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ナカリ母

Author:ナカリ母
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

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月や星の話
ご訪問ありがとうございます。

昨夜は「こと座流星群」の極大日だったそうですが、
せっかく晴れていたのに、夜空を眺めることが出来なくて残念でした。

いつだったか、ナカリと二人でベランダで流星群を観ようと、手すりに首をのせてず~っと上向きで頑張って、
「あ!見えた!」と、何個か発見して、とても嬉しかったのを覚えています。
(それで満足しちゃって、その後はなかなかチャレンジできていませんが)

月、というと、母を思い出します。
「今日のお月さまはとてもきれいだから見てごらん」と電話がかかってくることが、よくありました。
ナカリともそのことを一緒に思いだして、「おばあちゃん~」と、また少し悲しくなったり・・・
母は入院生活が長かったし、自宅は空が見える環境になかったので、
病室の窓から月が見えると、とても嬉しかったようです。
綺麗なものを見て、その気持ちを共有したくなる相手がいることは幸せです。
母からの電話で夜空を眺めたこと、何度あったことか。

アートの先生も、
「昔は太陽が好きだったけれど、最近は月もいいな、と思うようになって、絵のテーマに選んでいる。
自分で光らないで、他者(太陽)の光を受けて光る、というのもいいなあ」
とおっしゃっていたのを思い出します。
少し前に京都まで見に行った先生の作品も、月をテーマにしたものでした。


息子も、古代ギリシャの天文学に関わる文献を読んでいて、
まだ地球が暗かった頃、太陽が沈んだ後の夜空は尽きない魅力に満ちたものだったろうなあ、と。

あるカウンセラーの方からも、占星術者の方たちはすごく勉強してるのよ、と聞いたことがあります。
古代から続く、人類の知恵、知識、は、いろんな形で受け継がれているんでしょうね。


日が暮れると寂しくなる、のも事実だけど、
月や星を見て癒される、のもそうだなあ。


穏やかでいようと思っても、不安が心を揺らして、息苦しくなることは、まだしばらく続きそう。
癒されたい、と願う気持ちに、自然が応えてくれる。
そして、人も。


ブログをいくつか回っていると「闘病記」ジャンルの記事も読むことが出来ます・・・
病院で日々を過ごしている人たちのこと、いのちと向き合っている人たちのことを考えると、
自宅で穏やかに過ごせていることへの感謝、このいっときを大事にしなくちゃという思い、が湧き出ます。

昨日、ナカリと散歩した時に、川の水があんまり綺麗で、思わず携帯で撮った写真
川 image1

(夜空を撮る技術はないので・・・)

癒しをいただけるたくさんの方々のブログに感謝を込めて。
今日も皆さんご無事でありますように。



思い出 | 11:17:05 | コメント(5)
もしもの時に連絡してほしい人
ご訪問ありがとうございます。

母が逝ってから、1カ月以上たって、まだそれでも夢の中にいるようで、
(夢には一度も出てきてくれませんが)
日常離れていただけに、最後の数日間の記憶だけがクッキリして、
その前の電話のやり取りに疲れていた自分を思い出すのも辛くて、
申し訳ない・・・まだそんな状態です。

ところで・・・
事務的な相続の手続きがほぼ終わりかけたところで、
父に託した「エンディングノート」が出てきました。

父は何も書き込んでない、と思っていたら、鉛筆で、端っこにメモ書きが。
「皆んな平等と云ふけれど皆んな違ふのだ?」
・・・父は何を言いたかったのかなあ。

その、余白だらけのエンディングノートを使って、
「もしもの時に連絡してほしい親戚及び友人・知人」というページに、
私が母から直接聞き取りして書いたんだったのを、今になって思い出しました。
ページをめくると、そこには、
最期を一緒に看取ってくれた叔父と叔母、それに教会関係の方、税理士さん、
そのほかに4人、名前が記載されていました。

一人は高校時代の母の友人で、お世話になったお医者さん・・・
その方とは年賀状もやり取りしていたので、、直後に病院に電話で連絡したら、
「残念やなあ。僕ら同級生やから。僕は、まだ現役で患者さん診てるよ」とのお言葉をいただき、
母に心で伝えたのでした。
一人は、母がホームに入所した時からずっと、会いたい、と言っていた方でしたが、
「病院に入院中」とだけ書いてあり、結局連絡できずじまい。
生前に、会わせてあげられなくてごめんね。

他の二人への連絡は、すっかり抜けていたので、
ずいぶん時間が経ってしまいましたが、母の遺志でもあるので、連絡してみました。

中学の同級生という方は、「この電話番号は現在使われていません」というアナウンスで、
直接つながらなくて残念でしたが、
他の同級生の方に、直後に連絡してあるので、もしかしたら伝わっているかも・・・
と、願いつつ、お母さんゴメンね、心で呼びかけました。

もう一人の方は、国立療養所時代に一緒に入院していた方で、電話に出てくださいました。
「ええ、ええ、覚えてますよ」とお優しい声。
「実は2月に亡くなりまして」とお伝えして、
「母自身が、もしものときに連絡してほしいと言い残していたので」と説明して、
「ご自愛ください」と電話を切りました。
お母さん、つながったよ、伝えたよ、これで全部、終わったかな。


年を取ると年賀状も随分少なくなり、母の場合は連絡すべき人もほんとに少数で、
葬儀も内輪で、教会員の方々と親族のみのささやかなものでしたが、
「母自身の友達」という存在は、
私にとっては名前は聞いたことがあるけれど、ほとんど未知の方々で、
子どもの立場からしたら、なんだか不思議な気持ちがしました。


私にもしものことがあった時、誰に連絡してほしいかなあ。
子どもたちを介して繋がっている親たち、は、
子どもたち自身も知っている人たちだから、すぐに連絡できるだろうけど、
私自身の学校時代の友人たちや昔の職場のつながりは、
年賀状で知りうる以上の情報はないだろうなあ。

「エンディングノート」に記すべきことはいろいろあるから、
自分用のも、きちんと書いておかなくちゃ。

今日は息子からも電話をもらい、あれやこれや話をして、気がまぎれました。
何でもない日常のあれこれを話せる、ということのありがたみを感じながら、
母は逝ってしまったけれど、私には子どもたちがいる、と、慰められました。

わたしたちは、父母から見たら「次の世代」。
バトンタッチして、さらにこれからを生きていくんだ、とも。
世代交代は寂しいけれど、時間が止まらない以上、避けられない。
これも、前へ、の一歩だな。
しみじみとして、なかなか眠れない夜でした。
長くなってすみません。

元気だしていこう。



思い出 | 03:40:59 | コメント(6)
「縁」ってある。まさに人生は縁と運。
ご訪問ありがとうございます。


小中学校時代の友人に会ってきました。
その場で自閉症の話が出来るとは思ってなかったけど、
話しているうちに思いだしたのが、
昔、私が障がい児教育関連のメーリングリストに入っていた時に問題になった「練馬方式」。

大阪では、「共生」を目標に、可能な限り、「分けない」教育を目指していますが、
東京では、障がいをもつ子たちだけに特別に組まれた教育プログラムを実施している学校があるそうで、
通常学級の子どもたちとは、登下校の門も違う、と、練馬区の、ある保護者の方が問題提起され、
改善を求める署名活動への協力を求めておられたので、
当時練馬に住んでいた友人にも連絡したのを覚えてくれていました。

彼女の記憶をたどれば、
確かに、近所の小学校で、毎朝、支援学級の子どもたちだけが校庭をマラソンしていて、
彼女としては、それは、体を鍛えるために頑張っているんだなあーという、自然な風景だったそうですが、
私からの連絡で、初めて、場合によっては、それが子どものためになるのかどうか?と、感じたそうです。

また、彼女自身の友人にも、ナカリより重度の自閉症の子どもさんが居るそうで、
こだわりがあること、変化に弱いこと、パニックになること、など、自閉症の基本的症状は既知のものでした!
そのお友達が通っていた学校の運動会は、絶叫の嵐、まさに「阿鼻叫喚のうんどうかい」だったそうです^^;

ナカリが、自分なりのパラレルワールドを作って、そこでの世界観をコラージュにして自身のHPに載せていること、
私のブログとリンクして、直接の反応はナカリに返らないよう、私がクッション役になっていること、などの話に、
それはいい方法だ、とウェブデザイナーとして共感してくれました。

もう一人、別の友人にも会えたのですが、彼女はプロのカメラマンになっていて、
名刺もスタイリッシュでカッコよくて、
機材一式持ち歩きながら、昔話に花を咲かせて楽しいひと時を過ごしました。

心に残ったのは、
友人が同窓会に参加した際、小学校当時、小さくてかわいい印象があった○○君に、懐かしくて声をかけたら、
「おまえ、いじわるやったやろ」と、嫌がられて、すごくショックだった、という話。
私も含めて、友人にも、彼をいじめたとか、からかったとかいう記憶はほとんどないのですが、
立場を換えてみたら、嫌だったこともあったのかなあ、と考えさせられました。
同時に、・・・ということは、ナカリが思い出すのも嫌と言っている小中学校時代の同級生たちも、
ナカリに対して悪意など無く、あるいは、さほど意識もしていなかった可能性があるかも、と。
でも、この両者の認識の違いの溝は、いくら時を重ねても埋められない。
残念ながら。

一方で、
数十年の時を経ても、一緒に昔を懐かしむことが出来、
またさらに、新たな人間関係を広げていくことが出来る、
そんな「縁」もある、と実感。
ほんと、人生、運と縁だなあ・・・


ランチでひとしきり話した後、
阪神百貨店で行われているイベント「ガールズアートコレクション」を見に行ってきました。

ガールズコレクション チラシ

これも、友人の友達が出品しているから、ということで観に行ったのですが、
どのイラストレーターさんの作品も素敵で、乙女心を刺激(←50超えたおばさんのセリフじゃないっ)・・・
漫画家さんとはまた違った筆致で、
それぞれのイラストレーターさんたちが、自分のコーナーで作品を創作している姿を見ながら、
何だか現実とは別世界に迷い込んだみたいな夢のひと時を過ごすことが出来ました。


ナカリは夫と買い物にも出かけ、マラソンもし、しっかり留守番してくれていました。
(でも、パラレル世界の悩みは尽きないみたい)
明日からは夫が帰省を兼ねて2泊3日の出張へ。
その間、私とナカリと二人で、穏やかに過ごせますように。

ナカリにもこの先、更に、「縁」ある人との出会いが広がりますように。





思い出 | 23:41:23 | コメント(2)
おばあさんの味
ご訪問ありがとうございます。

早いもので、昨日が母の初めての月命日でした。
夜には、叔父からも電話。
「早いねえ~まだ寂しいねえ~」と、二人して思い出話。
「お相撲千秋楽、あんな展開になるとは、息子が喜んだんじゃない?」と叔父。
「そうそう、息子から電話がかかってきて聞いたんだけど、昔、母がまだ元気だったころ、
千秋楽の放送直後に母が息子に電話して、相撲の話で盛り上がったことがあったんだって」と私。
新聞もよく読んでいた母。
気になる記事は切り抜いたり線を引いたりして送ってくれたこともあり、
新聞記事をネタに、息子に電話したこともよくあったみたいです。
「電話が出来なくなってからが、急速に弱ったねー」と、今となっては愚痴電話も懐かしい。

一緒に思い出話ができる相手がいて癒されました。

さらにそのあと、息子からも電話。
月曜日は「肉体労働」の日だったそうで、
先生の指示待ちで、学生がウロウロ、資料を袋詰めしたり箱詰めしたり、
あっちからこっちへ運んだり、半日以上、体を使う仕事ばかりで疲れた様子でした。
最後のダメ押しは、夕方引き上げる前に段ボール捨ててきてと頼まれて、えっちらおっちら運んだら、
ゴミ収集倉庫がもう閉まってたので、同じ道をまたえっちらおっちら戻って研究室に置いて帰った・・・
という、お疲れ様な一日だったようです。

母の月命日だね~と言うと、
「そうか、火曜だったのは覚えてたけど、2月は28日しかないから3月と同じカレンダーだもんなー」と息子。
続けて、「おばあさん、と言えば、私は食べ物の味が思い出される」と。
「ほうれん草の胡麻和えとか、かきたま汁とか・・・」
小さい頃に食べたものの記憶は、しっかり残っているようでした。
息子が生まれてから娘が生まれるまで、私は仕事中心の生活で、ほぼ毎日残業、休日出勤、だったので、
なかなか食事作りまで手が回らず、母にずいぶん助けてもらいました。
恥ずかしながら、息子は保育所と両親に育ててもらったという感じです・・・
(育休の間は、離乳食がんばって作ったけどなあ~)

私自身も、母の記憶の中に、食べさせてもらった料理の味が強く残っています。
春雨を油で揚げて、白菜と一緒に煮込んだ料理。もう一回食べたかったなあ~。
母が亡くなったというメールを送った従妹からも、「おばちゃんが作ってくれたお菓子、
パンの耳を揚げて砂糖でまぶしたやつ、あれ、美味しかったなー」と返事がありました。
母と言えば、エプロン。
料理だけでなく、ミシンで縫ったり、編み物したり、典型的な「おかあさん」でした。
お母さん イラスト



ちなみに、私はほとんどエプロンをしなかったから、
保育所の行事でエプロンをして参加した際に、「いつもと違うことが極端に苦手」なナカリが
「おかあさんじゃないー!」とパニックになり、
仕方なくエプロンを外した苦い記憶があります~家での様子がモロバレで恥ずかしかったです・・・。

それと、
ナカリが、少し外食に慣れた、というのは、
いろんな新しい味にもチャレンジできるようになった、ということで、これが嬉しい。
小さい頃から、味覚に敏感で、大丈夫と安心したら一つのメニューにこだわり続け、
他の物を作っても口にしない、食べたことのないものには箸をつけない、という状況に、
いろんな料理を試してみる気力も萎えて、
ひたすらハンバーグ、ひたすらウインナーという、ファーストフード系の食事で、
家族とは一人だけ別メニュー、という場合が多かったのです。
そんな彼女と、今、やっと、一緒に買い物に出て、一緒にご飯を作る、ということも可能になり、
昨日はピーマンとパプリカと鶏ミンチで「カラフルオムライス」を作って美味しく食べました。
ありがたいし、嬉しいです。

以前にも記事にしましたが、食べることって、ほんと大事だなあ。
衣食住の、まず基本ですね。

何かしら、食べることに関わる仕事ができたらいいなー、と、
改めて、娘が今身近に感じている作業所(ケーキ屋さん)に、行けるようになる日を夢見ています。

ちなみに、昔、息子が大きな影響を受けた(お世話になった)大学の先生は、
「みんな、資格を持つって大事だぞ、先生はそのことに気づいて調理師免許を取った!」
と、専門分野と全く関係ない資格を持っていることを話してくれた、と聞きました。

調理師免許、いいなー。

お料理ブログ(に限らず、食べ物が載っているブログ)を回るのも楽しいです。
スローフード、で、薄味で、体に優しいご飯・・・
体重を気にしているナカリに、
ドクターが、薬ではなく食事療法で対処を、とおっしゃってたのを思い出します。
料理、がんばらなくちゃ(楽しまなくちゃ)!

あ、それと、運動、も。
とにかく、健康を心がけること、自然を大事にすること、穏やかな気持ちでいること。

「おふくろの味:」ならぬ「おばあさんの味」に教えられたことがいっぱい、な一日でした。




思い出 | 11:12:03 | コメント(2)
なかなか立ち直れない
ご訪問ありがとうございます。

眠れない夜です。外は雨です。
母の告別式を終えて、ナカリと二人で霊柩車に乗る際、急に降り出した雨。
運転手さんが「いわゆる、涙雨ですね」と言ってくださり、雨の中を斎場に向かったのでした。


母の死亡診断書での死因は「肝腎症候群」
その原因が「うっ血性肝硬変」で、更にその原因が「心臓弁膜症」でした。
幼い頃にリウマチ熱にかかったのがもとで、心臓弁膜症を患い、
就職試験も健康診断で全部引っかかり、その時は「死にたいと思った」と言っていた、
なんとか勤めた会計事務所も、見合い結婚のため数年で退職、
すぐに妊娠して命がけで私を産んだ後、二人目を妊娠したけど医者に止められて堕胎、
同時に卵管結索したので、私は一人っ子です。

母子密着で、墓守娘になった私。
母は守るべき存在、かつ頼る存在として、時に重くもあり、この数年は特に複雑・・・でした。
過去記事を見直していて、去年の2月に「生きてる意味が分からない」と言われていたことを思い出しました。
やっぱり、書き残しておくこと、って大事だな。すっかり忘れてたや。

その頃から1年間。時間はたっぷりあったのに、何をしてたの?私。
今になって後悔ばかり押し寄せて、やっぱり自分を責めてしまう。


回復の見通しはないというドクターの言葉に、
叔父、叔母ともに「点滴を中止してください、延命治療はやめてください」
そうお願いして、少しずつ点滴の量を減らして、ちょうどのバランスで小康状態を保ち続けていたのを、
息子(初孫)にも会ってもらえたから、これでもう打ち切ってください、
と、すべて取り外してから一晩・・・明けて翌日の夕方に逝きました。

あの判断でよかったんだろうか。
頑張って頑張って病と闘ってきた母に、叔母は「もう頑張らんでいい」と言ってあげていた。
そして、自然のままに任せよう、と、医療行為を中止して、看取りを選んだ・・・

すべてに「時」がある、という、聖書の言葉に支えられ、これが天命だったと思うけれど。
意識はあっても言葉が交わせないままだった1週間あまり・・・
母が伝えたかった思いを受けとめきれてただろうか。

気持ちは行きつ戻りつ。

ナカリのことを考えたり、息子との時間を大事にしたり、何とかやりくりしてきた数週間。
まだまだ涙が湧いてくる、胸が苦しくなる。
今日、眠れないのは、ちょうど1か月前に、母に会いに帰って病院に初めて泊まった日だから。
その晩、ナカリが泣いて泣いて翌日頭が痛くなったのは、前の記事にも書いた通り。

時間は止まらないで、どんどん過ぎていくから、父の時のように、少しずつ、思い出は遠ざかっていくだろう。
振り返ることもあるけど、前を向いて進まなくちゃいけない。

変化の「春」、を前に不安でいっぱいのナカリを支えなくちゃいけない。
でも、私も支えてほしい。(実際、支えられているけど)
こうして、書くことで、自分で自分を支えている。

哀しくて、「ウィズアウトユー」を聴いている。





思い出 | 03:55:04 | コメント(6)
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