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ナカリママ

Author:ナカリママ
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

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プリーモ・レーヴィ「これが人間か」 読了
こんばんは、または、こんにちは。
見つけて、心にとめて、来てくださってありがとうございます。

この間、息子が「かっこいい」と紹介してくれた
ピアソラの Revolucionario(革命家)
確かに、かっこいい曲でした。BGM用に、貼っておきます。



前々回に記事にした、レーヴィの「これが人間か」
読み終えて、あれだけの紹介で終わってしまうのは、申し訳ない気がして、
再度、続きを書かせてもらいます。

最初に「プリーモ・レーヴィ」でブログ内検索をしてみました。
出てきた記事は3つ。
一つは、ついこの間、書いたばかりのオムライスの記事。
これは、カテゴリわけでは「子どもの日常」になっています。

他の二つは、偶然ですが、どちらも7月末の記事。
2016年の記事は「読んだ本・・・」カテゴリ、2019年の記事は「子どもの日常」カテゴリです。

2016年7月30日 「相模原事件からホロコーストを想う・・・エリ・ヴィーゼル氏死去の記事とともに」

2019年7月31日 「いのちの不思議 自分とは異なる存在である『子ども』」

エリ・ヴィーゼルの「夜」と、もう1冊「死者の歌」
ヴィーゼル2冊 

そして、プリーモ・レーヴィの「アウシュヴィッツは終わらない」他2冊
レーヴィ3冊 

今回の「これが人間か」との違いを見比べてみて、
「若者たちに」という学生版のための序文、と、「年譜」が加わっているのと、
翻訳者の解説が新しくなっているのを確認しました。

「若者たちに」は1972年に書かれており、
本文中にも
>あれから四半世紀を経た今日、私たちは周囲を見回してみるが、
>安心するのは早すぎたのではないか、という危惧を抱いてしまう

という文章があります。

四半世紀。25年。

で、今は2020年。
戦後75年ですから、さらに50年の時を重ねているわけです。
それでもやはり、まだまだ「安心」できる世の中になっていない。
つい先日の長崎平和宣言も、
>私たちのまちに原子爆弾が襲いかかったあの日から、ちょうど 75 年。
>4分の3世紀がたった今も、私たちは「核兵器のある世界」に暮らしています。

という一文から始まっていました。
時間の積み重ね。
刻々と時は流れて、記憶を受け継ぐ手立てが少なくなっていく。

そんな中、レーヴィをはじめ、当事者の遺した言葉を「忘れない、残していく」
ということは、とても大事だとしみじみします。

レーヴィ本人は、既にこの世の人ではなくなってしまっているのですが、
彼と親交が深かった翻訳者の竹山先生は、研究者として現役でいらっしゃいます。
その竹山先生の解説文の最後は、
レーヴィの墓地を訪れた時の様子から締めくくられていました。

>大きな一枚岩のブロックが置かれただけの、とてもシンプルな墓だった。
>墓石にはレーヴィの名前と、アウシュヴィッツ強制収容所の囚人番号が刻まれていた。
>それを見て何とも言えない気持ちになった。
>彼の自死から30年の月日が流れ、彼の作品をまた新たな視点から読み直す作業はまだ続いている。
>レーヴィのことを考えると、これは自分が死ぬまで続けなければならない宿題であるような気がしている。


「死ぬまで続けなければならない宿題」・・・
そういうものを、自分で自分に課すことができる、というのはすごいな、と
我が身を振り返らされる思いがしました。

このところ、いろいろと感情の波があり、
心穏やかでない毎日が続いていますが、
やはり、こうして、生きて、寝食に不自由なく暮らせていることへの感謝を忘れずに、
もうひと踏ん張り、もうふた踏ん張り。
私の原点を作ってくれた両親に恥じない報告ができるように頑張ろう。


イタリアの人たちにとって、暗唱できるくらいになじみ深いダンテの「神曲」
おそらくその中の一説だと思いますが、レーヴィの本から・・・

>きみたちは自分の生の根源を思え。
>けだもののごとく生きるのではなく、
>徳と知を求めるため、生をうけたのだ。



今日も最後までありがとうございました。

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読んだ本・文章、見た映画・ドラマ、聴いた音楽 | 00:40:26 | トラックバック(0) | コメント(10)
「自閉女の冒険‐モンスター支援者たちとの遭遇と別れ」 を読んで (追記あり)
こんにちは、または、こんばんは。
来てくださってありがとうございます。

今回の記事、迷いに迷って書き始めました。
本の表紙を写真に撮るにあたって、
もやもや気分を少しでも吹き飛ばそうと、
雨上がりの庭のアジサイをパチリ。
2020年6月アジサイ2 jpg
色づき始めた頃のアジサイは、
満開のものよりいろんな可能性を秘めた色合いで好きです。
2020年6月アジサイ 
まだ白っぽいまま開きかけている途中のものもありました。
同じ株から咲いた花でも、それぞれ微妙に色が違うのは、
土壌が酸性かアルカリ性か、や、時間による色素の濃さ具合、によるそうです。
自然のマジックですね。


で、気を取り直して、
読んだ本の感想を書いていこうと思います。

自閉女の冒険 
裏表紙の記述より
>自閉症の当事者文学として斯界に衝撃を与えた「変光星」「平行線」の森口さんの自伝の最新作です。
>「変光星」はのちの高機能自閉症へのケアにも影響を与えた森口さんの幼少期から中学卒業までの物語で、
>「平行線」はそれから10年ほどの物語(どちらも遠見書房で復刊)。
>今回の「自閉女の冒険」は20代半ばから現在までの30年にわたる物語です。


この本は、今年の2月に出版されてすぐに注文したのでしたが、
表紙の暗さ?怪しさ?と、パラパラめくった印象にちょっと引いてしまったの、とで、
なかなか読み始められずにいました。

「変光星」「平行線」に続く、「手記」第3作、ということで、
描かれている年代が、今まさにナカリが置かれている年代以降、親亡き後まで、
ということも、読むにあたって「おじけづいた」一因でもありました。

本の最後に紹介されている森口さんのプロフィール
自閉女の冒険2 
最後に「現在は高齢引きこもりの当事者でもある」と書かれています。

先に出されたエッセイ集「金平糖」の感想記事は、思い立った後は一気に書けたんですが。
その本を読んだ際に、
現在は、森口さんがご両親を亡くされて独り身で生活されていることを知りました。
詳しい経緯はわからなくても、どんなに苦労されただろうか、と、
その時の印象もあったので、実際の「手記」を読むのには勇気が必要でした。
そして実際に、「その場面(ご両親が亡くなられた時の様子)」を読んで、
お母様もお父様も、亡くなる際にどんな思いだったろうか、
残された森口さんが嵐の後に振り返ってどんな思いでおられるだろうか、
と、胸が締め付けられて、「感想記事」を書いてもいいものやら、迷い迷い・・・。

初版発行が2020年2月20日、というところにも、
何かしら数字へのこだわりを感じつつ。

ネットでレビューを探してみましたが、
アマゾンに1件あっただけで、他の方の感想はなかなか見当たらず、
これはもう自分なりの思いをまとめてみるしかないなと覚悟を決めました。

目次
【1】 モンスター支援者
【2】 ディスコミュニケーション
【3】 転機、そして試練
【4】 独りで生きる
おわりに


目次の横のページには
>不登校支援者たちが発達障害にまだ無理解だったころ、
>自閉症のひきこもりの若者が支援者や居場所や相談の場を探す、
>平成時代のお話。


とあり、その下に聖書の言葉が引用されていました。
>「彼らの最もよい者もいばらのごとく、
>最も正しい者もいばらのいけがきのようだ。」
>(旧約聖書ミカ書7章4節前半)



うーん・・・
しんどそうだ。
我が家の子どもたち二人とも、発達障がいを抱え、かつ、不登校経験者、なので、
出会った「支援者」の方々の数は相当数に上ります。
今でも忘れられないその人たち。
助けられた!救われた!という感謝でいっぱいの方たちがいる一方、
傷つけられた、理解されなかった、決めつけられた、という悔しさが残る方たちも、
残念ながら数名おられます。
でも、
森口さんが遭遇された「モンスター支援者」ほどの強烈な人には、幸い巡り合わずに済みました。
もしかしたら、それは、「時代」の違いによるものだったのかもしれません・・・。
そう思うと、時代が進むことで、
確実に「発達障がい」や「不登校」に対する理解全般は深まってきている、
と、希望を持つこともできます。

それにしても、
支援者に傷つけられた場合は、一般の人間関係で傷つく以上に傷が深くなりがちだ、
ということは、他の支援者の方からも指摘されたことがあり、私自身もそう実感します。

「一人で抱え込まないで、どこかに相談して」
という言葉は、悩み苦しむ人に対してかけられる王道?の言葉でしょうが、
それに従って、相談窓口を探す過程で、
森口さんは、さらに傷つき、悩まされ、心を病む状態にまでこじらせてしまわれたこと、
それに対して、どこからも救いの手が差し伸べられなかった期間がなんと長かったことか・・・
時代の制約があったとはいえ、どうしてこんなに当事者が苦しまなければならなかったのか、
読みながら、やりきれない思いでたまらなくなって、
ここまで酷くなかったとはいえ、自身やナカリの傷つき体験までフラッシュバックして、
胸が苦しい思いをしながら読み進みました(特に1章2章)。

3章以降は半分現在進行形のような感じで、
今、20代半ばのナカリが、今後の30年間、どんな風に過ごしていくだろうか、と、
そこに思いを重ねてしまう「親目線」の読み方だったからか、
ぐいぐいとひきこまれ、
先輩としての私的体験を書き綴り、こうして読ませてもらえたことへの感謝の気持ち、
で、いっぱいになりました。

この先30年といっても、「いざというとき」はいつ訪れるか、わからない。
何か起こったときに、誰に何を頼ればよいのか?
自分で自分を守るすべを、きちんと伝えておかなければ。
そして、当事者のそうした思いにこたえる社会を作る必要性を訴えるために、
身を切る思いで自身の体験を可能な限り公表してくださった、と、思うと、
故ドナ・ウィリアムズさんが手記を出された際、直接お手紙を書かれた若き日の森口さんのように、
本来ならば森口さんに直接お礼を申し伝えなければ、という気持ちになったくらいです。

あとがきより
>「願わくは、すでに親を亡くしたり、
>そうなることを不安に思っている発達障害・ひきこもり当事者やその家族が、
>足を引っ張られたり悪者にされることなく、安心して相談できる≪心の駆け込み寺≫のような場所、
>肩の荷を降ろせるところ、ニーズを支援者や研究者や行政に知ってもらえる機会が必要だと思う。」


そう、そう、そう。
ナカリは、今、遠い目標、中くらいの目標、当面の目標、を可視化して、
毎日の生活に関する計画表を立てて頑張って実行しつつある!
一方で、息子の方は一応社会人として独立したものの、
支援と呼べるべきものは、ほとんど何も身の回りに持っていない。
(大学時代までは、事務局に支援の必要性を伝えて、しっかりサポートしてもらえたけれど、
院に進んでからは本人が、もう支援はいらない、とカミングアウトせずに過ごし、
人間関係で大変苦労し、卒業間際になってカウンセリングを検討し始め、結局とん挫したまま)

親に何かあったときに、彼や彼女はちゃんと対応できるだろうか。
おそらく、当面、ナカリの後見人は息子になるわけだけれど、
その息子の社会性は、となると、森口さんに近い困難を抱えているのではという気がしてならない。
幸い、ナカリの相談機関はしっかりした組織なので、
機会を見て、その内容を息子にも伝えておかなくては(・・・てか、書き残しておかねば)。

あ、気が付くと、本の内容から離れて「先取り心配」になってしまっていました(汗)。
(でも、森口さん自身の本文も、最後に 「もう、あまり時間がない」 という叫びが記されていました。
その思いたるや、いかばかりのものだろうか・・・と、察して余りあります)


それと、「理不尽な思い」「残酷な仕打ち」という点では、
世の中一般にも、いわゆるハラスメントが満ちている状態の社会で、
発達障がいや不登校に限らず、悔し涙をこらえ、歯を食いしばって生きている人たちが、
いったいどれだけいることだろう、と、そういうことも考えさせられました。
理不尽に負けないタフネス、リカバリできる柔軟性、そういうものがないと、
心が壊れてしまう・・・

唐突にですが、亡くなった母の最期の姿を思い出すと、
母もまた、人の世の理不尽さに翻弄されて、最期は張り詰めた糸が切れるように、
この世に見切りをつけて去っていったような気がして、胸がきゅん・・・

ああ、そう思うと、人のやさしさやあたたかさ、という、潤いや癒しが欲しくなってきた・・・

人を傷つけるのも人、癒すのも人(生き物)、だから。

アキちゃんに癒されたい!
アキちゃん258 
お腹の毛を剃って糸で縫い合わせた跡がかすかに見えますが、
こうやって安心しきってお腹を出してゴロンとできるアキちゃんの無防備な寝姿に、
なんともいえない愛おしさを感じます。

アキちゃん、元気でいてくれてありがとう。
森口さんの周りにも、癒しを与えてくれるものがありますように。

今を悩みながら生きているナカリへ。
小学校時代とても親しくしていた親戚のお姉さんに対する何年来ものこだわりを、
思い切ってお手紙の形で伝えてみて、本当にやっと、やっとわだかまりを溶かすことができた、
いざというときに頼れる人を取り戻すことができた、その記念に・・・
keiさんの訳付きで、イーグルスの「デスペラード」 ジル・ジョンソン

>愛してくれる人を素直に受け入れるんだ
>まだ間に合う内に


そう、愛してくれる人は居るから!
この世を信じて、一日一日、生きていこう。
世の中の理不尽が少しずつでも減って、今が生きにくい人の辛さが軽減されていきますように。

今日も長々最後までお付き合いありがとうございました。

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ーーーーーーーーーーーーーーー
追記(6/17)

こんな長い記事に追記だなんて・・・すみません。
ナカリは今、本当によく頑張っていて、
彼女のアート作品についても記事にしたいなと思いながら、
森口さんの本の読後に抱いた感情が、
なかなか整理しきれず、自身や子どもたちの今後に思いをめぐらせて、
立ったり座ったりで、なかなか次の一歩が踏み出せない、そんな数日間でした。

こういう時には、「気分転換」が大事。
気持ちを切り替えて、笑ってみる、笑顔になってみる、ということがとてもありがたい、
ということも、コメントのやり取りで再認識しています。

独り言のような記事にも、しっかり目を通してくださる方がいて、
誰かはわからなくても、応援ボタンを押してくださる方がいるので、
ブログ村の「自閉症スペクトラム」ジャンルでよく読んでいただけているということが伝わり、
今日はなんだか胸いっぱいになって、思わず追記してしまいました。

森口さんが、若いころから、何度も何度もあちらこちらに投稿という手段で、
思いを伝えようと挑戦し続けてこられたこと、
その気持ちが報われた時もあり、また、裏切られた時もあり、
後者の方が圧倒的に多くて、心も体も疲れ切ってしまいながらも、
生きて生きて声を上げ続けてきてくださっていること、に
何等か、応えなければならない気持ちがして、
ほんの少しでも、その思いを引き継げるなら、
これからも、自分もめげないで発信していこう、と、
しみじみ思っています。

タイトルにした森口さんの著書名(サブタイトル含む)で検索したら、
「無事にね!」が最初のページの中にあって、ビックリしました。

どんな形であれ、誰かが、それこそ命懸けで訴えようとした思い、
というのは、きっと誰かがまた引き継いでいく、思いは繋がっていく、
…おこがましくも、そんな希望まで感じられて、
迷いながらも記事にできたことを、よかった、と、振り返ることができました。

読んでくださった方々への心からの感謝を込めて。
これからもどうぞよろしくお願いします。




読んだ本・文章、見た映画・ドラマ、聴いた音楽 | 17:11:52 | トラックバック(0) | コメント(20)
今更ですが 「命に嫌われている。」
こんばんは、または、こんにちは。
見つけて、心にとめて来てくださってありがとうございます。

ずいぶん昔に、息子から、「進撃の巨人」の録画DVDをもらって観て、
展開が気になって電子図書で追いかけた私です。
今回は、「流行ってるらしいね」と親子共通の話題になった「鬼滅の刃」。
息子は読んでいないけれど、私の方が電子図書でハマって20巻まで読み尽くしました。
週刊誌の連載の方は、先週月曜日に4年3か月を経て完結したばかり。
Twitterのトレンドでも上位にランクされていた「鬼滅の刃 最終回」・・・

そんな折、親同士のグループで参加しているFacebookで、
その主題歌として息子さんから教えてもらった、という投稿があって、
「命に嫌われている。」という曲を知りました。
紹介してもらったYouTubeの背景は鬼滅の刃のアニメ画面でしたが、
元をたどれば「初音ミク」の楽曲らしくて、
そちらの方が、歌詞に集中して聴けるので、貼ってみます。
2017年に発表された曲のようです。
(いわゆる「ボーカロイド」はナカリが好きなジャンルなので、
それなりに知っていたつもりでしたが、この数年は全く耳に入っていませんでした)



すごいインパクトのある歌詞ですよね。
ナカリはこれをカラオケでも歌えるのですごいです。
ナカリから、タイトルの意味を問われたので、
「軽々しく命を口にする」のは「命の側からは嫌われてしまう」
という感じじゃないかなあ、と話したところです。
ちょうど今朝、今日が父の5年目の命日なんだとナカリに教えられたこともあり、
深く考え込んでしまっている夜です。

電子音ではなく人の声で、ゆっくりテンポで歌われたバージョンもあったので、
そちらも一緒に貼っておきます。



本当の別れを経験する、というのは、
自分にとっては、やっぱり、親子の死別、かなあ。

5年前の今日は、父の死を悲しむ間もなく、親戚の対応で気疲れし、
それこそ「過去を呪う」夜でした。

自分にとっての両親の死、は、孫である息子や娘にとってのそれとは重みが違い、
それは私自身にとっても同じで、両親の死と祖父母の死に対する気持ちは全く違いました。

あと、最初の歌詞の部分は、
「死にたい」を繰り返していた昔の息子と向き合って説得を重ねる中で感じたこと、
「私は息子に死んでほしくない」でも、それは彼の苦しさからしたら私のエゴではないのか、
と考えたことを思い出させられたのでした。
「死にたいくらい辛い」と言っている本人を前に、ただただ「死なないで」というのは、
こちらの勝手でしかないんじゃないかと、それはもう自分を責めたり悩んだり。

今の若い人の中から、こうした歌詞が出てくることに、
大人としての責任めいたものも感じつつ、
何かしら、今日は勢いで記事にしてしまいました。

ブログは自分自身の覚書、という意味もあるので、
独りよがりな記事もお許しください。

今日は猫バンバンとヘルプマークお休みします。
ナカリの「あまびえ」も、もう少しお待ちください。
最後までありがとうございました。


読んだ本・文章、見た映画・ドラマ、聴いた音楽 | 22:46:46 | トラックバック(0) | コメント(10)
セサミストリート 16年ぶりにNHKで放送
こんにちは、または、こんばんは。
来てくださってありがとうございます。

ビックリニュースが入ってきました。
タイトルの通り、16年ぶりにNHKでセサミストリートが放送される!
しかも5月17日、明後日の夜7時からです。

映画ナタリー アン・ハサウェイ、「セサミストリート」テレビ会議風の特別番組にリモート出演 

新しいキャラクター、自閉症を持つジュリアも登場するか、ドキドキです。

去年と今年の、世界自閉症啓発デーのポスターに登場しているジュリア。
気になりながら、番組を見ることが出来なかったので、今さらですが検索してみたら、
・・・さすがYouTube!
ありました(^O^)/

早速、ナカリと二人で一緒に視聴。
ナカリが小さい頃の話もしながら、ジュリアと似てるねー。
みんな違って、みんないい、一緒に遊ぶのも楽しいね、と、しばし思い出モード。
保育所時代、いろいろあったけれど、ほんとにたくさんの友達に関わってもらえたなあ…

10分ほどありますが、自閉症の小さい子どもの様子が上手く表現されています。


さらに、もう放送は終了しているけれど、
NHKのEテレ「バリバラ」に、ジュリアたちが登場した回があったようです。
(全く知らなくて、残念、見逃しました)

バリバラ×セサミストリート コラボレーション企画

こちらは、小学校での授業の様子。
小5のゆりちゃん、ほか、ゲストの栗原類さんたち、発達障がい当事者が話し合う場面もあって、
再放送も終わってしまってるけれど、「特設ページ」に飛ぶと、
いろんな絵カードも紹介されていて、これまた、
ナカリが小学生の時に親子で他市まで通った療育施設でのあれこれ、を思い出しました。

今のように、市内や近隣市のあちこちに「放課後デイサービス」が溢れている状況とは違って、
ナカリが子どもの時代には、市内はもとより近くには通える施設が無くて、
小学校では学校を早退して、隔週で通いました。
中学校の頃には、自立の練習も兼ねて、
ガイドヘルパーさんと一緒に、他県の療育施設まで通ったことも・・・
一度だけ、「一人で行く」のにもチャレンジした際には、
携帯の位置情報を追いかけながらハラハラ。
無事到着して、2時間後に迎えに行った時には、思い切り褒めました。
なつかしいなあ。
逆に、今は一人で他市まで電車に乗る、のはとても難しい=不可能だけれど、
少しずつリハビリしている途中だから、
またいつか、出来る日が来るかもしれない、
そう思って、中くらい先の目標、の中にも入れました。

頑張ってるなあ、ナカリ。
一人でご飯を作ることについても、自分のブログに書いて、励みにしています。

そのナカリが気に入って聴いているマイケル・ジャクソン「ヒューマンネイチャー」♪
最初、他のアーティストがアレンジしたのを聴いていたので、
「それ、もとはマイケル・ジャクソンの曲だよ。
マイケルはおばあちゃんも大好きだったし、お母さんはおばあちゃんから教えてもらってん」
と話すと、びっくりナカリ(笑)
検索したら、歌詞付きのYouTubeがあったので、親子で一緒に見たら、
歌詞もいいねえ~と、今さらだけど、やっぱりさすがマイケル。
ナカリが「神さまは何故?」という質問をするので、
マイケルも同じ感じで、いっぱい悩んだり迷ったり苦しんだりしてたんだろうね、
と話しました。
どんな人気者にも悩みや苦しみはあるし、
それを乗り越えながら生きるのが人生なんだよなー、って。

今日の最後は、マイケルです。


いつも、ご訪問、拍手やコメント、ありがとうございます。
まだまだ不安な毎日ではあるけれど、皆さんもご無事でありますように。

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読んだ本・文章、見た映画・ドラマ、聴いた音楽 | 13:44:55 | トラックバック(0) | コメント(10)
「ほぼねこ 私のお母さんには肉球がある」
こんにちは、または、こんばんは。
来てくださってありがとうございます。

最初にご報告!
庭でひっそり咲いた可愛い花の名前が分かりました。
2020年4月ピンクの花 

自分で調べても分からなくて諦めていたら、
リンク先の花梨さんが、これでは?と、紹介ページ↓を教えてくださったのです。

つり鐘状のかわいい球根花、シラー・カンパニュラータの育て方

そう!これです、これです。
この、ピンクと白の花が、何本か勝手に生えてきていて、
ヒヤシンスみたいだけど、ツリガネ草みたいでもあるし、何だろう??と
気になりながら解明できずにいたので、名前が分かってとても嬉しいです。
「シラー・カンパニュラータ」って、可憐な感じの名前ですね。
植えっぱなしで育つみたいなので、これから毎年、花を咲かせてくれるかな?
楽しみです。
花梨さん、ありがとうございました^^


で、今日のタイトル「ほぼねこ」は、ママ友が貸してくれたコミックの題名です。
ほぼねこ 

「ほぼ猫の世界に生まれた人間の少女と、彼女を愛する猫のお母さんの物語」
という帯の説明通りの内容で、
ナカリと一緒に声に出して読みながら一気に一冊読んでしまいました。
「私はなんでみんなと違うんだろう」と悩む、人間の女の子の、ましろちゃん
ナカリは途中何度も頷いたり、分かる!と言ったりしながら、
感情移入して、最後は涙ぐみながら抱きついてきてくれました。

本の後半は、「ほぼねこ 僕のお母さんには肉球がない」というお話。
裏表紙です。
ほぼねこ2 

同じく帯の説明によると、こちらは、
「シングルマザー&人間の苦労人なお母さん」(と、その息子の猫、たすく君
「心ない言葉はどの世界でも…」「でも、家族でご飯をかこめば笑顔になれる💛」
と書かれています。

そして、最後は、
ましろちゃんの友達になった、ももた君と、たすく君と3人(匹)が素敵な形で出会う、
という形で、二つのお話が交差して、物語の「その先」が楽しみな、ほのぼのした終わり方でした。

目次です。
ほぼねこ3 

どちらも、周りとは違う、「ひとりぼっち」な気持ち、や、
食べること、を通じて繋がり合う家族の姿、が描かれていて、
ウルウル。

出版社のサイトを検索したら、すてきなレビューも見つけました。
第1話の試し読みも出来ます。 ↓

「なんで私はみんなと違うの?」猫の世界に生まれた人間の少女と猫のお母さんの物語

イジワル、や、理不尽、は、現実の中に溢れているけれど、
それに負けない、あたたかい繋がりで、希望を持って生き抜いてほしい。
家族の助け合い、支え合い、を大事にしてほしい。
ナカリとの間でも、「共依存関係」の泥沼に入るのじゃなく、
彼女が独り立ちできるために必要なことをしっかり考えて、
「手を出す」んじゃなく、口は出しても本人自身の「実体験」を見守って、
自信をつけてもらえるような関わり方をしないと!と、強く思いました。


・・・ということで、今朝のナカリは、自分のブランチを自分で作ってみました!
自立練習ブランチ 

パンの周りにマヨネーズの土手を作って、中に卵を割り入れてトースト。
きゅうりのいぼいぼをこすり取って輪切りにして、プチトマトを洗ってヘタを取って、
ミックス野菜とともに盛り付け、ドレッシングをかける。
フライパンで炒めたウインナーを加えて出来上がり。

すごい!よく頑張ったよ、ナカリ。
自分で作ったご飯だ、と感動しながら食べていました。

そのあと、親子で近所の散歩。
日傘をさして、水筒を持って、マスクをして、いつもの道をてくてく。

途中休憩した公園では、若いお兄さんが二人、本気のキャッチボール(ピッチング練習?)。
遊具では小学生の子どもたちがたくさん遊んでいて、虫取り網を持った子も。
その姿を、ベンチに座って眺めているおじいさんもいて、のんびりほのぼの、
平日の昼間だけど、学校がお休みなんだなー、と改めて感じる風景でした。
2020年5月散歩 
新緑と青空が綺麗~

連休が明けても、いろいろな施設や集まりはお休み。
日常はまだ、緊張に満ちていますが、
なるべく規則正しく、体も動かして、気持ちのデトックスもして、
状況が落ち着くのを待つしかないですね。

実はナカリ、ちょっと体調を崩して、昨日は一日、病院のハシゴでした。
そのことは本人のブログにも書いたようです。

健康に感謝しながら。
今できることを少しずつ。
皆さんもどうかご無事で、穏やかに過ごされますように。
今日も最後までありがとうございました。

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読んだ本・文章、見た映画・ドラマ、聴いた音楽 | 17:13:02 | トラックバック(0) | コメント(11)
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