間。
まだまだ涙が湧いてくる、胸が苦しくなる。
今日、眠れないのは、ちょうど1か月前に、母に会いに帰って病院に初めて泊まった日だから。
その晩、ナカリが泣いて泣いて翌日頭が痛くなったのは、前の記事にも書いた通り。

時間は止まらないで、どんどん過ぎていくから、父の時のように、少しずつ、思い出は遠ざかっていくだろう。
振り返ることもあるけど、前を向いて進まなくちゃいけない。

変化の「春」、を前に不安でいっぱいのナカリを支えなくちゃいけない。
でも、私も支えてほしい。(実際、支えられているけど)
こうして、書くことで、自分で自分を支えている。

哀しくて、「ウィズアウトユー」を聴いている。





思い出 | 03:55:04 | コメント(6)
世界自閉症啓発デーのポスター
ご訪問ありがとうございます。


自閉症デー ポスター CIMG0719
自閉症協会から届く資料の中に、毎年、大型のポスターが入っています。
例年、室内に貼っていましたが、今年、初めて、玄関先に貼ってみました。
隣りで壊れかけているのは、社会福祉協議会の掲示板・・・^^;
(紙押さえがわりに重ねて使わせてもらいました。)

ポスターを外に貼る、というのは、議員さんや政党のポスターを貼るのと同じで、
何らかの立場表明になるかと・・・。
我が家の娘は自閉症なんです、と、おむかいさんには話をしているけれど、
その他のご近所さんには伝えていません。
(おむかいさんはとても理解のある方で、ナカリが救急車で入院した際にも、
疲れて帰宅した私に、優しく声をかけてくださいました)

ちょっと、どきどき。
新しい春だから。
母にナカリを託されたから。

まだまだメソメソしている私だけど、
母が、自閉症や発達障がいに関する新聞記事を切り抜いて送ってくれたことを思い出しながら、
がんばろう、と、思い切って貼り出したら、スッキリしました。
道すがら、気づいてくれる人がいたらいいな。

4月2日は国連が定めた世界自閉症啓発デーです!


追記:親の会の集まりで運営しているフェイスブックに、ナカリの試験回答記事をリンクしたら、
    いいねを何人も押してくださって感謝です。
    友人からも「ナカリの想いを読んで胸一杯になった、発信すること意味がある!」と、コメントもらいました。
    発信として、この記事もリンクしてみます(FBでは、既に啓発デーをご存知の方が多いと思いますが^^)。







未分類 | 11:13:53 | コメント(2)
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