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ナカリママ

Author:ナカリママ
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

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自閉っ子の家庭で「暴言」が飛び交うのは、よくあることなのか?
こんばんは、または、こんにちは。
見に来てくださってありがとうございます。

この数日、
にほんブログ村経由で他の方のブログを見たことがきっかけになって、
「暴言」に関する過去の実体験と、他の自閉っ子のご家庭の様子とが、
様々な形で重なり、
胸が苦しいというか、
今の穏やかな毎日が夢のようで、脆くて儚いものかもしれないという不安も感じ、、
自分自身も頓服を飲みながら、少し、頭の整理をしたいと思います。


自閉症と言っても、本当に一人一人状況が違うので、
何が正しいとか適切だとか、単純に言い切れるものはないでしょうが、
多くの自閉っ子のご家族が「我が子の思いを理解する助けになった」と言われている、
当事者の作家、東田直樹さん

彼の言葉で、ずっと忘れられないのは、
「自分の存在が家族を悲しませている、家族の負担になっていると感じること、が一番辛い」
というような内容です。
それと、同じやり取りを繰り返すのは、
「答えを知りたいからではなく、答えを聞きたいから」という言葉。
やり取りがかみ合わない、とか、やり取りがしんどい、とかいうことはあっても、
「やり取りがしたい、楽しみたい」という気持ちは同じようにあるのだな、
と、目から鱗・・・のような気がしたのが忘れられません。


同じことの繰り返しに、こちらがキレそうになった時、
ちょっと待って、今、相手が求めているのは(言葉として聞きたいことは)「正解」ではなく、
相手が「聞きたい言葉、言って欲しい(寄り添ってくれる)言葉」なんだ、
深読みは必要なく、ただ単純に、相手は素直に答えを待っているだけなんだ、
まっすぐ、自分だけに向き合って欲しがってるんだ、と、
そう自分で自分に言い聞かせて深呼吸。

多々の失敗を繰り返しながら、お互いに深く傷つけあいながら、
ホントに些細なことで「信頼」が崩れ、マイナス地点まで引き戻されることも何度となく経験しながら、
やっとの思いで辿り着いた穏やかな日々。

でも、今この瞬間にも、どこかの家庭の中で、似たような修羅場が繰り返されているかも。
いや、かも、ではなく、
実際そういう修羅場を今まさにネットという場にぶつけている人たち、や、
過去自分も似た修羅場をくぐってきたという、子どもの側からの意見を綴る人たち、も、
想像以上にたくさんいる、ということを実感して、
私自身が、何ともやりきれない思いに打ちのめされてしまっている状態です。

他の方のブログを勝手に引用するわけにはいかないので、
我が家に重なる内容だけ振り返ると、
 「生まれたくて生まれたわけじゃない」
 「生まれて良かったことなんか一つもない」
 「障がいのせいだ、普通になりたい」
 「生んだ母のせいだ、母が悪い、母なんかいなくなれ」
 「私なんか生まれなければよかった」

これが、雨あられ、石つぶての様に投げつけられ、胸がえぐられ、膝が折れる。
嵐の中、自分も言い返す、親だって人間だから傷つくんだ、と。
そして、理性とは反対に、悪い結果が目に見えている意地悪な表現で言い返してしまう。
すると、案の定、
 「なんでそんな意地悪言うんや!ひどい!絶対許せない」
 「お前なんか死んでしまえ」

そうやって、火に油が注がれる。
燃え盛り焼き尽くされ、沈火した後も、深く傷跡が残る、何年も何年も。
保護入院の後、過去何年分ものやり取りを深く後悔させられた記憶は消えません。
口から出た言葉は取り消せない。


本人も、思い出すのは嫌だろう。
私も嫌だ。
忘れてしまえるものなら、忘れ去りたい。
どうやって乗り越えてきたのか、振り返ることにも苦痛が伴う。
だから、過去はもういい、今、今とこれから、だけ見つめたい。
それなのに、他の人のことに刺激を受けると、動揺する。
乗り越えたと思っていたことが、違う形で目の前に突き付けられる。

考えが暴走する、過活動状態の脳みその動きを止めたい。
外からの刺激をシャットアウトしたい。
見てしまったものを、なかったことにして、忘れてしまいたい。

難しいことを考えるのを止めたい。
今が、穏やかであればそれでいいじゃない。
一日一日、良い日だったなあと感じられることほど感謝なことはない。
新たな火種を探さなくていい。
昔よくコメントをくださった「禅寺のような家庭(親子)生活」をしているという方の言葉を思い出す。

うちもそんな風に、そんな「マイペース」を維持して、
親離れ子離れも必要だけど、もう少しの間、親子で向き合って、
「平穏」を手に入れて、その先の「自立」を目指していけば、それでいいんだよ。



書いているうちに、少し落ち着いてきました。
ナカリが「何、書いてるの?」と、気にして聞いてきたので、
彼女も、ゲームで外の世界に触れると刺激を受けるみたいに、
お母さんも、ちょっとほかの人のブログに動揺しちゃってね、と返すと、
スマホで自分のブログを更新し始め、あっという間に書き終えてしまいました。

今日は、自分のための記事になってしまいました。

家族って、親子って、ほんとにそれぞれ。
人は人、自分は自分。
何度も何度もナカリに伝えてきた言葉。
それを、自分自身にも言い聞かせて、明日を迎えよう。
少し、リセットできた気がします。

今日も最後までありがとうございました。

カウントダウンの実家の片づけ。
TVから流れる百恵ちゃんの秋桜、に、ちょっと胸詰まったので、最後に貼っておきます。


今日はへたばったので、ネコバンバン、ヘルプマークお休みします。






思い出 | 23:19:38 | トラックバック(0) | コメント(6)
亡き父への思い 
こんばんは、または、こんにちは。
来てくださってありがとうございます。

今週は、あまりにもメンタル不調で、常備薬の残りも少なくなっていたので、
すがるような思いで精神科を受診してきました。
優しい先生のお顔とお声に接して、「いつでもおいで」に慰められて帰宅。
少しずつ、持ち直してきています。


私が他市の精神科病棟に1か月任意入院したのは去年の11月。
「秋の思い出」として、心に残る穏やかな時間でした。
その病院でも、
退院の際、主治医の先生は「またいつでも、ゆっくりしにおいで」
と、笑顔で言ってくださり、
散歩で知り合った別の患者さんも「出戻り組なんですよ」と笑顔で話されていたので、
今回、無性に入院したくなり、その気持ちを思わず口に出して、
ナカリを慌てさせてしまいました(反省)。

過去記事でも何度か書きましたが、
ナカリも思春期病棟に保護入院した経験があり、
彼女にとってはそれはトラウマで、もう二度と入院したくない、と繰り返しています。
なので、私の場合とは状況が大きく違うので、
「入院のイメージ」を一緒に語ることはできません。
プチパニックに陥っていたとはいえ、ナカリに負担をかけたことを深く反省しています。


そこで思い出されたのが、親の遺品整理をしながら、胸につかえてきた父の秘め事。
(ネットという場でこんな記事を書くことが故人の意に沿うかどうか、
父への懺悔の思いを込めながらですが)
父もまた、独身の若い頃に精神科入院の経験があったのだそうです。
そのことを母から初めて聞いたのは、ナカリが入院した頃でしたが、
同時に、父が私に知られることを大変気にしていた、ということも聞いたので、
結局、私と父との間では、生前、その話題に触れることはできませんでした。
私自身は、母から事情を聞いて、あれこれ想像するしかなかったものの、
当時の父を取り巻く家庭の事情を考えたら、
今で言う「心を病む」状態に陥ってもおかしくなかった、と思っています。
なので、
「お父さん、気にすることないよ、私も気持ちすごくよく分かる、大変だったよね、良く乗り越えたね」 と、
直接、父に声をかけたかった。
その気持ちが、行き場を失ったまま、ずっと心の底に沈殿している気がします。


父、私、娘、の親子三代にわたって、同じような経験をしたこと。
状況はそれぞれ違うし、「精神疾患は遺伝する」という誤解を生みたくないのですが、
メンタル面で課題になる思考パターンが似ている(べき思考、生真面目など)、
という、性格的傾向の近さは(良い悪いではなく)、
何等か受け継ぐものがあったかも、と思ったりします。


振り返れば、仕事人間だった父は、一人娘の私を、ことのほか可愛がり、
亡くなる前の最後のうわごとでも、幼い頃の私を思い出しているような言葉を口にし、
常々「子どもは宝物だ」と言い続けていました。
そして、特に「家族写真(子どものアルバム)」を大切にしていました。
(ちびまる子ちゃんの、タマチャンのお父さんに似た感じです)
ですが、昔の私には、そのことが負担で、うっとうしい気持ちでもあり、
父が酔う度にアルバムを出して見たがるのが嫌で仕方ありませんでした。

今回の片づけで、写真のネガフィルムはほぼ全部処分しましたが、
父が大事にしていたカメラ機材や、写真アルバムは引っ越し荷物に入れました。
昔のネガは、白黒で、1枚ずつハトロン紙に包まれ、折りたたまれてカバーがかけられ、
そのカバーのイラストも時代を感じさせられるデザインばかりで、
捨てる前に写真だけでも、と撮ってきました。
ネガフィルム 

昔のもの、というのは、思い出と結びついているので、
ただの「モノ」ではなく、記憶の引き出しを開ける鍵のようなものだと思います。
私にとって、ネガフィルムの束を見たことが、
父と話せなかった後悔を思い出させるきっかけになり、
そのあとに自分自身が不調に陥ったことで、さらに深みにハマった感じです。


心を病むことは、「悪いこと」「恥ずかしいこと」ではない。

今は、亡き父にも、ナカリにも、そして、自分自身にもそう言い聞かせてやりたい。

「ナカリのブログ」で紹介されていた、アキちゃんの寝姿の別角度・・・
アキちゃん283 
アキちゃん284 

可愛いねえ、アキちゃん。
両親ともに送ってから我が家にやってきたアキちゃん。
愛される経験だけでなく愛する経験をナカリに教えてくれたアキちゃん。
ありがとう。

私の避難先ワンルームを確保するきっかけになった、友人宅への家出中、
面白いよ、と勧められて見た映画「日日是好日」が、今夜テレビ放映されています。
母が茶道をやっていたので、ナカリに声をかけて、チラ見中。
出演者の一人、多部未華子さんが主演した「あやしい彼女」も、
同じく家出中に、友人宅で見ました。
その中の「悲しくてやりきれない」という歌のシーンが、ずっと心に残っていたので、
検索してみたら出てきました。
両親の世代。食べていくことに必死で、子育てに必死で、
一生懸命生きてきた、その生活の中で何度「悲しくてやりきれない」気持ちになっただろうか。
給料日前には食べるものがなくて、お腹がすいて倒れそうだったという母の言葉が忘れられません。

私事ばかり書き連ねた記事なってしまって、申し訳ない気持ちです。
映画自体は、韓国映画のリメイクで、ラブコメの要素もあって、
気軽な気持ちで見ることができます、よろしければぜひ。


今日も最後まで、おつきあいありがとうございました。

「弱い自分」「責められている自分」と思わないで、
夫からのアドバイスのように、「ケセラセラ」で日々乗り越えていきたいと思います。
がんばりすぎないで、がんばろう。

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思い出 | 19:58:08 | トラックバック(0) | コメント(11)
デーケン先生逝去、と、母の千羽鶴
こんにちは、または、こんばんは。
来てくださってありがとうございます。

6日にアルフォンス・デーケン先生が亡くなられました。
息子がネットの記事をアップしているのを見て知り、
新聞記事を探しました。
デーケン先生逝去記事 

死への準備教育の本がどこかにあったはず、と思いながら見つけられなかったので、
直近に読んだグリーフケアの本をめくってみました。
デーケン先生のあとがきに、聖書からの引用があり、何度も読んだ文章でありながら、
再度また胸にしみました。

>天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
>生まるるに時があり、死ぬるに時があり、・・・
>泣くに時があり、笑うに時があり、・・・


今は、泣く時なのかな、笑う時なのかな。
両親の遺品を片付けて、いよいよ実家を手放す日が迫ってきて、
揉め事の相手だった親族たちから実家のカギ!を取り戻し
(留守中に勝手に鍵を開けて親族に出入りされるのが私の実家でした)
電気や水道や電話や保険の廃止、解約の手続きを進め、
このあと、自宅に引き取る荷物の引っ越し業者選定、廃棄物処理業者との日程調整・・・

最終決済日まで、まだこの落ち着かない日々が続く中、
母が残した千羽鶴も写真を撮って、廃棄。
(何のどんな紙でも、すぐに鶴を折っていた母です。
もう数えきれないくらい廃棄しました)
母 折り鶴 
この鶴は随分大きな鶴。
手編みのブローチと一緒に床の間に飾ってありまりました。

ガッツリ固定された左手も、ついつい使って、あれこれ片付けていたら、
何かの拍子に胸が苦しくなって涙がこみ上げそうに・・・
手首ギプス 
母も亡くなる数年前に同じように手首を骨折したのを思い出し、
その母が、回復期に使っていたサポーターを持ち帰りました。

父を看取った時には、あまり「後悔」にさいなまれることはなかったのに、
母に対しては、引きずるような思いが残っているまま3年が経ち、
母が尊敬していた日野原先生に続いて、デーケン先生もこの世の人ではなくなって、
なんだか心にポッカリと穴があいたような寂しさを感じながら過ごしている数日間です。

心を空っぽにして、もう一度、今はどういう「時」なのか、
自分自身を振り返ってみたい・・・

先に紹介した本の中に、
>悲嘆のプロセスに影響する心理的要因にはいろいろありますが、
>亡くなった人に対する未完了の務め というのがあります。

という文章があります。

「未完了の務め」(unfinished business)

そう、この言葉がしっくりくる気がします。
今、自分がやっている、「実家の整理、売却」が、何らかの形で、
亡くなった母の慰めになればいいなと願いながら、
最後までやり遂げなければ、という「責任感」のようなものも感じています。

母が折った鶴は、自宅でも廃棄しましたが、それでもまだ屋根裏に多数残っています。
何羽も何羽も鶴を折りながら、母は何を思っていたのだろうなあ。
まだ読み切れていない日記ノート。


ナカリのためにも「生き物」を飼った方がいい、とは思いつつも、
両親の遠距離介護が始まった頃に相次いで熱帯魚が死に絶え、
その後は生き物を飼うこともままならないまま数年過ぎて、
両親を送ってから、我が家にやってきたアキちゃん。

外に出すと、のべ~~ん、びよ~~ん。
ウサギってこんなに伸びる!
アキちゃん278 
足を交差させて寝転んでいる様子が、なんとも可笑しくて。

抱っこは苦手でも、ナカリにおとなしく抱っこされるアキちゃん。
アキちゃん277 

手作りマスコットたちも、母が逝ってから作り始めたので、
いろんなことを、心で報告してばかりです。

胸の内が複雑な感情にごちゃごちゃ状態なのを感じていたところへ、
リンク先の「吉報配達ブログ」で、「ブランクスカイ」の記事を読み、
あ~~、アタマ空っぽにしたい!という衝動に駆られました。
心は折れてはいないけれど、ちょっと疲れてるかな。

今が踏ん張りどころなんだろうけど、
少しの間、ぼーっとしたい・・・お母さん、休ませてね。
来週、また、帰るから。


今回の帰省往路の飛行機で仕入れた曲、Doja Cat の「Say So」
ナカリが気に入って、リピートしています。
英語の曲ですが、息子が好きなドイツ語バージョンがあったので、そちらを貼っておきます。

(息子は、不登校時代、英語よりドイツ語が好きで独学スタート、
同級生から「そんなん勉強して何になるん?」と言われながら学び続けました。
今はラテン系言語が主ですが、彼の外国語学習の原点はドイツ語なので、
この動画を発見して感慨深かったです。)

今日も最後までありがとうございました。

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思い出 | 18:36:56 | トラックバック(0) | コメント(12)
祖父の「わたしのおいたち」ノート ほか
こんにちは、またはこんばんは。
来てくださってありがとうございます。

雨が降り続いています。
被災された方のこと、引き続きコロナで不安な中奮闘されておられる方々のこと、
考えると、胸が苦しくなりますが、
わがことのブログで恐縮ながら更新させていただきます。

今日、古くからの友人に会った際、娘さんの結婚披露宴の話をしてしまって、
自分で自分を貶めているような状態の私です。
ナカリに何度も、人と比べても意味がないと話しながら、
いわゆる、「適齢期」的なものに振り回されている自分を実感して激しく落ち込みました。

そんな状態ですが、
今回の帰省で持ち帰った、祖父の「おいたち」ノートを少しだけ紹介させていただきます。
明治生まれの祖父母は、私から見たら遠い存在であり、
特に祖父の方は、小学生の頃に亡くしているので、
幼い時に「自転車に乗ってバナナを持ってきてくれたおじいちゃん」程度の記憶なのですが、
生い立ちを万年筆でびっしりとつづったノートが三冊みつかって、
父がそれを一文一文丁寧に書き写して残したものも同時に残っています。
父は自分の生い立ちについて、ほとんど何も書き残してくれませんでしたが、
親の生い立ちを書き写す、という作業を、どんな気持ちで行ったのかなあ。

もちろん私はとても読み切れませんので、1ページ目だけ。
祖父の生い立ち 
>時
>明治は37年、我が国は国を掛けての大勝負日露戦争が始められて
>人畜糧食のとぼしい中に、明治38年天に昇る勢力にて
>思いも及ばん陸軍乃木大将海軍の東郷平八郎大将によって日本海大戦争に大勝利にて、
>一方乃木大将の二百三高地には大勝利にて明治38年9月2日乃木将軍露国ステッセル将軍と
>水師営にて涙の会見をして手を握っ?たのでありました?
>明治〇年〇月〇日、〇県〇郡〇村〇字〇番地、父〇母〇の仲に〇番目に誕生
>?上に兄〇、〇・・・、?妹〇といふ仲に生誕す。
>父は小百姓にて陶器製造業・・・


教科書で学んだ日露戦争。
祖父はその当時に生を受けたのだなと、また、
一市民の立場からは、「日本海大戦」も「二百三高地」も、「大勝利」であったのだな、と、
なんとも複雑な思いで読み始め、このノートの最後に、家系図的なものを書き残した祖父に、
長男としての父はどんな思いでいたのだろうかとも・・・

「明治」は、まだ、手が届くところにあるのだな。
過ちは繰り返してはいけない、先人から学ぶことも多い、
なぜ今の日本があるのか、歴史を正しく知ることは大事だなと思います。

この祖父が、畑仕事をしている祖母を「見染めて」結婚したけれど、
祖母の方は結婚式まで祖父の顔を見たこともなかったとか。
今からでは考えられない、昔の「結婚」の儀式です。
私とは折り合いが悪かった父方の祖母ですが、
きっと、明治生まれの女性として、様々な苦労をしたのだろう、とも。


もう1冊は、母が仕事をしながら夜間に通っていた洋裁学校のノート。
母の洋裁ノート 
母の時代には、洋服は、買うものではなくて作るものだったんですね。
編み物もそうですが、縫物も一生懸命な母でした。
足踏みミシンは処分せざるを得ませんし、機械編み機は廃棄です。
でも、手縫いの記憶は消えません。
下着の類も、ほんとうに、全部手作りだったと思います。
その、母が残した家計簿も、今回持ち帰りました。
月々の予算を立てて、日々の生活をやりくりしていた様子が伝わってきます。

そんなこんなを見ているので、
実家の片づけは亀の歩み(汗)。
リミットが設定されている中で、思い切りも必要ですが、
あともう少しだけ、いろんな過去の発掘をしておきたいと思いながら、
また、週末のナカリを夫に託して一人帰省します。

伺った先々で、コメントを、と思いながら、バタバタと失礼をお許しください。
今、私自身のメンタルが少し不安定なので、
最後は自分自身のために、気持ちをアップさせられる曲を貼っておきます。
カーペンターズ「星空に愛を」(7分以上の大曲です、異星人とのコンタクトがテーマです)


今日も最後までありがとうございました。

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思い出 | 18:36:21 | トラックバック(0) | コメント(10)
昭和一桁生まれの暮らし方
こんにちは、またはこんばんは。
来てくださってありがとうございます。

今年も今日で半分終わりですね。
大変焦っています…

先日の帰省での発見を、追加でもう一つ。

長く使っていた木製の状差しを、壁から取り外して持ち帰ったのですが、
裏返してみて初めて発見したのは、一部が壊れていた!ことです。
壊れたというか、割れてなくなった部分を、かまぼこ板で補修して、
表側の模様をマジックで書いて、見た目、不自然でないように工夫してありました。
言葉ではうまく説明できないのですが、
その「補修」の事実を、私は今回持ち帰るまで気づきませんでした。
そのくらい上手に直してあったので!
父の仕業だということはすぐに分かりました。
生前に気づいていたら、すごい~と伝えたかったのに、それはもう叶いません。
せめても、このまま自宅で引き続き使うことにしました。
補修跡を見るたびに父を思い出すことができます。


昭和一桁生まれの父は、一般的な会社員でしたが、大工仕事が上手でした。
家じゅうのあちこちに手作りの棚を取り付け、
狭いスペースにもピッタリのサイズに板を切って戸棚を作り、
そうした補修用に、かまぼこ板を何枚も取りためてありました。
父の遺した大工道具をどうするかも思案中です。

壊れたら捨てる、という発想がなく、壊れたら直して使う、人でした。
無いものを欲しがったり手軽に買ったり、というより、
あるもので工夫して新しく作り出す、ということを考える人でした。
生き方そのものも、
質素で倹約家で、自分は目立たず、人のためにばかり行動する人生だったと思います。

告別式で喪主として父を送った挨拶の中に
集めたものは、死とともになくなるが、与えたものはずっと残る。
父は、与える人だった」
というような言葉を入れ、今もそう思っています。

母はナカリの自閉症のこと、息子や私が取り組んでいること、を知りたくて、
いろいろ本を読んだり新聞記事を切り抜いたり、目に見える形で応援してくれましたが、
父は父なりのやり方で、娘や孫の応援団で居続けてくれたのだなあと感謝しています。

残りの期間で、悔いのない後片付け、ができますように。


先日、飛行機のWi-Fiで、クラシック分野の「ラモー」小品集が良かったので
改めてネット検索していたら、
偶然、ヴィヴァルディ「ラ・ストラヴァガンツァ」に出会って、いいなあ~と聴き惚れました。
2つ並べて貼っておきます。





個人的な思い出話に、最後までお付き合いありがとうございました。


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思い出 | 12:16:43 | トラックバック(0) | コメント(20)
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