2015-09-05 Sat
一生懸命パラレルのキャラクターたちのイラストを描いている娘に、「楽しいことって何?」と聞いてみました。
「えー?」「楽しいこと?・・・分からん」
「今、絵、描いてて楽しい?」
「んー、楽しいんかなあ?」(・・・私に聞くの?)
「じゃあ、昔、楽しかったことは?」「旅行に行ったり、行事とかもいろいろあったやん」
「んー、その時は楽しかったのかもしれんけど」「今は分からん」「行事は苦手」
「楽しいってどんなん?」
逆に質問されてしまった!
「そうやなあー、わくわくするとか、時間を忘れるとか、気持ちいいとか・・・」
「ふーん」「じゃあ、絵描いたり、コスプレしたり、音楽聴いたり、かな」
「でも、楽しいってあんまり好きじゃない」
え?そ・・・そうなんや。いつからそうなった?・・・子どもの頃は無邪気に楽しんでた(と思う)のに。
「キャピキャピしてる=楽しそうな、のは苦手」「盛り上がるでもなく、落ち込むでもなく、普通がいい」
そう、確かに。中学の時から、そう言ってたな。
でもね、母は、イタリアの先生の夏休みの宿題を読んでから、ちょっと考え込んでしまっている・・・。
「楽しい」って、考えることじゃなく、感じること。
自然のままに、あ~生きてて良かったなーとか、楽しいなーとかいう感情を、
なんとか鮮明に、彼女の記憶に刻む、って出来ないだろうか・・・って。
映画の主人公シモンも、激しいパニック以外は「淡々と」毎日を過ごしてた。
多少笑うことはあっても、基本、無表情に近かった。
他の人の表情を読む(理解する)のも苦手で、パターンに当てはめて機械的に判断してた。
一方、娘は「いい顔~」と言って、ほんとに「いい顔」をして笑ってくれる。
見ていても、感情は豊か、な方だと思う。
だから他者との交流、がなくても、それはそれでいいか・・・
「ごめん」「友達ときゃあきゃあ遊べる方がいい?」(すぐにこちらの気配を察する!)
「そんなのできなくていいよ、全然」「要らんこと言って、お母さんこそ、ごめん!」(汗)
娘の「リア充」を求める母の気持ちが、少しズレた質問になってしまったみたい。
過去の楽しい思い出より、未来の楽しいことに向けた希望が見えてる方がいいよね。
思い出、って、親の自己満足なのかもしれない。
それに「記憶」のシステムが違う人達だから、あまり過去にこだわらない方がいいようにも思う。
でも、この先。
やっぱり、なんとか「リアル」の人間関係をつなぎたいなあ、と、まだまだ模索は続きます。
変な独り言になってしまいました

今日から私一人だけ一泊帰省して、明日、父の「昇天者合同記念会礼拝」に参加してきます。
自分にとっては、また一つ、「思い出」の区切りになるかな・・・

2015-09-02 Wed
9月からまた近所の小学校のチャイムが聞こえるようになりました。「何で学校行きたくなかったんだっけ?」と不意に娘に聞いてみたら
「○○先生と××先生が居なくなったから」
あ、そうやったね、小5の始業式に行って初めて、大好きだった介助員さんと支援学級の先生が
「二人とも居ない!=他校に転勤)」と知って、翌朝から大パニックで登校拒否したのでした。
人事異動ばかりはどうにもならないのでしょうが、この時はホントに「酷」でした。
前回の記事の映画「シンプル・シモン」で、
シモンが「ぼくは変われないから君が変わって」と当たり前のように要求する場面があったのですが、
なかなか「変わる」ことが難しい人たちにとったら、
突然のショックな出来事や理解できない変化は苦痛・・・なんですよね。
シモンも、自分の想った通りに事が運ばず、お兄さんから思いがけない怒りをぶつけられて大パニックをおこし、
ドラム缶の宇宙船の中に引きこもってしまいます。
あのシーンは切なかったなあ・・・

・・・というような話をしていたら、
お気に入りのブログにおもしろい記事を発見しました。
「雲の中の散歩のように」 イタリアのある高校教師による夏休みの宿題
チラッとのぞいていただけたら、宿題の一つ一つがとても魅力的なのが分かるのですが、
「シンプル・シモン」を見た後だけに、
課題9
あなたを魅了する人に出会ったら、できるかぎりの正直さと誠意をこめて、その人にそのことを告げなさい。彼、あるいは彼女に理解されなくてもかまいません。もし告白しないなら、彼、あるいは彼女は運命の人ではなかったわけです。もしうまくゆけば、2015年の夏は金色の空となり、ふたりはその空を見上げながら歩くことになるのです(もしうまくゆかなければ、課題8に戻りなさい)。
を読んで、何てロマンチックな先生だろう

スウェーデンも良かったけど、イタリアも良いなあ~~