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ナカリママ

Author:ナカリママ
「無事にね!」は下の子どもの口癖です。その本人のホームページとリンクしています。一般的には子育てを終えている年齢ですが、まだまだ当事者である子ども達から学ぶことばかりの毎日です。

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お金に関する当事者向けの講座を企画する
ご訪問ありがとうございます。

昨日の雨がウソのように暑い陽射しが戻ってきました。
季節が移り変わるこの時期、体がの方が追いつかない感じもありますが、
ここで、もうひと頑張り。
実りの秋に向けて、エネルギー充填しないと、という思いで、
昨日今日の出来事を記録しておきます。


現在、
私が発起人として主催運営している親の集まり(過去記事はこちら)以外に、
メンバーの一人として参加している親の集まりが、もう一つあります。

前者は、会費も会則もなく、月1回集まっておしゃべりするだけの場。
発達障がい系の子どもさんの保護者がほとんどで、年齢幅は20年近くあり、
毎回参加者が入れ代わり立ち代わり、「会員」という概念はありませんが、
後者は、中学校の支援学級保護者会連合会(市全体PTA)から生まれた団体で、
子どもの障がいは幅広くて様々、ただし年齢幅は3~6年の間、
メンバーは7人からスタートして、今も実質そのくらいで固定している小さな集まりです。

発足当時、放課後デイはまだ無く、既存の「居場所」は待機状態で、
働く母達(とりわけ、ひとり親家庭)がとても困っていたので、
放課後や長期休業中の地域生活の充実を求めて、
アンケートによる実態調査や、チラシ作成・学習会開催などの啓発活動を行い、
議員さんや市長さんに直接会って、要望を伝えたりもしてきました。
こちらは、きちんと会費も集めて、代表や会計を決め、HPやブログ、SNSなども運営し、
市の助成金を受けたり、イオンの黄色いレシート活動対象団体に応募したりして、
子どもたちが中学卒業後も集まり続けて7年以上になります。

今日は、久しぶりにその集まりに参加してきました。

秋に、18歳以上の当事者向けに金銭教育の講座を開催しよう、という、企画会議です。
講師は、以前記事で紹介した本を書かれ、性教育の学習会でも一度お世話になった鹿野さん。

「参加者」として学習会に当日行くだけ、という立場ではなく、
企画する側となると、
講師との折衝、チラシ作成印刷配布、参加者集約、資料準備、当日運営、などなど、
するべきことが多々あります。
メンバーそれぞれ、仕事や子どもの介護をしながらの活動なので、
日程調整から、なかなか大変ですが、
一緒に活動するメンバーの顔を見て話をするだけでホッとする場でもあります。
「ブログ読んだよ、ありがとう」と、心臓病のお友達のお母さんからも、声をかけていただきました。


決めるべき案件について、話をを進めていく合間に、
それぞれの近況報告として、今の困りごと、悩みごと、嬉しかったこと、などを出し合い、
お互い尋ねあい、話が発展して横道に逸れることもありながら、
やっぱり、こういう時間が必要~、と、
次回、チラシ印刷の日、終了後、秋の行楽で公園に花を観に行こう、ということになりました。
(ナカリには、また留守番を頼むことになりますが、許してね)



帰宅後、ナカリが「ここ、髪の毛が取れかけてる」と訴えていたマスコットの補修をして、
ひといき入れて、パソコンに向かっています。

昨夜ほとんど眠れなかったので、体は疲れていますが、気持ちは上向きです。
がんばろう。


息子が下宿に帰ってから、ナカリと二人の時は、またテレビ断ちしていて、
昨夜はNHKFM「ベストオブクラシック」を流していたら、
ラトビアの作曲家、ヴァスクスの「低地の風景」という曲に心奪われてしまいました。
番組が終わってからネット検索しましたが、この曲を見つけることはできず、残念。
(CDを探すしかないかなー。
考えたら、そもそも、検索ですぐ曲が聞ける環境自体が信じられない)
他に何曲かアップされているものを聴いてみると、
息子の好きなエストニアの作曲家、アルヴォ・ペルト(過去記事はこちら)に似た曲調で、
とても静かで幻想的な音楽だなと、すっかり魅せられています。

ユーチューブで見つけた、近い感じの曲を貼りつけておきます。
穏やかな気持ちになりたいときのために…。



あわせて、昨夜初めて知った、ヴァスクスという作曲家の、人となり、についての記事も。
ペーテリス・ヴァスクス

バルト3国の独立、歌う革命、は、息子から教えてもらって感動した出来事です。
(教えてもらうまで知らなかったのが恥ずかしいけど)
今度、息子から連絡があったら、ヴァスクスのことを話してみよう。
って、彼ならもう、知ってるよ、って言うかな…(^-^;)

今日も長々、読んでいただいてありがとうございました。



未分類 | 16:59:33 | トラックバック(0) | コメント(10)
社協の活動~介護見舞い品を配って回る
ご訪問ありがとうございます。

帰省中に社協の役員会に出られなかったので、
代わりに出席した方から、昨日の会議での配布物一式を受け取りました。
ちょうど、ブロック長さんも検査入院でお休みだったため、
私が二人分お預かりして、「介護見舞い品」については、
住所と名前を、地図で確認しながら、一人で配布して回りました。

ご希望の方に、寝間着やバスタオルを「見舞い品」としてお渡しして、
その際に、ご様子を確認する、という目的の活動です。
社協 介護見舞い品


名簿を頼りに、地図に赤丸をつけて自転車で回りましたが、
同じ地域でも、少し離れると地理に不案内で、
表札が出ているところもあれば、似た名前で漢字一文字違いのお宅もあり、
宅配業者さんのご苦労を少し実感しながら、お留守だとガッカリ、
結局、半分も配布できないまま、戻ってきました。

また時間や日を改めて配って回らなければ。

午後には「青色パトロール」の活動が待っています。
こちらは、地域見守りのパトロールカーに同乗するだけの簡単なものですが、
警察が主催する研修を受けて免許証をいただかないといけません。
資格のある幹事さんで、地区ごとに分担して、活動に参加します。
今日はもう学校も始まっていて、ちょうど帰りの時間帯なので、
車の窓ごしに、子どもたちに声かけが出来るかなあ…。

「育児」「介護」といった、家庭での営みを、社会が見守る、サポートする
そういう機関として、社協の存在は大事だけど、
何度も言うように、
地域の活動では「障がい者(ボーダー含めて)」という視点が弱いように思えてなりません。

全国社会福祉協議会

このホームページのトップからは、
障害者総合支援法についてのパンフレットがダウンロード出来たりで、
いろいろサポートしてくれているのは分かるのだけれど・・・。
(おなじダウンロードページに載っている「日常生活自立支援事業パンフレット」は、
うちの両親もいただいて、介護保険利用の手引きになり助かりました)

相変わらず、地域で生活している障がいをもつ人の姿、は、なかなか見えません。
ちょっとだけ、心細いかな。

今回、
ただの散歩ではなく、ご近所福祉の視点で地域を回ってみると、
ほんとに、いろんなおうちがあって、
旧家、農家、新築、二世帯、集合住宅、などなど・・・
暮らしの匂いがあちこちから。
「介護見舞い品」を届けるところは、要介護の人がいる世帯、なので、
出てこられる方たちは、高齢の方、中年の男性、女性、いろいろでしたが、
それぞれに日々大変だろうなー、と、思いながら帰宅しました。

いつか、ナカリも訪問介護を必要とする時が来るかなあ。
あ、それよりは、自分たち親世代の方が先か(笑)

さて、青パトまでの空き時間に、家事をがんばろう。
時間は有限の宝物。
上手く使わなくっちゃ!

大事な時間を使って読んでくださってありがとうございました。



未分類 | 13:19:19 | トラックバック(0) | コメント(4)
モノを手放す 今を大事に&先々の子どものために
ご訪問ありがとうございます。

昨夜は、ナカリをショートステイに送ってから、
いつもの帰宅ルートを逆行して出勤し、
夜、仕事をして一泊してから、
朝、また出勤の人混みを逆行して自宅に戻り、
午前中、住居コーディネーターさんに家全体を見ていただき、
そのあとゆっくり面談して、
今後の「住まい」について話し合いました。
収納の在り方や、メンテナンス、防災対策などなど。

お話に刺激を受けて、
午後は、懸案だったガラスケース入り日本人形(親から譲り受けたもの)を、
近所の質屋に持ち込んで、2体100円で買い取ってもらい、
ナカリの小学生時代の衣服の整理をして洗濯し、リサイクルに備えました。
押し入れから、上の息子の幼稚園カバンなんかも出てきたので処分。
実家の片づけと並行して、自宅の片付けも必要、と、改めて認識したところです。

思い出は思い出として心に残して、モノはなるべく少なくしていく。
今を快適に過ごせるように意識すると同時に、
この先、自分たちが年老いて介護が必要になった時や、
亡くなった後、残された子どもたちが過ごしよい住まいであるように。

日常生活の中で、「掃除」をもっときちんとやって行こう、と反省中です。
トイレの掃除、浴室の掃除、
雨戸の掃除、窓ガラスの掃除、
台所の掃除、戸棚の中の不要なものの処分・・・

いつだったか、
家事はマイナスをゼロに戻す作業、という文を読んだことがあり、
プラスを生むものでないだけに、評価されにくいけれど、
生活の質を上げるためには、なくてはならない作業、という意味で、
手抜きはあとあと響いてくる、というのを実感しています。

ナカリは、この先も在宅で過ごす生活になりそうなので、
家の中の環境を整える、という作業を、しっかり伝えていかなくては。
特性もあって、片づけるのはとても苦手ですが、
なるべく整理整頓を心がけた方が、メンタルの落ち着きにもつながると思うので、
無理のない範囲で、親子で一緒に家事スキルを上げたいと思います。

さて、ショートステイのお迎えまで、もう少し、
掃除と片づけを頑張ろう。

秋の衣替えの季節には、タンスと押し入れの大掃除が待っている!
シーツを洗濯して糊付けして・・・頭のなかでシュミレーション。
「一度しかない人生、今に感謝しながら、めいっぱい喜んで、楽しく」
レナード、を見て以来、意識的にそう思うようになっています。
サックスさん、ありがとう!



追記) 谷口稜嘩さんが亡くなられました。
    すぐ側に座ってお話を聞かせていただいた時のことが思い出され、
    ご冥福をお祈りするばかりです。
    過去記事を貼っておきます。
    長崎平和祈念式典と「アメリカンスナイパー」





未分類 | 15:27:54 | トラックバック(0) | コメント(6)
「療育」はいつまで? 自立に向けた息の長い取り組み
ご訪問ありがとうございます。

今日も、先生のアトリエを訪問して、絵を描いてきました。
今回は、パラレルワールドの恋人、カゲウラさんの肖像画を描きました。
アトリエ到着の直前まで、うまく描けるかなと心配していましたが、
2時間かけて、次回で完成できるのでは、というところまで描き上げることができました。

肖像画と先生

肖像画

絵を描くことで、自信をつけたり、気持ちを解放させたりする、
家族以外の人間関係に慣れる練習をする、という意味で、
アートセラピーという位置づけにして、通ったり訪問していただいたりしています。

昨日、映画「レナードの朝」を観直して、
医療と障がい(疾患)ということについて考えさせられた後なので、
ある意味、これも「療育」の延長だなあ、と思い、
送迎の待ち時間に、改めて「療育」って…ということを考えてみました。

一般的には、あまり耳にすることがないだろう「療育」という言葉。

私がこの言葉の意味を初めて聞いたのは、
ナカリと通った母子通園施設の園長先生のお話のなかで、です。

「医療は治癒が目的で、治らない障がいはその範疇から外れていた、
一方、教育の分野でも、障がいをもつ子どもが、長く対象から外されていた、
それはおかしいと考えた学者によって提唱されたもので、
両者を統一してとらえ、障がいとともに生きる子どもたちのために考えられた概念」
…そんな感じで説明されたような記憶があります。
「医療」+「教育」という発想が、なんだかとても印象的だったのを覚えています。

改めて検索してみると、

療育(りょういく)
心身に障害をもつ児童に対して、社会人として自立できるように医療と教育をバランスを保ちながら並行してすすめること。
東京大学名誉教授の高木憲次(1888―1963)によって提唱された概念で、
「治療をしながら教育する」ことがたいせつであるという意味合いが込められている。
すなわち「療」とは医療あるいは治療を意味し、「育」とは養育や保育もしくは教育を意味する。
(後略)
出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)


とのこと。

母子通園施設では、まさにその言葉通り、
保育を受けながら、併設する市立病院のリハビリ科や小児科と日常的、定期的な連携がなされ、
子どもの障がいに向き合い始めたばかりの親たちにとって、大きな支えになっていました。

その通園施設を「卒園、退園」して、地域の保育所や学校に通うようになってからは、
「療育」の場を求めて、市立病院の言語訓練に通いながら、他市の施設までも足を運びました。
当時は身近に今のような「放課後等デイサービス」はなかったので、
親同士の口コミや、病院からの情報を頼りに、
我が子のために少しでも役に立つ場を、と、模索し続ける毎日でした。

18歳を過ぎて、障がい児ではなく障がい者という立場での支援を受けることになり、
今は、いつか就労につながるためのステップとして、
相談機関の当事者会になじむ努力をする一方、
このアートセラピーと、カウンセリングを定期的に受けながら、
2か月ごとのショートステイ利用で自立に向けた練習も重ねて、
何とか日々の生活を組み立てています。

辞典に載っている意味で言えば、対象は「児童」だから、
もうこの年齢では「療育」という言葉には当てはまらないのだろうけれど、
ゆっくりな成長を続けている子どもを見ていると、
今の状態は、やっぱり、まだまだ療育を続けている、という気がします。

(ちなみに、大阪府の知的障がい者手帳は「療育手帳」という名前で、
大人に対しても使われる言葉として定着しているように思います)

「自立」というゴール?を、どんな状態とイメージするか、にもよりますが、
人は生きている限り、ずっと成長していくものだろうから、
ここまでで終わり、と線を引けるものではないし、
その人その人の人生のペースに合わせて、必要な支援を受け続けられたらいいな。

「治す」ことを目標にするのではなく、
「治らない」状態を受け入れつつ、生活の質を上げていくために可能な努力を続ける、
その際に、医学的な側面と併せて、社会教育の視点で、生きる力をつけていく・・・
そんなイメージでしょうか。


以前の記事にも書きましたが、「学校時代」は過ぎていきます。
学校を出てから先の方が、ずっとずっと長い人生。
山あり、谷あり、いろんなライフイベントが待っています。

一度しかない人生。
悔いのないように、精一杯生きること。
生きていることを楽しむこと。
喜ぶこと、哀しむこと、恋すること、愛すること…
子どもたちには、いろんな感情を、いっぱいいっぱい、
体全体を使って、しっかり味わってほしい。


映画の余韻に浸りながら、もう一度BGMをアップさせてください。
ピアノ…弾けたらいいなあ~。
私も、自分自身を成長させるための努力を続けていこう。







未分類 | 17:47:29 | トラックバック(0) | コメント(4)
土の器~追悼・日野原先生、本土空襲、日航機事故
ご訪問ありがとうございます。

今朝は昨日に増して過ごしやすくなりました。
夜、自然の風で寝ることができたのも久しぶりです。
外から、ジージーと、何か電球が切れる前のような音が聞こえて気になるので、
なんだろう?と家族にも聞いてみたところ、息子が耳をすませて「セミとちがうか?」というので、
外まで出て行って確認したら、隣との壁に茂っている蔦の中から、切れ切れに聞こえるその音は、まさにセミ。
日が暮れてずいぶん時間がたつのに、最期の最期の力を振り絞って、1匹だけ、なき続けていたようです。
それも寝る頃には聞こえなくなっていました。
セミの絶命した姿や、
弱ってひっくり返っているのをつかもうとするとまたバタバタと羽根を動かしてうつぶせに戻るけど、
しばらくしたらやはりひっくり返って絶命寸前、という姿・・・まさに虫の息、
そんなのを思い出しながら、命を考えていました。
息子によると、古代ギリシャでは「セミは詩人の生まれ変わり」と言われていたそうです。


昨日の朝日新聞夕刊の「惜別」コーナーに、日野原先生が掲載されていました。
母の誕生日に逝かれた先生。
>3月半ばに「脱水症状だと思う」と訴え、入院・・・人工呼吸器や胃ろうを拒み、自宅での療養を望んだ
とのくだりに、「死期を悟る」というのはこういうことなんだな、と、ただ、もう感心させられました。
母も、最期の救急入院の時点で、脱水、昏睡に近い状態から意識を取り戻し、
わずかの点滴だけで10日たらず踏みとどまって、点滴を外した日に逝きました。
母がまだ結婚する前、母方の父がガンを患い、
自宅の布団で、まわりのみんなに「ありがとう」と言ってから、カクッと亡くなった、という話を、
母から何度も聞いたことも思いだし、会ったこともない祖父のことを身近に感じました。
その人の存在を忘れない、誰かが覚えていて伝え続けることで、
心の中に生き続けることができるんだなあ、と、改めて思いました。

日野原先生は、
聖書を引用して人間の体を「土の器」にたとえ、
器は滅びるが、内なる魂は永遠である、と書かれていたそうです。
母も、常に、迫りくる死と向き合いながら、「国籍は天に在り」の言葉を支えにしていました。
お墓にもその言葉が刻んであります。
人の心は、信仰によってこんなにも強くなれるんだなと考えさせられます。
9月の合同慰霊祭には私一人で帰省の予定ですが、
その際に再度ゆっくりお墓の掃除をして来ようと思っています・・・


夜には、また、家族4人そろってNHKスペシャル「本土空襲・全記録」という番組を見ることができました。
両親から聞いた空襲や機銃掃射を、私も子どもたちに伝えてはきたけれど、
伝えきれない、私も知らない、たくさんの過去を、映像の力で目に焼き付けてくれました。
見ることができて良かったです。
戦争に対して不安がるナカリにも、
こうやって語り継いでいくことで、過去を学び、間違いを繰り返さないように、と、がんばっている人たちがいるんだよ、
と、番組を作ってくれた人、見ている人、がいることを考えて、安心させることもできました。

番組の最後で、
戦争中は日本人を殺すことだけを考えていた、という旧アメリカ軍人のご老人が語られていた言葉、
・・・戦後何十年もたってから日本に来て、子どもが手を振ってくれる姿を見て初めて、
自分が爆弾を落とした下には人間が居たのだと悟った、
ビルの谷間から青空を見上げると自分が自分の上に爆弾を投下してくるように感じた・・・
というような内容が、青空の映像とともに胸に焼き付けられました。


そして、
日航機事故から32年。仏教でいう三十三回忌だったことも、報道で改めて思いだし、
あの時、夜中もテレビの映像から目が離せず、夜が明けてから、伊丹空港発の帰省の飛行機に乗ったこと、
空港の待合室では、みんながテレビにクギづけで、生存者救出の場面にホッと胸をなでおろしたこと、
・・・いろいろと思いだされました。


理不尽に命が奪われる悲しみに、
怒りや憎しみの連鎖に、
息苦しくなりながら、
一方で
天命を全うできること、死後に備えること、
の重みも感じて、
やはり夏に考えさせられることは多いな、と、
自分も年を取ったということと併せて、
かみしめるような一日でした。

少しだけ秋の気配を感じながら、
朝の静かなひとりの時間にパソコンを打てるしあわせに感謝しながら。

読んでくださってありがとうございました。




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