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Author:ナカリママ
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

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海外ドラマ「ボーンズ」
去年の秋ごろ、子どもが落ち着いてきたので、自分自身の楽しみを、と、
BSでDlifeの無料放送を見始めました。
「BONES 骨は語る」はその中でも、いろいろ考えさせられることの多いドラマです。

主人公の女性を見ているうちに、「この人、発達障害だ」と思う場面が多々出てきて、
「ボーンズ アスペルガー」で検索してみたら、いろいろな方がブログでその点に触れていました。
製作指揮の方のお友達がアスぺさんで、主人公のモデルになっているとのことで、納得。

いいなあ、と思うのは、
彼女の特性を、周りの人たちがきちんと尊重し、受け入れているところ、
(上の子どもが、自分が考える理想的な関わられ方?として教えてくれた、
ワーグナーの「ベートーベン詣」の中に出てくる近所の人の言葉、
「あの方は変わったお方です。でも、我々はそれをよしとしなければなりません」
に通じるスタンスかな?)
またそれだけでなく、
上手くフォローしたり、「一般の感覚や言動」についてその場その場で具体的に指南しているところです。
そして、彼女もそれを積み重ねることで、ひとつひとつ学んでいる様子が、いい感じなんです。


外見や言動からだけでは分かりにくい、彼女の傷つきやすく純粋な心を、周囲が理解している、
という状況を、非常にうまく表現していると思います。


今日は、シーズン8の「あの日を忘れない」というエピソードで、9・11に関係する内容でした。
ちょうど、たまたま最初に見始めたシーズン5「聖夜の誓い」のエピソードに出てきたのと同じような、
主人公やスタッフを含めたごく少数の人だけが立ち会う葬儀の場面がありました。
どちらの場面も
「誰にも知られていないけれど、誠実に生きたり、勇気あることをしたりしていた人」
に対する敬意
が込められた場面で、胸にこみ上げるものがありました。

でも、今日一番驚き、また、もらい泣きしそうになったのは、最後のシーン。
いつも鉄壁の無感情を貫いているような主人公が、
「9・11の時に泣かないで責務を果たしたことを誇りに思っていたけれど…」と、語りながら、
みるみる大粒の涙
「もし、貴方(目の前の相棒)が被害者だったら…と思うと」

「相手の気持ち」や「その場の雰囲気、空気」がなかなか読めない発達障害の人も、
愛する感情、大切に想う気持ち、をしっかり持てるんだ、と、改めて強く思い、
それは、定型発達か否かという問題ではなく
周囲の人たちととどのような形で信頼関係を築いていけたか、
という後天的な要素が大きく関わっていると感じました。

我が子たちの中にも、そんな「人を想う」あたたかさがあるのを感じながら、
一方で、誰かを想うときの切なさや、大切なものができたときの怖さや、
いろいろな感情の処理を上手くできるようになって欲しい…とも願います。

ついでに言うと、シーズン6「私の中の彼女」というエピソードでは、
幻視、幻聴がリアルに描かれていて、子どもの体験を理解するのにとても役に立ちました。

アメリカではシーズン9まで放送されているそうです。
来週も楽しみです。

読んだ本・文章、見た映画・ドラマ、聴いた音楽 | 01:14:54 | コメント(0)
アシスト
20年以上乗り続けた自転車が危険な状態になったので、
去年の暮れに、電動アシスト付自転車に買い換えました。
その快適なこと!

五十肩のリハビリがそれなりに効いてきて、
自転車に乗るのも不安ではなくなったので、先週から乗車を再開しましたが、
坂道での威力抜群!立ちこぎすることなくスイスイ昇れるので嬉しくなります。

それで、過去、子どもが泣きながら
「私には出来ないんだよ!何で他の人は簡単に出来るのよ!」
と言っていた場面を思い出し、
上手くアシストしてもらって出来るようになるなら、それでどんなに楽になれるだろう、
アシスト無しで楽に出来る人には分からない苦労をいっぱいいっぱいしてるんだなあと、
改めて申し訳ない気持ちになりました。。

サッカーのアシスト、とか、漫画家のアシスタント、とか、
頼りになる助手、支援者、が側についていてくれることほど心強い事はないですよね…

自分は…というと、アシスタントとして、まだまだ修行中。ごめんね。母も頑張るね。

思い出 | 20:13:32 | コメント(0)
異文化として尊重する
この数日、子どもが落ち着きません。
悲しくて恐ろしいニュースが耳に入ると、
どうなるんだろう??どうなった??と何度も聞いてきます。

申し訳ないことに、具体的には何もできず、ただただ無事を祈るばかりですが、
異国に思いを馳せる中で改めて考えたことがあります。


我が家の子ども達二人、タイプは違うけれど、、
どちらも神経学的マイノリティーという範疇に入るようです。

二人とも左利きなんですが、そうした日常の小さな「不便」も含めて、
多数派である自分には実感しにくい「生きにくさ」を抱えている様子を見ながら、
一緒にハラハラし続けてきました
(少しずつ、自分も生きにくくなって、分かったこともたくさんありましたが…)

多数派と少数派の間の「違い」をどう受け止めたらいいのか。
「障害」なのか「個性」なのか、と、二者択一的に考えるのではなく、
まるごとありのまま受け止めて、お互いを理解しあうためにどうしたらいいのか。
そのヒントは、子どもたち自身が教えてくれました。

中学時代に診断を聞いた上の子が
「周りがみんな○の中で、自分だけ△みたいな違和感があった」
と、納得して説明してくれたのですが、
特に支援を受けるわけでもなく過ごしてきた中で、
自分たちの事を、異文化として尊重してほしい
と言った言葉が身に沁みます。

尊重する、認める、受け入れる、そっと見守る、一緒に生きる、相手から学ぶ、苦手を補い合う…

「文化が違う」と考えたら、いろいろなことがストンと腑に落ちた気がします。

下の子は、言葉の獲得に随分苦労したので(今でも助詞など苦手分野があります)、
まさに「外国語として日本語を学習している」みたいだ、と、感じてきました。

「ダーリンは外国人」という有名な本の中で、
「おとり捜査」を「ことり作戦」と言い間違えるトニーさんが描かれていましたが、
まさに、それ!!と共感することが何度もありました。
ダーリンは外国人―外国人の彼と結婚したら、どーなるの?ルポ。ダーリンは外国人―外国人の彼と結婚したら、どーなるの?ルポ。
(2002/12)
小栗 左多里

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そして上の子は、下の子のそうした言い間違いを聞くたびに、
「惜しい!タンスは合ってるけど引き出しが違う!」と表現し、
その表現に、たいそう納得!したものです。

ほんとうに、考えたら、言葉って、不思議。
そして、言葉の背景には文化があり、民族があり、国家があり…
ひとつに国にひとつの言葉、というわけではない、ということさえ、
随分年をとるまでしっかり認識できていなかった自分を振り返ると、
子ども達を通して学ぶべきことはまだまだたくさんあるなあと思います。

話がそれていってしまったけれど、
後藤さんと湯川さんがどうか無事でありますように・・・

子どもの日常 | 01:45:54 | コメント(0)
若い療法士さんたち
子どもが小学生だった頃に、保護者同士で話をした時、
辛かったこともたくさんあるけど、
この子たちの親になれたからこそ経験できたこと、知れたこともたくさんあるよね~
と、あれこれ出し合った中で、
「病院にいるのは医師と看護師だけじゃなくて、作業療法士、理学療法士、言語聴覚士もいる、なんて、普通に子育てしてたら知らなかったと思う」と言った人がいました。

私も、母子通園施設に通っていた頃は、「OTPTST何それ」という感じで、
理学療法や作業療法と言われてもピンとこなかったのを覚えています。
実際、敷地内にリハビリ施設がある病院じゃないと、療法士さんたちに出会う機会もなかなかないですしね
まさに「知らない世界」でした。

でも、奥深いというか、
子どもの今があるのは、長くお世話になった言語聴覚士さんのおかげ!とも思っています。
また、子ども本人が直接お世話になったのは言語聴覚士さんだけでしたが、
友達の作業療法に便乗して、一緒に料理をさせてもらったこともありました。
その療法士さんは、「高齢者ではなく子どもの作業療法にたずさわりたい!」と、
少ない求人情報の中から現職を見つけ、遠くから通勤されている熱意ある若い女性でした。

そして今は、自分自身が五十肩のリハビリを整形外科で受けていて
久しぶりに若い療法士さん達と接する機会を得て、
大事な仕事だなあ、ありがたいなあ~と、改めて感じています。


昔、「療育」とは何か?について、母子通園施設の当時の園長先生からお話をうかがった際に、
「医療」と「教育」を合わせた考え方でとりくまれているもの、とお聞きし、
どちらの分野でもそれまで視野に入れられていなかった「治らない」子どもたちに寄り添う形で始まった、と知って、
開拓者やそれを受け継ぎ広めていった専門家の方たち、現在従事している方たちに勇気づけられました

子ども自身も、中学生の頃は、言語聴覚士になりたい、と、
職場体験で、自分が通った母子通園施設に行かせていただき、
お世話になった先生方に指導していただきました

今の我が子の力では及びませんが、
若い人たちに夢を持ってこの分野で活躍して行ってほしいなあ…と、
凝り固まった肩関節や筋肉をしっかりほぐしてくれる療法士さんの手のぬくもりに、しみじみするこの頃です。


思い出 | 01:52:15 | コメント(0)
通りすがりの人のあたたかいまなざし
しばらくの間、子どもを連れて帰省していました。
親も年をとったし、自分も年をとったなと痛感する数日間でした。
大人が年を重ねていくのは嬉しい事ばかりではないけれど、
その分、子どもが成長してきたのは喜ぶべきことだなあと、
帰省前に書き写した詩を思い出しながら考えていました。

帰りの飛行機の中で、随分泣いている赤ちゃんがいました。
それで、子どもが小さかった頃のことを思い出しました。

当時の我が子は「赤ちゃんが大好き」で、家族とそうでない人との区別がつきにくく、
よその赤ちゃんの隣に座りたくて電車の座席を移動しようとするので、
他の家族の中に割り込むのはダメ、と止めると、通路の床にひっくりかえって泣きだし、
連れて戻ろうとしても、どうしてもその場を動こうとしません。
困り果てて、周りの視線が痛くて、こちらが泣き出したい気持ちになっていた時に、
「そのまま少しそっとしておいてあげたらどうですか?」と、
優しく言葉をかけてくれた年配の女性がいました。

周囲の人に「すみません」と謝りながらも、その言葉に救われて気持ちにゆとりを取り戻し、
子どもが落ち着くまで傍で一緒に座り込んで待っていると、そのうち泣き止んで席に戻ることが出来ました。

二度と会うこともない、通りすがりの人だったけれど、
一方的な非難の目、厳しい目、ではなく、
何らかの事情を抱えていると察した上で、
大丈夫よ、と言葉にして伝えてくれたその人のことを今でも忘れられません

本人の記憶に残っている身近な人だけでなく、
世の中のいろいろな人のあたたかいまなざしに支えられて大きくなったんだよ、と、
改めて子どもに伝えたいなあと思いながら家に戻ってきました。

子どもと一緒に大きくなる中で、人のあたたかさに接する経験ができたことは、私にとっても大きな宝物。
産まれてきてくれてありがとう。

思い出 | 21:26:18 | コメント(2)
家族と第三者
今日は本人抜きで(今、病院が大嫌いなので)私だけ病院に行って、子どもの主治医とお話ししてきました。
ちょっと遠いので、行きは友達に車で送ってもらいがてら、お互いの近況報告をして息抜き…

家族だけで抱えることができない状態になった時(もちろん通常時にも)、第三者のサポートがとても大事で、
家族は距離が近いだけに、悲しくなったりイラッときたりして当たり前、第三者は冷静に対応できる、との話に納得)
自分がたくさんの人に支えられているから本人にも第三者とのつながりを広げてほしい…と願っているんですが、
いろいろあって、現状ではカウンセラーさん頼み、になっています。

そんな中、保護者としては、頼れるドクターとの繋がりが何より心強い!
「一番大切にしてほしいのは家族内の人間関係」と言っていただき、
「病院が悪者=嫌い、になっても全然大丈夫だから、何より本人の気持ちに共感を示して」とのお言葉に、ウルッときました

人と人だから、相性というのもあるんですが、現在、ご縁に恵まれているいろんな人に改めて感謝…の一日でした。

子どもの日常 | 19:56:35 | コメント(0)
想像力
子どもの頭の中にたくさんのファンタジーの世界がある、ことについて、
カウンセラーさんはとても貴重な能力だと本人を勇気づけてくださいます。
自閉症の特性として「想像力の欠如」を指摘される一方、
ありすぎる想像力→現実世界との境界が曖昧になって混乱する、という場合もあると実感します。
どこまで本気でファンタジーを共有できるか、本人を混乱させないか、日々模索中です。

この間、認識したのは、本人の心の状況として「自分以外の何かになりたい」という感情が強くて、
「なったつもり」とか「なりきる」とかいうよりも、まさに別存在に「なる」ことが出来るんだ!」という発見です。
カウンセラーさんと、ガラスの仮面の北島マヤみたい、ということで意見が一致しました。
(北島マヤ、で話が通じるところから、お互い同世代だと年齢が分かってしまう…

長所や強みに目を向けて、それを大事に伸ばしてやれるように、これからも模索を続けます。

子どもの日常 | 16:39:45 | コメント(0)
パラレルワールド
下の子どもは現実(リアル)が生きにくいこともあって、
ファンタジー(フィクション)の世界に安らぎを求める傾向が、幼い頃からありましたが、
中学校あたりから本格化?し、登場人物の数も増え、関係も複雑になり、この数年でさらに磨きをかけて、
今では300人ほどが、いろいろなワールドに分かれて、日々「動いて」います。
目には見えないそれらの脳内ワールドや、日常感じる思いを絵や文章にして表現するのが娘の余暇の過ごし方の第一です。

そして、中学の時のスクールカウンセラーさんの勧めもあって、自己表現のひとつとして自分のホームページを作り、発信し続けています(ただし発信オンリーにしてリアクションは受けない方が良い、という助言で、そういう設定になっています)。
リンク先の 「ナカリ パラレルワールド」 がそれです。
よければ覗いてやってください。

私が東田直樹さんの文章を読むのも、我が子の絵や文章を見るのも、
当事者の心を少しでも理解したい、という思いからです。

その根っこは、15年ほど前、子どもが診断を受ける前に、講演を聞きに行った佐々木正美先生の
「自閉症の人は深い森の中にいるようなもので、自分からは出てこれないのだから、こちらから分け入っていかなければ」
(表現は記憶が曖昧です、すみません)
という言葉と、あたたかで優しい表情に遡ります。
佐々木正美先生の「子どもへのまなざし」という本にもたくさん助けられました。
子どもへのまなざし子どもへのまなざし
(1998/07/10)
佐々木 正美

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自分目線ではいけない、当事者の側から物事を見ないと…
そう気づかされたのは、当時お世話になっていた母子通園施設の園長先生が、
子どもが外出先でどこにでも寝転がって困るという私の訴えに対して、
「そんな子は他にもいるよ~。私、そんな時、横で一緒に寝転がるの。そしたら風景が変わって面白いよ。床の感触がひんやりして気持ちいい時もあるよ」
と答えてくださった時の驚きにもつながります。

そう思うと、本当にいろんな人との出会いで、学ばされ、気づかされ、それでもまだまだ修行中だなあ…。
先輩のお母さんから、人生は運と縁よ!、とお聞きして、とっても納得でした。
ブログを始めたことも、何かのきっかけになればと願っています。



子どもの日常 | 09:16:29 | コメント(0)
同じやりとりを繰り返すのは…
「日常が不安だから、答えが分かっているやりとり」を求めるこだわり、だと、長い間思っていました。
東田直樹さんの「あるがままに自閉症です」の、「同じ質問」という項目を読んで、
「同じ質問をするのは、答えを忘れるからではなく、何度も答えを聞きたいからです。答えを知りたいのではなく、聞きたいのです。なぜなら聞いた時に、頭の中にその答えがイメージとして浮かび上がってくるからです。…(中略)…それが楽しくて何度も同じ質問をすることがあります。」
という文章に、目から鱗が落ちた思いでした。

答えを知りたいのではなく聞きたい!!
そう思って振り返ると、同じやりとりの内容が、「質問と答え」というよりも、
「○○って言って」とか「○○…」とかつぶやきながら、こちらの反応を見る=待っている、という感じなのに気づきました。
本当に子どものようにワクワクしてキラキラした目をして純粋に「待っている」んです。

答える側は何度も繰り返されることで消耗したり疲労したりする時もあるけれど、
そんな時は東田さんの文章を思い出すようにしています。
東田直樹さん、ありがとう。

あるがままに自閉症です ~東田直樹の見つめる世界~あるがままに自閉症です ~東田直樹の見つめる世界~
(2013/12/21)
東田直樹

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読んだ本・文章、見た映画・ドラマ、聴いた音楽 | 08:38:36 | コメント(0)
無事にね!
タイトルまんまですが、プロフィールに書いたとおり、子どもの口癖です。
私がどこか外出する時に必ず最後にこう言います。電話を切る時にも。
ある時、そうと意識し始めてから、いつも心に響いている言葉です。
無事に子どものもとに帰ってこなければ、そう思うことで身が引き締まるとともに、何か守られているような気がします。
(帰りたくない、どこかに消えてしまいたい、という時もあるけれど…)

他の人の無事を願うというのは、たとえそれが自分自身のためであっても、とても貴重な感情だなあと。
幼い頃、障がいが分かった時、特性として「他人の感情が分からない」子になるかも、というのが一番悲しく恐ろしかった…
それが、こんな言葉をかけてくれるようになったことに感謝です。
(とにかく何でも不安になるので、自分の不安をおさめるおまじない言葉のようでもありますが)

ともあれ、自分も、家族の無事を祈り、社会の安全と平和を願いながら日々暮らしたい、と思って、このタイトルにしました。

どうか明日も無事でありますように!


子どもの日常 | 19:54:18 | コメント(0)
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