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Author:ナカリママ
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

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外国語としての日本語学習 とくに助詞!
ご訪問ありがとうございます。

過去の書類の片づけをしていたら、
小中学校時代のナカリの文章がいろいろ出てきました。
やっぱり、かなり、幼い文章です。
今でも、時々、あれ?というような言い間違いがあるナカリですが、
昔と比べると、ほんとに上手に表現できるようになったなあ、と感心しきり。
数学分野(数の操作、認識)は今も一番苦手な一方、
国語は好き、と言えるのも、
気持ちを上手く伝える力を身につけたおかげと言えます。
これって、自動的にそうなったわけじゃないんだよなあぁ・・・


言語聴覚士の先生の所へは、保育所時代から小学校高学年まで通いました。
その間、ほんとによく見てもらった、本人も頑張った、と、なつかしく思い出し、
改めて感謝の気持ちが湧いたので、記事にしてみます。

あしかけ10年くらい、同じ先生に見ていただきましたが、
その間一度も声や態度を荒げることのなかった優しい先生でした。
(小さい頃はとにかく集中できなくて、
離席はもちろん、窓に張り付いて外を眺めたり、床に寝転んだり、
机の下にもぐって別の遊びに興じたり、突然話を変えたり…
横で見ている私がイライラして思わず注意しようとしたら、
それを止めてでも、本人につきあってくださいました。
こんな風に書くと、
窓際のトットちゃん、の、トモエ学園の園長先生みたいですね。)

思い出すのは、
先生と一緒に、絵カードで助詞の使い方の練習をしているのを見て、
家でも同じようなカードを作り、
○○が××を追いかける、○○が××に追いかけられる、
などの文章を、繰り返し練習したことです。
多分、当時の私は、必死の雰囲気まるだしで迫ってただろうな、と思います。

「LD児サポートプログラム」という本のコピーも出てきました。

>助詞は人や物事との関係を表すことばです。
 この”関係”がしっかり分からないと助詞を正しく使うことができません。
 また、Aという状況を表すときにはBという助詞を使う、
 Bという助詞を使っているときにはAという意味だ、
 という約束も覚えていかなくてはなりません。
 しかも助詞の多くは音としては短く、
 文中にあって聞き落としやすい部分でもあります。

>他の子どもと同じように、先生の説明を聞いただけでは理解しにくい子どもたちには、
 家庭でも学校でもていねいに、意識的にかかわっていく必要があります。
 こんなことまで教えないといけないの?と思うことも、
 一つひとつ、理解しているかどうか確かめていくことが大切です。
 助詞を間違える子どもには、
 説明自体にも気配りが必要で、
 具体的に、実際の動作を見せてさせる等、
 見て、使って分かるような工夫をしながら教えなければ伝わりません。

>私たち大人が日常的に、無意識に使っていることばを思い出してみましょう。
 「おしょうゆ取って」「お弁当忘れないで」など、
 意外と助詞を抜かしてい言ってしまうことが多くありませんか?
 私たちは必ずしもいつも正確に助詞を使っているわけではありません。
 日常の話しことばには、誤りや省略がたくさん含まれています。
 それでも無意識のうちに、また、先生の話されるフォーマルなことばを聞きながら、
 子どもたちは日本語の正しい使い方を自然と学んでいきます。
 LD児の中には、話しことばを聞き取って学ぶことが上手にできないために、
 自然に学ぶことが困難な子どもがいます。
 ことばを聞き取る力が弱いので、
 母国語を自動的にパターンとして覚えるところにたどりつけないのです。
 

この認識のもとに、
ゆっくり、穏やかに、はっきり、ひとつづつ、根気よく、具体的に、繰り返して、
「外国語学習のように日本語を学習する機会を持ち続けることができた」ことによって、
ナカリの国語力は大きく伸びた、と実感します。
(言語の先生との療育+公文式の教材&指導、も貢献してくれました)


<助詞教材の例>

 犬( )遊ぶ
 犬( )ほえる
 犬( )かまれた
 犬( )散歩につれていく

 鉛筆( )折れた
 鉛筆( )書く
 鉛筆( )買う
 それはぼく( )鉛筆だ

 雨がふった(  )、遠足は中止になった。
 雨がふった(  )、遠足に行った。



こういう内容は、
「早期教育」の教材にもあったし、
外国人向けの日本語教材にもあったので、
いろいろさがしながら、年齢に合わせて取り入れてみました。
でも、
教材の中身だけではだめで、学ぶ場の雰囲気が重要…。
言語の先生のように、辛抱強く、笑顔を維持して、子どもペースを大事に…、
というと、家庭での学習には限界があります(^-^;)
なので、「定期的な療育」が本当に大事でした。

とくに意識しなくても家庭や学校で、最低限の母国語を自然と身につける、
ということができず、
外国語学習のように、系統だてて文法を学び、使う練習をすることが必要な子どもたちがいる、
ということを、「ちょっと」書いておきたくなって、
結局、長々書いてしまいました。
とにかく、
後輩たち(家族)にエールを送りたい気持ちでいっぱいです。
「日本語学習」がんばって!!



読んでくださってありがとうございました。



思い出 | 23:20:22 | トラックバック(0) | コメント(6)
療育手帳の更新が危うかったときのこと
ご訪問ありがとうございます。

今日は朝から雨で、
午前中、社協の役員会に出た後は、家に籠って片づけに専念。
未整理の書類の山を仕分けしながら、
過去の出来事をあれこれ振り返る一日、となりました。
そのなかのひとつ・・・療育手帳(知的障害者手帳)をめぐる思い出

※ 障害者手帳は、他に「身体」と「精神」があります。


ナカリは、知的ボーダーで、3歳から療育手帳を所持していますが、
小学校4年生ごろ、ぐっと数字が伸びて、
手帳更新の際に、検査結果から、いったん「不可」の判定が下りたことがあります。

当時は確かに、本人自身、周囲に追いつきたい、という必死なアプローチを重ねていて、
小3の1年間、他市まで療育に通った成果も出たのか?
親の間の情報で軽度のラインと言われていた、IQ「75」を超えてしまったようでした。
でも、実生活上の困難は続いており、
がんばって理解力が上がったからといって手帳を取り上げられるのは納得できない、
と、食い下がりました。

自閉症協会のHP内検索で探し出した国会での質問(小宮山洋子衆議院議員)
「現行の手帳制度を変えるつもりはないのか?」と、それへの答弁、や、
LD親の会が自治体宛に出した要望書、を
プリントしたり。

自治体のHPから「療育手帳に関する規則」を探し当てて、
「手帳の交付を受けようとするものについて、別に定める基準に従い・・・判定を行い・・・」の文面の中の、
「基準」について判定員さんに確認したところ、
「非公開(内規)」だと言われたので、
弾力的運用が行われている事例(IQ90以上でも手帳交付)をいくつか具体的に調べて提示し、
そうした事実も勘案して何とかならないか、繰り返しお願いした上で、
どうしてもだめなら「不服申し立てを行う」ので、その手順を教えてほしい、と確認したりしました。

そんなこんなで、
「そこまで言うなら・・・」と、別の様式で再検査してもらうことになり、
結果いくらの数字が出たのか不明ながら、なんとか更新が認められた、のでした。

その後もしばらくは、引き続きボーダーという感じでしたが、
学校不適応から不登校になって、社会生活上の困難が大きく認められたため、
今に至るまで、更新は問題なく、できています。

当時、
ナカリの他にも、似た状況で手帳の更新が危ういという後輩が何人かいたので、
可能な限り継続所持できるように、お互いの経験談を情報交換し合ったものです。
重度の子どもさんの保護者からは、
手帳の更新ができないことを「喜ぶべき」という意見も聞きましたが、
手帳がなくなる=障がいがなくなる、ということではなく、
=福祉サービスの対象から外れる、ということなので、コトは切実でした。

今は、多重知能の考え方が浸透しつつあって、
一律IQで判断することには異議が出されているようですが、
単純な「能力」というところで、IQ70~90くらいの子ども(成人)、というのは、
とても微妙な状態にある、と思います。
軽度知的障がいを併せ持つ当事者の困難性、について、
この先もずっと考え続けないといけない課題だと、
過去を振り返りながら、改めて思ったのでした。

すなわち、
ナカリは
「分かっているように見えて、実は分かっていないことがたくさんある」
ということを、しっかりこちらが意識しておかないといけない!
と、同時に、
「分からないだろうとこちらが思うようなことでも、意外によく分かっていることもある」
ということも意識しておかないといけない・・・、と。

それでも、
小学生のナカリの姿が目の前に浮かびながら、
大きくなったなあ~、と、感慨深いのは、嬉しいことでもありました(^-^)
明日は留守番、がんばってもらおう!


※ 療育手帳のイロハ → リタリコ発達ナビの記事「療育手帳とは?」






思い出 | 23:09:01 | トラックバック(0) | コメント(8)
ダウン症の友達親子に学ぶこと
ご訪問ありがとうございます。

今日から10月。
今年もあと3か月となり、あたたかいお茶がお腹に嬉しい朝に、
しみじみと季節を感じています。


今、心の準備をしている、小学生保護者の方へのお話。
テーマは「先輩の経験に学ぶ」で、基本、当事者からの聞き取りです。
最初に、このテーマで話せる人を探している、とお聞きした時に、
一番先に思い当たったのが、近所に住む、ナカリと同級生の、ダウン症の友達でした。
で、どうかな~?と、お話を持って行ったら、お母さんもご本人も快諾してくださり、
その際に、併せて、「うちがナカリちゃんの作文読んでもいいよ^0^」と言ってもらえて、
ナカリの作文を、その友達に代読してもらう形で一緒に参加・・・と決めたのでした。

当日の段取りが決まっていく中で、
結局、別々のグループでお話しすることになったため、
ナカリの作文は私が読むことになりましたが、
その友達の話も是非聞きたいのになあ・・・と思っていたら、
原稿を資料として出すという点で一致し、
当日のお話は同時並行だけど、あとでお互い作文を読み合うことができる、
と決まって、今からとても楽しみです。

支援学校の高等部を卒業して就労支援を受けた後、
お仕事を頑張って、バスで通って、自立に向けて着々と進んでいる、その友達のこと・・・
ご本人の言葉で、いま改めて知りたい、と、思っています。



これは、ほんとうに、ご縁、なのですが、
ナカリには、保育所時代からの幼馴染として、ダウン症の友達が二人います。
さらに、小学校以降、別の保育所から、この友達も加わって、
そこから、たくさんのダウン症の子どもたち、その家族、に出会うことができました。

思えば・・・染色体起因障がいをもつ子どもさんのご家族の活動に、
過去、どれだけ支えられたか分かりません。

スキー旅行や、ジャズダンスサークルにも誘ってもらえて、
複数の親子で一緒に楽しく過ごす時間を、いろいろいただきました。

何より、
生まれて間もない時期に障がいが分かり、早くから親同士がつながる経験を積んでおられるからか、
私たち自閉っ子の親が、なかなか親のつながりを持ちにくい状況をよく分かって気にしてくださっていて、
側面からいろいろな形で力添えをし、自分たちの親のつながりにも迎え入れてくれ、
また、学年や地域の異なる自閉っ子の親同士を見つけてつないでくれたりしたことが、
その後の私たち親子の大きな支えになった・・・と、
人に対する信頼感や希望をもつ気持ちの根っこになった・・・と、思うのです。


明るさ、たくましさ、やさしさ・・・
親も子も前向きに生きる、その姿から、たくさんのことを学びました。
(身体障がいや内部障がいの友達親子から学んだことにも重なりますが・・・)


ナカリは、成長に伴って、いろいろ悩み苦しむことが増える中で、
今はその友達とも直接のつながりを断ってしまっていますが、
思い出の中に、たくさんのダウン症の子どもさんとご家族のことが残っていると思うので、
いつか、それがまた力になるときも来るのではないかな、と・・・


ああ。
この記事、いつもよりも、・・・、が多いです。
上手く言葉にならないのです。
振り返ると、いろいろな想いが溢れてきて、とても複雑なのです。
勝手に胸いっぱいになってしまっています。


過去記事を貼っておきます。

ダウン症と自閉症と・・・「いろんなちがう」

有名なエッセイ「オランダへようこそ」

「ベイルートへようこそ」


ナカリだけでなく、私自身も、実はとても複雑なのだ・・・と。
今はこれ以上は言葉を失います。
でも、
共に成長した過去の経験は、たからもの。


親子で一緒にジャズダンスを練習して、夏祭りのパレードに参加した時の曲。
久しぶりの邦楽です。
キマグレン/LIFE 公式動画

こちら↓は、埋め込み可能だった動画



この曲とともに、たくさんの思い出がよみがえります。
改めて、歌詞が胸に突き刺さります。

おそろいのロゴマーク入りのTシャツを着て、おそろいのバンダナを巻き、
いろんな年齢の親子30人ほどで、市のお祭りに参加した8年前の夏の写真を見ると・・・
ピースサインをしている笑顔のナカリ、がいました。



もっと時間がたって、
ナカリも私も、
ダウン症の子どもさんのご家族と、
再度笑顔で出会い直せる時が、きますように。

ちょっと、まとまらないままの記事ですみません。
読んでくださってありがとうございました。






思い出 | 11:38:47 | トラックバック(0) | コメント(8)
「告知とカミングアウト」について、再び
ご訪問ありがとうございます。

今日は親の集まりで、久しぶりに若いお母さんたちに会ってきました。

支援学級在籍児童の人数が急増する中、保護者会の取り組みも多様化し、
市内全体で400人を超える会員を抱える連合PTAでの議論は、なかなか大変そう。
学校ごとに、また、子ども一人一人、事情が違うので、
一律に大きな団体として動こうとするのは無理がある様子もうかがわれ・・・。
でも、市のすべての小学校の支援学級を網羅する横組織があること自体、貴重だし、
長い歴史を重ねてきた連合PTAなので、
今後も、無理のない範囲で、がんばって活動を維持してほしいなあ、と、
応援したい気持ちを新たにしました。


で、
その連合PTA主催の冬の学習会(ナカリの体験談も伝える予定)について、
担当小学校の後輩ママとお話できました。

こちらから一方的に体験談をお話しするのでなく、
出来るだけ、現役小学生保護者の方々が知りたいことに応えたいと思い、
再度、当事者からどんな事を聞きたいかを、確認したところ・・・

「本人自身の障がい(他の子との違い)の自覚は、いつ頃どのように?」
「親は本人にどう打ち明けたのか?」
「本人が自分の障がいを知った当時の気持ちは?」
「どこでつまづいて、その経験をどう共有したのか?」


身が引き締まりました。

今回の学習会で体験談をお話しする、ということを決めたいきさつは、
もともと、
今の段階で改めて過去を整理し直し、当時の気持ちを文章にできたら、
ナカリが次に進む一助になるかなあ、という気持ちと、
少しでも、後輩の役に立てたら、という気持ちから、
まず私が引き受けて本人に説明して了解をもらった、という形で、
過去記事でも、イラスト入りで過去の自分を振り返る文をかけたらな、とか、
ごく最近まで前向きに考えていることを書いた記憶があります。

が、
いざ、実際に文章にまとめていこうと、昨日、本人にアプローチしたところ
ナカリにとって、学校時代は小中高全部が、基本、「黒歴史」なので、
振り返りの作業自体が、なかなかハードなものになりそうな気配が感じられました。
少し話題に出すと、
「(昔の)自分キライ」→「自分のこと好きになれない」→「自分で自分を傷つけてしまう」
という流れになりそうで、危なかったです。
そこで、
新たな文章を書いてもらうことを諦め、
過去に本人が書いた文章を後輩保護者の皆さんに見てもらうことを含めて、私に「丸投げ」してもらう形にして、
今日、後輩ママにも相談しながら内容を固めていこうと思ったのでしたが。

今からドキドキです・・・


帰宅してから、当日の資料を検討する過程で、
本人への告知、と、併せて、周囲へのカミングアウト、について、
ブログを始めて間もない頃に、記事を書いていたのを思い出して、読み返しました。

「告知」と「カミングアウト」


両親ともに、まだ健在だった頃の記事です。
もうずいぶん昔のことのように思ってしまって、
ナカリと、こうしたやりとりができていたことにも、今になって感慨深い気がします。

その頃のナカリと、今のナカリ。
ちょうど2年半くらい前のやりとりですが、
この間、いろいろな出来事があって、ナカリの心の状態にも変化が見られます。

今現在の状態を維持する、できるだけ前を向いて行く、ということを意識しながら、
過去を振り返るのは私(親)だけの作業に限定し、これから仕切り直して準備しようと思います。

とてもデリケートで、個別の問題で、難しい課題ですが、
この機会を大事にして考えたい・・・です。

自分自身の頭の整理のための記事になって、すみません。


今日の午後は、ナカリと一緒に体を動かすゲームをして、
夕方には近所の散歩に行きました。
穏やかな時間。一緒に歩ける、話せる、幸せ。

夕焼けが綺麗で、歩いているうちに、夜空になり、三日月が2日前より太ってるね、と話しました。
2017年9月の夕焼け


考えることも大事だけど、何にも考えないで、ぼーっと過ごしたり、体を動かしたりも大事。
適度にバランスをとりながら、ゆっくりいきます。


読んでくださって、ありがとうございました。



思い出 | 19:56:41 | トラックバック(0) | コメント(8)
1999年のダイアリーから
ご訪問ありがとうございます。

今日は、ナカリとコラボ作品作り。
(ナカリの昼寝中は庭仕事)
夕方、久しぶりに二人で散歩。
・・・と、ゆっくり過ごしました。

テレビ無しの、静かな夜です。
で、
リンク先の「吉報配達ブログ」でスケジュール帳の話を読んだので、
今の形で日々の記録を兼ねたスケジュール帳を買い始めた最初の年、
1冊目の、1999年のノートを、めくってみました。
(ノートの山は、年金申請の時に、役に立ちました)

記録ノート CIMG0196

秋からナカリと母子通園施設に通い始めた1998年。
その年の12月16日に購入、とのメモ。
「何度も書こうと思いつつ先延ばしにしてあったナカリの育児記録を今度こそ書こうと思い日記を購入」

日々のナカリや息子の様子が書き綴られていて、なつかしいです。

----------------------------

1月
「・・・寂しいというか、腹立ちも含めて、さむーい風が吹き抜ける感じ。
なんでかなあ。
しつけ、とか、ことばづかい、とかで・・・ほんとにモヤモヤする思いで。
子どもは可愛いけど、大変、と、つくづく思う。
こんな感じじゃ、やっぱりしんどいなあ。
あまやかし、なんやろか、やっぱり。」

2月
「夜中に、たすけてー、を何回も言ったり暴れたり私の髪を引っ張ったりで、寝かせてくれず」
「ごちまてで(ごちそうさま)、と両手を合わす」
「冷蔵庫を開けて、みどりみどり、と言う。
ワサビはダメと言うと、冷凍庫からミックスベジタブルを出して食べると言うので、ご飯に混ぜて食べさせる」

3月
「あぶくいてー(意味不明)」
「みっちゅ、さんさい、が言えるようになる」
「ぽぽちゃん(人形)をだっこして抱きしめる」

4月
「言語指導(療法)を申し込んでみる」
「おんぶ、と言うので、ねむいの?と聞くと、ナカリちゃんねむくった、と言う」
「かたつむり、が、どうしても言えない。かたまつり」
「あーあーあーあー、と何か伝えたそうに怒って言うことが増えた」

5月
「だっこした(だっこして)」
「だーぶーて?(だいじょうぶ)」
「ショートステイを申し込んでみる」

6月
「あびくよおー、おもいだっと(意味不明)」
「公園の水たまりに小石や砂を投げ入れ続ける。
マンホールと側溝の上に乗って遊び続ける。
踏み切りに走っていこうと騒ぐ、止めると大泣きして暴れる。
室内に入らない、靴を脱がない、泣き続ける」

7月
「(通園施設で)泣きながら体重計に自分から一人で乗る。
 葛藤が見える!ナカリのターニングポイント!」
「夜、何か分からないけれど、楽しそうに歌を歌う。
〇〇ちゃん〇〇ちゃん、どこいちぼ?(どこいます)」
「いたまたて(いただきます)」

8月
「ことばがハッキリしてきた。こんには、おかいな」
「すごーいビール、がんばれビール????」
「私がメガネをかけたら、めがねただいま。お茶がこぼれたら、お茶おちた」
「はやく、じぶんで、とよく言う→私が言ってるのかな」

9月(母子通園施設を退所して、地域の保育所に移る。息子も学童に入る)
「どちぶんばん、いききっき、いききっき(意味不明)」
「夜中、つづけて3時前後に起きて泣く」
「おんぶすると、おもたいねー。ゲームを見て、どっちもがんばれー」

10月
「いこう、こっち、と、指さし、手を引く」
「息子・・・ナカリちゃんの知らないところで、おれはいっぱいがまんしてるんやで」
「おとーさん、あれ、いないなー、どこいなかー、あった」
「お母さん大好き―」
「息子・・・ナカリちゃんは障がいがあるの?ぜったい?かおとかゆがんでないのに?」
「怒ると、お母さんこわいー、と言う」
「まってね、に、はーい、が言える」

11月
「(人に対して名前を聞くときも)これなあに?あれなあに?」
「はさみ、か~わい~ね~。ピンクかわい~ね~(何でもかわいい)」
「自転車が倒れたら、あーたおれた、いたかったね、だいじょうぶ」
「やたら走り回らないで、ちゃんと散歩ができるようになった」

12月
「ちりめんじゃこを指して、ちっちゃいおさかな」
「自分からこけて泣いたのに、ごめんなさい」
「〇〇がなくて探してほしい時、〇〇あった、と言う。
ないねー、やで、と言っても、繰り返し、〇〇あった、と言う」
「キャラメルを、ピンクと赤とかわいーね、と言うので、食べるの?と何回も聞くと、食べるの。
なら、あけて、って言うの→あけて。
2個目を持ってきて、ピンクかわいーね。何て言うの?と繰り返すと、あーけーて」

------------------------------

・・・はしょりながら振り返ってみて、小さいナカリや息子の姿が目に浮かびます。
ダイアリーのおしまいの方は、読んだ本や聞いたお話の記録。

「福祉というのは、お金でも施設でもありません。それは、ふれあい、出会いです」
という1文があって、改めてそうだなあー、と思ったのでした。

ふ~。
ここからスタートして、長い道のり、ここまで辿り着いたんだもの。
大きな成長だなあ、としみじみ。
だから、未来も、明るく考えて行こう。
明日からの1週間も、がんばろう!

長々読んでくださって、ありがとうございました。




思い出 | 22:21:46 | トラックバック(0) | コメント(10)
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