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Author:ナカリママ
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

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「苦悩を通して歓喜へ」 実体験中?の息子
ご訪問ありがとうございます。

先の記事へのコメント返信で、再度、息子のベートーベンへの思いを書きましたが、
彼が中学時代、美術の課題として与えられた「卒業文集用の絵」を思い出しました。
完成版は見当たらず、下絵の状態ですが、
当時、もくもくと一人で勉強していたドイツ語で
「苦悩を通して(突き抜けて)歓喜へ」というベートーベンの言葉が書かれ、
自宅にあるベートーベンの置物のスケッチが描かれています。

苦悩を通じて歓喜へ
モデルはこちら
ベートーベン

当時の彼は、闇の中。
不登校ゆえに内申点がつけられず、進路は決まらず、先は見えず、
まさに苦悩の毎日でした。
そんな中、
ドイツ語でゲーテを読みたいという理由で、英語よりもドイツ語を学んでいた彼は、
同級生から「ドイツ語なんか勉強して何になるん?」と言われながらも、
いつかドイツへ、という気持ちを胸に勉強をつづけ、
高卒認定試験資格を得て通信制高校を退学してからは、
在宅で家事手伝いをしながら、ゲーテ・インスティテュートに通いました。
その道中、シューベルトの歌曲集「冬の旅」をイヤホンでずっと聴いて、
何曲かは歌詞をそらんじて歌えるくらいになりました。
「魔王」もよく聴いて歌っていました。
なんか、(おこがましいけど)グールドのノリに近いかなあ。

本人も、「よく生き残れたと思う」と言うくらい、
崖っぷちをソロソロと危なげな足取りで進み続け、
綱渡りのような状態を切り抜けた、そんな感じがありました。

大学入学前に診断書とともに本人の特性をお伝えして、お願いした支援の一環として、
得意を伸ばす、という観点から、ドイツ語既修者クラスに特例で入れてもらい、
第2外国語にフランス語を選んだあたりから、少しずつ、明るい方へ・・・
そして大学時代から学び始めたギリシャ語ラテン語にすっかり心奪われて、
院への進学や研究者を視野に入れてからは、どんどんイタリア語に傾いていき、
実際イタリアに行ってみる!というところまで、ぐんぐんと伸びて行った様子は、
振り返ると、本当に「苦悩を通して歓喜へ」という感じです。

息子と一緒に観た映画「敬愛なるベートーベン」を思い出して、
いつか、ナカリにも歓喜の時が訪れますように、と、改めて願いました。
※ この映画では写譜師(コピスト)の女性が登場しますが、
  息子のピアノに注目してくださった女性の先生から、
  「女性作曲家が少ないのは、昔は女性に楽譜の出版権が無かったから」と伺いました。
  ナカリには、女性というプラスアルファの生きづらさもありますが、
  だからこそ、応援したい、一緒に道を見出したい、と強く願います。




ところで、
息子に新しいメガネの調子を電話で聞いたら、
「人の顔が見えすぎて辛い、メガネが無い状態の良さというのが分かった」とのこと。
わー、ナカリと似てるや。(タイプは違うけど、二人ともしっかり発達障がいです。)
やっぱり、人の顔、というのは不規則な変化をするので苦手みたい。
まる顔、とか、髪型、とか、
ざくっとした印象で把握(タグ付け)しているくらいの方が楽なんだそうです。
なるほど・・・ほんとに、人それぞれだな。
その辺りをまわりに認めてもらえてたら楽になれるよね。
生きにくさ、は、まだまだ抱えながらだろうけど、それでも何とか頑張って!
息子にも、遠くからエールを送り続けていきます。


さあ、明日はナカリとカウンセリング!
相談事項をまとめて行きます。ふぁいと~



思い出 | 22:24:08 | トラックバック(0) | コメント(10)
母の未支給年金振込通知が届きました
ご訪問ありがとうございます。

母が逝ってから3か月半、相続関係はだいたい終わったと思っていたら、
昨日、年金機構から未支給年金振込通知のハガキが3通届きました。
母が受け取っていた年金が3種類(老齢、遺族厚生、障害基礎)なので3通です。
時間がたつにつれて、母が居ないことを意識する場面が減ってきていたのに、
何か急に現実を突きつけられた気がして、ちょっと感傷的になった週末でした。

父が亡くなったあと、年金機構から来る通知を見ながら、
何度も何度も紙に数字を書いて計算し、年金額を確かめていた母でした。
叔父と二人で、何度計算しても金額は変わらないよ、と笑っていたのが、
ついこの間のことのように思えます。

きちんと最期を看取って、火葬場でお骨も拾ってお墓におさめたのに、
それでもまだ、なんとなくどこかに居るような、曖昧で不思議な感覚のまま、
娘との日常に追われていた・・・そこへ、
「もう居ないんですよ」と再確認するかのように「通知」がやって来た、
そんな感じがしています。

1週間後には、娘と二人、一緒に帰省して、
実家の片づけ、に、本格的に着手しようと思っていたところなので、
タイミング的には良かったかもしれません。

気持ちの切り替えをして、未来に向かっていかなくては、と思います。
大量の、いろんなモノを、処分しないといけません。

今日は、母からもらった≪3年日記≫をパラパラとめくってみました。
2008年の12月22日から2011年の10月31日まで、私の字で書きこまれた日記。
初日には「あと3年は無理、という事で双方了解して母から譲り受ける」と書かれていました。

そうだったなあ。
ペースメーカーを入れる手術をしたおかげで、その後持ち直したけれど、
当時、利尿剤が効かず足の浮腫みがひどくて、一度は別れの覚悟を固めたんだった・・・
そんな風に、事前に時間をかけて、少しずつ、「心の準備」を整えていたから、
また、実際、十分頑張って生き抜いたと確認できる看取りができたから、
激しく動揺することなく、その後を過ごすことができたんだろうなあ(もちろん、後悔は残るし、寂しいけど)。

4か月前からの慌ただしかった数週間が、今はまるで夢のようで、
離れているから余計に「実感」が薄くて、まだどこかに居るような気がしてしまいます。

前回は一泊だけ、私だけの短時間の帰省だったから、感傷に浸る間もなかったけれど、
次は数日間あるので、あまり心を揺らすことなく、気合を入れて片付けに取りかからねば!


大切に思う人がいると、その分、別れが辛くなる、でも順番だから。
みんないつかは通る道だから。
ここを上手く乗り越えて、「これから先」のことを考えて行こう。
元気を出そう!


母が携帯電話の着信音に使っていた曲
「エンターテイナー」 スコット・ジョプリン









思い出 | 23:12:33 | トラックバック(0) | コメント(10)
3回目の母の月命日に
ご訪問ありがとうございます。

今日は、母の3回目の月命日でした。

昨日から2泊だけ帰省中の息子が、近々誕生日なので、
今日は、前祝いとしてケーキを買って家族で食べました。
母は、いろんな人の誕生日をよく覚えて、カレンダーにもメモしていて、
子どもや孫の誕生日には必ず電話をくれたし、
夫の両親の誕生日にも「電話してあげなさい」という電話がかかってきたものでした。

亡くなって3か月がたって、やっと「母が居ない生活」に慣れてきた気がします。
やはり時間薬ですね。
遺された大量のものの片づけや処分には、まだまだ時間がかかりそうで、
そのことを思うと気が重いのですが、
今日は、息子が沢山ピアノを弾いてくれたのが嬉しくて、
「お母さん聴こえるかなあ、良かったね」と、心の中で話しかけました。
携帯が通じている時には、携帯越しに息子のピアノを聴かせたことが何度も。
3か月前も、枕もとで息子のピアノの音色を聴きながら息を引き取りました。

今日は、久しぶりにフランクのコラール(部分)も弾いてくれたので、
記念に、リヒテルの演奏をアップしておきます。
20分近くあって、長いですが、
楽譜を追いながらゆっくり聴いて、この3か月を思い出しています。




また、この間、ナカリのために、マスコットを追加作成しています。
今日までに、金髪チームが3人出来上がりました。
両端の、ジーク(右、赤ネクタイ)とマーク(左、青シャツ)は兄弟です。
二人とも、一応、王国の王子です。ナカリが中学の頃から居るキャラです。
真ん中のベン君は少し小柄で、ハワイに住んでいる元気な男の子です。
ナカリが顔を描いてくれると、命が吹き込まれたようになります。
裁縫が得意だった母が見たら、なんて言ったかな。
母だったらもっときっと上手に洋服を着せてあげただろうと思うと、直接教えてもらえなくて残念。
若い頃には、私自身、編み物や縫物には全く関心がなかったけれど、
親になってから、子どものために、いろいろ編んだり縫ったりするようになりました。
これも、母から受け継いだ思い出のおかげかな・・・ありがとう、と心で伝えます。
金髪チーム CIMG0897


・・・さあ、明日からまた、がんばろう!




思い出 | 23:08:16 | トラックバック(0) | コメント(8)
「好き」がコミュニケーションの源~不登校時代を振り返って
ご訪問ありがとうございます。

昨夜、息子から、6月の学会に参加する手配ができた、との近況報告がありました。
初めてネットでJRの切符を取ったので、片道を二つ買ってしまった(往復割引を使えなかった)、
と、残念がっていました(過去、みどりの窓口では、そのあたり丁寧に教えてくれたとのこと)。
まあ、それも勉強。
ホテルもちゃんと予約できたみたいだし、いろいろやれば出来るじゃん、と、
一人暮らしを始めた頃のハラハラドキドキに比べて、安心できるようになりました。
(考えてみれば、一人でイタリアまで行けたんですから!)

ただ、あいかわらず、集団行動は苦手なようで、
研究室で一緒に切符やホテルの手配をする、というのを断って一人で別行動するみたいです。
対人関係での苦労は続いています。
めんどくさい(社交的、儀礼的な)ことには関わりたくない、というスタンスです。
これを「自分勝手」ととられるか、「マイペース」と許容されるか。
・・・大きなトラブルにだけはならなければいいなあ、と見守っています。

この息子が中学生の頃、適応指導教室に通いながら、熱心に文通していたのが、
教室担任の先生の親族にあたる、ご高齢の数学者の方でした。
担任の先生自体、結構マイペースで変わった方だったので、
ひょんなことから、「数学が好きなら、知ってる人を紹介しようか」という話になり、
先生を仲介して、面識のない二人の間で手紙のやりとりだけが続く、
という不思議な関係ができあがりました。
文通が続くうちに、息子自身「いつかご本人に会いたい」という希望をもつようになりましたが、
ご高齢で、入院生活だったこともあり、その希望が叶えられないまま亡くなられてしまいました。
病室のベットの側には息子とのやり取りの手紙が残されていて、
常々、息子の行く末を案じてくださっていたそうで、感謝でした。
息子の方でも往復書簡を今も大事に取ってあります。

まだ中学生だった息子を、きちんと一人の数学マニア?と認めて応対してくださり、
話は哲学的な内容にも発展し(その方は理系でも哲学や文学にとても詳しい方でした)、
年齢差を超えたやりとりが、当時の息子の大きな楽しみになっていました。
また、亡くなられた後、遺品整理でいただいた沢山の哲学書、西洋古典文学全集、
・・・が、その後の彼を導いたとも言えます。

そんなやりとりを仲介してくださった、教室担任の先生は、
コミュニケーションの基本に「自分の好きなもの」を置いておられました。
「グレン・グールドというピアニストが好き」「タルコフスキー監督の映画が好き」という先生、
学生時代まだ飛行機がソ連の上空を飛べなかった頃、遠回りしてヨーロッパに行ったという先生、に、
息子も影響を受けて、バッハを弾くようになり、北ヨーロッパに憧れるようになりました。


発達障がいの人の「出来るところ」「好き、得意な部分」に目を向けてほしいという話を書きましたが、
寄り添う人自身が自分の「好き」を大事にする、ということも不可欠だと思います。
ほんとうに自分が好きなものについて語る時には、熱が入りますよね。
聞いている人も、そのエネルギーに引き付けられる。
無理してコミュニケーションを取ろうというよりも、好きなものについて話しているうちに何となく会話になる、
そんな感じで、息子も教室に打ち解けていきました。
先生からお借りしたタルコフスキーの遺作DVD「サクリファイス」は、親子で見て、
今も強烈な印象を残しています。

アンドレイ・タルコフスキー監督の父親の詩集、まで買った息子です。
タルコフスキー詩集
この詩集の最後は「遺言 アンドレイ・タルコフスキーに」です。

その中の一文に「愛が君の重荷にならないように」というのがあります。
我が子に対して「君へ」と呼びかける数々の言葉に込められた想いは、
父と息子、の関係に限らず、考えさせられます。

コミュニケーションが苦手な息子の心を、柔らかく開いてくれた先生への感謝を込めて、
映画「サクリファイス」のラストシーンに流れた、バッハの「マタイ受難曲」



なお、映画「サクリファイス」の詳しい解説は A・タルコフスキー「サクリファイス」




思い出 | 12:01:57 | トラックバック(0) | コメント(12)
父の命日に「親の気持ち」を想う
ご訪問ありがとうございます。

昨日は父が亡くなって満2年の命日でした。
仏教だったら三回忌の法要が営まれる日ですが、
キリスト教なので、毎年1回、教会で行われる召天者合同祈念会に参加するだけで、
この先も、何回忌、といった準備をする必要はありません。
だけど、亡くなった両親のことは、折に触れて思いだし、感謝し、
次は自分が子どもに送られる番だと考えさせられています。

父は昭和ヒトケタ生まれで、自分のことをほとんどしゃべらない人でした。
戦争で空襲があった時、自宅にバケツで水をかけて逃げたけれど全焼してしまった、とか、
たくさんの焼死体を見たとか、戦争はだめだ、とかいう話はよく聞きましたが、
仕事のこと、親族のこと、自分自身のことは、結局ほとんど聞けないままでした。

子どもの立場で父親を見て、歯がゆく思ったり、腹が立ったりしたこともたくさんありましたが、
亡くなる数年前に聞いた、「しかたなかったんよ(そうするしかなかったんだよ)」という一言で、
それまでのわだかまりが溶けた・・・というか、
この年になって初めて、父の苦悩、悔しさ、諦念、のようなものを実感して、
やっと私自身が楽になれた気がします。

母との間でも同じです。
命ある間に、もっと話をしておけばよかったと思うし、やっぱり寂しい気持ちはあるけれど、
亡くなる少し前から、認知症の症状が強くなり、過去の愚痴が繰り返され、
母のことを嫌いになっていく自分も嫌で、そんな時間が長く続いたらもっと辛かったろうから、
母本人の言葉を借りると「賞味期限切れの身体」で、
自然の営みのままに、寿命を全うしてくれたことに、感謝です。
そして、母を亡くしてやっと、母を赦し、受け入れる気持ちの整理も出来た気がします。
(母が生きている間は、感謝の一方で、
「可哀想なお母さん」に支配され続けた「墓守娘」の自分が、「母みたいな人生は嫌だ!」と、
心の中で悲鳴を上げているようで、苦しい気持ちも引きずっていました。
その「母を嫌い、母から逃れたいと暴れる自分」が、母の死によって、やっと消えた気がします)


実は、父は、母と結婚する前に、心の病で強制入院させられたことがあったそうです。
母は結婚するまでそのことを知らなかったし、父も、娘にだけは知られたくないと思っていたようで、
私がその過去を知ったのは、ほんの数年前、母から聞いて、のことです。
(もちろん、父とはその話は一切しないまま看取りました)
母から初めてその過去を聞いた時、同時に、
祖母(父の母)が、そのことを他のお嫁さん(叔母)たちに言いまくっていたということも知り、
改めて、祖母に対する腹立たしい気持ちと、父の置かれた立場の苦しさを想いました。

10人きょうだいの長男で、誰よりも親族に尽くしたのに、祖母は弟(叔父)たちの方が可愛かった、
父は祖母のことを大事にしたのに、祖母からは愛されなかった、と思うと、哀しいです。
(明治生まれの祖母もまた苦労した人だったのは確かですが、いまだに祖母のことは赦せません)

父が心を病んだ理由は、弟たちや妹の身勝手な行動に振り回されたことだったようです。
弟のひとりが少年院に入れられたことで、自分は出世は出来ないと思う、とも言っていたそうです。
先日の帰省の際に、母方の叔父に「あれほど愛社精神の強い人はいなかったなあ」と言われるほど、
会社一筋、仕事一筋の人でした。
幸い、上司に恵まれ、退院後、復職もでき、その後も定年まで40年勤め続けました。
私はその上司の方を直接知らないままですが、
今よりもっと心の病に偏見が強かった時代に、父を守ってくれた人が職場に居たことが、
今になって本当にありがたいことだったと、強く思います。


兄弟の中で唯一の「会社員」になった父は、ほかの弟たちとはずいぶん年が離れていました。
一番仲良かった、すぐ下の弟を子どもの頃に心臓病で亡くした際に、
火葬場の煙が憎らしかった、という話は何度か聞きました。
子どもの頃に肉親を亡くす、という体験は、父の心に深く刻まれたことと思います。

しゃべらない人だっただけに、
一人で抱えて「墓まで持って行った」気持ち、が、いろいろあっただろうな・・・
(誰にも語れず「墓まで持って行く」話、というのは、誰だって一つや二つはあるでしょうが)

父も母も、一人っ子の私が、「家を出たい」と言っても止めることなく、送り出してくれました。

親の立場になって、「親の気持ち」を想い、感謝と、そして順送り、という言葉が浮かびます。

我が家の子どもたちは二人とも、マイノリティではあるけれど、
何とかこの世を上手く生き抜いて行ってほしい。
そのために、出来る限りの準備をしておいてやりたい。

親の人生は親の人生、子どもはまた別の人生を生きていくんだ、と、感慨深いです。
父への追悼文のつもりで書き始めましたが、
最後は、次の世代へのバトンタッチ、という内容になってしまいました。



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昨夜のNHKスペシャルは、ナカリが「見たくない」というので録画したのですが、
我が家の古い録画機は視聴時同時録画、しかできない配線になってたみたいで、
砂嵐の画像が1時間・・・でした(^-^;)
でも、ネットで感想を調べてみたら、当事者の方たちから好意的なツイートが沢山あって、
よかった~と、ホッとしています。
再放送があれば、見てみたいと思います。
紹介しておいて、感想が書けなくてすみません。




思い出 | 13:19:54 | トラックバック(0) | コメント(8)
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