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ナカリ母

Author:ナカリ母
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

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2000年の時を超えて  息子から学ぶこと
ご訪問ありがとうございます。

今日は仕事に出ているのに、本業をほったらかしてブログを書いています。

昨夜、差し歯にしている前歯が突然欠けてしまい、
近所の歯医者に駆け込んで、「今年最後の患者」になりました。
欠けた歯も持って行きましたが、セラミックはくっつけられないとかで、
歯医者さん、腕組みして、「これはえらいことになりましたね~^^;」
(まじめに)「ほんとですねー、でもあと30分遅かったら間に合わなかったから良かったです」
痛みがないので、まずは診てもらえただけで満足している暢気な私に、歯医者さんも苦笑気味。
「下手に詰め物をして外れても困るし、当面このままいきましょうか。
で、年が明けたら、一からじっくりやり直しましょう」、ということに。
レントゲンで根っこが無事なのを確認できたので、
欠けた角の部分だけ削って丸くして、とりあえず終了。
「なんにもしてないのに、なんで突然欠けちゃったんでしょう?」と聞いたら、
「いや~、僕も勉強になりましたわ」と歯医者さん。
寝ている間に噛み締めて負担がかかっていたのが、何かの拍子に、ぴきっと割れたようです。
まるで金属疲労による事故みたい!
「夜寝るときマウスピースした方がいいかもしれませんね」
あはは・・・これは笑えない。
歯ぎしりしていると人に言われたことはないけど、私も結構夜中に歯を食いしばる系の人だったようです。

・・・と、前置きが長くなりましたが、
この最近、また五十肩っぽい痛みがあって、自分自身、年を取ったなあと思っていたところ、
歯が欠けた!上に、目前に近づく新年で、またさらに年を重ねるのかと、
自分の年齢や新しい年の西暦と元号を確認して、頭がゴチャゴチャになったー!
と、愚痴っていたら、
息子が「来年はオヴィデイウス没後2000年だよ」と、さらっと一言。

え?没後2000年???
一桁、いや、二桁も違うし・・・

調べてみたら、
彼がイタリアで訪れたマントヴァ生まれの詩人ヴェルギリウスと並び称される詩人なんだそうな。
親は医者にしたかったのに、詩ばっかり書いていたとか。
没後2000年に関して、こんな記事も発見。

まさに、時代を超越した人物だったんですね。

「苦しみから湧き出る楽しみは甘美なり」
などの名言を残している人で、恋愛ジャンルに詳しいとか。(なんかタメ口で、すみません)。
とにかく、50を超えても、息子から学ぶことはまだまだいっぱいあります。

以前、「文学部で100年後の未来を考える」と言った先生のお話を記事にしましたが、
更に桁が増えて、1000年2000年先、人類はどうなってるでしょうね?
現役世代に生きるものとして、未来に対する責任を考えさせられます。

それにしても、2000年とは、まさにSFの世界というか、
映画バイオハザードシリーズのファイナルも上映されてるみたいだし・・・
うーん、去年末、スターウォーズの新作を見に行ってからもう1年なんて早すぎる!



では、仕事納めまで、もうひとがんばり。
お休みに入られた方も、まだお仕事中の方も、皆さん、お体に気をつけて、
穏やかな年末年始を過ごされますように。






子どもの日常 | 16:22:41 | コメント(3)
子育ての記憶 次につなげるために
ご訪問ありがとうございます。

若いママたちの、現在進行形の子育てブログを読むと、
「あるある話」ばかりで、昔の自分の子育てを振り返らせられます。
何もかもぶん投げてしまいたくなる、「それなりに口の立つ」子どもとの言い合い、
暴れる、噛みつく、ギャン泣きする、それこそミニ怪獣のような子どもと「格闘」する日々。
夫が忙しすぎて共働きを諦め、下の娘が生まれてから退職したので、
基本的には「子育ての責任」を一人で背負い込んで、数年後には自分も鬱になり、
プチ家出を繰り返し、その間の上の息子の記憶が飛んでいて、結果息子は不登校に、
・・・そんな過去です。

その息子が小さい頃は共働きで仕事第一、
初孫が嬉しくて、田舎から手伝いに出てきてくれた実家の両親と保育所任せで、
育休の10か月間と、何度かあった入院期間を除いて、ほとんど側にいてやれませんでした。
不登校になってからが、その埋め合わせ期間だったかな。
家事のイロハから教えて、買い物ついでの外食も含めて、母息子だけの穏やかで幸せな時間。
耳鼻科系が弱かった息子が、一人暮らしを始めてから高熱を出したのが1度だけ、というありがたさ。
過ぎ去った日々は、子どもに対する申し訳なさと感謝とでいっぱいです。

娘との日々はまだ只中、子育て継続中・・・

きょうだい関係の難しさも実感しながら、
出来る限り、自分の過ちを繰り返さないように→アダルトチルドレンにはしないように、
と思い、すぐまた環境が違いすぎるから彼女にはその可能性はないかな、とも思い・・・
でも、母が娘を「支配」しようとする傾向は自戒しなければ、と思う私です。

今現在、苦しい子育て真っ最中のママたち、自分を大切にしてね。
私も、カウンセラーさんから、「支援者自身が支援可能な自己装備を固めること」と、
子どもを「見捨てない」「投げ出さない」大切さ、を学び、何とか今まで来ました。
親としての自分の在り方も含めて、人生の棚卸、総決算の時期に来ているのかもしれません。

子どもたちは二人とも「孫はあきらめてね」と言ってますが、
今の親子関係だけでもまだまだ継続中なので、
過去の記憶から次につなげる材料を見つけ出して、
少しでもいいから、先に進まないと。

新しい年はもう目の前です。



帰宅した息子が今朝弾いていたモンポウのショパン変奏曲、18分くらいから始まる11番です。
(前半は太田胃酸のCM曲?11番は短いけど、とてもきれいな曲です)





思い出 | 12:43:54 | コメント(4)
自分の中のアダルトチルドレンと向き合う
ご訪問ありがとうございます。

慌ただしい一泊帰省から戻ってきました。
年末まで、あと数日、仕事もまだ残っているし、
上の息子が下宿先から戻ってくるし、
年明けにはその息子を連れて再度の帰省を予定しているし、
2年続けて喪中のため年賀状は無しで済ませているので、
何だか、せわしないばかりで、年をまたぐ、という感じがしませんが、
4人家族がそろえば、年の瀬の雰囲気になるかもしれません。


今回、母がお世話になっているキリスト教系の老健施設(ホーム)を訪れて、
職員さんたちの穏やかであたたかい仕事ぶりに、
世に言われる「高齢者虐待」とは程遠い雰囲気を実感し、安心できました。
心から感謝です。

ホーム入口 CIMG0419
ホームの玄関です。

入口クリスマス飾り CIMG0429
中に入ると、クリスマスの飾りつけがされていました。

ホーム受付 CIMG0428
ホームの受付です。
日曜だったので、無人でしたが、大きなサンタさんが代わりにお出迎え。

ホーム中庭 CIMG0434
3階建ての建物の中庭です。母は1階に入所しています。

クリスマスおやつ CIMG0437
ちょうどクリスマスだったので、この日のおやつはケーキ。
職員さんが、「娘さんにも」と、コーヒーを一緒に入れて持ってきてくださいました。
あったまりました♡

ホーム中庭 夜 CIMG0441
日が暮れてきて中庭を見ると、昼間は気が付かなかったクリスマス電飾が!
車いすの母と、「綺麗ねえ~」と二人で見とれて、幸せな時間でした。

・・・という感じで、安心して帰省できた、というところで記事を閉めたいところですが、
タイトルにも書いたように、自分の成育歴を振り返って、
改めて、いわゆる「アダルトチルドレン」に当てはまるのでは?と痛感してしまったので、
来年は、そこにきちんと向き合って乗り越えたい、気持ちよく母を看取りたい、
と思った次第です。

認知症がそれなりに進んできた母は、「結婚して楽しかったことは何にもない」と、
父の親族にどれだけ苦しめられたかを、壊れたレコードのように繰り返すばかり。
「唯一楽しかったと言える」ことを探すとしたら、私を産んだこと、
私が生まれていなければ離婚したかったこと、
これもまた私が子どもの頃から何度となく聞かされてきたことだけれど、
私が母の運命を変えてしまったという重圧感、これ、墓守娘のパターンでしょうか。
私さえいなければ、母は幸せになれたかもしれない、
という方向に思考が向かうと、自分を責めてしまうし、
「可哀想なお母さん」の人生に自分が何らかの責任を負っている気にさせられてしまうのです。
この「呪縛」から逃れようとして「母娘」関連の本や「トラウマ返し」なんていう本を読み漁って、
よっしゃ、私は母とは別個の人間なんだ、と、自分なりに決着をつけたつもりだったけれど、
母の命の灯がいよいよ小さくなった今、
なかなか吹っ切れていない自分に改めて気づかされてしまいました。

そんなことを考えていると、ナカリのことも、全部吹っ飛んでしまう。
自己認識が「母」ではなく「娘」になってしまっている。
こういう部分を引きずったまま、上手く「母」になれるわけがない。
あかんなあ~


一時は年を越せるかどうか危ういという状態だった母が、
それなりに回復して、こうやって「安心」できるところまで落ち着いたのを見ると、
片づけたはずの宿題がまだ終わってなかったと突き付けられたような気分になって、
自宅に戻ってからも、ぼーっとしています。
(クリスマスは終わったのに、帰宅して、まだツリーが出たまま。ああこれも片づけなくちゃな、と。)

んんんんーーーここで終わっちゃあかんぞ。


帰りの飛行機でプレイバック曲としてかかっていた久保田利伸の「Missing」
夜のフライトに合いそう、というナレーション。
確かに、大阪平野の夜景に合う感じがしました。


ほんとは、「流星のサドル」とかで景気良く終われたらよかったんだけど^^;




思い出 | 01:12:26 | コメント(3)
サンタさんをいつまでも信じていたナカリ
ご訪問ありがとうございます。

今日はクリスマスイブですね。
上の息子抜きの家族3人で、近くのケーキ屋さんで買ってきたケーキを食べました。
母がクリスチャンなので、クリスマスは「プレゼントの日」ではなく、
キリストの誕生を祝い、人々が互いに親切な気持ちを交換する日、
ということは分かってますが、
子どもが小さい頃は、やっぱり大きなイベントデーでした。

過去の記事でも何度か書いたように、
ナカリは18歳までサンタさんを信じていて、
「実際には居ない」ことを告げた時のショックの大きさは相当なものでした。
「プレゼントをもらえるのは中学生まで」と言ったら、それは信じていたけど、
サンタさんの存在そのものはみじんも疑っていなかったとのこと。
ただ、
「プレゼントもらえたという子も、なかったという子もいて、何故かなと思ってた」
とか、
本人が書いたお願いの手紙を私がつい置き忘れていたのを当日みつけて、あれ?と思った
(この時は私の方がかなり焦ってごまかした記憶が・・・)とか、
振り返ったら不思議に思うこともあったなあ、という感じ。

「サンタさんは居ない」こと、プレゼントは親が用意していたこと、を伝えたとき、
「ほんと?ほんとに?あの本も、色鉛筆も、お母さんだったん?」と真顔で詰め寄られたのが
ついこの間のことのようです。

なぜ信じ続けていたのか、こちらが不思議だったけれど、
本人に言わせると、「居る」と言われたら、そう信じるほかないでしょ?という弁。
逆に、「みんなはなぜサンタさんが居ないと分かったの?」と、納得がいかない様子
「でも、科学的に不可能とか思わなかった?」と返したら
「クリスマスは特別な日だからその日だけ何かこう、空からキラキラキラ~って来るのかなーと…」
・・・
今でも、イラストやぬいぐるみが何か考えを持って動くのじゃないかと思ってしまうナカリ。
トイストーリーやシュガーラッシュのアニメを見て、現実もその通りだと信じてしまうナカリ。
イラストの裏側!には何もない?と繰り返し聞いて確認しないと安心できません。

精神科のドクターから直接、「なぜみんなはサンタが居ないと分かるのか」について
段階を踏んで、丁寧な説明を受けて、初めて「納得」したものの、
そんな風に、ある意味当然分かっているだろうということが分かっていなかったり、
とんでもない思い違いをしていたりするので、
「言わないと分からない」「言ったことは本当だと信じる」という特性に配慮して、
この先の彼女の人生を考えてやらないと、と改めて思うのです。


夢があるのはいいことだけれど、
現実と空想と、リアルとファンタジーと、その境目があやふやな彼女にとって、
「この世」は、いろいろと生きにくいことでしょう。

でも
「サンタさんは居ない」と分かったあともなお、クリスマスの精神は大切に持ち続けてほしい。
分かち合いの心。愛。思いやり。他の人を大切に思う心。

上の息子が、
母のためにカセットテープにバッハの「クリスマスカンタータ」を録音してくれたのも、
つい先日のことのよう・・・
明日は母と一緒に迎える久しぶりのクリスマスになります。
母にとって、私自身にとっても、他の家族にとっても、
そして皆さんにとっても、明日が良いクリスマスになりますように。


長いけれど、バッハの「クリスマスオラトリオ」






思い出 | 21:58:59 | コメント(8)
当事者の悩みと、家族の悩み すれ違う想い
ご訪問ありがとうございます。


前の記事で、気が付くと(娘は)前向きになってたと書いたばかりなのに、
今の私は激しく後ろ向きです・・・

ブログは、書くだけでなく、読む楽しさもあるのですが、
読んで落ち込む場合もある、という体験をしました。
昨夜、ちょっとタイトルが気になっていたブログを初訪問。
経験談の中に、自分と娘の関係に近いようなものが・・・。
スル―すればいいんでしょうが、そこは性格的に難しくて、ずしーんときました。

発達障がい当事者の苦しみが分からなくて何を言うかと叱られそうだけど、
自分が「定型発達者」なんだと自覚させられるのも、結構キツイものがあります。


親子ではなく、第三者だったとして、私はナカリと人間関係を作りたいと本気で思うだろうか?
傷ついたり傷つけたりする関係に耐え続けるエネルギーがあるだろうか?
「文化」の違いを超えて、本当につながりあうことが出来るんだろうか?

うわあ~すごく後ろ向き。暗いですね。


きっかけは、昨夜、成人当事者の方のブログを読んだ後の、
ナカリとの些細な?言い合い、なんだけど(昔のバトルを思うと平和なものとはいえ)
「定型」の中にも「繊細」な人はいて、自分は多分かなり傷つきやすい「定型」なので、
やりとりが刺々しくなると傷つきます、落ち込みます、悲しくなります。

ナカリに悪気がないのは十分分かっているし、
誰より本人が苦しんでるのも分かっているけれど、
(入院当時のことを思えば、天国のような毎日だけれど)、
受けとめきれない、投げ出したくなる、笑顔が作れない。
そこを本人に悟られないようにしないといけないと我が身を縛る意識がまた苦しい。
誰も「悪くない」よ。 なのに何だろう、このささくれたような感情。


実家の母の心配も大きいのかな。
今、鬱だわ、わたし。

ナカリと一緒に居て寂しい、のは、心がすれ違っている証拠。
ナカリの方は寂しくないのかな。

「私が悪いみたいやんか!私にばっかりキツイ!」という怒鳴り声から一転、
「ひどいこと言ってごめんなさい」の繰り返し。
殴って、さすって、また殴って、あやまって、その繰り返し。

疲れてるなあ。
何をしたら、あるいはしなかったら、休憩になるのかな。

さきほど週末の単独帰省の切符を取ったばかり。
介護割引ありがとうANA、でも年末年始は、やっぱりお値段高めだな~。



私は自分の母親に甘えたいんだろうか?(こんな年になって)
今回は、空き家の実家でなく、叔父の家に泊めてもらうことになっている。
老健施設に入居した母は、年末年始も施設で過ごす予定。
来年はどんな年になるんだろう???
(来年のこと言うと鬼が笑う、だっけ)


だらだら長々、愚痴ってしまった。

わははは!と笑って元気を出せる、そんなブログも読ませていただいてるのに、
全然だめだめな記事をアップしてごめんなさい。



笑って記事を閉めるために、
リンク先の「うたたね日記」で紹介されていて楽しくなった動画を貼りつけておきます。
もとの記事はこちら

楽しいお巡りさん、力を貸して。




子どもの日常 | 20:30:48 | コメント(6)
気がついたら、後ろよりも前を見ていた!
ご訪問ありがとうございます。


昨日は、ナカリのカウンセリングの日でした。

数日前、ショートステイを使ってみようという話から、
以前ガイドヘルパーも使っていたので、カウンセリングの片道とかどうかな、
と、なにげに私が思っていたら、
ナカリの方から、まさかの発言!
「片道だったら私一人で行けるかもしれない・・・あ、でも焦らないで」
うんうん、もちろん焦りませんとも!!
いきなりそんな無茶な、と、こちらが思うほどの言葉に驚いた、
という報告も、先生に聞いていただきました。

カウンセラーさん。
ニコニコしながら、
「この前、伝え忘れてたけど、
ナカリちゃんの悩み、過去の問題から未来の問題に移ってきたね
私、一瞬「?」
「今までは、昔の出来事に苦しんでたけど、今は、これから先の不安が問題になってるね」
言われてみると、なるほど!ほんとだ!
目の前がパーッと開ける感じがしました。

過去のトラウマ(勿論まだゼロになってない)に苦しめられ、
何でこうなっちゃったんだろう、と泣いていたナカリ。
だけど、確実に、視線の向かう先は過去より未来に移りつつある

ただただそう気づいただけで、問題は半分以上解決したような気持ちになって、
先生ありがとう~と、胸一杯になった母でした。

目の前に、超えないといけない壁はまだまだあるけど、
「前」にある、ということは、向かって行ってる、ということだから、
すごいことだ!
そう思うと、いろいろある不安も、半分期待が混ざってきた気がして・・・
あ、でも、
こうやって私が調子に乗るとナカリが沈む、というパターンも繰り返してきたので、要注意!、
はしゃがない、平常心平常心、と自分に言い聞かせながら帰途につきました。


一方、田舎の母も、病院から老健施設に移り、
少しだけれど、携帯電話の操作もできるようになってきた様子で、一安心。
でも、環境が変わったこともあって「寂しい」を連発しているらしく、
付き添いの叔父が、なかなかそばを離れられなくて困っているようなので、
年内にまた私だけ様子を見に帰る予定です。

母にも、過去じゃなく未来を見ていてほしい。
(でも、実際には、楽しかった過去を思い出すのが一番のエネルギー源みたい)
母の未来にも楽しいことがありますように。
それはつまり、孫達の未来に楽しいことがありますように、という願いと重なる。

年内にやらないといけないことはまだ山積みだけど、
何とか乗り越えて、
母の顔を見て、それから家族揃って無事に新年を迎えられるよう、がんばろう。





子どもの日常 | 17:37:17 | コメント(0)
成人してもなお「思春期」
ご訪問ありがとうございます。

ひとつ前の記事にたくさんの拍手を頂いて、
「発達障がい児育児」のジャンルで注目記事の10以内に初めてランクインしました。
お子さんが小さい方にしてみたら、成人後の話はまだまだ遠い未来のこと・・・でしょうに。
ありがたいことです。

とにかく
長ーい思春期が今もまだ続いている、という感じの我が家です。
自分とは何か?愛とは何か?迷い、悩み、苦しい時期です。
横で見ていてハラハラしながら、伴走するしかない。
リンク先の「なきむしでいいじゃん」のむーにさんの記事に共感するのも、
年齢は全然違うけれど、似たような状況にある気がするからです。

「自立したい」「まだ甘えていたい」その狭間で、「人恋しさ」も実感している。
イマジナリ―フレンド(ラバー)だけでは満足がいかない、
どうしたらいいのかな。
一つの解決策として、人型の抱き枕を買ってみました。
これは正解でした。
毎晩一緒に寝ています^^;

でも、愛の何たるかは、人類みんなの難題だから、まだまだ答えにはたどり着けません。
「大好きな人に触れることが出来ない、見ることが出来ない」苦しさ、というのは、
ある意味、片思いの苦しさ、恋煩い、でしょう・・・
ぽろぽろ涙を流しながら、苦しさを訴えます。
でも私にはどうしてあげることも出来なくて。

この長い思春期の終わりが来るのはいつのことなのかなあ。

「独り」に耐えられるかどうか。

このところ頭の中で鳴っている歌をアップします。


歌詞の和訳はこちら
Alone Again(Naturally)

ブログをはじめてもうすぐ2年。
その間に、父を送り、義父を送り、年末を控えて明日母が病院からホームに移ります。
この歌詞が胸に沁みるのはそういうこともあるからかな。
やっぱり、音楽っていいな。






子どもの日常 | 23:45:50 | コメント(4)
「こんな大人になるはずじゃなかった」と泣く娘、でも「在宅」は恥ずかしいことなんかじゃない
ご訪問ありがとうございます。

今日は、午前中に近所の内科でインフルエンザの予防接種を受けてきました。
小児科じゃなく内科だけど、ナカリが赤ちゃんの時から見てもらってきたので、
ドクターとは20年近いお付き合いです。
自閉症のことも、かかりつけの精神保健センターがあることも、ご存知です。
でも、本人はほとんど会話できないので、私と先生が話すことになります・・・

「今はどうしてるの?」
「在宅です。近所にできたショートステイと契約したところです」
「あー、あそこね(他に利用してる方もご存知の様子)。結構高いでしょう?
いろいろ相談に行ったら、費用のこととかも教えてくれだろうし、いいと思うよ。」

・・・などなど、
先生との会話の中で「在宅」という言葉が何度か出てきたのを、横で聞いていたナカリ。

帰り道から、自宅に着いた後も、ずっと、引っかかっていたようで、
べそをかきながら繰り返し言うのが、

「在宅ってカッコ悪い?
みんな、どっか行ってるの?私も行かないといけない?
わたし、こんな大人になるはずじゃなかった、
もっと、明るくて、学校とか仕事とか行ってるはずだった、
何が悪かったん?なんでこうなったん?
自分が嫌や、もう死んでしまいたい」


云々、悪いパターンのぐるぐる回り・・・

「あたまゴチャゴチャだよー」というのを、何とかなだめて、仕事に出た後、
メールで「大丈夫だよ」と慰めの言葉を送りました。
返事は

「メールありがとう うれしいよ 安心したよ 
回りの人みんなすごいかな 人と比べないことが一番かな 
在宅は恥ずかしいことじゃない、って言ってくれて安心したよ」


・・・でした。
読みながら、ちょっとウルッときてしまいました。

ごめんね。
言葉のやり取りではキツくなって辛い思いをさせてばかりのお母さんだよね。
ずしーん、と後悔と反省の思いが肩から背中に乗っかってきて、
足元が、ずぶずぶっと地下に沈んでいく感じ・・・
ごめんね。


朝起きて、昼間は、学校や会社に出かけていくのが「一般的」だから、
不登校になったり失業したりした人が、
いつも通り家を出て、昼間の間、公園やどこかで時間を過ごす・・・って、よくある話だよね。
でも
「学校」や「仕事」に出かけなくたって、「家に居」て、すべきこと、できることは山ほどある。

家事手伝いだって、留守番だって、ナカリは十分がんばってる。

特別支援学校の高等部や、教育委員会は、卒業後の「在宅ゼロ」を目標にするというし、
世の中では「不登校ゼロ」も目標になってる、でも、家に居たっていいじゃない?
出かける場所がないこと、所属する集団がないこと、
それって、別に恥ずかしいことでも何でもない、

自分が嫌だと泣く娘に、そう言ってあげたかった。
受けとめてくれてありがとう~胸張って前向いてマイペースで進んでほしい。

そして
「こんな大人になるはずじゃなかった」という言葉が、私自身の胸にも突き刺さる、
誰だって、思い描いたような理想の人生を生きてるわけじゃないよ、
「こんなはずじゃなかった」「こうなりたかった」
そういう不完全燃焼のような思いを抱えながら、それでもやっぱり生きていくんだよ。

この想いもまた、どこかで彼女に伝えたい。

ナカリが小学生の頃、「お母さん、何になりたい?」と、目を輝かせて何度も聞いてきた。
「お母さんは、もうお母さんになっちゃったからなー」と言葉をにごしていた私。
私も、なりたかった自分になれたわけじゃないけど、
ナカリのお母さんになれたことに、今は感謝してるよ。
ありがとうね。





子どもの日常 | 21:07:40 | コメント(4)
グループホームについての学習会に参加して
ご訪問ありがとうございます。

昨日書いた「楽しくない話」の前段部分、
親子で「グループホーム」の学習会に参加したところまでは、
ナカリもよく頑張ったし、私もよかった、という気持ちでいられたので、
そのこともきちんと書いておかないと、と思って追記します。

グループホームに対する関心が高かったのか、
定員オーバーで50人近い参加者であふれていた会場。
スタッフのママ友たちが、配慮して、一番隅っこの席をキープしてくれていたおかげで、
圧迫感無く、ナカリもリラックスしてお話を聞くことが出来ました。
(でも、聞きながら体を前後にユラユラ揺らしていた様子をみると、緊張してたのかもしれません)

配布された資料の中に、「障害者総合支援法」についてのイラスト版リーフレットがあり、
それがとても分かりやすくて助かりました。
大阪手をつなぐ育成会が作成したもので、グループホームを運営している事業者さんからの資料です。
グループホーム資料

その中に、「生活を支える たくさんのサービス」として、
グループホーム以外に、ショートステイやガイドヘルプ、相談支援など、
ナカリ自身が利用したことのあるものが含まれていて、
「やすむ」「相談する」「でかける」といった見出しで、イラストとともに説明されていました。
そして、彼女が「作業所とか行った方がいいのかなあ」と悩んでいた、日中活動については、
「かよう」=生活介護、地域活動支援センター、「練習する」=就労移行支援、就労継続支援、
という見出しで説明してありました。

今のナカリは、
ショートステイで、家族から離れて一人で過ごしてみることを一つの目標にしています。
それも、2か月に1回は利用しないと、また最初の面談から仕切り直しになる、とのことで、
「2か月に1回」のハードルが気になっていましたが、
資料を見ながら、「やってみる」と言葉にしてくれ、
外に出ていくエネルギーがちゃんと消えてないことを確認できて嬉しかったです。
遠距離介護による、親の側からの必要性だけではなく、
「自立のためのステップ」として、ショートを使えたら、という気持ちが、
ナカリにも通じている気がして、ホッとしました。

あとは、少しずつ、実際に経験を積み重ねていくだけ、ですね。

で、
「くらす」=グループホーム、の方は、市内に50か所以上あると知って驚き!
生活上のヘルプをしてくれる人たちを「世話人」さんと呼ぶ、というのも初めて知りました。

また、待機の方がいる、けど新規に作るのは大変、といった課題があり、
物件の確保が難しいうえに、消防法などの条件が厳しいということ、
事業者や利用者は「当たり前に地域で暮らす場」という気持ちでいても、
行政の方からはあくまで「施設」としての扱いになってしまっていること、
昔からある「長期入所施設」は、街中ではなく、郊外の離れた場所にあること、
などなど、考えさせられることがたくさん。

可能なら、ナカリは一人暮らしできた方がいいかなあ、集団生活は難しそう、
とも思いながら、
その場合には「くらす」=ホームヘルプ、などのサービスも考えられるなあ、と、
「支援」を受けながら生活することについて、前向きにイメージすることが出来ました。

いろんな準備をしてくれた、ママ友たちに感謝と同時に、
親子で参加できてよかった、という気持ちで、仲良く帰宅したのでした。
(その後の急展開は、まあ日常あること…でしたが、立ち直るには時間がかかっています)

とにかく、先日の記事にも書いた「自立は依存先を増やすこと」という言葉をかみしめた一日でした。
以上、追記、おわり。





子どもの日常 | 15:58:09 | コメント(4)
明るいパステル画 と 楽しくない話
ご訪問ありがとうございます。

昨日のアートセラピーで、お正月らしい作品が出来上がりました。
先生が参考に、と作ってきてくださったのは赤富士でしたが、
ナカリは青を選び、雲ではなく梅の花を散らして、こうなりました。
富士山

立体感があって、いいね、と先生に褒めていただき、
飾ると一気に華やかな雰囲気になって満足しています。

ナカリのオリジナリティにも注目してくださった先生が、
さらさらと絵ハガキの下書き用に何枚か描いていた中から、
「このキャラ可愛いから、いろんなポーズを作ってみて」と、
オリジナルキャラのポリー君が指名を受けて、出番がやってきました。

次回、来年のセラピーも楽しみです。




今日は、親の集まりで主催した「知っとこ、グループホームについて」
の学習会に親子で参加できたのですが、
いただいた資料に、イラスト付きの分かりやすいものがあって、
こういうのが描けたらいいね、という話から、帰宅して、
ちょうど思春期の健康的なお悩みにも合いそうだと思って、
ピクシブからデビューしたイラストレーターさんのコミックエッセイを電子版で勧めたら、
ナカリには「理解」が難しかったようで、感想の話がうまくかみ合わず、
ちょっとした言葉の調子から、
また「私が生まれて失敗だった!」「楽に死にたい」の連呼となり、
こちらも切れて怒鳴ってしまい、疲れました。

ほんとに疲れました。

もうどうでもいいや、の気分です。まさに母が言っていた気持ちです。
後始末する人が大変だし、死ぬなんて「勝手」は許されないけど、
気持ちは、何もかも放り出して
「風船みたいに飛んでいきたい、泡のように消え去りたい、居なくなりたい」・・・です。

こんな話、読んでも楽しくないですよね。
愚痴記事になってすみません。


繰り返しになるだろうけど、この山を越えて、前に進むしかない、んだな。
後戻りはできない、後ろ向いても仕方ない。
新しい1年が、目の前に迫ってきてるんだから。





ナカリの作品 | 16:08:57 | コメント(4)
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