2017-01-27 Fri
ご訪問ありがとうございます。ナカリが少し落ち着いてきたなと思う一方で、
母の症状はあまり芳しくありません。
認知症に関する雑誌「クロワッサン」の特集号を買ってきて読みながら「うーん」。
>今、世間一般でいう認知症のイメージって、そうなるだけの理由があるはずなんですよ。
まわりは、本人がつらいと思いたくないっていうか、
それよりこちらのつらさをわかってほしい。
なんとかイメージに助けてもらいたい、というのがあるからこそ根強いし、なくならないし、
相手の立場になる余裕もないし、憎しみが先行しちゃう。
その症状と感情が最後まで切り離せないのが、この病気のずごい特徴だと思うんですよね。
>許せないところを本質的に追求していくと、
認知症の部分じゃないところが許せなかったりするんだよね。
>結局、認知症を発症することによって、
もともとその人が持ってる素質が、よりあらわになってくるというか、
その人間性がよりわかりやすいものになってきたときに、やっぱり許せない。
認知症になる前から許せなかった部分が拡大されちゃうことによって、
本人への憎しみが病気に対する憎しみになり…
ズキーン…
今日は、帰宅して母と電話している間からずっと耳鳴りがおさまらなくて、
あ~私かなりストレス溜まってるや、と、自覚したのだけれど、
母に対する複雑な感情がこみ上げて、上手く言葉になりません。
「これ以上、母の話を聞いていたくない」自分がいて、そういう自分を親不孝と思ってしまう。
少し後に、叔父から電話があり、二人とも似た状況に置かれているので、
それを共有しあい、「聞き流そう!」と確認して、とりあえずの日々をやり過ごしていくことにしました。
電話のやり取りや、その後の私の愚痴(独り言)を聞いて、ナカリが心配しています。
「お母さんみたいな年寄りにはなりたくない」と私が言うと「私は?私は大丈夫?」とナカリ。
あー、そこまで想像することはできるんだ。
不安にさせちゃいけないね。ごめん、ナカリ。
とにかく母の言うことは、絶対否定しないように(怒らないように)、聞き流す!
がんばります。
父を上手く看取ることが出来て後悔が無いので、母に対しても、同じように出来るだけの誠意をもって見送りたい。
散歩の記事にいただいたコメントで「春」を感じたので、
確か2回目になりますが、ユーミンの「春よ来い」が聴きたくなって、
去年の3月にアップしたのと同じ動画ですが、歌詞付きのカバーバージョンで。
カラオケしてください(笑)