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ナカリ母

Author:ナカリ母
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

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メルトダウン
実家に戻って十日、ついに娘がキレてしまいました。
我慢を重ねて、内心の思いをぶちまける機会がなかったから、いったん口に出すと、はたから見たら自己中の暴言としか思えない表現の連続となり、聞くのも辛く、こちらの嫌な気持ちが伝わると益々ヒートアップ、露骨にぶつかり合うと双方消耗して、頓服のお世話になりました。


自分以外は苦労がないと思える、みんなコピーみたい、みんな良いことばかりで自分は結婚もできない、子どもは嫌いだ、周りの人みんな死んじゃえばいい、母は周りにいいカッコして自分にだけキツイ、と、ひととおり吐き出してから、母を傷つけた自分は悪い子だと責めて落ち込む…という状態です。

昨日、あれだけ栗原さんの話をしたのに、人が羨ましくなると、自分は自分、人は人、という考え方がぶっ飛んでしまいます。

難しいです。

相田みつおさんの、

だれにだってあるんだよ
ひとにはいえないくるしみが

だれにだってあるんだよ
ひとにはいえないかなしみが

ただ、だまっているだけなんだよ

いえば、ぐちになるから

…という詩を読んでやったのですが、人のくるしみやかなしみを想像する力には、やはりハンディがあると痛感して、そのことが悲しくなりました。
良い子なんだけれど、複雑です。

明日目覚めて穏やかさを取り戻せていたら良いのですが
信じる気持ちが大事ですよね
近いからぶつかるのだと思って、寄り添う気持ちを振り絞ります。


長々すみません。
だまっていられなくて、ぐちになってしまいましたm(__)m



子どもの日常 | 00:48:03 | コメント(8)
栗原類さんの発言を知って
引き続き実家なので、携帯からのアップです。リンクしたい記事などありながら、技術的に難しくて文章だけですみません。

娘は、入院中の母を支える側として、本当によく頑張ってくれています!支援を受ける側ではなく、頼りにされることでの成長というのを目の当たりにして、我が子ながらしみじみ良い子だなあと感動しています(親ばかですが)


ところで今日、長く留守を任せている夫から、娘に良いニュースがある、とメールをもらい、男性モデルの栗原類さんが発達障害をもっていると告白されたことを知りました。
携帯で検索して、娘と一緒に内容を確認し、とても励まされています。

栗原さんご自身のブログで詳しく述べられているようですが、なにせガラケーでは検索もニュースが精一杯で…(残念)
発言の詳細が違っていたらご容赦ください。


ネガティブ発言と笑わないキャラが話題になっていた栗原さんのことは、NHKの妄想料理の番組で見て知ってる程度でしたが、今回、8歳の時に診断されていたことや、学校の騒音が苦痛だったこと、障害があっても自分は自分で変わらないこと、自分の言動が笑いを引き出すものなら障害があるから笑わないようになどと考えないで笑って欲しい、と書かれていることなどを知って、娘も私も、親近感が一気にわきました。

類さんが子どもの頃に見た魚のアニメ(多分、ファインディングニモ?)が面白い!と言ったら、お母様が、類さんも主人公の魚と同じような個性をもっているとお話されたとか…
幼い頃から自然な形で、自分らしさを尊重してもらいながら、自分は自分、というしっかりした軸を持たれたんだろうなあ~、と、感心しながら娘と一緒にいろいろ話ができました。


嬉しいできごとだったので、携帯からのログインのハードルを越えての投稿となりました。

周りに合わせることが困難でも、それが自然体の自分なら無理をしない!その姿勢に勇気づけられます。
ネガティブイケメンモデルの栗原類さん、(勝手に)応援してます


追伸:6月2日、自宅に戻ったので、パソコンから栗原さんのブログをリンクしておきます。
    栗原類オフィシャルブログ 5月25日記事 「改めて」





子どもの日常 | 21:33:53 | コメント(4)
変化を受け入れようとする涙
夜中に目が覚めて眠れないので、携帯からの記事アップに初挑戦してみます。


先週水曜に帰省して木曜に父を見送り、友引の金曜に葬儀の準備。前夜祭無しで土曜に教会で告別式を行い、一晩実家で娘と私で遺骨と共に過ごして、私だけ昨日の礼拝に参加。教会に遺骨を預けて帰宅してから、ふとしたはずみに一気に想いが溢れて昨夜は私も泣き腫らしてしまいました。

先の記事のコメントで報告したように、この間、日中、娘はほぼ私と別行動で、心臓病で入院中の母に付き添って動いてくれ、私より一足先に、おばあちゃんと孫と二人で過ごす間に泣き腫らしながらも、祖母の支えとして十二分な働きをみせて私を助けてくれました。


昨夜、私と一緒に睡眠導入剤を飲んだだけで頓服も必要なく(私の方は飲み続けてますが)、適度に気分転換ができている姿には驚かされています。


人が苦手で、初めての場所や人の前ではうつむいて祖母から離れず、遺体に会いに行った際、葬儀社の方に「お嬢さん具合悪いの?」と心配されましたが「お名前は?」と質問されたら単語でですが答えることができていたそうです。

母と娘は遺体が安置された聖えんに昼間少しだけ会いに行ったのと葬儀に参加するだけしかできませんでしたが、怖がることなく遺体の顔を撫でさすり、遺骨を持ち帰った際にも、まだあたたかい骨壺を膝に抱き、夜には中も見たい、と、お骨を一緒に確認しました。

父の死に立ち会い、目前で看取ったところから、お骨になって帰ってきたところまで、ほぼ一部始終を経験して、苦手な「変化」を必死で受け止めてくれたように思います。

初日
「おじいちゃん死んじゃったよ」
「死んじゃうと苦しいこともない?」「私も死にたい」「私も、おじいちゃんみたいな死に方したい」
「くちハアハアしてたのにしなくなった、死んじゃうとこ初めて見た」
「おじいちゃん、もう居ない?」「お父さんお母さんが居なくなると嫌だよ」
「思い出すと悲しいよ」「涙が止まらないよ」
というところから、まだ貴女はこれからいっぱい生きてね、生きてると苦しいこともあるけど、嬉しいこともあるから、とか、お父さんやお母さんはまだ大丈夫だから、とか、やりとりしながら、
昨日には
「おじいちゃん、居なくなってしまったん?」
「どこに行ったん?」
「もう居ないなんて認めたくないよ」
「もっと居てほしかったのに、もう会えないの?」
と、私の気持ちを代弁するような言葉が大粒の涙とともに次々出てきて、一緒に「悲しいね」と抱き合って泣きました。


今は遺された母の体調と気持ちが心配で、「おばあちゃんの支えになってくれてありがとう」「これからもお母さんを助けてね」と話しながら、娘と一緒に帰省できて良かったと心から感じています。


とはいえ途中、自分自身について
「言葉が出ないんだよ!」「私みたいに、しゃべれない人、他にもいるの?」「私、場面かんもくかな!?」「もっともっと普通の人みたいに、それなりにやりとりできるようになったらいいのに!」「しゃべれないねん、言葉が出ないねん!」「こんな変な子いないよ」
と、歯がゆさをぶつけたり、
大学院生の兄について他の人が話すのを聞いて、
「兄はすごいね、優秀やね」「お母さんは一人っ子だから分からないんだ」「みんな冷たい」「お母さんはイライラを全部私にぶつけるんだ!!」
とメルトダウン寸前で押しとどまったりすることも…。

こちらに余裕がなく、なかなか受け止めてあげられなくて申し訳なかったけど、この数日を何とか乗り越えられた経験は大きいです。


苦手な「変化」を実感し、一日一日が移り変わっていく、過去には戻れないから先に進むしかない、ということを、穏やかに受けとめる練習の機会になり、私にとっても大きな学びになりました。

母が落ち着くまでしばらく帰れず、仕事やあれこれ気になることもありますが、娘や亡き父の頑張りを支えに、もう少し実家で諸々の整理をします。


携帯からで、まとまらない文章を長々読んでくださってありがとうございました。
引き続き、皆さんもご無事でありますように!



子どもの日常 | 06:19:16 | トラックバック(0) | コメント(5)
予測できないことに向き合う経験
今日は、友人に車で送ってもらって娘と一緒に病院に行き、薬をもらってタクシーで無事帰宅。
父の緊急入院からちょうど1ヶ月。ここまで待ってくれたんだ、と感慨深い思いでした。
…が、肝心の薬袋を忘れて、私ひとりでまた遠方の病院まで電車で往復することに

でも、その道中、本当に久しぶりに連絡がとれた別の友人とメールのやりとりをしたり、
実家からの電話や、お世話になっている地域包括支援センターの方からの電話を受けたり、
急きょでしたが、帰省に関する打ち合わせ(娘のことと仕事の段取り)で夫とも会えたり、
「あぁ、この忘れ物も、何か意味があってのこと」という受け止めができました。
(最初は、ぼんやりしていての不注意が、自分でもガックリ…でしたが)


明日からの帰省は片道切符。
帰りはすべて済ませてからになるので、何日になるか分かりません。

こういう「予定がはっきりしない状況」は、娘にとって、相当のストレスです。
あと、人の中を移動する、ということも、本人にとっては「苦痛」です。

「しんどい」「元気がないよ」「いつになったらゆっくりできるの?」
と繰り返しつつ、それに対する私の反応に、
「私、悪い子や」「わがままかな」「行きたくないとか、無礼者やった?」
「なんか、怒ってる?」「我慢しろってこと?」などの質問も繰り返しながら、
何とか、メルトダウンせずに踏ん張っています。

今の状況は、先の見通しが立たないという意味で、
娘にとって本当に辛いし、しんどいことだけれど、
こんな機会は人生の中で何度もないからね、と話をして、
苦手な「臨機応変」、に立ち向かう大きな経験になる、と意味づけしています。

今夜は息子からも、妹のことを気遣う電話がありました。
同時に、祖父に苦痛が無いかどうかを気にして質問してきました。
「何をおいても駆けつける」という形ではない彼なりの見送り方を尊重するのだから、
「一緒に帰省する」ことで多々ストレスと闘う娘のことも見守ってやらなくては・・・。

苛立たないように、自分がメルトダウンしないように。



今日は、庭の鳥を友人にも見てもらい、ヒナの誕生が楽しみね!と力づけてもらいました。
どうやら山鳩(キジバト)みたいです。

鳥 アップ DSC07179

帰宅したときに、ヒナがかえって賑やかになっていたらいいなぁ。
調べてみたら、山鳩は昼と夜と、つがいが交代しながら卵をあたためるそうです。
仲良く子育てする鳥の姿から力をもらいました。


今日、父は、看護師さんに「ありがとう」、母の名前を呼んで「すまん」、と言ったそうです。
最期まで周りに気を遣う人だなあと改めて思い、
意識がはっきりしているうちに、もう一度会えたらいいなと願いながら、行ってきます。

しばらく更新できませんが、どうか皆さんも、ご無事でありますように!






子どもの日常 | 00:11:22 | コメント(10)
繰り返される質問は不安のあらわれ
前にも書きましたが、娘は自分の不安が高まるとシングルフォーカスになり、
私の状況や気持ちを「察する」余裕なく、
顔を見るたびに「お母さん、悲しい?」と何度も何度も聞いてきます。
「悲しくないわけないやろ?」と言いたくなるのをグッと堪えながら、
「そうね、悲しいね」と答えるのが精いっぱい。
すると、

「なんか、悲しいから面白いこと言って」「楽しいことない?」
・・・

一方で、
「また帰るの?」「いやだな」「おじいちゃん、お世話になったのに、わがままかな」
・・・

娘の口から出てくる言葉のひとつひとつに深い意味があるわけではないのに、
親として勝手に傷ついたり悲しくなったりしてしまうので、深呼吸深呼吸

父の容態は上がり下がりを繰り返し、母の精神状態もそれに伴って揺れ動き、
電話で泣いてばかりの母と話すと、気もそぞろ・・・そんな私の様子を見て、
娘はやっぱり何度も「お母さん、悲しい?」の質問を繰り返してしまいます。

一緒に帰省させるか、長期間留守番させるか・・・
ネックは食事に関する自立ができていない(自分で買いに行く、作る、が困難な)こと。
明日の本人受診と、父の主治医の説明次第で考えようと思っています。


今日は雨。
紫陽花のつぼみが膨らみ始めたのを見て思いだし、
2年前に娘が描いたパステル画の紫陽花をアップします。
母として娘に対しても、心穏やかに接することができますように・・・

あじさいパステル CCI20150518_0000






ナカリの作品 | 23:39:18 | コメント(7)
いよいよの準備
帰宅してからこの数日、
何かこのまま奇跡が続いて夢のように回復するのではないかと、
新緑の中で、満たされた思いでいたのですが。

今日、主治医から直接電話をもらい、面会した母からも様子を聞いて、
そろそろ限界の状況にあることが改めて分かりました。

身体障害者手帳は希望に向けての申請、と自分でも分かっていましたが、
それを、病院の方でも「娘さんの気持ち」として受け止めて、
(どう考えてもそこまでの生存は難しいと分かりながら)書類の準備をしてくださっていた、
と知りました。

孫との笑顔の面会ができたことだけでも十分頑張ってくれたので、
これ以上本人の苦痛を増すような処置はお断りして、
とりあえず様子を見ることにしました。

昨日母にも小鳥の話をしたら、
偶然5月10日からがバードウィーク(愛鳥週間)だと教えられ、
今日の面会の際に父に報告しようとしてくれたそうですが、
見ていても辛そうで、鳥の話にはほとんど反応できなかったようです。

こんなことを書くのは自分でも不思議ですが、
父の想いが小鳥を呼んでくれたような気もして、
ヒナの誕生に願いを託すような思いです。


来週火曜には3か月ぶりの娘の受診があるので、薬も切れるし、
何とかそこまで踏ん張って欲しいと思いながら、こればかりはどうなるか分かりません。

孫と祖父、という関係ではなく、私と父、という関係に限ると、
必ずしも良いものではなく、心の葛藤や確執があり、素直になれませんでしたが、
この数週間の間に、過去のわだかまりが溶けて、安らかな気持ちで看取りの準備ができた、
ということに、自分でも改めて驚いています。

また、母は昔からのクリスチャンですが、父は母から話を聞くだけの状態だったので、
最初の危機の夜、病院の許可を得てICUで洗礼を受けることができました。
「あなたの罪はすべて許された」という牧師さんの言葉に、私自身も救われました。
奇跡的な回復を遂げた後も、父に牧師さんが来てくださったことを伝えると、
いい顔でしっかりうなずいてくれました。

これもまた偶然ですが、私が現在「ぶどう膜炎」の治療をしてもらっている病院が、
古くからホスピスを開設しているキリスト教系の病院です。
そのホスピスに関わってこられたドクターの本を読んでいます。

「安らかな死を支える」(柏木哲夫 いのちのことば社)

他の本でも読んだことがありましたが、この本の中でも、
アメリカのニューヨーク大学リハビリテーション研究所の壁に刻まれた詩が紹介してあり、
心を落ち着けるためにも書きうつしてみます。



「ある患者の詩」

大事を成そうとして、
力を与えてほしいと神に求めたのに、
慎み深く、従順であるようにと、
弱さを授かった。
より尊大なことができるようにと
健康を求めたのに、
より良きことができるようにと
病弱を与えられた。
幸せになろうとして
富を求めたのに、
賢明であるようにと
貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして、
権力を求めたのに、
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった。
人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるように
命を授かった。
求めたものは一つとして
与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた。
私はあらゆる人のなかで
最も豊かに祝福されたのだ。



死をどう受け止めるか、ということで、
今回、娘はずいぶん成長したように思います。
(おそらく、離れたところにいる息子もそうだと思います)
父からの贈り物です。

願わくは、看取りの場に間に合いますように、
うろたえず、穏やかに、見送れますように。

まだいくつかやりきれていない準備を整えたいと思います。







読んだ本・文章、見た映画・ドラマ、聴いた音楽 | 17:49:31 | コメント(12)
鳥の巣
鳥の巣

とても分かりにくい写真ですが、真ん中上方に鳥の巣があります。
庭のもみじがすっかり落葉していた頃から作られていたそうで、
随分前に子ども達が先に発見していて、
「カラスじゃないよ、中型の鳥が来てるよ」と上の子が教えてくれました。
新緑に覆われて、今はなかなか分かりにくいですが、そっと近づいて見ると、
なんと母鳥が座っていました
一昨日、気がついてから双眼鏡を出して、毎日見ています。
首を出して座っている時には、はっきり可愛い黒い目が見えますが、
あれ?居なくなった?と思う時には首をすくめて丸まってじっとしているようです。
驚かさないように…
ひなが無事、かえりますように…
今夜からの雨風に耐えられますように…

こんな時だから、とても嬉しい発見で、またガラケーでパチリ。
生きものが新しい命をはぐくんでいる姿は心をゆすります
どきどきしながらこれからも見守りたいです。


追伸 友人が好きな言葉「木洩れ日(こもれび)」は、外国語にないと聞きました。
    今の季節、みどりの隙間からこぼれる日差し、本当に心が洗われる思いです。
    自然の恵みに感謝。










未分類 | 18:32:56 | コメント(4)
「悲しみ」の表現方法の違い
昨日は、帰宅してまだ頭もぼんやり、
実家にいるのか自宅に戻ったのか、
気持ちはあっちに置いてきたような感じもありながら、
娘が4日ぶりのほっこりお風呂タイムを過ごしている間に、
とにかく報告書きたい!と思ってパソコンに向かいました。

しばらく更新もできずにいたのに、訪問してくださった方々や、
拍手やコメントをくださった方々に改めて、ありがとうございます。



今日は親子でカウンセラーさんのところに行ってきました。

とにかく、娘がこの間よくがんばったことを、最大限ほめていただき、
娘にとっても、「悲しい気持ち」を切り替える機会になって助かりました。


私自身は・・・
今まで父の健康に依拠していた老々介護が、
「本格的な遠距離介護」に移行することへの気持ちの張り詰めがあり、
母の精神的不安定さを支えることと、いざという時への準備を維持し続けること、
そのピリピリ感が娘に伝わって、彼女のメルトダウンが抑えられている・・・
のを感じています。

一方で、いったん自宅に戻った!という安心感もあり、
娘が私に対して「母=支援者」としての対応を求めているのを改めて感じ始め、
この数日のように娘の頑張りに甘えていてはいけない、
再度、「発達障がい」の特性に寄り添った対応を心がけないと、と、
気持ちの切り替え、ギアチェンジを迫られています。

また、大学院の方で忙しくしている上の息子に対して、
この間の事情の説明が遅れたけれども、5月連休の最後に少し時間をかけて話をし、
好きなピアノを弾いてもらって録音し、それを病室で父に聴いてもらいました。
父は笑顔を見せて、かすれ声で「おにいちゃん」「えらい」と言ってくれました。
弾いた曲はバッハの平均律や、私がリクエストしたシベリウスの樅の木、などです。

ユーチューブ他の方の演奏より ↓





息子は連休後、そのまま下宿に戻り、日常生活を続けています。
それでも、彼は彼なりに出来ることを精いっぱいやってくれていることに感謝し、
「悲しみ」の表現方法の違いについて、周囲に理解を求めることも必要と感じました。
(何をおいても駆けつける、とか、会いたい、とか思わないの?という親族からの声に接して・・・)


で、こんな切迫した事態になる前に読んでいた本、
「自閉症スペクトラム 10人に1人が抱える『生きづらさ』の正体」(本田秀夫 ソフトバンク新書)
の一部分が何度も思い出され、
定型発達者の「期待」と異なる感情表出や行動に対して、
決めつけたり誤解したりしないで接することができるよう、冷静さを持つことができたので、
少し書き抜いてみます。


>小学校4年生の子どもは、母親が怪我をしたため病院で手当てを受け、帰宅が遅くなったところ、
心配そうに出迎えて「夕ご飯まだ?」と訊ねたため、母親は悲しくなってしまいました。
(中略)
>怪我の手当てを受けて病院から帰ってきた母親の多くは、
出迎えた子どもから「大丈夫?」と声をかけてほしいのです。
この「大丈夫?」という言葉は、事実確認ではありません。
「怪我をしたお母さんのことを心配しているよ」というメッセージなのです。
その言葉を聞くことで、
自分の身を案じてくれている相手に対して感謝の気持ちを持ち、ホッとするのです。
>ところが、そんな母親の心情に、自閉症スペクトラムの人たちはなかなか気づきません。
大丈夫でなければ病院からは帰らないはず。
帰ってきたということは、大丈夫ということ。
自閉症スペクトラムの人は、
このような論理的に明白なことを、わざわざ相手に質問することの意味が分かりません。
それよりは、
母親が病院に行っていたため定刻に始まっていない夕飯が、いつ食べられるかのほうが心配なのです。




ここまで、ハッキリした表現ではありませんでしたが、
娘の場合も帰省前に「おじいちゃんおばあちゃん好きなのに、帰るのは気が重い。わがままかな」
と正直に言い、帰省中にも病院と実家との行き来で人がいるところを通るのが「嫌」と言い、
できれば行きたくないと思っている様子を隠そうとせず、
私が明らかに疲れた表情の時に「お母さん悲しいの?」と何度も聞いたり、
「何怒ってるの!けんか売ってるの!」とメルトダウン寸前で押しとどまったり・・・
「察する」ことを求めると、こちらが疲れてしまう(場合によっては苛立ってしまう)場面もありました。

優しい気持ちを持っていることは確かなのに、表現と理解の仕方が噛み合わなかった時に、
本田先生の解説を思い出しては、自分の受けとめ方の方を軌道修正して、踏みとどまれました。


父の病室でも、最初はなかなか視線を合わせることが難しく、
促されるまでソファに座って音楽を聴いたり本やノートを見たりしていた様子に、
私自身も、正直(なぜここでそういう行動を・・・)と悲しくなったのですが、
父と目が合って顔が歪んで泣きそうになった娘も、同じ娘。
彼女の「悲しみ」は十分伝わってきました。
同時に、最初、誤解しかけたことを詫びたい気持ちにもなりました。

今日も、カウンセラーさんのところに行く途中、
娘が「私、カッコつけてないかな(悲しいふりをしてるだけじゃないかな)」と聞いてきた際、
どこまでも正直な表現に、愛おしさを感じることもできました。



長々となってしまいましたが、
今回(今もまだ継続中の)、父から与えられたいろいろな「課題」を、
しっかり受け止めて、活かしていかないと、と思っているところです。

読んでくださってありがとうございました。








子どもの日常 | 20:34:31 | コメント(4)
奇跡、そして身体障害者手帳の申請、とナカリの反応
喪服を持って心の準備もして4泊5日の帰省。
先ほど自宅に戻ってきました。

到着した日に、主治医から「奇跡です」と言われました。
何人もの患者を診てきた外科医が10人以上、生存は非常に厳しいと判断したのに、
そこを乗り越えられたのは奇跡的な生命力というしかない、とのこと。

小腸を全部摘出しているので、高カロリーの輸液を行いながら、
人工透析もしつつ、それでもなお回復の兆しを見せていることに、
周囲の皆が驚かされていました。

ドクターの言葉にホッとしたけれども、会ってみると本人の様子は痛々しく、
予定通りいざという時に備えての準備を進め、いつでも対応できる状況を整えた中で、
毎日の面会から帰る時、涙をふきながら母の病院に娘を迎えに行く、という数日間でした。

本人はまだ小腸が無いことなどつゆ知らずと思いつつ、
とりあえず市役所に行って身体障害者手帳申請用の書類をもらい、病院にも渡してきました。
これは、生きぬくことを想定しての方の準備で、
娘の療育手帳取得の時のいきさつとは逆に、希望を託す申請、となりました。

主治医の先生から、難病指定になっているクローン病や、
様々な事情で切除を繰り返して「短腸症候群」と呼ばれる病気になってしまった場合でも、
状況によっては働いている人もいるし、生活は可能、とのお話をうかがい、
ひとのいのちの不思議というか、生きる力というか、
いま、このときも、病と闘っている人たちがいる、ということに強く励まされています。

2日目の面会の際、父ははっきり私を認識してくれ、
夢身心地だったのか、私が小さい子どもに見えたのか、
手を伸ばして私のほほを撫でたり顔を触ったりしてくれました。
まだほとんど声は出ませんが、
初めて「おみず」と聞き取れた時の嬉しさは忘れられません。

ただ、本当に重病人なので、孫との面会は慎重に・・・様子を見ながらで、
昨日初めて連れて行った時には、父の方の調子が悪く、
少し会っただけで母の病院に連れ帰ったので、
最終日の今日、帰りの飛行機に向かう前に、初めて笑顔の対面ができました。

ナカリは「私のこと分かったかな?」「私、変な顔してなかったかな?」と気にしながらも、
しばらく父の傍についていてくれ、父も孫の方を見て嬉しそうに「いい顔」をしてくれました。
ただ、感情が高まるとナカリが泣きそうになるので、泣いてしまう前にそばを離れてソファに座り、
気持ちを切り替えて音楽を聴いたり、持っていったギャグ漫画を見たりしながら、
その間はずっと私が父に付き添っていました。
帰り道、ナカリが何度も「別人みたいやった」という感想を口にするので、
こうやって、人は年を重ねていく、老いていくんだよ、と話しました。

そして、昔、読んだ絵本「だいじょうぶ だいじょうぶ」(いとうひろし、講談社)
一緒に思い出して、似てるねえ、と話しました。
「とっときのとっかえっこ」(サリー・ウィットマン 童話館出版)
「葉っぱのフレディ」(レオ・パスカーリア 童話屋)も、似た内容を扱っているので、またの機会にと思います。

急な理解、は難しくても、少しずつ時間をかけて、ゆっくり受け入れることは可能かな、
と、今回、父が「時間」を与えてくれたことに改めて感謝でした。

ふだんは深刻に考えなくても、やはり、人は誰でもいつか必ず死を迎える、ということを、
この間ほんとうに実感し、
前にも書きましたが、日々の一瞬一瞬を大事にしたい、自然の恵みに感謝したい、
という気持ちが改めて強くなった気がします。

気を張って過ごしていたから、帰宅後も少し「お腹が痛い」と言っているナカリですが、
大きな経験ができました。


お祈りいただいた皆さん、お気遣いいただいた皆さんに、心から感謝しています。
取り急ぎの報告です。

ありがとうございました。






子どもの日常 | 21:38:22 | コメント(6)
発達障がいを抱える人にとっての「死」との向き合い方
明日は仕事のため、子どもを連れての帰省が金曜日になります。
実家からの電話で様子を聞くと、
いよいよ最期の時が近づいているのを感じ、
喪主として頑張らないと、と思うのですが、
一方で、子どもたちの心のケアが大きな心配事です。

叔母は「親が思うほど子どもは弱くないよ」
と言ってくれるのですが、
周辺の友達の家庭で、「死」に接した自閉っ子たち、発達障がいエリアの子ども達、
の様子を聞くと、みな、不安定になり、かなり動揺してしまうようなので、
細心の注意をはらって丁寧な対応が必要・・・と心しています。

移動に際しても、座席指定が確定するまで落ち着かないし、
先の先まで頭を巡らせ、夫の実家で何かあった時のことにも不安を高め、
さらに、私たち親から離れる時のことを想像して、半分パニックです。

定型発達の子どもたちでも「死」に向き合うことは大きな試練となるでしょうが、
理解や認知の仕組みが異なる発達障がいの子どもたちに対して、
可能な限り不安を取り除きながら、必要なことを伝えていく、
という過程には困難がつきまといます。

同様の経験をした友人たちに、アドバイスをもらいながら、
とにかく、いちにちいちにち・・・と思っています。

ほんとうに、いまさらですが、
太陽や青空や、きれいな空気や、美味しい食べ物や、みどりや花や、
自然の一つ一つ、一瞬一瞬が限りなく大切で愛おしいものに思われます。

「えがおはいいことです、たのしいこともいいことです、
しぜんをまもりましょう、えがおをまもろう」
という、ナカリの絵本
が思い浮かびます。

いのちについて学ぶ大きな機会なので、親子でがんばります。
ありがとうございます。









子どもの日常 | 23:28:21 | コメント(6)
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