■プロフィール

ナカリママ

Author:ナカリママ
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

■最新記事
■最新コメント
■月別アーカイブ
■カテゴリ
■FC2カウンター

■リンク

このブログをリンクに追加する

■フリーエリア
■フリーエリア
■フリーエリア
■フリーエリア
■検索フォーム

■ブロとも申請フォーム
■QRコード

QR

「シュレーディンガーの猫を追って」と、バッハ・のパルティ-タ
ご訪問ありがとうございます。

息子の風邪が長引いています。
予定外の長期帰省となり、月末締め切りの仕事や、原稿チェックのメールが入るたび、
少しずつ焦り始めている様子ですが、
考えてると余計に治らないから、今は頭を休ませて、と、言い聞かせています。

夕食後、久しぶりに一緒にバッハを聴くことも出来て、
母としては、ありがたい時間。
聴いたCDは、セルゲイ・シェプキンが弾くバッハ「パルティ-タ1~4番」

聴きながら、
風邪をひく前に息子に買ってきてもらった「シュレーディンガーの猫を追って」(河出書房新社)のページをめくりました。
新聞の書評で見て、読みたくなり、本屋に行くという息子に頼んだものです。
フランス文学の棚にあったそうですが、哲学的な文章で、難解です。
でも、不思議と魅力的。
これ、原語で読めたらどんなに素敵かなあ…。

著者のフィリップ・フォレスト氏は、4歳の愛娘を病で失くしてから作家になったとのこと。


>質問するのはいつも子どもたちだ。
 大人はみな、答えなどないと言い放って投げ出してしまう。
 例外は、哲学者、学者、詩人だ。
 赤子と同じくらい無防備な彼らは、赤子とほとんど同じ結論―あるいは結論の欠落―にたどり着く。
 
 「前はどこにいるの?」
 「生まれる前かい?」
 「うん」
 「ママのおなかのなかさ」
 「それは知ってるわ」
 「そうか」
 「みんなそうなの?」
 「ああ、みんなそうだ」
 「でも、前は?」
 「何の前だい?」
 「もっとずっと前」

 ・・・

 「じゃあ、人間よりも前は?」
 「人間より前の地球には動物たちがいた。
  それから、動物だけじゃなくて、いまぼくらが知っているものがぜんぶあった。
  海、山、森、河、それにお花。
  上を見上げれば、空と雲。
  もっと遠くには、太陽、月、たくさんの星々」
 「じゃあ、もっと前は?」
 「もっと前?」
 「うん、地球とか太陽とか月とか、空にあるほかの星より前は?」
 「その前はわからない。
  もし何かがあったとしても、それを見られるひとは誰もいなかった」
 
 ・・・

 「じゃあ、ほんとうの始まりには?」
 「なんにもなかった。真っ暗闇みたいに」
 「ずっと?」
 「すごく長いあいだね。
  太陽もなかったから、日も数えられなかった。
  まるで時間が動き出していなかったみたいだった」
 「どこで?」
 「どこでもあるし、どこでもない。
  大きな虚空。なかには何もない宇宙だ」

 ・・・

 「ずっと前に死んでしまったのに、いまも光が見えるの?」
 「誰のことだい?」
 「お星さまよ。そう言ったでしょ?」
 「そうだね」
 「死ぬって、暗闇のなかで眠るみたいなことだと思っていたわ」
 「ああ、そうだね、きっと」
 「でも悪夢は見ない?」
 「ああ、悪夢は見ない」
 「それでどうなるの?」
 「死んだひとは暗闇のなかで眠る。
  でも他のひとたちは、彼らが残す光を見つづけるんだ」
 「ずっと?」
 「光が虚空を旅しているあいだ、そして、その光が通ってゆく空をどこかで誰かが眺めているあいだはね」
 「じゃあ、けっして終わりはないのね」
 「ああ、ある意味では、けっして終わりはない」


まだ理解しやすかった部分を抜き書きしました。
今年母を看取ってから、何かにつけて「死」について考える著作を読みたくなり、
今回もその流れで手に取った本ですが、この文章に深く揺さぶられました。
「終わりはない」
そうだなあ。
そう思うことで、未来に繋がっていく。
希望をもち続けていられる。

バッハを聴きながら、胸いっぱいになった夜でした。
検索して出てきたのは、やっぱりグールドです。
1番、3番だけですが、貼っておきます。



本は、まだまだ読み終われそうにありません。
この夏のいろんな思い出と一緒に、心にしっかりしまい込めるように、丁寧に読みたいです。



読んだ本・文章、見た映画・ドラマ、聴いた音楽 | 22:33:08 | トラックバック(0) | コメント(4)
母が逝って5カ月・・・しあわせ、を考える
ご訪問ありがとうございます。

昨日は母の月命日でした。
早いもので、もう5カ月経ちました。

救急入院したという連絡で、ナカリを連れて片道切符で帰省し、
一度戻って息子を連れて再度帰省、
その月の親の集まりには出られそうになかったので他のママさんに頼んでいたら、
ちょうど、集まりの日の夕方に亡くなりました。
夜、病院の待合室で、かけつけた牧師さんと告別式その他の打ち合わせをしていたところに、
お願いしていたママさんから、その日の集まりの様子の報告メールが入り、
一息ついたところで、母を看取ったことと、お礼とを返信しました。

そのあと
いろんな人に気遣ってもらえました。
人のつながりに、癒されました。


私はまだ洗礼は受けていませんが、
クリスチャンの母と叔母からいろいろな影響を受けてきたと思います。
(母も洗礼を受けるまで紆余曲折、長い時間がかかりました。)


私が中学生くらいの時、
卒園した幼稚園のバザーに行って買ってきた小さな本
「しあわせ」(女子パウロ会) 
その中に挟んであった「しおり」
しあわせ 本

いわゆる、名言集、なのですが、
ずっと、気に入って手元に置いていました。
最初のページには

「自分がしあわせかどうか
 問わなくともよい
 しかし
 あなたとともにいる人が
 しあわせかどうかは
 問うがよい
    作者不詳 」


とあって、少し、胸がチクリ。
認知症が進んでいく過程で、母との電話のやりとりが刺々しくなり、
あるとき
「あんたも、自分が老人ホームに入れられるようにならんと、この気持ちは分からん!」
と、強く言い放たれた言葉が突き刺さったままです。

亡くなる直前の電話では、穏やかに「ナカリをほめてやるんよ」と言ってくれたし、
その後、最後に交わせた会話では、私の「ごめんね」にちゃんと応えてくれたので、
あのときの、あの言葉は、私への恨み言、という風には受けとめていないのですが、
やはり
認知症の症状に対する苛立ちから、
私自身の中で、「母のしあわせ」への思いやりが欠けていたかな、と。
ナカリとの日々に精一杯で、
母にたくさん助けてもらった過去にも十分感謝の気持ちはあったけど、
もう、母から解放されたい、
という気持ちがどこかで頭をもたげていたのも事実です。

遠距離介護の頃、高速バスの中で何度も聴いていた、宇多田ヒカルの曲を思い出し、
聴きかえしてみたら、ここでも「しあわせ」がキーワード。
そして、心に突き刺さる歌詞。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「誰かの願いが叶うころ」

・・・
私の涙が乾くころ あの子が泣いてるよ
このまま僕らの地面は乾かない

あなたの幸せ願うほど わがままが増えてくよ
あなたは私を引き止めない いつだってそう
誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ
みんなの願いは同時には叶わない

小さな地球が回るほど 優しさが身に付くよ
もうー度あなたを抱き締めたい できるだけそっと


ーーーーーーーーーーーーーーーーー

「みんなの願いは同時には叶わない」けれど、
しおりに有った言葉、
「人類の歴史に及ぼす自分の人生の意味」を考え続けていきたい、
と思いました。
(宇多田さんの、しっとりした歌声を聴きながら)





読んだ本・文章、見た映画・ドラマ、聴いた音楽 | 11:27:19 | トラックバック(0) | コメント(8)
扶養家族から外れた息子、に、グールドのチェンバロ協奏曲
ご訪問ありがとうございます。

日本学術振興会の特別研究員になって収入超過が確定したので、
息子が夫の扶養家族から外れる手続きをしないといけなかったのに、
あれやこれやで後回しになっていて、
年金事務所から扶養状況確認届の提出を求められてから、
慌てて手続きをしました。
確認届で削除の手続きをすると、1カ月くらいかかるので、
急ぐ場合は直接管轄の事務センターに変更届の提出を、
と書かれていたので、そうしました。
保険証が途切れている間に何かあったら自費&後ほど清算になるので、
出来るだけ早くお願いしたい、と切手を貼った返信用封筒も入れて、
資格喪失証明書の到着を待ちました。
一昨日やっと届いて、すぐに市役所で国民健康保険に入りなおした次第です。
(夫は自営業ですが、私の実家の事業も引き継いでくれたので、一旦、国保から外れています)
保険証は即日交付されて、一安心。
明後日、帰宅するので、持ち帰ってもらうのに、間に合ってよかった。

今年は個人で確定申告もしないといけない、ということで、
やっと独り立ちしたんだな、と話していましたが、
今回の手続きで改めて実感し直しました。

ここまでよくがんばったなあ・・・。
昨日の記事で、ナカリの頑張りをカウンセラーさんが沢山認めてくださった記事を書いたけれど、
診断は受けながらも、大学までほとんどサポート無しで頑張った息子も改めて褒めてやりたい。


記念に・・・私の好きな、バッハのチェンバロ協奏曲。
バーンスタイン指揮でグールドが弾いている動画をいくつか見つけたのですが、
途中からの短いバージョンで、音質が良いものを貼りつけます。
徐々に小さく弾いていく、聞こえなくなりそうなくらいに細い音量で丁寧に鍵盤をたたいていたのが、
また一気に盛り上がって、力強く、最後はオーケストラと一体化してる感じです。
バッハの存命時には存在しなかったピアノという楽器で、チェンバロ協奏曲をこんな風に弾きこなすなんて。
わずか3分ほどだけれど、何度も聴き返してしまいます。
なんとなくだけれど、息子が歩んだ人生の波、にも重なる気がして、聴き込んでしまいました。
グールドの力強いタッチから、この先、厳しい壁も乗り越えて行ってほしいというエールも込めて。

まずはお疲れ様の想いだけでも、息子に届けばいいな。






読んだ本・文章、見た映画・ドラマ、聴いた音楽 | 23:31:20 | トラックバック(0) | コメント(8)
フィンランドのコミック「マッティは今日も憂鬱」
ご訪問ありがとうございます。

ナカリの気持ちをいろんな形で和らげようと、
夫はよく、本や絵本、コミックを買って来ます。
外の世界の作品には、あまり触れたがらないナカリも、
「こち亀」や「忘却のサチコ」は、
ページをめくって笑ったり、食事の際にそばに置いたりしています。

いまいち当たらなかったかな、という場合もあるのですが、
今回のフィンランドコミックは、当たり! でした。
私も何かの書評で見て、良さそうだなと、記憶に残っていた本です。
で、一緒に読んで、自分の中にいる「小さなマッティ」と向き合うことになりました。

マッティ 表紙

マッティ 裏表紙


帯の裏側にある文章は・・・

>マッティって?

 ・混んでいるところが苦手
 ・馴れ馴れしいのが苦手
 ・褒められるのが苦手
 ・自己アピールが苦手
 ・雑談が苦手
 ・スピーチ・・・苦手!
「満員電車?ムリムリ……」

 ・サウナが好き
 ・コーヒーが大好き
 ・空いている乗りものが大好き
 ・平穏と静けさを愛する
 ・個人的領域(パーソナルスペース)が何より大事
 ・笑うのは、ほんとうのときだけ
「ゆったり、ひっそり暮らしたい」


数ページをめくっただけで、「似てるね」
うん、ナカリにも息子にも似てる、一部私も・・・。


最初の憂鬱、が、「ステレオタイプをうのみにしている人がいる。」
WHEN SOMEONE TAKES FINNISH STEREOTYPES TOO SERIOUSLY.


なんて鋭い!
「フィンランド人って・・・よね! ・・・でしょ!」とまくしたてられて困惑するマッティの返答は、
「みんながそうというわけでは・・・  ・・・はあ。」
という感じで、マッティがんばれ!と応援したくなります。

そして次は
「・・・どこかの誰かが、フィンランドのことを嫌ってる。」

ああ、この傷つく気持ち。
前の記事の「施設コンフリクト」で感じた気持ちと近い。

読み進むうちに、裏表紙に書いてある「小さなマッティ」が自分の中にも居る、と思い、
読み終えた時には、前よりちょっと自分が好きになりました。
(マッティ、ありがとう)

そして、これ、ぜひ息子にもすすめたい!と思いました。

言語オタクの息子が、エストニア語に続いて手を出したのがフィンランド語。
一時、北欧に魅せられて、
ドイツやバルト三国を通り越して、フィンランドに入れ込んだことがあったので・・・。
「フィンランドの軍隊はすごく強くて、ミリタリーオタクの人たちはすごく詳しい!」と、
キラキラした目で話してくれたのは、まだ一人暮らしを始める前でした。
駐日フィンランド大使館のツイッターが「フィンたん」というキャラを生み出したのも、
アニメ大好きな息子からすると、国への親近感を増した一因だったようです。

フィンたん フィンランド大使館

フィンたん

今度帰ってきたときに、本を見せたら、なんて言うかなあ?


一方、ナカリの方も、良い「刺激」を受けて、
昔描いた、Watashi の冊子に似た感じで、
自分の苦手なもの、好きなもの、を、イラスト付きでいろいろ描いています。
テレビ断ち(日曜の夜以外)してから1カ月近くたち、
外の世界の情報が極端に入って来なくなっていますが、
こういう刺激なら、歓迎、です。

外れることもあるけれど、当たると嬉しくなる、夫の「読み」。
こうやって創作意欲につながり、また作品を生み出していけば、
ナカリの自己評価もアップしていく気がします。

明日は3カ月ぶりのアートセラピー。
(前回、発熱でドタキャンしてからなかなかスケジュールが合わずでした)
久しぶりに先生をお迎えして、ナカリがどんな作品を生み出すか、楽しみに待ちます。





読んだ本・文章、見た映画・ドラマ、聴いた音楽 | 23:28:43 | トラックバック(0) | コメント(10)
親亡き後のために「障がいのある子のお金トレーニング」
ご訪問ありがとうございます。

帰省の前に読んでおこうと思って、アマゾンの中古で購入して一気読みした本。
「障がいのある子のお金トレーニング」(鹿野佐代子・前野彩/翔泳社)

鹿野さんの本

アマゾンのページでは最初の数ページが無料で読めます。

著者の鹿野さんは、以前、親の集まりで、当事者向け性教育の講師としてお呼びした方です。
ワークショップ形式の学習会では、子どもたちに「しかちゃん」と呼んでね、と言いながら、
リラックスした雰囲気で、性とは何ぞや?思春期に気をつけるべきことは?というようなお話を、
楽しく、分かりやすく伝えてくださいました。
大人になっていくにあたって、性についての学習は不可欠です。
ナカリは参加できなかったけど、代わりに私が行って、いろいろ勉強になりました。

で、この本のテーマは「お金」です。
親の集まりでも、次回、再度、鹿野さんを講師にお迎えして、
当事者向けのお金の勉強会を企画しよう、と相談中。
それで、「読まなくっちゃ!」と思ったのと、
実家の片づけを目の前にして、親が子に残すべきものは何か、考え中なのと、で、
この本を手に取った次第です。

耳の痛い話ではありますが・・・
親亡き後、への漠然とした不安から、
障がいがある子の親は、とにかく保険に入り過ぎている傾向があるそうな。
(私も自分の保険に入れない代わりに、相続対策のため無告知型死亡保険に入ったばかり)

でも・・・
お金を残すだけでいいのか?本人がどれだけ管理できるのか?
そっちの方が不安です。
そのための、トレーニングが必要、という「指南書」でした。

お金の使い方には3つある⇒使う(必要なもの、と、欲しいもの)、貯める(増やす)、贈る
そして、
いつ、なにに、いくら、必要か、を明確にするべき、とのこと。
福祉の現場での実例がいくつも挙がっていて、
障がいのある人にとっての≪お金≫の意味を考えさせられました。

通信制高校の家庭科の授業で、簡易家計簿をつけてみる実習があり、
ナカリと一緒にざくっとした毎月の収支を計算してみたことがありますが、
こういう、金銭管理、の問題は、小さな経験の積み重ねが大事だから、
買い物練習をもっとナカリと一緒にやらなくちゃ、と反省中です。
でもまあ、ここでも、焦らずに・・・が肝要かな。
今は、日常の買い物について行く、だけでも、まずはひとがんばり、という感じだから。
セルフレジで、バーコードを通す練習はしているけれど、
支払、は、つい親がやってしまってます(チャージ式のカードでも)。
母を看取った病院のコンビニで、一人でパンと飲み物を買いに行って以来、
「一人で買い物」へのチャレンジはお預けのまま。
だけど、必要に迫られたら出来た、んだから、またいつかきっと、できるよ。


とにかく、親自身の老後の生活設計もしながら、
親が亡くなった後の、子の暮らしの場と支援についての情報を集めておく・・・。
本の巻末には、具体的ないろんな制度もまとめて紹介されているので、
これらを上手く使いながら、何とか一人暮らしをしていけたらいいなあ~、と、
ちょっと、夢も膨らみました。

昔、車のCMで、「モノより思い出」というフレーズがあり、
子どもに残してやれるものは何かなあ、と考えた時に、
思い出、という、目に見えないもの、と同時に、
生き抜くスキル、という身につけるべき力、が大事だなー、と、
親として、まだまだ現役、頑張らねば、と、背中を押された気持ちです。
表紙に「小学生から成人まで、いつ始めても大丈夫!」と書かれてあり、ホッとしました。
ゆっくり、じっくり準備していこう。
親も、「不安」に振り回されないこと!押忍!!







読んだ本・文章、見た映画・ドラマ、聴いた音楽 | 21:40:24 | トラックバック(0) | コメント(2)
次のページ

FC2Ad